バルト3国旅行記

2019年5月19日~26日(8日)
ヴィリニウス、カウナス、シャウレイ、リガ、タルトゥへ、タリン

スリランカ旅行記

2019年1月20日~26日(7日)
コロンボ、シギリヤロック、キャンディ、ゴール、ポロンナルワ

ポルトガル旅行記

2018年4月13日~20日(8日)
リスボン、ポルト、コインブラ、オビドス、ナザレ、バターリャ

ベトナム旅行記

2017年12月18日~23日(6日)
ホーチミン、フエ、ホイアン、ミーソン、ハロン湾、ハノイ

イギリス旅行記

2017年4月18日~25日(8日)
ロンドン、湖水地方、コッツウォルズ、コンウイ、オックスフォード

カンボジア旅行記

2016年12月9日~13日(5日)
シェリムアップ、アンコールワット、プレアヴィヒア、ペンメリア

北欧旅行記

2016年7月5日~12日(8日)
コペンハーゲン、オスロ、ベンゲル、ストックホルム、ヘルシンキ

クロアチア旅行記

2015年3月3日~12日(10日)
リュビリャーナ、ドブロヴニク、コトル、モスタル、スプリット

オランダ・ベルギー旅行記

2014年5月26日~6月2日(8日)
ブリュッセル、ブルージュ、ゲント、アムステルダム、ケルン

中欧旅行記

2013年8月19日~26日(8日)
ウィーン、プラハ、ドレスデン、プラチスラバ、ブダベスト

スイス旅行記

2012年8月26日~9月4日(8日)
ツェルマット、グリンデルワルト、ベルン、チューリッヒ

香港・マカオ旅行記

2011年12月25日~28日(4日)
香港、マカオ

フランス旅行記

2011年8月29日~9月5日(8日)
パリ、ロワール、モンサンミッシェル、ルーアン、ヴェルサイユ

スペイン旅行記

2010年8月23~30日(8日)
マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナ

イタリア旅行記

2008年8月7日~14日(8日)
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ローマ

台湾旅行記

2009年8月30日~9月2日(4日)
台北、高雄

韓国旅行記

2007年3月26日~29日(4日)
ソウル、水原

海外旅行記

「おとぎの国」タリンの街並み
タリン

バルト3国旅行記

日程表

日 程 主なスケジュール
初 日 10:20成田発ポーランド航空直行便でヴィリニウスへ(ワルシャワ乗継)。ヴィリニウス到着後、ホテルへ。(ヴィリニウス泊)
2日目 午前:迷路のように入り組んだ街ヴィリニウス観光(聖ペテロ・パウロ教会、夜明けの門、大聖堂、ヴィリニウス大学、旧市庁舎)。ヴィリニウス最大規模のマーケット「パレス市場」に案内。昼食は、郷土料理コルドゥナイ(リトアニア風餃子)。午後:自由行動。【OP】トラカイ観光。(ヴィリニウス泊)
3日目 午前:カウナスへ移動。日本にゆかりの深いカウナス観光(大聖堂、旧市庁舎、6千人の命を救った杉原千畝が勤務していた旧日本領事館)。昼食は、郷土料理ツェペリナイ(肉入りジャガイモ団子)。午後:シャウレイへ移動。大小無数の十字架が建ち並ぶ十字架の丘散策。観光後、リガへ。(リガ泊)
4日目 午前:ラトビアの首都リガ歴史地区観光(リガ大聖堂、リガ城、三人兄弟、スウェーデン門、聖ペテロ教会、ブラックヘッドのギルド)。ヨーロッパ最大級の中央市場に案内。午後:自由行動。【OP】ルンダーレ宮殿観光(昼食付)。(リガ泊)
5日目 午前:タルトゥへ移動。エストニアの文化・学問の中心タルトゥ散策。昼食はチキン料理。午後:タリンへ移動。(タリン泊)
6日目 午前:おとぎの国のような中世の城塞都市タリン歴史地区観光(アレクサンドルネフスキー聖堂、聖ニコラス教会、トーンペア城、大聖堂、旧市庁舎、三人姉妹、ふとっちょマルガリータ、ラエコヤ広場)。午後:自由行動。【OP】野外博物館と駅裏マーケット散策(昼食付)。(タリン泊)
7・8日目 8:55タリン発空路でワルシャワへ。ワルシャワ到着後、中世薫る街ワルシャワ歴史地区散策。散策後、空港へ。15:10ワルシャワ発ポーランド航空直行便で帰国の途へ。翌日8:40成田到着予定。

初日 バルト3国を巡る旅に出発!

