バルト3国旅行記

2019年5月19日~26日(8日)
ヴィリニウス、カウナス、シャウレイ、リガ、タルトゥへ、タリン

スリランカ旅行記

2019年1月20日~26日(7日)
コロンボ、シギリヤロック、キャンディ、ゴール、ポロンナルワ

ポルトガル旅行記

2018年4月13日~20日(8日)
リスボン、ポルト、コインブラ、オビドス、ナザレ、バターリャ

ベトナム旅行記

2017年12月18日~23日(6日)
ホーチミン、フエ、ホイアン、ミーソン、ハロン湾、ハノイ

イギリス旅行記

2017年4月18日~25日(8日)
ロンドン、湖水地方、コッツウォルズ、コンウイ、オックスフォード

カンボジア旅行記

2016年12月9日~13日(5日)
シェリムアップ、アンコールワット、プレアヴィヒア、ペンメリア

北欧旅行記

2016年7月5日~12日(8日)
コペンハーゲン、オスロ、ベンゲル、ストックホルム、ヘルシンキ

クロアチア旅行記

2015年3月3日~12日(10日)
リュビリャーナ、ドブロヴニク、コトル、モスタル、スプリット

オランダ・ベルギー旅行記

2014年5月26日~6月2日(8日)
ブリュッセル、ブルージュ、ゲント、アムステルダム、ケルン

中欧旅行記

2013年8月19日~26日(8日)
ウィーン、プラハ、ドレスデン、プラチスラバ、ブダベスト

スイス旅行記

2012年8月26日~9月4日(8日)
ツェルマット、グリンデルワルト、ベルン、チューリッヒ

香港・マカオ旅行記

2011年12月25日~28日(4日)
香港、マカオ

フランス旅行記

2011年8月29日~9月5日(8日)
パリ、ロワール、モンサンミッシェル、ルーアン、ヴェルサイユ

スペイン旅行記

2010年8月23~30日(8日)
マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナ

イタリア旅行記

2008年8月7日~14日(8日)
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ローマ

台湾旅行記

2009年8月30日~9月2日(4日)
台北、高雄

韓国旅行記

2007年3月26日~29日(4日)
ソウル、水原

海外旅行記

ローマ橋(コルドバ)
ローマ橋(コルドバ)

スペイン旅行記

日程表

日 程 主なスケジュール
初 日 12:25成田発JAL便。17:50ミラノ着。19:00ミラノ発イベリア・スペイン航空便。21:10マドリッド着。(マドリッド泊)
2日目 午前:マドリッド観光(プラド美術館、スペイン広場、王宮)。昼食はミックスパエリア。午後:トレド観光(サント・トメ教会、カテドラル、アルカサール)。夕食はポークグリル。(トレド泊)
3日目 午前:コンスエグラにて風車群見学。昼食はサルモレホとオックステールシチュー。午後:コルドバ観光(メスキータ、ユダヤ人街、花の小径)。観光後、セビリアへ。夕食はフラメンコディナーショー。(セビリア泊)
4日目 午前:セビリア観光(カテドラル、黄金の塔、スペイン広場、サンタ・クルス街)。昼食はフィッシュスープとぺスカード・フリートス。午後:アルハンブラ宮殿観光。夕食は仔牛料理。(グラナダ泊)
5日目 午前:「白い村」ミハス散策。昼食はガスパチョとイカのスミ煮。散策後、マラガへ。17:05マラガ発ヴェリング航空便。18:30バルセロナ着。夕食はフィデウア。(バルセロナ泊)
6日目 午前:バルセロナ観光(サグラダ・ファミリア、グエル公園、サン・パウ病院、ピカソ美術館)。昼食はタパス。午後:OP「モンセラート観光と地中海が見えるレストランでのご夕食」。(バルセロナ泊)
7・8日目 午前:フリータイム。15:55バルセロナ発ルフトハンザ航空便。18:00フランクフルト着。21:05フランクフルト発JAL便。15:25成田着。

初日 充実のスペイン周遊8日間の旅に出発!

夏休み恒例の海外旅行は、スペインに決定! ヨーロッパの海外旅行では、スペインはイタリアとともに人気のツアー。取り寄せたパンフレットは、10数種、厚さは5cmにも及ぶ。数日間パンフレットと格闘した結果、KT社の「充実のスペイン周遊8日間」を申し込む。選んだ理由は、充実した食事と、マラガからバルセロナは国内便、それに「モンセラート観光と地中海が見えるレストランでのご夕食」というオプショナルツアーを付けることができたから。

またしてもロストバゲージ?

