バルト3国旅行記

2019年5月19日~26日(8日)
ヴィリニウス、カウナス、シャウレイ、リガ、タルトゥへ、タリン

スリランカ旅行記

2019年1月20日~26日(7日)
コロンボ、シギリヤロック、キャンディ、ゴール、ポロンナルワ

ポルトガル旅行記

2018年4月13日~20日(8日)
リスボン、ポルト、コインブラ、オビドス、ナザレ、バターリャ

ベトナム旅行記

2017年12月18日~23日(6日)
ホーチミン、フエ、ホイアン、ミーソン、ハロン湾、ハノイ

イギリス旅行記

2017年4月18日~25日(8日)
ロンドン、湖水地方、コッツウォルズ、コンウイ、オックスフォード

カンボジア旅行記

2016年12月9日~13日(5日)
シェリムアップ、アンコールワット、プレアヴィヒア、ペンメリア

北欧旅行記

2016年7月5日~12日(8日)
コペンハーゲン、オスロ、ベンゲル、ストックホルム、ヘルシンキ

クロアチア旅行記

2015年3月3日~12日(10日)
リュビリャーナ、ドブロヴニク、コトル、モスタル、スプリット

オランダ・ベルギー旅行記

2014年5月26日~6月2日(8日)
ブリュッセル、ブルージュ、ゲント、アムステルダム、ケルン

中欧旅行記

2013年8月19日~26日(8日)
ウィーン、プラハ、ドレスデン、プラチスラバ、ブダベスト

スイス旅行記

2012年8月26日~9月4日(8日)
ツェルマット、グリンデルワルト、ベルン、チューリッヒ

香港・マカオ旅行記

2011年12月25日~28日(4日)
香港、マカオ

フランス旅行記

2011年8月29日~9月5日(8日)
パリ、ロワール、モンサンミッシェル、ルーアン、ヴェルサイユ

スペイン旅行記

2010年8月23~30日(8日)
マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナ

イタリア旅行記

2008年8月7日~14日(8日)
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ローマ

台湾旅行記

2009年8月30日~9月2日(4日)
台北、高雄

韓国旅行記

2007年3月26日~29日(4日)
ソウル、水原

海外旅行記

ドブロヴニクの旧港
ドブロヴニクの旧港

クロアチア旅行記

日程表

日 程 主なスケジュール
初 日 11:20羽田発ルフトハンザ便。17:00ミュンヘン着。到着後、ザルツブルクへ。(ザルツブルク泊)
2日目 ザルツブルクからブレッドへ。昼食後、ブレッド湖観光(聖マリア教会、ブレッド城)。観光後、リュビリャーナへ。(リュビリャーナ泊)
3日目 午前:リュビリャーナ観光(三本橋、竜の橋、プレシェーレン広場)。ポストイナに移動してポストイナ鍾乳洞観光。昼食はチキン料理。昼食後、プリトヴィッツェへ。(プリトヴィッツェ泊)
4日目 午前:プリトヴィッツェ湖群国立公園観光(遊歩道ウォーキング、遊覧船)。昼食はマスのグリル。昼食後、ドブロヴニクへ。(ドブロヴニク泊)
5日目 午前:ドブロヴニク観光(ピレ門、フランシスコ会修道院、プラツァ通り、スポンザ宮殿、旧総督邸、大聖堂、オノフリオ小噴水、城壁めぐり)。午後:自由行動。オプショナルツアー「コトル観光」。(ドブロヴニク連泊)
6日目 展望スポットで写真撮影の後、モスタルへ。昼食はチェバブチェチェ。昼食後、モスタル旧市街観光(石橋、旧市街)。観光後、トロギールへ。夕食はイカのグリル。(トロギール泊)
7日目 午前:トロギール観光(聖ロブロ大聖堂、旧市街)。スプリット観光(ディオクレティアヌス宮殿)午後:シベニク観光(聖ヤコブ大聖堂)。観光後、オパティアへ(オパティア泊)
8日目 ザルツブルクへ移動。昼食後、ザルツブルク観光(大聖堂、ミラベル庭園、モーツァルトの生家)。(ザルツブルク泊)
9・10日目 ミュンヘンへ移動。到着後、ミュンヘン散策(マリエン広場、新市庁舎)。15:15ミュンヘン発ルフトハンザ便。翌10:55羽田着。

初日 衝動旅行!突然ですが、クロアチアに旅行します!

「衝動買い」はよく起こるが、「衝動旅行」は珍しい。年明け早々に送られてきたH社のDMに心が揺さぶられた。目が釘付けとなったのが、「羽田発着 フルトハンザ航空利用 10日間で巡る感動のクロアチア・スロベニア5ヵ国周遊」。ツアー代金は、驚くべき安さ。格安だけに昼食1回、夕食3回の食事はついていないが、それでも安い。
クロアチアやスロベニアのアドリア海沿岸の国々には興味があったので、衝動的に申し込んでしまった。これだけの格安ツアーは、そうそうあることではないと思って。クロアチアやスロベニアの主要な観光地のほかに、オーストリアのザルツブルク。オプショナルであるが、モンテネグロのコトル観光まで含まれていたことで、なお一層食指が動かされたのだ。
気がかかりなのは、ただ1つ、3月上旬のヨーロッパの気候。ネットで調べてみると、ドイツ・ミュンヘンの気温は、ほぼ東京の1月遅れ。つまり3月上旬だと、東京の2月上旬に当てはまり、かなりの寒さを覚悟しなければならない。果たして大丈夫かと、不安がよぎったが、すでに申し込んだあとだった。

スーツケースを空港宅配サービスに預けて手ぶらで出発!

所沢発9時25分の特急で池袋に向かう。スーツケースは、一昨日、空港宅配サービスに預け、先に羽田まで運んでもらっているので、駅の乗り換えもスムーズ。
池袋からは、埼京線で大崎、大崎で山手線に乗り換えて品川へ。品川からは京浜急行で羽田に。羽田到着は、予定通り10時45分、集合時刻の10分前。羽田空港の国際線ロビーがすっかり様変わりしていたのに驚く。8年前、韓国旅行の際に羽田~金浦のチャーター便を使ったとき以来だった。当時の国際線は、発着便も少なく、貧弱な空港であったが、同じ空港とは思えないほどの変貌ぶり。成田に比べて広さこそ劣っているが、設備は遜色なく、洒落た免税店が軒を並べ、近代的な空港に生まれ変わっていた。
空港宅配のQLライナーでスーツケースを受けとり、H社の受付を済ませる。添乗員からは、既にチェックインが済んでいるとのこと。もらったチケットでチェックインカウンターに行き、スーツケースを預け、ついでにANAマイレージカードを提示してマイルを貯める。
オフシーズンのためか、空港内は閑散としており、セキュリティと出国審査は、混雑もなくスムーズに通過。両替所も並ぶ人もなく、数分で完了。搭乗時刻まで1時間。昼食に稲庭うどんを食べ、さらにカフェでコーヒーを飲む余裕まで。

コバルトブルーのアドリア海
コバルトブルーのアドリア海
ブレッド湖に浮かぶ聖マリア教会
ブレッド湖に浮かぶ聖マリア教会

エアバス最新型A350は快適!

