バルト3国旅行記

2019年5月19日~26日(8日)
ヴィリニウス、カウナス、シャウレイ、リガ、タルトゥへ、タリン

スリランカ旅行記

2019年1月20日~26日(7日)
コロンボ、シギリヤロック、キャンディ、ゴール、ポロンナルワ

ポルトガル旅行記

2018年4月13日~20日(8日)
リスボン、ポルト、コインブラ、オビドス、ナザレ、バターリャ

ベトナム旅行記

2017年12月18日~23日(6日)
ホーチミン、フエ、ホイアン、ミーソン、ハロン湾、ハノイ

イギリス旅行記

2017年4月18日~25日(8日)
ロンドン、湖水地方、コッツウォルズ、コンウイ、オックスフォード

カンボジア旅行記

2016年12月9日~13日(5日)
シェリムアップ、アンコールワット、プレアヴィヒア、ペンメリア

北欧旅行記

2016年7月5日~12日(8日)
コペンハーゲン、オスロ、ベンゲル、ストックホルム、ヘルシンキ

クロアチア旅行記

2015年3月3日~12日(10日)
リュビリャーナ、ドブロヴニク、コトル、モスタル、スプリット

オランダ・ベルギー旅行記

2014年5月26日~6月2日(8日)
ブリュッセル、ブルージュ、ゲント、アムステルダム、ケルン

中欧旅行記

2013年8月19日~26日(8日)
ウィーン、プラハ、ドレスデン、プラチスラバ、ブダベスト

スイス旅行記

2012年8月26日~9月4日(8日)
ツェルマット、グリンデルワルト、ベルン、チューリッヒ

香港・マカオ旅行記

2011年12月25日~28日(4日)
香港、マカオ

フランス旅行記

2011年8月29日~9月5日(8日)
パリ、ロワール、モンサンミッシェル、ルーアン、ヴェルサイユ

スペイン旅行記

2010年8月23~30日(8日)
マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナ

イタリア旅行記

2008年8月7日~14日(8日)
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ローマ

台湾旅行記

2009年8月30日~9月2日(4日)
台北、高雄

韓国旅行記

2007年3月26日~29日(4日)
ソウル、水原

海外旅行記

コロッセオ(ローマ)
コロッセオ(ローマ)

イタリア旅行記

日程表

日 程 主なスケジュール
初 日 12:00成田発JAL便。16:35ロンドン着。19:30ロンドン発英国航空便。22:30ミラノ着。(ミラノ泊)
2日目 午前:ミラノ観光(大聖堂、スフォルツェスコ城、スカラ座)。昼食はリゾットとミラノ風カツレツ。午後:ベローナ観光(ジュリエットの家)。観光後、ヴェネチアへ。夕食は魚料理。(メストレ泊)
3日目 ヴェネチア観光(サン・マルコ寺院、ドゥカーレ宮、ゴンドラ遊覧、ヴェネチアングラスショップ)。観光後、プラートへ。(プラート泊)
4日目 午前:ピサの斜塔観光(ピサの斜塔、洗礼堂)。昼食はキノコのパスタ。午後:フィレンツェ観光(ウフィッツィ美術館、サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂、ミケランジェロ広場、皮革製品店)。夕食はビステッカ・フィオレンティーナ。(プラート泊)
5日目 午前:サンジミニヤーノ散策。昼食はシエナの名物パスタ。午後:シエナ観光(ドゥオモ、カンポ広場)。夕食は中華料理。(ローマ泊)
6日目 ヴァチカン・ローマ観光(サン・ピエトロ大聖堂、システィーナ礼拝堂、コロッセオ、トレヴィの泉、スペイン広場)。昼食はピッツアの食べ放題。午後:スペイン広場にて解散、フリータイム。(ローマ泊)
7・8日目 13:15ローマ発オランダ航空便。15:45アムステルダム着。20:15アムステルダム発JAL便。14:30成田着。

初日 はじめてのヨーロッパ、イタリア旅行に出発!