昨年のポルトガル旅行で、旅したヨーロッパの国は22ヵ国。残っている主要な国は、ギリシャ、バルト3国、ポーランドなど。因みに、ドイツは、ケルン、ハイデルベルク、ドレスデンなど南部の一部地域だけで、ベルリンやノイシュヴァンシュタイン城などの主要な観光名所には行っていない。イタリアとフランスも、主に北部をまわっただけで、南部が残っている。そうなると、ヨーロッパの候補として残っているのは、ギリシャ、バルト3国、ドイツ、南イタリア、南フランスなど。その中から今回は、バルト3国を選択。
バルト3国とは、フィンランドの南、バルト海に面したエストニア・ラトビア・リトアニアの3つの国。3国とも、EU(欧州連合)の加盟国。通貨は「ユーロ」。

不思議で可愛らしい街並みが残るバルト3国!

中世以来、ドイツやスウェーデン、ロシアなどの周辺諸国に支配されながら発展してきたバルト3国。それぞれの首都であるタリン・リガ・ヴィリニウスには、北ヨーロッパのさまざまな文化が混ざり合うようにして残っている。歴史的建造物が多い旧市街は、いずれも歴史地区として世界遺産に登録。まるで中世で時が止まってしまったかのような不思議で可愛らしい街並み。ハンザ同盟下にあったドイツ風の街並みをもつ港町タリンとリガ、ゴシック様式からバロック様式まで、華やかな教会が多く残るヴィリニウスが見どころ。
バルト3国のツアーを調べてみると、フィンランドのヘルシンキからフェリーでエストニアのタリンに渡り、3国を周遊するコースと、ポーランドのワルシャワから空路でリトアニアのヴィリニウスに入り、3国を周遊するコースの2種類。いろいろと検討した結果、H社の「迷路のような街ヴィリニウス、バルトの真珠リガ、おとぎの街タリンを巡るバルト3国8日間」を申し込む。ポーランド航空便でワルシャワを経由するため、乗継時間を利用したポーランドの首都「ワルシャワ散策」が付いているのも魅力だった。12月末までに申し込むと、早期割引で1万円引きになるので、5ヵ月も前に申し込む。
なお、3つの首都エストニア・ラトビア・リトアニアの観光日の午後がいずれも自由行動。その時間帯に対応するオプショナルツアーが用意されている。
2日目:「トラカイ観光」13:00~16:00、7,000円
4日目:「ルンダーレ宮殿観光(昼食付)」11:30~18:00、13,000円
6日目:「野外博物館と駅裏マーケット散策(昼食付)」12:00~16:15、13,000円

聖ゲオルギ教会(カウナス)
聖ゲオルギ教会(カウナス)
人間の鎖 足跡の碑(リガ)
人間の鎖 足跡の碑(リガ)

ポーランド航空に初搭乗!

成田集合時刻が8時15分。5時起きして所沢6:09発レッドアローに乗車。池袋でJR山手線に、日暮里で7:05発スカイライナーに乗り換え、成田には8時前に到着。早朝にもかかわらず空港は混雑ぎみ。H社の受付に並んでいると、添乗員とは別の係員にパスポートの提示を求められ、傍にあったポーランド航空の自動チェックイン機でチェックインをしてくれた。受付の順番がきたので、係員からもらった成田~ワルシャワとワルシャワ~ヴィリニウスの2枚の搭乗券を提示。Eチケットと成田~ワルシャワ分の搭乗券が戻され、ポーランド航空のカウンタ―でスーツケースを預けるように指示される。搭乗券と一緒にイヤホンガイドが渡され、注意事項の説明を受けて、受付は終了。すぐにポーランド航空のカウンタ―に行き、スーツケースを預ける。ポーランド航空はANAの提携会社なので、ANAマイレージカードも提示する。果たしてマイルが貯まるかどうかは、帰ってからのお楽しみ。