搭乗のアナウンスとともに、順調に機内に乗り込んだが、離陸に手間どり、30分遅れてようやくドイツのミュンヘンへと飛び立った。飛行機はエアバスの最新型A350で、エコノミーの座席が2・4・2の8列(通常は3・3・3の9列)。私たちは窓側の2列で、窓からシベリアの大地がよく見えた。驚いたのは、トイレが中央の階段を下りた地下(飛行機の地下というのも可笑しいが)に纏めて6室設置され、順番待ちの効率がよい。そして座席前のモニター画面がひと回り大きくて観やすい。もちろん機内では、いつものように映画を観まくる。
ミュンヘンに着陸したのは、現地時間の午後5時。予定時刻を5分遅れただけ。パイロットが頑張って遅れを取り戻したようだ。入国審査を経て、スーツケースを受けとり、空港の出口近くにあるスーパーで、夜食の買い物タイム。私たちは、既に羽田で夜食用のパンと飲み物を買っていたので、ミネラルウォーターだけを購入。
6時15分、バスでオーストリアのザルツブルクに向かう。あたりは暗闇に沈み、車窓からは何も見えない。2時間ほどでホテルに到着。格安ツアーだけに覚悟をしていたが、思いのほか普通のホテル。バスタブはないが、シャワーのお湯が勢いよく出るのにひと安心。部屋の広さもまずまず。ただし、ベッドは例のジャーマンツイーンで少し狭め。シャワーを浴び、夜食用のパンを食べたところで、長時間フライトの疲れを感じ、早々と就寝。

2日目 ブレッド城から眺めるブレッド湖の美しさに感動!

いつものことであるが、時差ボケと睡眠不足に、昨夜早く眠ってしまったため、夜中に2度も目が覚め、熟睡できなかった。3度目に覚めたのが5時半。もうこれ以上眠れないと諦め、6時に起床。時間を持て余し、少し早めに朝食を摂ろうとしてレストランに降りていくと、既に添乗員をはじめツアー客の半数以上が席についていた。
朝食は、アメリカン方式のブッフェ。ハム、ソーセージ、煎り卵、パン、飲み物はコーヒー・オレンジジュースで簡単に済ます。睡眠不足であまり食欲がない。

長いトンネルを抜けると、いよいよスロベニア!

9時にホテルを出発。最初の観光地スロベニアのブレッド湖に向かう。バス内に表示された外気温は4℃。道路はいくらかアイスバーンのようだ。高速道路に入り、登り坂を進むと、徐々に気温が下がっていく。長いトンネルを抜け、車窓からの景色が雪景色に変わると、外気温は0℃。もちろん車内は暖房がきいていたが、セーターだけでは寒く感じる。スロベニア国境の手前のドライブインでトイレ休憩。
カラバンケトンネルという約8kmの長いトンネルを抜けると、いよいよスロベニア。しかし、これが工事中で片側通行。いったん信号が変わると、30分は待たなければならない。待つこと20分、ようやくバスが走り出し、トンネルを抜け、出口にある国境検問所に停止するかと思いきや、ノンストップで通過。スロベニアはEUに加盟しており、シェンゲン協定という条約のお蔭で、EU内での入国審査等は省略されている。
国境から30分ほどでブレッド湖に到着。アルプス山系の東端、ユリアン・アルプスに位置するブレッド湖は、宝石のように美しいと形容されるスロベニア屈指の保養地。山の緑を映し出す水面は青く輝き、ブレッド城が上から見下ろすように聳える。湖の真ん中には、中洲のような小島が浮かび、聖マリア教会が佇んでいる。ユーゴスラヴィア時代、あのチトー大統領もこの地をこよなく愛し、湖畔に別荘を持っていたという。その別荘は、今はホテルとして営業されているらしい。

ブレッド湖の手漕ぎボート
ブレッド湖の手漕ぎボート
ボートを操るマッチョな青年
ボートを操るマッチョな青年

手漕ぎボートで聖マリア教会の小さな島に渡る!

湖畔にあるレストランで昼食。前菜は、野菜サラダ。主菜は、挽肉入りのジャガイモのオムレツ。デザートは少し大きめのチーズケーキ。格安ツアーゆえに、食事は期待していなかったが、それほど不味くもなく、まずまずの味。食後、集合時刻まで各々ブレッド湖畔を散策。
バスで湖の対岸にあるボート乗り場に向かう。20人も乗れば満員になるボートを、マッチョな青年が1人で2本のオールを器用に操り、小島まで運んでくれる。所要時間は10分。それにしても、とても人間技とは思えない繊細で迫力のあるオール捌き。因みに、この小島は、海のないスロベニアでは、唯一の島。
直径300mほどの小さな島で、教会と鐘楼、それに隣接しているお土産店のほかには建物もなく、数分で周囲を一周できる広さ。聖マリア教会は、8~9世紀に造られた教会で、17世紀に現在の白い鐘楼をもつバロック様式に改築された。教会の天井からロープがぶら下がっており、それを引っ張ると隣の鐘楼の鐘が鳴る仕組み。鳴らすと願いが叶うと伝えられている。遠い昔ある若い女性が小さな鐘を湖中に投じ、亡くなった最愛の夫の蘇生を願ったが、その願いは叶わず、以後尼僧となり、修道院で一生を終えた。その話を仄聞したローマ教皇が、人びとの奇蹟の願いを永遠に響かせるため、教会に鐘を寄贈したという。まさに由緒正しき鐘。「願いが叶う」という添乗員のひと言に反応したオバさんたちがロープを引っ張ろうとしたが、これがちょっとやそっとでは鳴らない。全身を使って思い切り引っ張ると、間をおいてようやく音がした。隣の鐘楼まで伝わるのに時間がかかるらしい。厚かましい客の多い格安ツアーだけに、直ちに希望者が殺到し、順番待ちで長蛇の列。諦め外に出ると、喧しいくらいに鐘が鳴り響いていた。
帰りも同じ手漕ぎボートで、船着き場に戻り、バスで湖を一周する形でブレッド城に向かう。ブレッド城は、ロマネスク様式とゴシック様式が入り混じった建物で、2階に博物館とレストランが併設されている。湖面から100mの高さに聳え、城壁から湖と周辺の街が一望でき、見晴らしは最高。朝、昼、夕と何度訪れても、その時々で表情を変える自然の美しさに圧倒されるようだ。まさに「アルプスの瞳」といわれている由縁。オフシーズンのためか、スロベニア有数の観光地にしては、城内は閑散として、私たち以外には観光客はほとんどいなかった。ここでは、活版印刷とワインのボトル詰めが人気のお土産。

聖マリア教会前の階段
聖マリア教会前の階段
聖マリア教会内の祭壇
聖マリア教会内の祭壇

飛び込みで入ったレストランで夕食!