フライトは12時25分成田発JAL便。イタリアのミラノで乗り継ぎ、イベリア・スペイン航空便でマドリッドに向かう。
朝8時28分所沢発の特急に乗車し、池袋でJR山手線に乗り換え、日暮里から京成のスカイライナーで成田に向かう。新線の開通と新型車両により36分で成田に着き、大幅に時間が短縮。
旅行代理店の受付を済まし、JALのチェックインカウンターでチェックインをしてスーツケースを預ける。保安検査と出国審査もスムーズにこなし、搭乗時刻まで空港内のカフェテリアで時間を潰す。

飛行機は定刻通りに離陸し、乗継地のミラノに到着。大半の乗客はイタリア旅行客で、せっかくイタリアに着きながら、観光もせず、すぐにスペインに向かうのが勿体ないような気がする。乗り継ぎもスムーズで、定刻にマドリッド・バラハス空港に到着するが、そこで事件が起こる。
嫌な予感がしなくもなかったが、またもスーツケースが出てこないのだ。一瞬2年前のイタリアの悪夢が甦る。違うゲートから出てきたという情報が入り、空港内を探しまわったところ、私たちのものは指定されたゲート(19番)とはほど遠いゲート(6番)から出てきたが、同じツアー客のスーツケース1個と80歳のご婦人が持参したという車椅子1台が行方不明。添乗員が捜索している間、空港のロビーで待っていたが、2時間近く経っても、依然として見つからず、諦めてホテルに向かうことに。チェックインできたのは、12時少し前。長期滞在型の自炊設備の完備したホテルで、簡素な造作であったが、この日は寝るだけで、ちゃんとシャワーが使えたので、これで十分。

トレドの街並み
トレドの街並み
「白い村」ミハスの街並み
「白い村」ミハスの街並み

2日目 ホテルのテラスからトレドの街が一望

時差ボケのためか、熟睡できないまま目が覚める。寝不足で頭の中がはっきりしないまま朝食を摂るために階下のレストランへ。朝食は、数種類のハム、野菜サラダ、パン、ジュースとコーヒーという簡単なものであったが、普段は軽く済ましているので、十分すぎるぐらいの量。小さなフランスパンがとても美味しかった。

講釈好きの現地ガイドには困った!

9時にホテルを出発して、マドリッドの市内観光に向かう。最初の目的地はプラド美術館。バスを降りたところに、小柄で胡麻塩頭の老人が現地ガイドとしてスタンバイ。プラド美術館は、パリのルーブル美術館、ロンドンのナショナルギャラリーと並ぶヨーロッパ3大美術館の1つ。スペイン王室の絵画コレクションを一般公開する目的で1819年に開館した由緒ある美術館。スペインの3大画家、ベラスケス、ゴヤ、エル・グレコの名作をはじめ、中世から18世紀にかけてのヨーロッパ絵画の傑作が所蔵されている。ゴヤの『マハ』は日本でも有名で、中学の美術の教科書に掲載されていたのを思い出す。
館内は広く、とても短時間で全てを見ることができないぐらい多くの作品が展示。にもかかわらず特定の作品について胡麻塩老人が長々と講釈を垂れるので、ますます時間がなくなり、フリータイムは僅か20分。目ぼしい作品を走り見るのがやっとで、半分も見られなかったのはとても残念。ガイドの中には、この老人のように専門家気取りで、特定の作品だけを長々と講釈するガイドが少なくない。たっぷりと時間があれば、これでも構わないが、時間が限られている場合、観光客は多くの作品を短時間で鑑賞するにはどうしたらいいのかを教えてほしいだけ。つまり効率的な回り方をガイドしてもらえればよく、このような講釈ガイドは本当に困ったもの。

プラド美術館
プラド美術館
ゴヤ『着衣のマハ』
ゴヤ『着衣のマハ』

セルバンテス没後300年を記念するスペイン広場!

プラド美術館のあと、スペイン広場と王宮に立ち寄る。スペイン広場は、スペイン文学の傑作『ドン・キホーテ』の原作者セルバンテスの没後300年を記念して作られた広場。中央にセルバンテスの記念碑が立ち、その足元にはドン・キホーテと従者サンチョ・パンサの銅像が控える。かつては置き引き・スリなど犯罪多発地帯で、多くの観光客が被害を受けたようだが、最近は警察官が待機するようになり、治安が良くなったらしい。王宮は、16世紀のハプスブルク家の居城で、18世紀に火災で全焼し、その後ブルボン家により再建されたが、今は誰も住んでおらず、公式行事に使われるだけのようである。ともに写真を撮るだけ。昼食前にトイレ休憩を兼ねて、早くも土産店に連れて行かれる。革製品の店で、店内でミネラル・ウォーターのサービスがあり、これはありがたい。
昼食は、王宮の近くのレストランでミックスパエリア。前菜に野菜サラダが出るが、スペインのサラダは、ドレッシングではなく、オリーブオイルとバルサミコ酢か、塩をかけて食べるのが一般的。うまく調合しないと、悲惨な目に合う。パエリアは、とても美味しかった。エビ・貝・鶏肉など、多くの具材が入った少し柔らか目のご飯は、日本人好みにアレンジされたものと思われるが、食が進み、完食。

セルバンテスの記念碑
セルバンテスの記念碑
王宮前の広場
王宮前の広場

エル・グレコゆかりの古都トレド!