タルトゥ大学の授業風景
タルトゥ大学の授業風景
ワルシャワの旧市街
ワルシャワの旧市街

バルト3国の通貨はユーロ

搭乗ゲートでセキュリティチェックを受け、出国審査を通過。外貨は300€を両替。バルト3国の通貨はユーロ、経由地のポーランドの通貨はズウォティ(zloty)。しかし事前の添乗員からの連絡によれば、7日目のワルシャワ観光では特にズウォティを用意しなくてもよいとのこと。免税店でタバコを購入しても、まだ時間が余ったので、カフェでお茶をして時間をつぶす。
私たちが搭乗した飛行機は、定刻10:15より10分遅れてようやく動き出す。機内では、いつものように映画を観て時間をつぶす。幸い東野圭吾原作の「ナミヤ雑貨店の奇跡」や「人魚の住む家」などの4本の邦画があったので、まずそれを観ることにした。朝早く起きたため2本目の「人魚の住む家」を観ているうちに眠ってしまい、結局4本すべてを観ることができず、帰路に持ち越すことになった。ポーランド航空の機内食は、予想以上に美味しく、ベトナム航空並みの美味しさで、ほぼ合格点。

ワルシャワで乗り継いでヴィリニウスへ

ワルシャワ空港には、定刻15:30(現地時間)よりも15分早く到着。再びセキュリティチェックを受け、リトアニアのヴィリニウス便に乗り継ごうと、搭乗ゲートで待機していたが、なかなかゲートが開かない。待つこと45分、ようやくゲートが開いたが、通路の先には飛行機がなく、バスで5分ほどを走った先に小さな飛行機が待っていた。通路を挟んで2席ずつのプロペラ機並みの大きさだったが、紛れもないジェット機。結局、定刻よりも1時間遅れ、17:15ワルシャワ空港を離陸し、ヴィリニウスに向かう。
1時間のフライトで19:15(現地時間)ヴィリニウスに到着。ポーランドの時差は、日本と7時間差であるが、バルト3国は6時間差で1時間早くなる。再び時計を合わせる。

ヴィリニウスのホテル
ヴィリニウスのホテル
大型スーパー
大型スーパー

夜8時以降のアルコール類の販売は禁止!

すでにワルシャワでEUの入国審査を済ませていたので、スーツケースを受けとり、バスに乗り込む。乗継便のためロストバゲージを心配していたが、無事に受けとることができて安堵する。15分でホテルに到着。郊外にある特徴のないありふれたホテルであったが、部屋は広く、設備も標準的。大型スーパー(MAXSIM)がホテルに隣接されていたので、夜食用にサンドウィッチとミネラルウォーターを購入。2人分で7€(840円)。北欧に比べると物価が安い。リトアニアでは、夜8時以降のアルコール類の販売は禁止。ビールを買うことができなかったので、ホテルのバーでビールを調達。500mlの缶1本が3€(360円)。ホテルにしてはリーズナブルな値段だった。

2日目 路線バスでトラカイ観光を満喫!

ビールのお蔭で6時すぎまで爆睡。7時のモーニングコール前に起床。スチーム暖房を効かせているのか、部屋の中が蒸し暑いので、窓を開けて清々しい空気を採り入れる。身支度を整え、1階のレストランで朝食。ありふれたメニューのビュフェスタイルで、品数は多くなかった。ウインナーとベーコン、ゆで卵、ポテト、パン、ジュースなどで簡単に済ます。9時の出発まで時間が余ったので、ホテル周辺を散策。
深い緑に囲まれたリトアニアの首都ヴィリニウスは、バルト3国の首都では唯一内陸に開かれた街。ドイツ商人の影響を受けずに発展したため、エストニアのタリンやラトビアのリガとは異なり、天を突く尖塔が特徴のゴシック建築の教会は少ない。その代わりに柔らかな形のカトリック教会が目立ち、その数の多さに驚かされる。市民の信仰心の篤さが伺われる。石畳の道が不規則に続く旧市街は、公共交通がほとんどなく、ゆっくりと散歩を楽しめる。迷路のような入り組んだ路地、そこに並ぶカラフルな家並みはまさに「迷路のような街ヴィリニウス」と呼ばれる由縁だろう。