ブレッド湖の観光を終え、スロベニアの首都リュブリャーナに向かう。午後6時、住宅街の小さな公園に隣接したホテルに到着。比較的新しいホテルで、設備や調度品も新しく、部屋の広さもまずまずであったが、洗面所が狭く、中でもシャワー室が恐ろしく狭い。60cm四方。屈むと身体の一部が壁面にぶつかる狭さ。これでは直立したままでシャワーを浴びなくてはならない。
この日、夕食がついていないので、ガイドブックでリストアップしたレストランに行こうとしたが、なかなか辿り着かない。既に辺りは暗くなり、ガイドブックの地図がよく見えない。迷っているうちに雨が降り出したので、目の間にあったレストランに飛び込む。英語のメニューを持ってきてくれたが、よくわからず、オーダーをとりに来たウェイターにお勧めを訪ねたところ、英語で捲し立てられ呆然としていると、肉か、魚かと尋ねられたので、魚と答えると、すぐに引き下がっていった。何が出てくるか、ドキドキだったが、食卓に出されたのは、40cmぐらいの魚一匹丸ごと焼いたもの。いったいこれをどうやって食べるのか、と一瞬不安になったが、ウェイターが手際よく取り分けてくれた。大量のフライドポテトが添えられ、食べども食べども減らず、残してしまったが、日本でいう鯛か、イサキのような味で、魚そのものは淡白だが、塩味が利いて、けっこう美味く食べられた。ビールやミネラルウォーターの飲み物を含めて2人で€55と比較的庶民的な値段。親切にしてくれたウェイターにチップを€5。

ロマネスク様式のブレッド城
ロマネスク様式のブレッド城
ブレッド湖からアルプスを望む
ブレッド湖からアルプスを望む

帰りにスーパーに立ち寄って500mlのミネラルウォーターを買うが、その値段に驚く。€0.33。日本円で50円。驚くほど物価が安い。因みに、トイレ休憩で立ち寄ったオーストリアのドライブインで買ったミネラルウォーターは、€2.3。メーカー品のエビアンであったとしても、これは高すぎ。

今回のツアーメンバーは35人。うち1人参加が9人でこれまでの最多。内訳は、夫婦7組、女性ペア4組。男性ペア2組。男性1人参加3人、女性1人参加6人。このうち中年の男性ペアがそれぞれ1人部屋使用で、35人のツアーなのに、部屋数は23部屋(ツイーン12、シングルユース11)。このツアー、格安でしかも「おひとり様の旅を応援します!」ツアーで、1人部屋追加料金も安く設定されていた。

3日目 神秘的な自然の驚異を感じるボストイナ鍾乳洞

疲れが溜まりつつあったのか、レストランから戻ってシャワーを浴びると、10時前には眠りに落ちてしまった。しかし、何度も目が覚め、朝方になってようやく熟睡したと思ったら、モーニングコールに叩き起こされた。7時に朝食を摂るためP階(日本でいう1階。この辺りでは「0階」「F階」など表示はバラバラ)のレストランへ。前日のホテルになかったクロワッサンと缶詰のフルーツを食べてみたが、あまり美味しくなく、コーヒーもインスタントで、不味くて飲めなかった。
8時15分出発のため、10分前にエレベーターに乗ろうとしたが、既に満員状態。エレベーターは2機しかなく、しかも超狭く、スーツケースを4個も乗せれば、立錐の余地もない。このままでは何時になったら乗れるのかわからず、やむを得ず、4階(日本でいう5階)からスーツケースを持って階段で下りる。2人分で1往復半。朝からかなりの重労働。

ミニウィーン・リュブリャーナの街を散策!

バスにスーツケースと手荷物を預け、徒歩でリュブリャーナの街を観光。三本橋、竜の橋、肉屋の橋、プレシェーレン広場などを添乗員の案内で散策。肉屋の橋には、パリのどこかであったように橋の欄干に張られたロープに恋人たちの南京錠がかけられていた。
旧ユーゴスラヴィアの国々の中で最も近代化が施され、進歩的な国、スロベニア。その首都リュブリャーナは、かつてハプスブルク家の支配時代が長期に渡って続いたため、「ミニウィーン」とも呼ばれている。赤レンガ屋根の家が建ち並び、緑が溢れ、中世の風情が感じられ、落ち着いた雰囲気がある。気温は8℃あったが、風が強く、体感温度は氷点下で、とても寒く感じた。
プレシェーレン広場で解散し、45分のフリータイム。スロベニア名物塩チョコレートをお土産に購入(1個€3.7)。歩き疲れたので、地元の馴染み客が店前のテーブルに屯しているカフェに入る。若い美人の店主が淹れてくれたホワイトコーヒーが、マイルドでとても美味しい。これが1杯€1.4(日本円で180円)。あまりの安さにビックリ。それにしても、物価が安いのに驚く。

竜の橋の銅像
竜の橋の銅像
肉屋の橋から三本橋を望む
肉屋の橋から三本橋を望む

現地ガイドのアカペラの歌声に拍手喝采!

10時30分、バスでボストイナに向かう。1時間ほどで到着。ボストイナ鍾乳洞は、全長27kmに及び、ヨーロッパで最大、世界でも3番目の大きさを誇る。石灰岩の大地が、10万年ほど前から少しずつビフカ川の水を吸収して削られたもので、洞窟内には不思議な形をした鍾乳石が数多く見られる。この鍾乳石が1mm成長するのに10~30年かかるといわれ、神秘的で時空を超えた自然の驚異を感じる。
鍾乳洞の入口でトロッコ電車に乗って洞窟の中に入っていく。鍾乳石を避けるように線路が敷かれ、避けられないところはトンネルを掘り、時には登って下ることもあり、ジェットコース―ター並みのスリル。天井スレスレで走り抜けることもあり、油断すると頭をぶつけそうになる。まるでインディー・ジョーンズの世界。迫力満点なトロッコ電車で10分ほど走ると、駅に到着。下車したあとは、徒歩で見学。1つのグループに1人の現地ガイドがつき添ってくれた。説明は、配られたイヤーフォンガイドで聴くことができる。もちろん日本語で。鍾乳洞内に0~18までの標識が立てられ、その番号を入力すると、音声が流れる優れモノ。鍾乳洞の中は途轍もなく広い。昨年行った沖縄ワールドの鍾乳洞がミニチュアのように感じる。45分ほど歩くと、コンサートができる広場に到着。現地ガイドがアカペラで1曲歌ってくれた。音響効果が抜群で、うっとりと聞き惚れてしまう。拍手喝采でアンコール!
コンサート広場の片隅に、お土産品の売店。店内にかつてオーストリアの女帝・エリザベートが訪れたときの写真が展示されていた。何でも彼女が訪問するということで、トロッコ電車や照明器具などが整備されたのだという。それがきっかけとなり、欧州の有名人がこぞって訪れるようになり、そのたびに観光用の施設が充実されたようだ。
広場から再びトロッコ電車に乗って出口に戻る。鍾乳洞近くのレストランで、2時になってようやく昼食。前菜は、短い素麺のようなものが入ったコンソメ風スープ。主菜は、チーズのホワイトソースがかかったチキンに、リゾット風のご飯添え。デザートは、チョコのアイス。スープは、かつて中欧で食べたものを思い出す。少し淡白な味付け。チキンとリゾットはまずまずで、デザートが意外に好評。

ボストイナ鍾乳洞の玄関
ボストイナ鍾乳洞の玄関
ボストイナ鍾乳洞の鍾乳石
ボストイナ鍾乳洞の鍾乳石

強風で高速道路が閉鎖され大幅にホテル到着が遅れる!