午後、トレドに向かう。『スペインに行って1日あればトレドに行け』という格言があるぐらいスペインではお勧めの観光地。バスの車窓から街並みが見えたとき、2年前に旅したイタリアのフィレンツェを思い出す。本当によく似ている。フィレンツェは街の南側に川があるだけだが、トレドは3方が川に囲まれており、残る一方に城壁が造られている。古くは西ゴート時代から、16世紀にマドリッドに遷都されるまで都として栄え、今では街全体が世界遺産として登録されている。トレドは、紀元前2世紀にローマに征服されて以来、さまざまな民族に支配され、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が混在する独自の文化が育まれる。中世の偉大な宗教画家、エル・グレコが半生を過ごした場所としても有名。
街の中心の高台にカテドラル(大聖堂)がそびえている。世界遺産のためバスの通行が制限されており、丘の中腹近くの駐車場で下車して徒歩で登る。石畳の上は滑って歩きにくく、スニーカーを履いていても、転ばないように神経を使う。カテドラルが近くなると、観光客用に設置されたエスカレーターに乗ることができ、ホッとひと息。カテドラルは、スペイン・カソリックの総本山で、独特のカソリック様式の造りで、完成まで約300年を費やしたという。イタリアのドゥオモ(大聖堂)とは少し感じが違う。カテドラルのすぐ近くにサント・トメ教会に立ち寄り、エル・グレコの名作『オルガス伯の埋葬』を鑑賞。これは一説によると、世界3大名画の1つらしい。

観光のあとは、トイレ休憩を兼ねて土産店へ。スペインの伝統工芸品である象嵌細工を扱う店でペンダントを買う。1つ55ユーロ。10%オフで、2つで99ユーロ。空港で免税申請をすれば8ユーロばかり戻ってくるらしい。
今回のツアーの目玉は、世界遺産のトレドの街が一望できるS級ホテル。しかし、用意されたすべての部屋から見られるとは限らず、11分の7の確率でくじを引くことになり、幸運にも当たりを引き当てる。S級ホテルは、どちらかといえば小さめで、アットホーム的な洒落た雰囲気。キャッチコピーの通り部屋のテラスからトレドの街が一望。眼の前に中世の街並みが広がる。そして日暮れとともに訪れる夜景が、なんも言えない幻想的な雰囲気を漂わす。

トレド カテドラル
トレド カテドラル
テラスから世界遺産が一望
テラスから世界遺産が一望

夕食はホテルのレストランでポークグルリ。前菜に生ハムでダシをとったトマト風味の温かいスープ。野菜だけではなくパンも入っており、これだけでけっこうお腹が膨らむ。メインは、イベリコ豚をリンゴかマンゴを使ったソースで味をつけてソテーしたもの。肉そのものは美味しいが、とても甘く、付け合せのジャガイモまで甘く感じる。デザートは、フルーツポンチにアイスクリームを浮かべたもので、これも好評。まだ昼夕食1回きりであるが、今回のツアーの食事は期待が持てそう。ちょっと高めのツアーだけある。

3日目 驚異の気温48度! 肌が焼ける!

朝6時15分、モーニングコールで叩き起こされる。初日の寝不足のためか、夕食後、シャワーを浴びてベッドに転がっていると、いつの間にか寝込んでしまった。夜中に1度起きたが、朝まで爆睡。すっきりした気分でレストランへ。朝食は、前日のホテルと同じアメリカンスタイルで、パンが美味しいが、コーヒーはエスプレッソ風でとても濃く、砂糖・ミルクなしでは飲めない。7時45分、ドン・キホーテのゆかりの地、ラ・マンチャ地方に向けてバスで出発。

黒い三角屋根が印象的なコンスエグラの風車群!

ホテルから1時間半で風車の街、コンスエグラに到着。ラ・マンチャとは、アラビア語で「乾いた土地」を意味し、この地方独特の田園風景が四方に広がっている。ドン・キホーテの物語に中で、ドン・キホーテが戦いを挑んだとされる白い円筒状の建物に黒い三角屋根が印象的な風車。これがコンスエグラの丘の頂上に10数台が建ち並ぶ風景は壮大そのもの。かつては数え切れない数の風車があったようだが、現存するのはここだけらしい。観光客用にバスが通れる道路が整備されており、難なく丘の頂上に到着。三々五々写真を撮りまくる。
コンスエグラの丘を下る際、2台のバスとすれ違うが、ともに日本人観光客だった。トイレ休憩で、ガイドブックにも載っている「ラ・ベンタ・デル・キホーテ(ドン・キホーテの旅籠という意味で、村の名前にもなっている)」に立ち寄る。かつては旅籠として営業していたようだが、現在は閉鎖中。建物の外壁には、ドン・キホーテの物語にまつわる数枚のタイル画が埋め込まれており、その古びた雰囲気が時の流れを感じさせ、ラ・マンチャの郷愁を漂わせている。イタリアと異なり、スペインでは有料トイレは少ない。そのためドライブインでトイレを借りることになるが、添乗員からは、必ず何か買ったり、飲んだりしてほしいと依頼される。店への気遣で、売り上げが少ないと、バスの運転手が文句を言われるようだ。バスの車内で、買い物に備えて簡単なスペイン語会話例のコピーが配布される。

コンスエグラの風車群
コンスエグラの風車群
ラ・ベンタ・デル・キホーテ
ラ・ベンタ・デル・キホーテ

イスラム教とキリスト教が共存するコルドバ!