はじめてのヨーロッパ旅行、行き先はイタリア。ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ローマの主要都市を北からまわる定番ツアー。選んだ理由は、美味しいパスタとピザを食べたいから。
早朝、所沢の自宅を出発し、西武線・JR山手線を経由して、日暮里からは京成スカイライナーで成田空港へ。チェックイン・保安検査・出国審査などの手続きを順調にこなして、あとは搭乗を待つばかり。しかし、一向に搭乗のアナウンスがされない。乗客がざわつき始めた頃、機体の整備のために出発が遅れるとのアナウンス。このツアー、成田発のJAL便でロンドンへ、そこで英国航空便に乗り継いでミラノに向かう予定。長時間ロビーで待たされ、2時間遅れでようやく成田を離陸。

まさかのロストバゲージ。スーツケースが行方不明!

機体整備が功を奏したのか、フライトは順調だったが、2時間遅れのため、ロンドン・ヒースロー空港に到着したのは、乗継便の出発時刻の15分前。果たして間に合うのか、と不安がよぎるが、そこは有能な添乗員と流暢な日本語を話す現地のJALスタッフが連携し、40人を超えるツアー客をうまく誘導して、多少乗継便を待たせるが、間に合わせてしまう。さすがJAL! 手際がよいのに感激!
ヒースローからは3時間のフライトで、無事にミラノ・アルペンサ空港に到着。しかし、事件はそこで起こってしまう。ツアー客は、到着ロビーで自分の荷物が出てくるのを待つが、待てど暮らせど出てこない。「もしかして?」と誰もが、人間は乗れたけど、荷物の方は乗り遅れたのではないか、と当然予想される事態を思い描く。
添乗員が空港のスタッフと交渉するが、すでに夜の11時すぎ。空港は閑散とし、英国航空のスタッフは留守番に1人残しているだけ。添乗員がその1人と懸命に交渉して、私たちの荷物がどうなっているのか急いで調べさせようとするが、そこはイタリア。何事にも動じず、のんびりしていて、埒があかない。結局、2時間も空港で待たされた挙句、分かったことは38個のスーツケースが、いまだロンドンにあるということだけ。
スーツケースを諦め、やっとホテルに辿り着いたのは真夜の1時すぎ。急いでシャワーを浴びるが、汗臭い下着はそのままで、気分がすっきりしないままにどっと疲れが押し寄せ、一気に眠りに落ちてしまう。これがイタリア旅行初日の出来事。先が思いやられる。

トレヴィの泉
トレヴィの泉
サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂
フィレンツェ大聖堂

2日目 イタリアでのはじめの買い物は下着と靴下?

朝早くから鳴り響くモーニングコールで起こされる。就寝したのが2時、6時半に起こされたのでは堪ったものでない。しかし、そこは多人数のツアーである以上、我儘は許されず、身体に鞭を打ちつつ身支度を整え、玄関に待機しているバスに乗り込む。律儀な日本人は、多少の睡眠不足に文句1つ言わず、8時出発に全員揃う。

スフォルツェスコ城とミラノ大聖堂を見物!

この日は、午前中にミラノ市内を観光し、午後はベローナに向かう予定。ミラノでは、スフォルツェスコ城とミラノ大聖堂を見物。大聖堂は中世のゴシック建築の最たるもので、その壮大さとステンドグラスの美しさには目を見張る。有料であったが、大聖堂の屋根に登り、ミラノの街を一望。
ミラノでの観光を終えたとき、添乗員から、今日中にスーツケースが届くとは限らないから、下着や歯ブラシを買っておいた方が良いとのアドバイスで、ミラノのユニクロと言われる店に案内される。3日間も同じ下着をつけるわけにもいかず、急ぎその店で下着と靴下を買ったが、ミラノに来てまでパンツを買うとは、夢にも思わなかった。
昼食は、リゾットとミラノ風カツレツ。とても楽しみにしている食事だったが、大幅に期待を裏切られることに。リゾットは、日本の卵かけご飯そのもので、味がなく、ひと口味見しただけで食べる気を失う。ミラノ風カツレツは、子牛の肉を叩き伸ばして揚げたものだが、ばかでかいハムカツそのもので、肉は堅くて食べられたものではない。

ミラノ大聖堂
ミラノ大聖堂
ミラノの街角
ミラノの街角

ジュリエットの銅像の胸に観光客が群がる!