昼食のあと、クロアチアのプリトヴィッツェに向かう。途中、スロベニア・クロアチア国境で、出国・入国ともに、国境警備員にパスポートの提示を求められ、スタンプが押されて返却。押されたスタンプは、車の絵が描かれたもので、これまではすべて飛行機だったので、とても珍しい。国境で、クロアチアの通貨・クーナに両替。まったく持っていないと困るので、取り敢えず€50をクーナに替えることに。
クロアチアに入ってトラブル発生。添乗員曰く「トラベル(旅)にはトラブルがつきもの」。強風のため高速道路が閉鎖される。下道に降り、迂回して次の入口を目指したが、そこも閉鎖。やむを得ず引き返し、別の入口を目指して下道をひた走り、1時間半後にようやく高速に入ることができた。かなりの時間的ロスで、7時30分ホテル到着予定が大幅に遅れることに。ホテルまであと僅かに迫ったところでまたもトラブル。なんと除雪車が道路で立ち往生していた。両車線とも塞いでいるので、待つしかなく、15分後どうにか除雪車が自力で片側に寄り、通過することができた。雪こそ降っていなかったが、辺り一面雪野原で、路面にも雪が降り積もり、まるでスキー場に向かうツアーバス。
10時20分、予定より3時間近く遅れてホテルに到着。部屋には入らず、一同レストランに直行して夕食と摂ることに。大幅に遅れたにもかかわらず、ホテルの人が待機してくれていた。前菜は、酢漬けのキャベツ、レタス、赤カブなどの野菜サラダ。主菜は、ポークのグリルにマッシュドポテト添え。デザートは、甘さを押さえたチーズケーキ。いずれもすごく美味しいとはいえないが、不味くもなく、お腹が空いていたこともあり、すべて完食。
部屋に入ったのが11時半。急いでシャワーを浴びて就寝することに。外は相変わらず強風が吹き荒れ、部屋の中にいても、樹木が靡く音が聞こえてくる。

4日目 降雪のため閉鎖されたプリトヴィッツェに意気消沈

昨晩もはやり熟睡できなかった。どうも今回の旅行では眠りが浅い。朝方ベッドの中でウトウトしていると、突然モーニングコールの電話音。7時に起床し、朝食を摂る。メニューは、いつもとほぼ同じで、ウインナー、煎り卵、パンにオレンジジュースとコーヒーなど。

降雪により遊歩道は閉鎖、遊覧船も運休!

8時30分、ホテルを出発し、プリトヴィッツェ湖群国立公園に向かう。総面積約200平方kmの壮大な自然公園に中に16の湖がある。クロアチアを代表する景勝地で、深い森に映えるエメラルドグリーンの湖と、湖と湖を結ぶ滝が最大の見どころ。標高が最大で1280m、最低で380mの高低差があるため、ヨーロッパでは珍しいダイナミックな瀑布で知られている。1979年に世界遺産に登録されたが、90年代のユーゴ内戦の影響で、危機遺産リストに載せられた過去がある。しかし今ではそのリストから除外され、ネイチャーウォッチングやトレッキングを楽しむ観光客で賑わっている。
10分もしないうちに公園入口に到着。スタイルのよい若い美人の現地ガイドが待機。曇天だが、降雪はなく、強風もいくらか治まり、時おり眩しい陽射しが差し込むことも。まずまずの天候であったが、微笑んだ美人ガイドのひと言で、意気消沈。ここ数日の降雪のため、湖畔の遊歩道は閉鎖され、遊覧船も運休とのこと。滝と湖が創る美しい景観を楽しみながら湖畔の遊歩道をハイキングする予定がキャンセル。遊覧船にも乗れない。結局、唯一閉鎖を免れた山道を、湖を上から覗くようにして歩くことに。積雪で滑りやすくなっている山道を転ばぬようにして30分ほど歩き、上湖群が見える辺りで、この道も閉鎖。やむなく同じ道を引き返す。雪のプリトヴィッツェも味わい深く、大自然の素晴らしい景色を堪能できたが、今回のツアーのメインイベントである湖畔ハイキングが中止となったのは、いかにも惜しく、残念でならなかった。

プリトヴィッツェの案内板
プリトヴィッツェの案内板
雪景色のプリトヴィッツェ
雪景色のプリトヴィッツェ

名物マス料理を味わう!

2時間30分の観光予定が大幅に短縮されたため、予定を早めて昼食をとることに。昨日のホテルといい、このレストランといい、ヨーロッパらしからぬ臨機応変の対応ぶりに頭が下がる。前菜は、野菜のクリームスープ。主菜は、マスのグリルにジャガイモ、ニンジン、ブロッコリー添え。淡白な白身魚をガーリック入りのオリーブオイルを付けて食べる。デザートは、チョコレートのドーナツ。マスのグリルは、見た目ほど不味くはなく、ガーリックのオリーブオイルとの相性もよかった。ドーナツは、ミスタードーナツとほとんど同じ味。この食事もほぼ合格点。
昼食後、老舗ホテルのロビーに移動して出発までしばし休憩。私たちは、カフェでホワイトコーヒーを嗜む。12時30分、予定より30分早くバスでドブロヴニクに向かう。走行距離465km。バスドライバーの情報では、強風のため高速道路が部分的に閉鎖されているとのこと。昨夜同様、いつホテルに到着できるのやら、予断を許さない状況には変わりはない。
下道を1時間半ほど走り、予定していた高速の入口が開いていたので、一路ドブロヴニクを目指す。ドライブインで2度トイレ休憩をとり、夕方、いったんボスニアヘルツェゴビナに入り、国境を越えたが、スロベニア・クロアチア国境のような面倒な出入国審査はなく、フリーパス。国境近くのドライブインでトイレ休憩を兼ねて買い物タイム。このドライブイン、ユーロでも、クロアチア通貨のクーナでも、ボスニアヘルツェゴビナのマイカでも、何でもOKな便利な店。私たちは、ユーロで支払ったが、当然の如くお釣りもユーロで戻ってくる。お土産用にチョコレート、調味料などを購入。

閉鎖された湖畔の遊歩道
閉鎖された湖畔の遊歩道
マス料理
マス料理

これが、アドリア海が一望できるオーシャンビュー?

予定の8時よりも少し遅れたが、無事にドブロヴニクのホテルに到着。直ぐにホテルのレストランで夕食。ヨーロッパツアーでは珍しいバイキング形式のブッフェ。前菜に野菜サラダ、主菜は肉類を中心に数種類のパン、デザートにプリンとシュークリームなどを食する。どれも不味くはないが、美味しくもない。可もなし、不可もなしといった感じ。
ホテルのグレードは、予想以上で、部屋は広めで、設備も悪くない。窓からアドリア海が一望できるというオーシャンビューという触れ込み。しかし朝になってわかったことだが、窓は小さく、しかも海から200m近く離れているため、一望というより、ただ見える程度。それでもオーシャンビューには違いないが‥。

5日目 台風並みの強烈な風が吹き荒れたドブロヴニク

熟睡できない原因が判明。暖房により室内が乾燥しすぎているためだ。そういえば、髪を洗っても、1時間もすると、ドライヤーを使わなくても完璧に乾いてしまう。湿度が極端に低いため、喉が乾き、痛みを感じる。添乗員のアドバイスで、枕元に濡れたタオルを置くことで、少し痛みはましになり、これまでに比べるとよく眠れた。6時30分のモーニングコールとともに起床し、0階のレストランで、いつもどおりの朝食。

観光客がいない閑散としたドブロヴニク!