杉原千畝の肖像画の石碑
杉原千畝の肖像画の石碑
ヴィリニウスの街並み
ヴィリニウスの街並み

ギリシャ神殿のような大聖堂

9時ホテルを出発。添乗員の配慮で旅程表には組み込まれていない「杉原千畝公園」に立ち寄る。数年前にリトアニアを訪問した安倍首相もこの公園を訪れたという。杉原千畝の肖像画が組み込まれた石碑の前で思い思いのポーズで記念撮影。10分ほどで再びバスで旧市街に向かい、大聖堂の前でバスを降りる。
大聖堂(アルキカテドゥラ)は、高さ53mの鐘楼とギリシャ神殿のような外観が特徴的な主教座教会。ヴィリニウスの中心にそびえ、ヴィリニウスのシンボルともいえる。堂内には、リトアニアの守護聖人カジミエラス王子を安置する17世紀のバロック様式の聖カジミエルの礼拝堂など、王の像や彫刻、フレスコ画で装飾されている。ぼんやりフレスコ画を眺めていると、思わぬ人に遭遇。2年前のイギリス旅行でお世話になったH社福岡支店の添乗員。40歳ぐらいの綺麗な女性で、イギリスではとてもよくしてもらった。慌ただしくツアー客を添乗している最中で、声をかけることもできなかったが、懐かしく思えた。

ギリシャ神殿のような大聖堂
ギリシャ神殿のような大聖堂
煌びやかな大聖堂の礼拝堂
煌びやかな大聖堂の礼拝堂

リトアニアの特産リネン製品をお土産に購入!

大聖堂のあとは、徒歩で旧市街を観光。ヴィリニウス大学を外から眺め、市庁広場に辿り着いたところで20分のフリータイム。現地ガイドおすすめのリネンのお店があるというので、希望者を募ってその店に向かう。リトアニアといえば、リネンといえるほど有名な特産品。肌触りがよく、日本では高級品とされるリネン製品も、リトアニアではかなり安く買えるらしい。店内を物色しているうちにベッドカバーが60%OFFで売られているのを見つけ、躊躇せず購入。80€(9,600円)が32€(3,840円)。とてもお買い得だった。
フリータイム終了後、徒歩観光を再開。旧市街の南端にある夜明けの門まで歩く。もとは9つあったという城門のうち、現存するのは、この夜明けの門だけ。門の中には、聖母イコンを祀る礼拝堂。イコンは、奇跡を起こす力があると、今でも信じられている。ヴィリニウスで唯一中世の面影を残すところといえる。夜明けの門を潜り、ヴィリニウスの台所といわれているパレス市場に向かうが、あいにく月曜日で全店休業。外から建物を眺めただけ。

夜明けの門
夜明けの門
パレス市場
パレス市場

ローマ教皇が訪れた聖ペテロ・パウロ教会

パレス市場まで迎えに来てくれたバスで聖ペテロ・パウロ教会に向かう。聖ペテロ・パウロ教会は、17世紀後半にバロック様式で建立されたヴィリニウスを代表する教会。入口付近には、数年前にここを訪れたローマ教皇のパネル写真が今でも飾られていた。完成させるのに30年かかったという教会の内装が圧巻。イタリアの彫刻家たちを招いて製作したという、息をのむほどの彫刻群に圧倒される。壁や天井を覆い尽している2,000以上の漆喰彫刻には、1つとして同じものがなく、聖人から始まり、天使や想像上の獣、植物、その他の無生物まで、意匠は多岐に及んでいる。
聖ペテロ・パウロ教会の観光後、旧市街まで引き返し、中心部にあるレストランで昼食。前菜は野菜サラダ、主菜は、リトアニア伝統の郷土料理「コルドゥナイ」。ひき肉の餃子のようなものをホワイトソースで食べるリトアニア風水餃子。決して不味くはないが、特別に美味しいとはいえない。それにお皿いっぱいに盛られたコルドゥナイを食べ続けるとどうしても厭きてしまう。今回は、2品だけでデザートはなし。

聖ペテロ・パウロ教会
聖ペテロ・パウロ教会
教会内の漆喰彫刻
教会内の漆喰彫刻

ミッションは、大聖堂・ゲディミナス城・トラカイ

昼食後、再びバスに乗車し、オプショナルツアー組はトラカイに向かい、不参加組は大聖堂前でバスを降りる。因みに、ツアーメンバー21人中16人がオプショナルに参加。参加しなかったのは、私たちを含め5人だけ。
事前に企画したヴィリニウスのフリータイムでのミッションは、次の3つ。
①大聖堂の鐘楼に登る。
②ゲディミナス城の塔に登る。
③自力でトラカイを観光する。