アンダルシアのコルドバにさしかかった頃に再度トイレ休憩。新しい洒落たドライブインで、店内が明るく、トイレもきれい。カフェテラスで、添乗員から教わったカフェ・コルタード(Café cortado 小さいミルク入りコーヒー)を買って飲んでみるが、味はまずまずといった感じ。因みに、1杯1.2ユーロでとても安い。
バスで長時間走っていても、車窓から見えるのはオリーブ畑だけ。スペイン国内には数億本ものオリーブの木があるらしい。イタリアもオリーブの産地として有名だが、スペインのオリーブはイタリアのものより上質で、美味しいようだ。
コルドバに到着後、すぐに昼食。冷たい「サルモレホ」というスープとオックステールシチュー。サルモレホは、トマトをベースにした野菜のポタージュスープで、何が入っているのかよくわからず、生ハムのしょっぱさだけが残り、とてもすべては食べきれなかった。他のツアー客も同様で、大半は途中で挫折。オックステールシチューは、牛の尻尾を煮込んだもので、おでんの牛スジに近い味。こちらは旨くて完食。
昼食後、コルドバ市内を観光。まずはメスキータから。メスキータとは、スペイン語でイスラム教寺院のことで、後ウマイヤ王朝のアブデラマン1世により8世紀末に建てられる。その後4回拡張され、数万人を収容できる巨大なモスクになるが、13世紀レコンキスタ(イスラム教徒に占領されたイベリア半島をキリスト教徒の手に奪回する運動。711年のイスラム侵入後から1492年のグラナダ開城まで続く)によりキリスト教統治に変わると、内部にカテドラルが造られ、イスラム教とキリスト教の2つが共存する珍しい建物になる。この寺院、フラッシュでも撮影OKの寛大さ。メスキータを見物したあとは、北側に広がる旧ユダヤ人街を散策。白い家並みと迷路のような小道が続く。メスキータと旧ユダヤ人街は、ともに世界遺産。

メスキータ 礼拝堂
メスキータ 礼拝堂
旧ユダヤ人街
旧ユダヤ人街

アンダルシアの驚異的な陽射しの強さを体感!

夕方、セビリアに到着。セビリアはスペイン第4の都市(マドリッド、バルセロナ、バレンシアに次ぐ)。オペラ『カルメン』や『フィガロの結婚』の舞台となった街としても知られている。大航海時代には、新大陸の発見とともに交易港として栄え、アンダルシア地方の中心地。
午後6時を過ぎているのに、真昼のように陽射しが強く明るい。スペインはヨーロッパ標準時刻を採用しているため、通常よりの2、3時間は後ろにずれている。夜の9時でもまだ陽が射し、明るい。10時になってようやく暗くなる。その代わり朝は7時でも陽は昇らず、8時なってようやく太陽が姿を現わす。
6月から8月にかけてほとんど雨が降らないというアンダルシアでは、陽射しの強さは驚異的。暑いというより「焼ける」「焦げる」という感じ。街中の温度計が48度を示し、壊れているのかと思ったが、正常だった。ものの5分も直射日光を浴びれば、肌は焼けつくように痛い。時間がずれているため、4時から6時までの陽射しが最も強烈。これではとても働く気も起こらず、シエスタ(午睡)の習慣があるのも頷ける。因みに、スペインでは、昼食を2時から3時、夕食が9時から10時に摂るのが一般的で、食事時間も後ろにずれている。

一見の価値があるフラメンコディナーショー!

セビリアでは、待望のフラメンコディナーショー。ショーは7時開始で、私たちは6時半に会場に入り、先に夕食をいただく。前菜は、コンソメ風味の温かい野菜スープ。メインは、一度煮込んで柔らかくしたステーキが2枚。かなりの量だが、2枚とも美味しくいただく。さすがに付け合せのインゲンまでは食べきれない。デザートは、直径10cmの半円形の瓜のようなものが2枚出され、一瞬何なのか途方に暮れるが、食べてみると、スイカ味のするメロン。見た目以上に甘く美味しい。
私たちが入店したときには空席が目立っていたが、ショーが始まる頃には、2階席を含めほぼ満席。本場のフラメンコは圧巻だった。中年の太り気味の女性がカスタネットを手に踊るのがフラメンコだ、と侮っていたのが大間違い。フラメンコは、アンダルシアに定住したジプシーの伝統的な踊りが、アンダルシア地方の民謡『カンテ・ボンド』や民族舞踊と深く結びつき、芸術の域まで昇華したもの。バレイ(踊り)、カンテ(歌)、ギターの結合体で、アンダルシアの情熱と哀愁の舞いと言われている。
暗くなった舞台に、3組の男女ペアがギターの伴奏と歌にあわせて踊り始める。次は女性のソロ、男性のソロ、1組の男女ペアと、10分程度の間隔で次々に入替り立ち代り踊る。ギタリストとカンテが舞台に出てくるときもあれば、音楽だけ流すときも。圧巻は最後の男性のソロ。見事なタップ(フラメンコでは「サバテアード」と呼ぶらしい)で観衆を魅了し、終わったときはスタンディングオベイションで迎えられ、歓声と拍手が鳴り止まなかった。男性のフラメンコダンサーがいるだけでも新発見であったが、踊り方も多種多様で、踊りながら歌ったり、手でカスタネットを叩いたり、色々なバリエーションがあるのもはじめて知る。そして歌や踊りの合間に入れる手拍子(「パルマス」と呼ぶらしい)も凄い。ちょっとやそっとで身に付けられるものではない。プロは何人でやってもぴったりと合う。かなり年季のいる技能かもしれない。所詮スペインの大衆演芸と侮っていたのが恥ずかしくなり、こんなに感動したことにも驚く。
セビリアのホテルは、まずまずのグレードで、難を言えば、シャンプーとリンスが備え付いていなかっただけ。フラメンコの感動の余韻を胸に抱きつつ、早めに就寝。