8時、バスでホテルを出発し、10分もしないうちに、ドブロヴニクの旧市街に到着。
ドブロヴニクは、「アドリア海の真珠」と称えられ、かつてヴェネツィア共和国と覇権を争った海洋都市。今ではクロアチア屈指の景勝地。オレンジ色で統一された屋根が並ぶ旧市街は、高く重厚な城壁に囲まれ、どこから見えても絵になる。プリトヴィッツェ同様、90年代のユーゴ内戦の影響で、一時は危機遺産リストに載せられたこともあるが、その後の懸命な修復により危機遺産から削除された。
バス停近くのピレ門から城壁の内に入る。添乗員曰く、「こんなに人がいないドブロヴニクに来たことがない」というほど、屈指の観光地とは思えない閑散ぶり。朝早い時間帯と、前日に比べると、幾分強風は弱くなっていたが、ときおり台風並みの強烈な風が吹き荒れる天候に影響されたのか、それともオフシーズンのためなのか、いずれにしてもわがツアー以外に目ぼしい団体客の姿が見えない。オノフリオの大噴水を横目に、フランシスコ会修道院にに立ち寄り、プラツァ通りを闊歩して、スポンザ宮殿前のルジャ広場に至っても観光客は少ない。ルジャ広場のオルランドの銅像をOPツアーの集合場所に指定したあと、総督邸の前を通り、旧港まで足を伸ばすが、湾内にもかかわらず波が高く、海は大荒れの模様。ここから約700m沖合にあるロクルム島行きの船が出ているが、当然ながら運休。因みに、ドブロヴニクの旧市街を一望できるスルジ山(標高412m)の山頂に行くロープウェイも、強風のため運休らしい。

ドブロヴニクの入口・ピレ門
ドブロヴニクの入口・ピレ門
閑散としたプラツァ通り
閑散としたプラツァ通り

強風にもめげずに城壁1周を完歩!

城壁の遊歩道の入口で、チケットをもらったあと、12時のOPツアーの出発まで、フリータイム。ドブロヴニクに来たからには、全長2kmの城壁を1周しようを意気込んで歩き出したが、街中でも強烈に吹いている風は、吹き曝しの城壁では、さらに強さが増し、半端なものではない。慎重に歩いていても、突風で身体が吹き飛ばされそうになり、思わず足が竦み、屈み込んでしまう。何度も立ち止まり、屈み込みながらも、30分ほどかけてようやく1周できた。
強風にも負けず城壁を完歩した疲れを癒すため、地元の常連客が屯しているカフェに入り、しばし休憩。ここでもホワイトコーヒーを飲んだが、1杯13クーネ(日本円で230円)という安さ。物価の安いクロアチアでもドブロヴニクは別、といわれているが、そうでもなかった。
OPツアーの集合まで時間が余ったので、旧市街を散策するが、それほど広くはなく、5・6分も歩けば、城壁に行きつく。中心部は平たんだが、城壁を高く造っているため、城壁に近くなればなるほど、地面が高くなり、階段を登らなくてはならない。城壁完歩で疲れ果てていた私たちは、中心部にあるお土産物屋を覗いて時間を潰す。お土産用に匂い袋と洒落たハート型のキーホルダーを購入。お土産物屋では、ユーロが使えるので、とても便利。

ドブロヴニクの城壁
ドブロヴニクの城壁
城壁からの眺望
城壁からの眺望

要塞都市・コトル観光のOPツアーに参加!

コトル観光のOPツアーに参加したのは、35人中18人。残り17人は、凄い強風が吹く荒れるドブロヴニクにとり残されることに。ロクルム島行きの船もダメ、スルジ山のロープウェイもダメだと、この人たちは、いったい何をするの? とお節介な心配までしてしまうが、2連泊のため、早めにホテルに引き上げて部屋で休むことができるのが唯一の救い。
出発前に旧港にあるレストランで昼食。前菜はタコのサラダ。主菜は生ハムのビザ。デザートはリンゴやオレンジなどを細かく刻んだフルーツ。いずれも美味しく、申し分ない
昼食後、バスでモンテネグロのコトルに向かう。途中クロアチア・モンテネグロの国境で、出入国審査を受ける。今回は、国境警備員がバスに乗り込まず、バスのドライバーが全員分のパスポートを事務所に持参する。順番待ちとスタンプを押す事務処理で、30分ほどバスで待機。モンテネグロ国内では、入り組んだ入江の道をショートカットするためにフェリーに乗り込んで時間短縮を図るが、コトルに到着したのは、予定より大幅に遅れ、3時30分。
コトルは、アドリア海沿岸の入り組んだ湾の最奥にある港町。複雑な海岸線と険しい山々に囲まれている上に、背後の山に沿って城壁が築かれ、堅固な要塞都市として栄えた歴史がある。薬丸裕英が司会したTV番組で、旅行業者が選ぶ世界遺産ベスト10に選ばれた知る人ぞ知る観光名所。どうしても行ってみたかったところで、迷わずにOPツアーを申し込む。待機していた女性の現地ガイドの案内で、聖トリプン大聖堂や聖ルカ教会などを見ながら、旧市街を散策する。コトルは、ローマ・カトリック文化圏と東方正教文化圏の境界にあり、街中には両方の教会がある。ひと通り観光を終えたあと、現地ガイドは、気の進まないツアー客を城壁まで引き連れていった。高齢者が多かったので、中腹までしか登らなかったたが、全長4.5kmにも及ぶ城壁から一望する景色は最高。できれば一番上まで登ってみたかった私たちである。

コトルの城壁
コトルの城壁
時計塔前の広場
時計塔前の広場

ツアーで知り合ったご夫婦と地中海料理を満喫!

1時間30分の観光を終え、5時にコトルを出発し、連泊のドブロヴニクのホテルに戻る。またも国境での出入国審査に手間どり(往路と同様にドライバーが全員分のパスポートを事務所に持参する)、30分ほどロスした結果、ホテルに到着したのが8時40分。添乗員の提案で、夕食は旧市街のレストランでシーフード料理を食べることになり、楽しみにしていたが、これから循環バスで旧市街を往復するのに時間がかかり、帰りが遅くなるため、やむなくキャンセル。ホテルの近くに美味しいレストランがあるというので、神奈川県の海老名市在住のご夫婦と一緒に出かけることに。「Magellan」という名のレストランは、地中海料理の店。
4人で相談した結果、1品の量が多いと予想し、サラダ、パスタ、肉料理と魚料理の4品を注文してシェアーすることにした。ウェイターにお勧めを尋ね、肉はサーロインステーキ、魚はスズキのグリルにする。これが正解で、いずれも美味しくて、量もちょうどよく、4人で完食すると、デザートを諦めざるを得ないほど満腹。はやり1人前は日本の1.5倍はあった。飲み物を含めた料金は€75で、差額をチップにしても1人€20というリーズナブルな値段。海老名のご夫婦もご満喫だった。
ホテルに戻ったが10時半すぎ。1日フルに観光した疲れが出て、シャワーを浴びて早々に就寝。

6日目 ネレトヴァ川に架かる石橋スタリ・モストに感動!

昨夜は、濡れタオルの効果でこのツアーではじめて爆睡する。お蔭で目覚めもよく、6時に起床し、モーニングコールの6時30分には、スタンバイOK。
朝食のためレストランに降りると、昨日に比べて日本人客の姿が目立つ。1日遅れて出発した同じ内容のツアーがこのホテルに泊まっていたのだ。彼らは、今日がドブロヴニク観光。私たちは、ドブロヴニクを離れ、ボスニアヘルツェゴビナのモスタルへ。
朝食をいつもと同じメニューで済まし、8時にホテルを出発し、スルジ山の中腹にある旧市街を一望できる展望スポットで下車。パンフレットやポスターでよく見かけるアングルのドブロヴニクをバックに、思い思いのポーズをとる。

モスタル名物・チェバブチェチェを味わう!