見晴らし爽快! ゲディミナス城の塔

まずは、大聖堂の鐘楼の入口で入場料4.5€(540円)を支払って中に入る。木造の階段をひたすら登りきると、53mの高さだけにヴィリニウスの旧市街を一望できた。迷路のように入り組んだ歴史深い街並みがよく見える。
次は、大聖堂前の大きな公園を横ぎってゲディミナス城に向かう。麓にあるケーブルカーで丘の頂上まで登ると(片道1€)、目の前にゲディミナス城の塔がそびえる。入場料5€(600円)を支払って塔の屋上に登ると、大聖堂よりも遥かに見晴らしがよく、ヴィリニウスの旧市街だけでなく、ネリス川対岸の新市街の高層ビル群までもが一望できた。
ケーブルカーを使わずにゲディミナス城の丘を徒歩で下り、のんびりと旧市街の南にあるバスターミナルまで歩き、ヴィリニウスの旧市街を北から南まで縦断する。途中、聖アンナ教会や聖ミカエル教会を眺めながら市庁広場を経て、ヴィリニウス駅のバスターミナルに着いたのが、3時10分前。15:00発のトラカイ行の路線バスに間に合う。

ゲディミナス城の塔
ゲディミナス城の塔
塔からの眺望
塔からの眺望

湖面に映えた赤レンガの城がとても美しいトラカイ!

トラカイは、ヴィリニウスから西に30km離れたところにある観光地。ヴィリニウスに移る以前にリトアニアの首都だった街。30以上の湖と森に囲まれ、自然公園としても景観が保護されており、14世紀後半に建てられた赤レンガのトラカイ城が水面に映えてとても美しい。トラカイ観光は、オプショナルツアーとして用意されていたが、バスの送迎と入場料込みで料金が7,000円。どう考えても、ぶったくり価格。しかも昼食後にトラカイに出発し、観光後直ちにホテルに戻る旅程で、ヴィリニウスの街を自由に観光することもできない。それならば、大聖堂の鐘楼に登り、ゲディミナス城に登ったあと、自力でトラカイに行って観光すれば、一挙両得。
15:00発の路線バスに乗り込むと、驚いたことに同じツアーの1人参加の女性がすでに座席に座っていた。私たちとまったく同じ思考だったようだ。バスは横に2席と1席、乗車定員が15人ほど。日本でいうマイクロバスだが、発車時にはほぼ満席。途中バス停に1度停まっただけで、ほぼノンストップでトラカイに到着。所要時間は30分。料金は1人2€(240円)。

トラカイ城に渡る橋
トラカイ城に渡る橋
トラカイ城の外壁
トラカイ城の外壁

トラカイ名物「キビナイ」は微妙な味!

トラカイのバスターミナルでバスを降りると、ポツポツと小雨がぱらつき始める。バスターミナルからトラカイ城までは約1.5km、徒歩20分ほど。途中で雨脚が強くなり、ずぶ濡れになりながら、やっとの思いで城の入口に到着。入場料8€(960円)を支払って城内に入ると、ようやく雨が上がり、傘をささずに城内を散策する。 城の中は博物館になっていて、これまでの歴史を物語る資料が数多く展示。観光名所だけあって、雨模様にもかかわらず、多くの観光客が押し寄せていた。中をひと通り見たあとは、堀に架かる跳ね橋と古城をバックに記念撮影。絵になる美しいお城だった。
帰りも、同じ道をバスターミナルまで引き返す。ターミナル近くにトラカイ名物「キビナイ」のテイクアウトの店を見つけ、トラカイ観光の記念に食べてみることに。キビナイとは、窯で焼いたパイ風の郷土料理。注文すると、オーブンで温めてくれた。お店の中にイートインスペースがあったので、そこで食したが、微妙な味で不味くはないが、美味しいともいえなかった。

トラカイ城の内庭
トラカイ城の内庭
トラカイ名物「キビナイ」
トラカイ名物「キビナイ」

親切なオバさんに助けてもらって無事に帰還!

17:35発の路線バスでヴィリニウスに引き返す。バスは往路よりもひとまわり大きい中型。私たちが乗り込むとほぼ満席。往路同様30分ほどでヴィリニウスのバスターミナルに到着。ここからホテルまではトロリーバスに乗って帰るつもりで、1番線のバスに乗り込む。添乗員からは、料金は運転手に直接現金で支払えばよいと聞いていたので、運転席横の小窓に1€を入れると、チケットが戻ってきた。トロリーバスには、前後2箇所にドアがあったが、日本のように前乗り・後降りといったルールはなく、どこからでも乗り降りが自由。停車ボタンというものもなく、バス停には必ず停車する。車内に次のバス停が表示されるシステムがなく、車内放送とバス停の表示だけが頼りだった。もうそろそろ着く頃、添乗員からもらったバス停の表示と停車したバス停とを見比べていたら、親切なオバさんが「私に見せなさい!」という素振りをしたので、メモを見せると、すぐに「ここよ!」と教えてくれたので、慌ててバスを降りる。絶妙のタイミングで教えてもらい、乗りすごすことを免れる。

予想外の暑さに披露困憊!