フラメンコショー ソロ
フラメンコショー ソロ
フラメンコショー トリオ
フラメンコショー トリオ

4日目 広大なアルハンブラ宮殿で歩き疲れて、疲労困憊

珍しく朝6時に目が覚める。この日は出発が9時と遅めだったが、7時15分にはレストランに下りて朝食を摂る。このホテルもバイキング方式でかわり栄えしないものであったが、パンが美味しくそれなりに満足する内容。最後まで行方不明であった80歳のご婦人の車椅子が見つかり、昨夜ホテルに届き、今日から車椅子持参で観光するそうだ。しかし、車椅子まで持ち込んで海外旅行とは、見上げた根性。

セビリアのカテドラルはスペイン最大規模!

午前中、セビリア市内を観光。セビリアをはじめとするアンダルシア地方では、フラメンコのほかに闘牛の本場としても有名で、今でも各地で盛んに行われている。昨夜のフラメンコ会場の近くにも立派な闘牛場を見かける。ただし、カタルーニャ(バルセロナ)地方では、動物愛護精神から最近は行わなくなっているようで、地域が異なれば文化も違っている。
まず街の中心部にあるスペイン広場に向かう。マリア・ルイサ公園内にあるスペイン広場は、1929年のイベロ・アメリカ博覧会の際、スペインのパビリオンがあったところをそのまま残したもの。半円形の建物に沿って置かれたベンチに、スペイン各地の58の歴史的場面が描かれている。
ここで、スペイン人の陽気なカメラマンが登場。集合写真を撮らせてほしいとの申し出に応えて、全員揃って写真に収まることに。添乗員の話ではあとで売りに来るらしい(1時間後に再度登場し、7ユーロ(もしくは1,000円)で販売)。
スペイン広場からサンタ・クルス街を抜けてカテドラル(大聖堂)に向かう。サンタ・クルス街は、コルドバの旧ユダヤ人街と同様に、細い入り組んだ路地に白い家が建ち並び、昔ながらの街並みが残っている。やはりかつてのユダヤ人居住区。
カテドラルは、スペイン最大規模の大聖堂。世界では、ローマのサン・ピエトロ大聖堂、ロンドンのセント・ポール寺院に次いで3番目。当初イスラム寺院であったのを、レコンキスタにより15世紀初頭に100年もの年月をかけてキリスト教聖堂として造り替えられる。

セビリア カテドラル
セビリア カテドラル
1,000円で買った集合写真
1,000円で買った集合写真

食後にCafé cortadoを嗜む!

グラナダに向かう途中のドライブインでランチ。昨日コルドバ近くで立ち寄ったドライブインと同じ系列。こちらもきれいで清潔。当初、フィッシュスープとぺスカード・フリートス(魚のフライ)の予定が、明日も魚のスープがでるので、フィッシュスープは野菜サラダに変更。野菜サラダはすべてが生のまま出され、それに適当にオリーブオイルとバルサミコ酢をかけて食する。それだけでは物足りなければさらに塩をかける。マヨネーズが恋しくなるが、「郷に入っては郷に従え」で我慢するが、どうもオリーブオイルは好きになれない。固くて食べられないと思った生のニンジンが思いのほか甘かったのには驚く。魚のフライは、イカと白身の魚(種類は不明)で、これがけっこう美味く、ビールのつまみにぴったり。さらに大きめのパンがついていたので、完食するとお腹が一杯。
食後は、カフェテラスに場所を替えて、Café cortado (小さいミルク入りコーヒー)に砂糖を入れて飲む。スペイン人は、食後のコーヒーは同じ場所では飲まず、必ず場所を替えるようだ。

イスラム芸術の最高傑作、アルハンブラ宮殿!