写真撮影のあと、バスで2日前に通った道を引き返し、往路でも停車したボスニアヘルツェゴビナのドライブインで再び休憩。ユーロ・クーナ・マイカ、何でもOKな便利な店で、ミネラルウォーターを購入。この道路、実際には国境を越えているため、通常ならば出入国審査がされるはずであるが、商業道路で通行量が多いのと、少しだけボスニアヘルツェゴビナを掠っているだけなので、審査が省かれ、フリーパスになっているようだ。バスは、再びクロアチアに戻り、再度、ボスニアヘルツェゴビナとの国境を迎える。今度は、厳格に出入国審査がなされ、国境警備員がバスに乗り込み、提示したパスポートの1つ1つにスタンプを押して回る。この間、20分バスは停車したまま。
無事に国境を抜け、11時30分、モスタルに到着。バスはレストランに直行し、少し早目の昼食は、名物のチェバブチェチェ。前菜にキャベツのサラダが出たが、先に食べるのではなく、主菜と一緒に食べるらしい。主菜のチェバブチェチェは、ソーセージをパンに挟んで食べるイスラム料理。ソーセージのサンドイッチのようなもので、スパイスのきいたソーセージとフランスパンとの相性が抜群で、とても美味しかった。副添えにフライドポテト。デザートにシロップがかかったクッキー。見るからに甘そうだが、食べられなくはなかった。

名物チェバブチェチェ
名物チェバブチェチェ
モスタルの街並み
モスタルの街並み

イスラムの雰囲気が漂うモスタル!

昼食後、世界遺産のモスタルの旧市街を観光。モスタルは、ボスニアヘルツェゴビナの南西部を占めるヘルツェゴビナ地方の首都。長い間オスマン朝の支配下にあったためトルコの文化的影響が強く、東西の文化が交じりあって融合し、街中には、キリスト教の教会とイスラム教のモスクが混在する。最も有名なのが、ネレトヴァ川に架かる石橋、スタリ・モスト。オスマン朝支配下に架けられた橋で、橋台を用いず、両岸からアーチ状に支える橋は、造形的な美しさと建築技術の高さに驚かされる。実は、この橋はユーゴ内戦時代の1993年クロアチア軍の空爆により破壊されてしまった。2004年ユネスコの協力により復元されたが、橋の袂には「Don't forget '93」と刻まれた石碑が置かれていた。
これまでに訪れた街とは、ひと味違う街並み。どこか異様な雰囲気がする。露店で売られている品物も、レリーフ、絨毯、スカーフなど、完全にイスラム的で、トルコチックなものばかり。赤ちゃんを抱いた若いジプシーが物乞いしているのも、これまでにない光景。子供を餌に商売するとは、日本人には理解できない。
スタリ・モストを渡り、コスキ・メフメット・パシナ・ジャーミヤというイスラム寺院の尖塔に登る。料金は€5。眼下にスタリ・モストを眺め、絶好の撮影スポット。見晴らしは最高だったが、風で尖塔が揺れているように感じて怖くなり、すぐに降りてしまった。スタリ・モストまで戻り、橋下の河原に降りて、見上げるスポットでシャッターを切る。

「Don’t forget ‘93」の石碑
「Don’t forget ‘93」の石碑
スタリ・モスト
スタリ・モスト

国境を通過するたびに行われる入国審査に倦んだり!

午後2時、モスタル観光を終え、宿泊地のクロアチアのトロギールに向かう。途中、またも国境越え。今回も国境警備員がバスに乗り込み、提示したパスポートにスタンプを押して回った。順番待ちとスタンプの押印で30分のロス。国境フリーパスのEU圏に慣れている旅行者は、このような厳格な入国審査に倦んだりする。治安上必要なのは理解できるが、少しでも多くの旅行者に訪れてもらいたいのであれば、これを何とかしないといけないと思うのは、私だけではないだろう。
途中高速道路のドライブインでトイレ休憩をとり、午後6時トロギールに到着。レストランに直行し、夕食。前菜は、香辛料が利いた少し塩辛いグヤーシュのようなスープ。主菜は、イカのグリル。ガーリックの利いたソースをかけて食べる。イカは柔らかく美味しかったが、口の中が自分でも感じるぐらいニンニク臭くなった。デザートは、クレープのようなパンケーキ。これは可もなく不可もない。全体としては、まずまずの味。
8時45分、ホテルに到着。旧ユーゴ時代のリゾートホテルだが、設備や備品は古いまま。鍵は、今どき珍しい鍵穴差込み式。しかし、リゾートホテルだけに部屋は広く、2つのスーツケースを広げても、まだ余裕がある。窓辺にテラスが設けられ、海が一望できる。そして驚いたのは室内に灰皿が。クロアチアは、EU圏に比べると、煙草の規制がとても緩やか。ドライブインのレストランでも煙草を吸っている人をよく見かける。一般的にEU圏では、室内はすべて禁煙で、外でしか吸えないが、クロアチアでは許されるようだ。その代わりに、出入口付近に灰皿が置いていないことがよくある。

7日目 真っ青なコバルトブルーのアドリア海に感激!

枕元の濡れタオルと、バスタブにお湯を張っておいたお蔭で、熟睡でき、体調は万全。朝食をいつもよりも多めに食べる。
朝になって判明したが、このホテル、途轍もなく大きい。9階建てでV字に部屋が配置され、収容人員が何人なのかも想像がつかない。レストランの座席数も、400~500席はあったが、今は半分以上使用していない。建てられた当時は、かなり豪華なリゾートホテルだったに違いないが、営業的に失敗したのか、年数を経てもリフォームされず、設備や備品も古いまま、現在に至っているのではないかと思われる。

紀元前の歴史を誇る城壁の街・トロギール!

8時、ホテルを出発し、まずは、トロギールを観光。今日は、トロギール、スプリット、シベニクという3つの世界遺産を巡る。
トロギールの旧市街は、聖ロブロ大聖堂を中心とした城壁の街。紀元前3世紀に造られたギリシア人植民都市が起源。11世紀にハンガリー王の支配下に入るが、自治権をもつ都市として繁栄する。その後15世紀から18世紀までヴェネツィア、19世紀にはハプスブルク家に支配される。旧市街そのものが1つの島で、周囲を城壁で囲まれ、中は敵の攻撃を防ぐために迷路のようになっている。現地ガイドの案内で、大聖堂の中を見学し、旧市街を散策したあと、フリータイム。川沿いのカフェでホワイトコーヒーを飲んで休息する。

聖ロブロ大聖堂
聖ロブロ大聖堂
聖ロブロ大聖堂内の壁画
聖ロブロ大聖堂内の壁画

宮殿がそのまま街になったスプリット!