これから訪れるベローナという街は、日本ではあまり知られておらず、街中で日本人を見かけることもなかったが、イタリア国内では有数の観光地。バカンスのこの時期、ミラノのような大都市では人は少なくなるが、観光地であるベローナは、イタリア人で溢れている。
ベローナは、シェークスピアの代表作『ロミオとジュリエット』のジュリエットの家があることでも有名。フィクションの小説に出てくる家が実在するのも可笑しな話であるが、ともかくそこに行ってみる。何のことはない、普通の民家。中庭にジュリエットの銅像があり、その胸を触ると幸福が訪れるという言い伝えがあるそうで、多くの観光客がその銅像に群がっている。いくら銅像とはいえ、いい大人がオッパイをつかんだ格好をそのまま写真に収めるのは、何とも言えない異様な光景。
この日は、ヴェネチアの手前にあるメストレという街にあるホテルに宿泊。明日はいよいよヴェネチア。

ジュリエットの銅像
ジュリエットの銅像
アレーナ(円形劇場)
アレーナ(円形劇場)

3日目 ヴェネチアは凄かった!

ヴェネチアは、いずれは水没して、海の底に沈んでしまう街と言われているが、「水の都」という称号にぴったりの街。ヴェネチアは、アドリア海に突き出た出島で、いくつかの小さな島からできている。観光バスはその出島の入口で締め出され、中心部に行くには水上バスと呼ばれる船に乗るしか方法はない。そして、街中では車は1台も走っていない。何と自動車のない街。おそらく世界中を探してもここだけだろう。ヴェネチアでの交通手段は、迷路のような運河を行き交う船だけ。その船に乗らなければ歩くしかない。

ゴンドラを見事に操るマッチョな青年に拍手喝采!

映画でもよく出てくるヴェネチア名物のゴンドラに乗る。料金はツアー料金に含まれ、いくらなのか不明。10m近くある細長い船に、4・5人を1グループにして乗り込む。長身で筋肉質の若いイタリア人が、3mほどの櫓1本でゴンドラを華麗に操る。狭い運河は、観光客のゴンドラで朝の通勤ラッシュ並みの大混雑。他の船や建物の壁にぶつかることもなくゴンドラを進め、ときには低い橋の下までも簡単に通り抜けていく。そして、極めつけは、狭い運河を建物の壁を足でけりながら直角に曲がると、歓声とともに拍手喝采。見事な操縦に心底感服!
有名なサン・マルコ寺院とドゥカーレ宮は、流暢な日本語を話す現地ガイドが案内。ドゥカーレ宮は、今では博物館に模様替えし、ルネッサンス期の絵画が数多く展示。見学のあと、ヴェネチアングラスの工房に連れていかれ、実際にヴェネチアングラスが作られているところを見せてくれるが、実演が終わると即売会に早変わりし、高価なグラスを買わされたツアー客もいたようだ。

ヴェネチアのゴンドラ
ヴェネチアのゴンドラ
サン・マルコ寺院
サン・マルコ寺院

その後、フリータイムになり、ヴェネチアを心ゆくまで散策。世界中から観光客が押し寄せ、どこに行っても人の多さには閉口する。迷路のような路地を思うまま歩くと、一瞬どこにいるのかわからず、迷子になってしまうことも。ヴェネチアを満喫し、夕刻、プラートのホテルに着くと、ようやくスーツケースが届いていた。成田でお別れした以来、3日ぶりのご対面。

4日目 歴史を感じる街、フィレンツェに感動!