午後は、今回のツアーの目玉、グラナダのアルハンブラ宮殿。スペインでは最も人気のある観光スポットで、予約をしないと1日待っても入れない。その予約も30分に300人という人数制限を設けている超強気の宮殿だが、訪れようとする人があとを絶たない。アルハンブラ宮殿は、イスラム芸術の最高傑作と言われている、スペイン最後のイスラム王朝ナスル朝の王宮。宮殿内で最も古い城塞部分であるアルカサバ、王の居城であった王宮、夏の離宮へネラリフェ庭園と、敷地内は大きく3つに分けられる。とても広く、しかもアップダウンがあり、1周し終えたときは汗だくで、疲労困憊。キリスト教に染まっていないイスラム寺院だけあって、これまでに見たどの王宮とはまったく違う雰囲気。
現地ガイドのロベルトさんは、流暢な日本語を話す陽気なスペイン人。案内中でも知り合いの女性に会うと、ガイドそっちのけで必ず話しかける面白い人。観光のあとは、定番の土産物屋に連行され、添乗員お勧めの『アルハンブラ物語』の絵本を買う。ホテルに入る前に、グラナダの街が一望できる丘で、写真撮影タイム。

アルハンブラ宮殿の中庭
アルハンブラ宮殿の中庭
グラナダの街を一望
グラナダの街を一望

夕食はホテルでバイキング。旅行が始まって以来、食べすぎる傾向のため、ここで少しセーブすることに。牛のステーキ、魚のソテー、肉団子をメインに、野菜サラダとフルーツを平らげ、セーブしようとした割には食が進む。

5日目 真っ青な地中海を見ているだけで心が和む

出発は9時半といつもよりも少し遅め。しかし、7時に目が覚めてしまい、早めにレストランに降りることに。朝食はいつものアメリカンスタイル。食後、まだ時間の余裕があったので、朝の散歩に出かける。ホテルの前に川が流れ、川沿いにグラナダの街を30分ほど散策。勤めに出かける人、犬の散歩をしている人、ウォーキングをしている人などを見かけるが、どことなく古都の雰囲気が漂う。

お土産にオリーブオイル石鹸を30個も買ってしまう!

ホテルからバスで「白い村」ミハスに向かう。ミハスは、小高い山麓の中腹に洒落た白い家並みが広がる街。どの家からも地中海が見渡せそうで、「アンダルシアのエッセンス」とも呼ばれている。ここでフリータイムとなり1時間半ばかり過ごす。添乗員お勧めのオリーブオイルの石鹸を買うため、日本人が経営している「アマポーラ」という店を探すが、道が入り組んだ上に坂道や階段が多く、辿り着くのに30分。お土産用に30個の石鹸を買う。持ち歩くに重いので、帰りに取りに来ることにしてそれまで預かってもらうことに。散策に疲れ、屋外のカフェテラスで冷たいドリンクを飲んでひと休み。
窓から地中海を一望できるレストランで昼食。前菜がアンダルシア名物ガスパチョ、メインはイカスミのリゾット。ガスパチョは、冷たい野菜のポタージュスープ。いろんな野菜がミックスされて珍しい味で、それなりに味わう。イカスミは、イカのほうは柔らかく食べやすいが、ご飯がパサパサで口に合わず、少し残してしまう。料理はイマイチだったが、見晴らしが最高のレストランで、真っ青な地中海を見ているだけで心が和む。
この付近の海岸は、コスタ・デル・ソル(太陽の海岸)と呼ばれる有名なリゾート地。スペイン最南端のタリファから東のアルメリアまで約300kmにも及ぶという。地中海気候の影響を受け、年間の日照日が300日以上で、世界各国から大勢のバカンス客が訪れる。

「白い村」ミハス
「白い村」ミハス
レストランから地中海を一望
レストランから地中海を一望

マラガから空路でバルセロナへ。気候が一変!

昼食後、バスでマラガに移動し、空路でバルセロナに向かう。田舎の空港だと思っていたマガラ空港は、新しく建てられた国際空港並みの規模の近代的なビルディング。離陸後、あっという間にバルセロナに到着。正味30分も飛んでいなかったのでは。
空港に着いて驚く。すっかり気候が違っていた。アンダルシアの焼け焦げるような強い陽射しは姿を消し、日本の西日級の陽射しに弱まっている。夕暮れも早くなり、過ごしやすい。バルセロナの空港から、夕食を摂るサグラダ・ファミリアが目の前にあるレストランに直行。バスを降りたとき、何でもカメラに収めないと気がすまないという日本人のカメラ魂が騒ぎ出し、一同レストランにかまわず写真を撮りまくる。明日ゆっくりと観光できるのに。
夕食の前菜は、魚貝類のスープ。メインは、「フィデウア」というパスタのパエリア。魚貝スープは、なかなか日本では食べられない味で、ムール貝となぜかお米が入っている。魚貝のダシがきいてとても旨い。パスタのパエリアは、春雨を短く切ったような極細の短いパスタで、煮込んで焦げ茶色になっていた外観は、細麺のソース焼きそばに見える。マヨネーズのようなソースをお好みでつけて食べる。ますます焼きそばに近くなるが、味そのものは、「何これ?」と思いながら食べ始めると微妙に食が進み、最後まで食べ尽くす。
夕食を先に済ませたので、ホテルに着いたのは9時半すぎ。「バルセロナでS級ホテルに宿泊」という触れこみ通りの高級感の溢れるホテル。しかしシャワーの出が悪く、洗面所の排水も詰りぎみで、見かけよりも中身が悪く、これもお国柄かもしれない。

6日目 偉大なる建築家、アントニ・ガウディ!