9時30分、次の観光地、スプリットに向かう。スプリットは、アドリア海沿岸最大の港町で、首都ザグレブに次ぐクロアチア第2の都市。ローマ皇帝ディオクレティアヌスの宮殿がそのまま旧市街になったという珍しい起源。宮殿の一部が、民家やカフェになっている。12~14世紀に自治都市として繁栄するが、その後ヴェネツィアの支配下に入る。
現地ガイドの案内で、城壁に囲まれた正方形の宮殿の中を見学。ローマ皇帝では、コンスタンティヌス帝が有名だが、彼はディオクレティアヌスの部下であった。ディオクレティアヌスは、キリスト教を弾圧したため業績ほど評価されず、キリスト教徒からは悪者扱いされているが、行政手腕はコンスタンティヌスよりも上らしい。遺跡のようなものを見学したあと、いつの間にか、男性3人のアカペラコーラスが聴こえる一画に案内される。絶妙なハーモニーの歌声にうっとり聞き惚れる。1枚€15でCDを販売しているというので、1枚購入し、一緒に写真撮影。

その後、フリータイムとなり、€2を支払って大聖堂の鐘楼に登ることに。登りきるのに、5分ほど要したが、天気がよく、眺めは最高。宮殿の内外が一望でき、何よりも海の青さが違う。真っ青なコバルトブルーのアドリア海に感激する。城壁の外は、野菜や果物を売る青物市場で賑わい、雑貨や衣類などを売っている露店もあり、洒落た匂い袋を見つけて購入。クーナの値段表示しかなかったが、ユーロでもOK、お釣りもユーロでくれる。昨日のモスタルと異なり、完全なキリスト教圏内で、物乞いのジプシーは1人も見かけない。
フリータイムのあと、アドリア海の見える新市街のレストランで昼食。前菜は、キャベツとレタスのサラダ。主菜は、ポークのグリルにご飯添え。デザートは、チョコがかかったアイスクリーム。いずれも満足する料理で合格点。

大聖堂の鐘楼
大聖堂の鐘楼
鐘楼からスプリットの街を望む
鐘楼からスプリットの街を望む

丸みがあってモスクのような聖ヤコブ大聖堂!

昼食後、バスで3つ目の世界遺産、シベニクに向かう。昨日のモスタルとトロギールは、旧市街全体が世界遺産として登録されているが、スプリットは、街ではなく、ディオクレティアヌス宮殿が世界遺産。シベニクも同様に、聖ヤコブ大聖堂が世界遺産として登録されている。
シベニクは、アドリア海の貿易港として発展した港町。街のシンボルである聖ヤコブ大聖堂は、15~16世紀にかけて建造された巨大な聖堂。ゴシック様式で建築が始まったが、途中で方針が変更され、ルネッサンス様式で完成。少し丸みがかかった聖堂の屋根は、どちらかといえばモスクのようだ。海のすぐそばに建てられており、青い海に映える街並みが印象的。がしかし、昨日から数えると、連続4つ目の世界遺産。同じものを見ている感じがしてきて、だんだんと印象が薄くなり、最後にはどうでもよくなってくる。困ったものだ。現地ガイドの案内で、旧市街を1周して観光は終了。

港町・シベニクの街並み
港町・シベニクの街並み
聖ヤコブ大聖堂
聖ヤコブ大聖堂

ホテル目前で道に迷い、汗だくで息も絶えだえ!

3時45分、宿泊地のオパティアに向かう。走行距離は280km。既に復路の旅程に入っているため少しでも距離を稼いでおこうとするようだ。道路の渋滞もなく、8時すぎにオパティアのレストランに到着。夕食は、前菜に魚介のスープ、主菜にトマトソースのかかった魚のグリル、デザートにアップルパイ。魚のグリルは、茹でたジャガイモが添えられ、ソースで魚臭さを押さえてあり、思いのほか美味しく食する。これも合格点。
夕食後、10分もしないうちにホテルに到着したが、小高い丘に建てられたホテルの玄関にバスが直接横付けできないので、駐車場からスーツケースを引きずって歩くことに。先導する添乗員が入口を間違えたため、200mほど坂道を登って引き返すことになり、寒い中汗をかきながら、どうにかホテルのロビーに辿り着いたときは、全員が汗だくで、息も絶えだえ。不満爆発。平身低頭する添乗員。お詫びに、翌朝はポーターのサービスがつくことに。観光疲れで、部屋に入るとすぐにシャワーを浴び、早めに就寝。

8日目 オーストリア発祥のウィンナーコーヒーを堪能!

ポーターが一切つかないはずのツアーであったが、昨夜の汗だく事件により、急遽ポーターが手配され、朝食の前に荷造りを済ませてスーツケースを廊下に出しておくと、ポーターがバスまで運んでくれる。朝食は、階下のレストランで、煎り卵・ベーコン・ウインナーにパンとコーヒーで簡単に済ます。
集合時刻の10分前に手荷物を持って緩やかな下りのスロープを200mほど歩いて駐車場に行く。ホテルの玄関から駐車場までは、このスロープの1本道。迷うはずがないにもかかわらず、昨夜はいったいどうしたのか? 不思議に思ったが、その謎が判明した。添乗員は、駐車場からスロープの入口に入らず、ホテルの外周道路に出てしまったため、いくら歩いても玄関に辿り着かなかったのだ。初歩的なミスで、顰蹙を買うのも無理はない。

バスで6時間半、ようやくザルツブルクに到着!

7時45分にホテルを出発し、ザルツブルクに向かう。走行距離は400km。1時間半ほど走った頃、クロアチア・スロベニア国境を越える。クロアチアの出国はフリーパスであったが、スロベニアへの入国に際しては、国境警備員がバスに乗り込み、パスポートの中身を確認せずに、ひたすらスタンプを押しまくった。
スロベニアでバスの運転手が交代。4日目、プリトヴィッツェからドブロヴニクに向かう途中で追越禁止の違反切符を切られた運転手に、ツアー客の有志がカンパすることに。私たちも€10を渡して謝意を表す。
スロベニアで1回、オーストリアに入って1回、トイレ休憩のためドライブインに停車する。オーストリアでは、トイレに自動改札のような機械が設置されており、¢50硬貨を入れると、バーが下がり、¢50の金券が出てくる。もちろんこの金券はドライブインの売店で使える。勿体ないと思い、何か買おうとするが、¢50程度で買えるものはほとんどない。やむを得ずミネラルウォーターを買うが、これが€2.2と、一気に物価が跳ね上がる。金券2枚を使っても€1.2で、クロアチアの倍はする。
長い道程でオパティアから6時間半も要し、2時すぎにようやくザルツブルクに到着。市街地のレストランで遅めの昼食。前菜は、コンソメ味のスープ。主菜は、豚肉とジャガイモの煮込み料理。デザートはカスタードケーキに生クリーム添え。朝食を6時半に食べた以来の食事で、お腹がけっこう空いていたので、いずれも美味しく感じる。

ホテル・オパティア
ホテル・オパティア
豚肉とジャガイモの煮込み
豚肉とジャガイモの煮込み

懐かしい映画を思い出すミラベル庭園!

昼食後、ザルツブルクの街を観光。ザルツブルクとは「塩の城」という意味。紀元前から塩によって栄え、9世紀に大司教座が置かれた。岩塩からとれる塩が莫大な富をもたらし、城や宮殿を建設し、さらに発展するが、19世紀初頭ナポレオン支配下のフランス軍の襲撃により、大司教領が廃止される。その後、ドイツのバイエルンに併合されるが、ウィーン会議でオーストリアの一地方都市となる。19世紀末から音楽の都として世界的に有名になる。人口15万の都市でオーストリア第4位。
現地ガイドは、中年の日本人女性。BSのTV番組で、泉ピン子と橋田寿賀子のガイドを務めたというベテラン。まず案内されたのは、5階建てビルの入口。配られたチケットを改札機にかざして入場し、エレベーターで屋上に登ると、そこはザルツブルクの街が一望できる絶景スポット。感動の溜息とともに、皆さんシャッターを切りまくり、絶景をカメラに収める。次は、映画「サウンド・オブ・ミュージック」でドレミの歌のシーンが撮影されたというミラベル庭園。元を辿れば、大司教が愛人のために造らせた宮殿のお庭。いかに塩で儲けたかは想像できる。旧市街にあるモーツァルトの住居と生家にも案内。住居の方は一軒家だが、生家は、黄色い建物の4階部分。中には入らなかったが、博物館として自筆の楽譜やピアノが展示。レジデンツ(大司教館)と大聖堂が囲む広場でいったん解散し、フリータイム。洒落た喫茶店で、オーストリア発祥のウィンナーコーヒーを飲んでひと休み。因みに、ウィンナーコーヒーは、ドイツ語で「アインシュペナー」というらしい。
今夜、ツアー最後の夜は、夕食がついておらず、ガイドブックでリストアップした人気のレストランで、美味しい料理を食べるつもりであったが、遅い昼食のためあまりお腹が空いていないのと、いくぶん疲れ目なので、外食を断念する。ザルツァッハ川沿いに地元の人たちで賑わうパン屋を見つけ、サンドイッチを購入。ホテルで食べることに。