やっとスーツケースが届き、身も心もスッキリして爽快な目覚め。ホテルのレストランでの朝食後、プラートからバスでピサに向かう。

ピサの斜塔は見た目にもはっきりと傾いていた!

斜塔の手前でいったんバスを降り、遊園地の電車のような送迎車に乗り換えてピサの斜塔に到着。斜塔は、見た目にもはっきりと傾いていた。外庭の至るところで、傾いた斜塔を両腕で支えるポーズをとって、それをカメラのアングルに収めようとする観光客が目につく。こんなことをするのは、日本人だけだろうと思われたが、そうではなく、世界の人々が人種国籍にかかわらず、満足そうに同じポーズをとっている。現地ガイドの案内は、ガリレオ・ガリレイの偉業を紹介する話でもちきり。ガリレオという偉大なスパースターを生み出したことが、今でもピサの街の誇りであるかのようだ。ここでもそうだったが、トイレが有料なのには驚く。イタリアの観光地では当たり前のようだが、たかが便所で金をとられるのは、どうも日本人の感覚には馴染めない。
ピサからフィレンツェに向かうバスは、フィレンツェの街に入ると、小高い丘にあるミケランジェロ広場に停車。ダビデ像で有名な広場だが、ここからフィレンツェの街が一望でき、驚きの景色に感動。街中にビルのような近代的建物が1つも見あたらない。すべて昔のまま。ガイドの話では、フィレンツェで建設ラッシュが起こったのは、今から500~600年前。最も新しい建物でも200年は経っている。歴史を感じる街、それがフィレンツェ。古くなればすぐに壊して建て直す日本とは、根本的に生き方、考え方が違う気がする。

ピサの斜塔
ピサの斜塔
ダビデ像
ダビデ像

クーポラの階段が閉鎖されて登れず、とても残念!

キノコパスタの昼食のあと、市内観光に出かける。バスは中心部に乗り入れができないため、どこに行くのにも歩かなければならない。街全体が世界遺産であるから仕方がない。まずは、ウフィッツィ美術館。メディチ家が金に糸目をつけずに世界中からかき集めた秀作が展示されている。ミケランジェロ、ダビンチ、ラファエロなど。しかし、フレスコ画はどれを見ても同じように感じる。宗教色が強いためかもしれないが、唯一『ミロのビーナス』だけは、教科書に載っていたので見覚えがあったが…。ほとんど猫に小判状態。
次は、日本では竹野内豊主演の映画『冷静と情熱のあいだ』で一躍有名になったサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂。つい最近、名古屋の女子大生が落書きをしたことでもマスコミを賑わす。これはただ凄いとしか言いようがない。ドゥオモ(大聖堂)の広さ・大きさ・高さを見るだけで、こんなものが600年前に造られていたとは想像もつかない。しかも140年以上もかけて造られたという。ただただ驚くだけ。残念だったのは、竹野内豊が駆け登ったクーポラ(聖堂の丸屋根)への階段が閉鎖されていて、登れなかったこと。
実は、フィレンツェでは、観光のほかにも目的があった。それは革製品を買うこと。フィレンツェは革製品でも有名な街で、狙いは手袋とバッグ。タイミングよくトイレを使わせてもらう店が革製品の専門店(観光地の公衆トイレが有料のため、客を連れてくる代わりに無料でトイレを使わせるという契約が、事前に特定の店と交わされている)。当然のことながら日本語、日本円が使える。季節柄手袋は品数が少なく、気に入ったものがなかったが、バッグの方は少し値が張ったが、お気に入りをゲット。

フィレンツェの街並み
フィレンツェの街並み
大聖堂の入口
大聖堂の入口

ドゥオモを見物したあとはフリータイム。街中は車が規制されている代わりに馬車が走っている。馬の糞が車道のあちこちにばら撒かれており、危うく踏みそうになる。30分も石畳を歩くと、けっこう疲れるもので、早々に添乗員に教えてもらったカフェに入って休憩をとることに。テーブルについてビックリ。すでに同じツアーの人たちが寛いでいた。海外旅行もけっこう疲れるものだと実感。

5日目 風光明媚・サンジミニヤーノと古都・シエナ

2連泊となったプラートのホテルを朝8時半に出発。海外旅行で連泊はありがたい。毎日宿が変わるとそのたびに荷造りをしなければならず、これがけっこう面倒。

イタリア人の大らかさに呆れる?