午前中に5時間をかけてバルセロナ市内を観光するため、朝8時15分の出発。昨日空港まで迎えに来てくれた現地ガイドのサチコさんの案内。サチコさんは、バルセロナ在住の日本人で、50代の中肉中背の典型的なオバさんタイプ。

ピカソ美術館でピカソの知られざる一面を発見!

まずは、世界遺産のサン・パウ病院へ。バスを下車して写真に収める。ドメネク・イ・モンタネールの20世紀初頭の作品で、ムハデル様式の複合建築物。現在はこの建物の裏側に新しい病棟が立てられ、病院としては使われていない。
次は、グエル公園に向かう。グエル公園は、バルセロナの偉大なる建築家、アントニ・ガウディが都市開発事業として手がけた公園で、現在はバルセロナ市民や観光客の憩いの広場。「グエル」という名は、ガウディのパトロンでありよき理解者でもあったグエル伯爵から名づけられる。かなり広い公園で、まだ朝が早かったので、人出はそれほどでもなかったが、サチコさんの話では、普段はバスが駐車場に入りきれないほど観光客が殺到するようだ。
10時にピカソ美術館に入館。マドリッドのプラド美術館に比べると、知名度が低く、あまりツアーにも組み入れられないが、見てみてビックリ。若かりし頃のピカソの未公開作品が数多く展示。ピカソといえば狂気的な絵が有名であるが、若い頃に描いた忠実に描写された絵は、ひと味違う魅力がある。「これがピカソ?」と、誰もが疑いたくなる絵で、ここでしか見られない作品が数多く展示されていた。ピカソの知られざる一面を見ることができ、とても満足。

バルセロナ サン・パウ病院
バルセロナ サン・パウ病院
バルセロナ グエル公園
バルセロナ グエル公園

街中にドーンとそびえるサグラダ・ファミリア!

サグラダ・ファミリア(聖家族教会)は、街中にドーンと聳えている。昨夜見たライトアップされたのとは趣きを異にして、壮大さは桁外れで際立っている。まだ建築中のためクレーンが周りを取り囲んでいるのが残念。1882年に着工され、91年にガウディが引き継いだが、彼の死後(1926年)、未だに建築が続いている未完の教会。完成までにはあと50年から100年かかると言われている。完成図を見ると、まだ半分くらいしか出来ていない。
サグラダ・ファミリアは公的な施設ではなく、ある教会が建造している建物で、工事経費は寄附とお布施(入場料11ユーロ)でまかなっており、資金的にも時間がかかるのはやむを得ない。
完成すると、イエスと聖母をあらわす2本の塔を中心に、イエスの「生誕」「受難」「栄光」からなる3つのファサードとそれぞれに4本ずつの塔、福音書家に捧げる4本の塔、計18本の鐘楼が建てられることに。因みに、「生誕の門」のハープを奏でる像は、日本人彫刻家外尾悦郎氏が手がけている。エレベーターで展望台に上がることができるが、1回に5、6人しか乗ることができず、すでに長蛇の列で、諦めるほかはなかった。地下に博物館があり、関連する資料が展示。

昼食はヨットハーバーにあるレストランでタパス(スペイン風の小皿料理)を食する。小皿料理といっても、3、4人分をまとめて大皿で出てくる。サラミ、ジャガイモのオムレツ、チーズ入りコロッケ、シシャモの唐揚げ、ムール貝など。それにオリーブオイルをかけて焼いたパン。どれも美味しいと絶賛するまではいかないが、不味くもなく、酒の肴に合うものばかり。

サグラダ・ファミリア
サグラダ・ファミリア
バルセロナ ヨットハーバー
バルセロナ ヨットハーバー

カタルーニャの聖地、モンセラート!

午後は、「モンセラート観光と地中海の見えるレストランでのご夕食」と銘打ったオプショナルツアーに出かける。参加者は、23人中11人。若い人たちは皆不参加で、バルセロナの街を自由に闊歩するようだ。
モンセラートは、バルセロナから北西約60kmに位置する、カタルーニャ地方のキリスト教の聖地と言われる山。スペイン全土から多くの巡礼者が訪れるという。モンセラートとは、「のこぎりでひかれた山」を意味し、奇岩が連なる不思議な風景は、サグラダ・ファミリアのモデルとも言われている。確かにバスの車窓から見ていると、付近の山とはまったく異質な山が、忽然と現われる感じ。
カタルーニャには、長年中央政府(カスティーリヤ)に支配され、虐げられた際、それに抵抗するためにモンセラートに立て籠ったという歴史がある。中腹の岩山に張りついたように建っているベネディクト会の修道院には、珍しい黒いマリア像があり、マリア像の膝を撫でて祈るのが儀式で、私たちも俄か教徒になり、祈りを捧げる。スペインでは、イエス・キリストよりもマリア様を重視するという「マリア信仰」が浸透している。修道院が作って販売しているクッキーをお土産に買う。

観光を終え、夕食のためにバルセロナに引き返す。昨日の昼食場所のヨットハーバーの近くにある少し高級感が漂うレストラン。当然地中海が見ることができるが、高台ではないので一望とまではいかない。前菜は野菜サラダ、いつものようにオリーブオイルとバルサミコ酢で食べる。メインは「サルエスラ」と呼ばれるスペイン風のブイヤベースで、エビと魚(種類は不明)を長時間煮込んだもので、ダシが沁みてとても美味しい。これぞ本場の味で、日本では食べられそうにない。コース料理ではないので、品数に物足りなさが残るが、味そのものは申し分ない。デザートのアイスクリームも好評で、本場のスペイン料理を堪能。

モンセラート
モンセラート
モンセラートからの眺め
モンセラートからの眺め

7・8日目 期待した通りスペインは最高!