ザルツブルクの街並み
ザルツブルクの街並み
ミラベル庭園
ミラベル庭園

いったんツアー客全員が集合し、バスで新市街のホテルへ。初日に泊まったホテルに比べると、数段グレートが高く、シティホテルのような感じ。部屋のスペースにも余裕があり、洗面所が広くて綺麗。シャワーを浴び、早速買って帰ったサンドイッチを食する。フランスパンに野菜や肉を挟んだもので、地元の人気店だけあって、予想以上に美味しい。しかも大きくて1つ食べただけでほぼ満腹。

9・10日目 期待外れのミュンヘン新市庁舎の仕掛け時計

6時30分のモーニングコールの電話が鳴るまで爆睡。8時出発なので、急いで0階のレストランで朝食を摂る。前日のホテルに比べると豪華なメニューだったので、いつもよりも多めに食する。

カフェでコーヒークリームを味わう!

8時にホテルを出発し、ドイツのミュンヘンに向かう。ミュンヘン手前のドライブインでトイレ休憩。このドライブインのトイレにも、例の自動改札があり、¢70を入れると、¢50の金券が戻ってきた。さすがドイツ、¢20はトイレ代としてとるようだ。前回同様、ミネラルウォーターを購入するが、これが€1.99でオーストリアより安いと思ったら、外税で€2.24。大差ない価格で、クロアチアの物価の安さが懐かしい。
10時20分、ミュンヘンに到着。ミュンヘンは、アルプス山脈とドナウ川の間に位置するドイツ有数の大都市。12世紀にヴィッテルスバッハ家が居城を造営して以来、目覚ましい発展を遂げた街。マリエン広場でバスを降り、直ぐに観光を始める予定が、待っているはずの現地ガイドが見当たらず、やむを得ずガイド抜きで観光することに。マリエン広場に面した高さ85mの尖塔が特徴的な新市庁舎。ネオゴシック建築で、鐘楼の仕掛け時計が有名。待つこと10分。11時ジャストに仕掛け時計が動き出す。ガイドブックによると、32体の人形が侯爵ヴィルヘルム5世の結婚式を再現しているようだが、あまりにも動きが緩慢で、感動するほどのものではなく、期待外れだった。10分経ってもまだ動いていたが、最後には見上げるのに首が疲れ、どうでもよくなる。
そうこうしているうちに、出会い損ねた日本人女性の現地ガイドが合流。彼女の案内で、フラウエン教会の前まで散策し、あとはフリータイム。
私たちは、現地ガイドに教えてもらったカフェでお茶をすることに。クロアチアではホワイトコーヒーだったが、ここドイツでは、コーヒークリーム。エスプレッソ風の濃いコーヒーに温められたミルクをたっぷりと入れて味わう。これがけっこう美味しい。

ミュンヘン新市庁舎
ミュンヘン新市庁舎
新市庁舎の仕掛け時計
新市庁舎の仕掛け時計

バイエルン名物ホワイトソーセージを食べる!

散策後、バスで空港へ。空港到着後、それぞれ自動チェックイン機でチェックインしたあと、自動荷物預機でスーツケースを預ける。はじめての経験だったが、機械から出てきたタグを自分でスーツケースに付けてコンベヤーに流すだけでOK。至って簡単。セキュリティ検査は、昨年ハワイで体験した厳重なセキュリティ機(両手を挙げさせ、それをカメラでぐるりと1周撮影する)が待ち構えていた。上着や帽子にとどまらず靴まで脱がされて検査を受けたが、難なくクリア。年々色々なものが進歩していることに驚かされる。
出国審査を済ませ、少し小腹が空いたので、バイエルン名物ホワイトソーセージを食べることに。3年前のスイス旅行のときに食べたレストランバーを見つけ、ソーセージとシュニツェルを食する。因みに、ホワイトソーセージは、皮を剥いて中身だけ食べるそうだ。
飛行機は、定刻の午後3時15分に離陸。順調な飛行で、予定時刻の10時55分より10分ほど早く羽田に着陸。入国審査を経て、スーツケースが思いのほか早く出てきたので、11時25分発のリムジンバスに乗車しようと思ったが、最後の税関で手間どり、間一髪でアウト。やむなくスーツケースを引きずりながら、京急の乗り場へ。品川から山手線経由で池袋まで行き、西武線に乗り換えて、1時すぎには所沢の自宅に戻ることができた。帰りがけいにスーパーでお寿司を買う。これも毎回恒例で、海外旅行から帰ると、無性にお寿司を食べたくなる。

今回のクロアチア旅行の感想

(1)今回のツアー、超格安料金に思わず飛びつき、H社のDMにまんまと釣り上げられた感があったが、格安ツアー云々よりも、3月のヨーロッパ旅行に無理があった。プリトヴィッツェ湖群国立公園では、降雪のため湖畔の遊歩道が閉鎖され、遊覧船も運休。美しい大自然を楽しみながら湖畔の遊歩道をハイキングすることができなかったのが、残念でならない。そして、ドブロヴニクの強風も春先ならではの出来事だったのでは。ザルツブルクとミュンヘンでは、天候に恵まれ、のんびり観光をすることができたが、雪が降り、気温も氷点下であったならば、おそらく外を出歩くこともできなかったのではないだろうか。
(2)やはり3月にヨーロッパを旅行するのは無謀であると、改めて認識させられた。昨年5月のオランダ・ベルギー旅行の気候は申し分なかったことから、気候と料金の両方を鑑みると、ヨーロッパ旅行のベストシーズンは、5月中旬から下旬ではないかと思う。
(3)格安ゆえにホテルや食事を期待していなかったが、こちらの方は特に大きな問題はなかった。ホテルの設備で困ったのは、リュブリャーナの狭いシャワー室だけで、あとは支障をきたすようなものはなかった。食事については、昼1回、夕3回の食事がついていなかったことを除外すると、出された食事はすべて、前菜、主菜、デザートの3コースで、味も申し分なく、まったく食べられなかったものはなかった。ほぼ合格点の評価。
(4)添乗員。決して悪い人ではないと思うが、これまでのH社の添乗員に比べると、私たちには合わなかったようだ。ジョークを乱発してツアー客を楽しまそうとしているだと思うが、乱発しすぎて、本当のことか、ジョークなのかもわからなくなり、困ってしまったことが度々。悪気はないのだと思うのだが、何事もほどほどにしてほしいものである。
(5)とはいえ、10日間で、ドイツ・オーストリア・スロベニア・クロアチア・ボスニアヘルツェゴビナ・モンテネグロの6ヶ国を巡る旅を満喫し、支払った代金以上は楽しむことができたのは、確かである。これ以上欲を出してはいけないかも。

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