バス停からは、地下道を潜り、数分でホテルに到着。時刻は7時5分前。7時からホテルのレストランで夕食を摂る予定だったので、部屋に荷物を置くと、すぐにレストランに降り、辛うじて間に合う。夕食は、前菜が野菜サラダ、主菜はビーフストロガノフとジャガイモ。サラダは昼食よりも美味しく、ビールもまずまずの味で、すべてを美味しく平らげる。デザートにアップルパイとコーヒー・紅茶が出され、ホテルの食事にしては大満足。
この日はとても暑く、とにかく暑かった。外気温は25℃まで上昇。バルト3国は緯度が高く、北欧並みに寒いと思い込み、防寒対策としてダウンベストまで持参していたが、セーターやウインドブレーカーさえ不用の陽気。この暑さだけは、まったく予想できなかった。
暑い中、長時間歩いた疲れで疲労困憊。シャワーを浴びて早めに就寝。 今回のツアーメンバーを紹介すると、ハネムーンと私たちを含む夫婦が3組(6人)、夫婦+娘が1組(3人)、中年女性2人組が3組(6人)、中年女性3人組が1組(3人)、女性の1人参加が2人。全員で21人。

3日目 6,000人ものユダヤ人の命を救った杉原千畝

6時45分起床。7時15分から1階のレストランで朝食。ほぼ前日と同じメニューで、同じようなものを食べて朝食を済ます。食後、スーツケースに荷物をまとめ、チェックアウト。
8時30分、ヴィリニウスから西に100km離れたところにあるカウナスにバスで向かう。カウナスは、リトアニア第2の都市。11世紀に街が建設され、交通の要所として栄える。15世紀にはハンザ同盟に加わり、17世紀から18世紀にかけては、ロシアやスウェーデンに侵略されるという歴史がある。そして、カウナスといえば、ユダヤ人にもっとも知られている日本人、杉原千畝が活躍した街としても有名。第2次世界大戦中、リトアニア副領事だった杉原は、ナチスを恐れてポーランドからリトアニアに逃れてきたユダヤ人に対して、独断で日本通過ビザを発行。その数は3,000枚にも及び、これによって6,000人もの命を救ったといわれている。
10時にカウナスに到着。現地ガイドは、杉原千畝記念館のマネージャーを務めているというダンディな初老の男性。カウナス城をバックに記念撮影したあと、現地ガイドの案内で街を散策。街の中心部まで来ると、聖ペテロ&パウロ大聖堂に入場。15世紀に建てられたという赤レンガの美しい大聖堂。リトアニアのカトリックの司教座聖堂で、壁一面に描かれたフレスコ画と彫刻で飾られた祭壇がとても印象的だった。

カウナス城
カウナス城
聖ペテロ&パウロ大聖堂
聖ペテロ&パウロ大聖堂

杉原千畝が使っていた執務室で記念撮影

市庁舎広場に戻って短いフリータイム。露店でお土産を物色して時間をつぶす。フリータイムが終わると、駐車場に戻り、バスで杉原千畝記念館に向かう。10分ほどで到着したが、記念館周辺の道路が工事中でバスが横付けできず、バスを降りたあと、10分近く歩いてようやく記念館に辿り着く。閑静な住宅街の真ん中にあり、周りはすべて普通の民家。記念館も至って普通の民家で、看板がないと気がつかず通りすぎてしまう。
館内に入ると、会議室のような部屋で杉原の歩みを描いた15分ほどのビデオを観賞。このビデオ、杉原の生まれ故郷である岐阜県八百津町が製作したもの。八百津町にも、杉原の功績を讃えた記念館が設立されているらしい。ビデオ鑑賞後、ダンディなマネージャーの案内で館内を見学。もっとも観光客に人気があるのが、杉原がビザを発行したという執務室。ツアーメンバーが日の丸をバックに杉原の写真が飾られた机を前にして思い思いのポーズで記念撮影。もちろんカメラマンはダンディなマネージャー。全員分を撮り終えるのに20分はかかった。執務室で「杉原千畝本~未来を繋いだ外交官~」という冊子が無料配布されていた。その横には、記念館の運営資金に充てる寄付が募られていたので、1部もらって1,000円寄付する。館内に小さな売店があり、絵葉書や記念グッズなどを販売。こちらも日本円でもOK。

杉原千畝記念館
杉原千畝記念館
杉原が使っていた執務室
杉原が使っていた執務室

リトアニアの郷土料理「ツェペリナイ」も微妙な味!