前日から、添乗員と現地ガイドにバルセロナの治安の悪さを嫌というほど聞かされる。スリや置き引きにとどまらず、ひったくりや強盗、ニセ警官まで現われるという。ともかく人通りの少ない場所は歩いてはいけない。今日は日曜日で特に人出が少ないので注意すること。朝の散歩は厳禁。出かける場合、貴重品はホテルに置き、手ぶら出かけたほうがよい。近くても地下鉄は使わず、タクシーを使いなさい、などなど。スペイン国内でも特にバルセロナの治安が悪くなっているようだ。バブル崩壊後、貧民層のアフリカ系の外国人が流入し、彼らが悪さを働くらしい。

出発前にのんびりホテル近くの海岸を散歩!

あまりにも危ない、危ないと連呼されたのと、旅の疲れが出てきたので、午前中はのんびりとホテルで過ごすことに。8時過ぎまで眠り、遅めの朝食を摂り、昼食を抜くつもりで普段よりもたくさん食べる。シャワーを浴びたあと、出発まで時間があったので、近くの海岸を散歩。すでに砂浜には、多くの人が繰り出し、パラソルのもとで肌を焼いたり、海水浴を楽しいんでいる。中には水着を脱いで裸で日光浴をしている女性も。
現地ガイドのサチコさんの話によると、この海岸に集まる人たちは貧乏人で、金持ちは海外やスペイン国内ではコスタ・デル・ソルまで出かけるらしい。
海岸の近くにマクドナルドを見つけ、お茶をしてホテルに戻る。12時までにチェックアウトを済まし、ホテル出発は12時45分。

チェックインを済ましてスーツケースを預け、トレドで買った象嵌細工のペンダントが91ユーロを超えていたので、それの免税申請を行い、厳重な手荷物検査を受けても、まだ十分すぎる時間。免税店でお土産のクッキーを大量に仕入れる。
バルセロナ発の飛行機は定刻どおり離陸し、2時間で乗継地のフランクフルトに到着。乗り継ぎまで3時間足らず、免税店を見てまわり、ウィスキーが安売りしていたので、シーバースリーガルを2本買う。ユーロが余ったので、ドイツ風のポロシャツを買って、手持ちのユーロを使い果たす。ドイツに降り立った以上、ビールを飲まなければと思い、パブ風の店に入ると、同じツアーの女性2人がすでに寛いでいた。私たちも同席すると、その後、2組のツアー仲間がやってきて、一緒にビールを飲みながら雑談。見ず知らずの人でも1週間も行動を共にすると仲良くなるもの。話が弾んだところで、ようやく搭乗時刻。私たちを乗せた飛行機は、成田に向けて離陸する。
成田には予定よりも15分早く着いたが、入国手続きや荷物の受け取りに時間がかかり、開放されたのは4時少し前。往路と同様に京成のスカイライナーに乗車。池袋でタイミングよく特急に乗れ、6時前には帰宅することができた。

コルドバ ローマ橋
コルドバ ローマ橋
セビリア マリア・ルイサ公園
セビリア マリア・ルイサ公園

今回のスペイン旅行の感想

(1)食事が良かった。どれも美味しく、「これは?」と唸ったのは、3日目のコルドバの昼食で出た「サルモレホ」という冷たいスープだけ。いちばん美味しかったのは、オプショナルツアーの夕食「サルエスラ(魚介類のブイヤベース)」。ツアー料金がやや高めだったが、グルメを強調したツアーを申し込んだのが正解。
(2)世界遺産のトレド、モンセラート、それに「白い村」ミハスなど、行く前から期待した有名観光地は決して裏切らなかった。あの建設中のサグラダ・ファミリアも素晴らしい。来て良かったと思わせるものがあり、期待通りスペインは最高!
(3)マガラからバルセロナの国内便は正解。バス便だと、途中バレンシアで1泊しても、2日で1,000km近い移動はかなり疲れるし、その分バルセロナの滞在が短くなる。モンセラートのオプショナルツアーに参加できたのも、最終日ホテルでゆっくり過ごすことができたのも、国内便のお陰。
(4)期待していなかったピカソ美術館がとても良かった。ピカソが若い頃に描いた絵は、非常に繊細で緻密な描写をした絵が多く、 晩年に狂気的な絵を描いた同じ人物とは想像すらできない。この美術館でしか見られない作品が多く、一見の価値がある。

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