プラートのホテルからバスで1時間、サンジミニヤーノという田舎町に到着。かつては栄えたらしいが、今ではすっかり寂れ、人口2,000人程度の小さな町。しかし、ここで見る田園風景が素晴らしい。風光明媚という言葉がぴったりで、J社のヨーロッパ100選にも選ばれるほど。J社では、ここをイタリアの穴場としてツアーコースに組み込み、他の旅行代理店との差別化を図っているようだ。ここでしばらくのんびり暮らしてみたくなる。

サンジミニヤーノからさらにバスで1時間半、シエナに到着。シエナは、日本で言えば京都。中世の頃は、フィレンツェと肩を並べた街らしい。昼食は、シエナの名物パスタ。名物パスタという触れこみに期待するが、ケチャップ味の焼きウドンといった感じ。不味くて食べられないというわけではないが、とても美味しいとは言えない。
このパスタの店で席についたとき、テーブルが砂のようなもので少し汚れていた。店員にクレームをつけると、誰もがテーブルクロスを取り替えるものと思っていたが、そこがイタリア。その店員は刷毛のようなものでその砂を払うだけ。一同唖然とする中、「ダイジョウブヨ」という片言の日本語でことを済ましてしまう。大らかといえば大らかであるが、ここまで大らかだと、ただ呆れるだけ。
シエナにも立派なドゥオモがある。大理石をふんだんに使ったゴシック建築で、中には沢山のフレスコ画が展示されている。イタリアで驚くことは、ドゥオモに行っても、美術館や博物館などに行っても、原則として写真撮影は禁止されていない。礼拝する人がいるときはフラッシュだけが禁止される。日本ではどこに行っても、それが国宝級で文化価値が高ければ高いほど、当然のごとく写真撮影はお断りであるが、イタリアではそんなケチなことはいわない。いかにもイタリアらしい大らかさで、こちらは気に入る。

サンジミニヤーノ
サンジミニヤーノ
シエナのドゥオモ
シエナのドゥオモ

シエナの観光が終わり、ツアー最後の目的地であるローマに向かう。夕食は、ローマで中華料理。コーンスープ、焼き魚、炒飯、酢豚、野菜炒めなどが出されたが、数日振りに口にするお米に、無意識に身体が反応して美味しく味わう。バカンスのこの時期、ローマにおいても例外でなく、閉めている店が多く、開けていても人手が不足している。通常10人いるらしいウエイトレスがこの日は数名しかおらず、不満そうに働いているのが見え見えで、飲み物代を集めに回る経営者らしき女性が、妙に愛嬌を振り撒いているのとは対照的。

6日目 ミケランジェロの最高傑作『最後の審判』は圧巻!

朝7時30分にホテルをバスで出発。このツアーでは異例の早さであるが、ヴァチカンを見るためにはそれもやむを得ない。ホテルから1時間足らずでヴァチカンに到着。

イタリア人の大らかさに呆れる?