駐車場まで引き返し、バスで旧市街のレストランに向かう。昼食は、リトアニア伝統の郷土料理「ツェペリナイ」。ジャガイモの団子を肉で包み、飛行船の形に整えてから茹でる料理。まず前菜の赤カブのスープを食したあと、ツェペリナイにチャレンジ。2つ並んだツェペリナイは、見るからに迫力満点。特別に美味しいというわけではないが、不味くはない。ただし、量的には1つで十分だった。

赤カブのスープ
赤カブのスープ
ツェペリナイ
ツェペリナイ

大小無数の十字架が丘を埋め尽くすシャウレイ

昼食後、バスでシャウレイに向かう。シャウレイは、無数の十字架が建ち並ぶ丘が有名。途中ドライブインでトイレ休憩をとり、4時すぎに十字架の丘に到着。シャウレイは、リトアニア北部の文化と経済の中核を担う都市。1236年の「サウレの戦い」でヴィキンタスが統率するサモギティア人が帯剣騎士団をこの地で破ったことでも有名。その史実が街の名前の由来になっている。
大小無数の十字架が丘を埋め尽くす光景は、遠くから見てもかなりのインパクト。まさに十字架の聖地。これらの十字架は、1830年のロシアに対する反乱「11月蜂起」で亡くなった犠牲者に祈りを捧げるために遺族が十字架を立てたのが始まり。以来、処刑や流刑にされた人びとの鎮魂のために立てられ、リトアニア人にとって、十字架の丘は抑圧された民族、宗教の象徴として扱われている。ソ連時代、この丘は禁域とされ、KGBはブルドーザーを使って何度も十字架をなぎ倒し、焼き払ったが、そのたびにリトアニアの人びとは、夜陰に紛れて新たな十字架を立てたという。
売店で大小さまざまな十字架が販売されているので、誰でも十字架を立てることができる。しかし、これまでの歴史を知ると、たまたま訪れた観光客が興味本位で十字架を立てることが不謹慎に思えてならない。

十字架の丘に向かう参道
十字架の丘に向かう参道
十字架が埋め尽くす丘
十字架が埋め尽くす丘

国境を越えてリトアニアからラトビアへ!

十字架の丘をあとにしてラトビアの首都リガに向かう。40分ほどバスで走ると、リトアニアとラトビアの国境を越え、6時30分リガのホテルに到着。ホテルの部屋は、セミスィート並みにリビングと寝室の2部屋あり、かなりゴージャスな感じ。しかし、浴室にバスタブはなく、シャワーとトイレの隔たりもないので、シャワーを浴びると、浴室が水浸し。まったく機能的でない。
7時半からホテルのレストランで夕食。前菜は。小さなマカロニが入ったチキンブイヨンのスープ。主菜は、白身魚のグリルとジャガイモをマスタードソースでいただく。これが思いのほか美味しかった。デザートは、生クリームが添えられたラズベリーのゼリー。ところが、デザートが最初から食卓に出されていたので、ゼリーが解けてジュース状態になり、食べられたものではなかった。
夕食後、ホテルのすぐ近くにあるスーパー(MAXSIM)に行き、ミネラルウォーターと添乗員おすすめのチョコレートを調達。ミネラルウォーター500ml1本が0.19€(25円)、チョコレート1枚が1.39€(170円)。とても安かった。

マカロニ入りチキンスープ
マカロニ入りチキンスープ
白身魚のグリル
白身魚のグリル

4日目 コントラストが見事な「バルトの真珠」リガ

7時に起床。身支度を整えて、1階のレストランで朝食。メニューはあまり多くなく、ウィンナー、炒り卵、野菜サラダ、パン、オレンジジュースとコーヒーで軽く済ます。連泊なので荷づくりの必要はない。
8時30分、バスでホテルを出発。リガ歴史地区観光に向かう。ラトビアの首都であるリガは、13世紀にハンザ同盟に加盟し、商業で急速に栄えた時代の建築物が旧市街に残る。新市街には、ユーゲントシュティール様式の独創的な建物が建ち並ぶ。その街並みの新旧コントラストは、「バルトの真珠」と呼ばれている。