着いてビックリ、すでに世界中から押し寄せた観光客が長蛇の列を作っていた。「これは凄い」と思わずつぶやき、炎天下で長時間待たされることを覚悟するが、ここでJ社が凄腕を見せてくれる。玄関脇の一般の入口とは別の入口から10分もかからぬ早業で入場することに。セキュリティは空港並みに厳しいが、こんなにすんなりと入れるとは思いもよらない。
アントニオという中年の陽気なイタリアンが現地ガイドを務める。かつて神戸に住んでいたというだけあって、彼の喋る日本語は流暢な関西弁で、ツアー客を和ませてくれる。システィーナ礼拝堂にあるミケランジェロの最高傑作『最後の審判』は圧巻。人が多くて身動きがとれないのと、天井壁画のため首が疲れることを別にすると、胸にぐっとくるものがある。
礼拝堂を出て、ローマ法王が法話を行うサンピエトロ広場を通りかかったとき、広場にはこれからヴァチカンに入場しようとする人びとで溢れていた。しかし、法王が法話を行うときは、この程度では収まらず、世界中から数10万人がこの広場に集まり、人で埋め尽くされるという。これは現地ガイドのアントニオの弁。ヴァチカン観光のあと、バスでコロッセオに向う。中に入らなかったが、外から見るだけで圧倒される。こんなものを2000年も前に造っていたとはとても思えない。古代ローマ人は偉大だった。

システィーナ礼拝堂
システィーナ礼拝堂
サン・ピエトロ広場
サン・ピエトロ広場

ローマの街を歩きまくる!

昼食は「ピザ食べ放題」。ピザの専門店に入るが、なぜかピザの前にパスタが出てくる。イタリア人にとっては、パスタは主食ではなく前菜なのだと、このときはじめて気がつく。ピザを食べる前にそこそこ満腹になる。肝心のピザは2種類しかなく、いくら食べ放題といってもそんなに食べられるものではない。味はまずまずだったが、帰る際にはどのテーブルにも多くのピザが残されていた。
午後はトレヴィの泉を経て、スペイン広場で解散となり、残りの時間はフリータイム。トレヴィの泉では、本当は後向きでコインを投げるらしいが、黒山の人だかりでそれどころではない。カンツォーネを聴きながらのディナーがオプションとして案内されるが、熟慮の結果、申し込まなかった。これが最後のイタリア観光なので、ローマの街を歩きまくる。オードリ・ヘップバーンがアイスクリームを食べながら下りたペイン広場の階段を逆に上る。ローマ三越に行ってお土産を買う。共和国広場やサンマルコ広場にも行く。歩き疲れてスペイン広場のカフェに入ると、同じように疲れ果てたツアーの仲間たちが屯していた。

スペイン広場
スペイン広場
共和国広場
共和国広場

7・8日目 色々あったがほぼ満足の旅だった!

最終日は日本に帰るだけで観光はなく、空港の免税店でお土産を買うのみ。当初予定されていた10時20分発のフライトが、13時15分発に変更になったので、いくぶんゆっくりとホテルを出発。アムステルダムでJAL便に乗り継ぐことは変更なし。
今回のツアー、参加者は43人という多人数。J社ではまずありえないという多さで、添乗員さえ驚いていた。自分が大変だったということを含め、是非アンケートに書いてほしいと、飛行機の中でツアー客にしっかり頼んでいた。43人中、男女それぞれ1人ずつが1人参加。海外旅行を1人で、と思ったが、それがけっこう多いらしい。2人とも30代であったが、よく1人で出かけているらしい。ただし、1人旅は断然女性の方が得であると思う。食事のときなど、席が1つ空いていると、必ず誰かが女性に声をかけるが、男性にはかけない。サンジミニヤーニでこの女性が行方不明になったときは、ツアー客全員で協力して捜したりしたが、男性ではそこまでしないだろうと思うのだが‥。

フィレンツェ ヴェッキオ橋
フィレンツェ ヴェッキオ橋
ローマ市庁舎
ローマ市庁舎

今回のイタリア旅行の感想

今回のイタリア旅行、期間中随分と歩かされて疲れたが、楽しい思い出を作ることができ、ほぼ満足。はじめてのヨーロッパでイタリアを選んだのは正解だった。唯一の反省点は、仕事の関係でやむを得なかったとはいえ、8月の最も混み合い、しかも最も料金が高い時期を選んでしまったこと。ヴァチカンの混雑ぶりは半端ではなかった。次回は、8月の真ん中だけは避けることにしよう。

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