中央市場
中央市場
中央市場の野外売り場
中央市場の野外売り場

飛行機の格納庫のようなかまぼこ型の中央市場

15分ほどで中央市場に到着。ダウガヴァ川の畔にある飛行機の格納庫のようなかまぼこ型の建物が、1930年にオープンした中央市場。リガの台所を支えるヨーロッパ最大級の規模を誇る。かまぼこの屋内では、肉、乳製品、食料雑貨、野菜、魚など。屋外では、野菜やフルーツ、花、ニット製品などが売られ、活気に満ちあふれている。短いフリータイムで各自市場の中を散策。
散策が終わると、再びバスに乗車。大聖堂の近くで降り、あとは徒歩で観光。まずは「三人兄弟」。兄弟のように肩を寄せ合って建っている中世の住宅。外観は建てられた当時の姿をほぼ保ち、3つの建物それぞれの時代を反映した特徴を備えている。次は「スウェーデン門」。リガに唯一残るかつての城門。1698年に城壁を利用して住宅が建てられた際に付け加えられたもの。当時向かい側のヤコブ兵舎に住んでいたスウェーデン兵がよく利用したので、この名前がつけられた。雨が激しくなったので、無料の「ラトビア軍事博物館」に入館して雨宿り。第二次世界大戦時に旧ラトビア兵が旧日本兵から託されたという署名が入った日の丸が展示されていたのには驚いた。

三人兄弟
三人兄弟
展示された日の丸
展示された日の丸

リガを代表する建築物「ブラックヘッドの会館」

市庁舎広場に戻って短いフリータイム。ここで、添乗員からオプショナルツアー不参加者が自力でホテルに戻る方法がレクチャーされる。トロリーバスは19番。一番近い乗り場は自由記念碑。チケットはファストフード店でも買えるが、運転手に直接支払ってもよいらしい。
フリータイム終了後、徒歩観光を再開。未婚の貿易商人による友愛会の会館「ブラックヘッドの会館」は、リガを代表する建築物。本来のものは15世紀に建てられたが、第二次世界大戦でドイツ軍の空襲でことごとく破壊され、近年見事に復元された。彫金細工と彫刻で飾られた外観が独特で、月、火、時間、月齢を刻む大時計が印象的だった。次は、18世紀に木造から現在の石造りに改築されたという「聖ペテロ教会」。高さ123mの塔にある展望台からはリガの街を一望できるらしいが、登る時間はなく、やむなく断念。最後は「リガ城」。かつては軍事的な拠点であったが、大規模な改築が施され、現在は大統領官邸。

ブラックヘッドの会館
ブラックヘッドの会館
リガ城
リガ城

リガでのミッションは、美術館・クルーズ・建築群

リガ城で予定されたリガ観光はすべて終了。ここでいったん解散して「昼食付きルンダーレ宮殿観光」のオプショナルツアー組とフリータイム組に分かれる。14人がオプショナルに参加したが、私たちを含め7人が不参加。私たちが事前に企画したリガのフリータイムでのミッションは、次の3つ。
①リガ証券取引所美術館を観賞する。
②遊覧船クルーズでリガの街を1周。
③ユーゲントシュティール建築群を眺める。

迫力満点のパイプオルガンコンサート

3つのミッションの前にパイプオルガンコンサートを聴くために大聖堂に向かう。朝大聖堂の前を通ったときにコンサートの立て看板を見つけ、添乗員から時間があるなら、行ってみたらと勧められていた。入口で入場料10€(1,200円)を支払って中に入ると、すでに多くの聴衆が席を埋め尽していた。どこでオルガンを弾いているのか分からなかったが、スクリーンで演奏風景を投影するというサービス付き。生のパイプオルガンは、身体の中まで響くような感じで迫力満点。まったく予定していなかっただけに思わぬ感動をもたらした。演奏終了後、ようやく聖堂入口の上部のテラスに演奏者が姿を現し、聴衆はスタンディングオベーションで拍手喝采。

大聖堂のパイプオルガン
大聖堂のパイプオルガン
パイプオルガンの演奏者
パイプオルガンの演奏者

浮世絵が展示されていたリガ証券取引所美術館

40分ほどの演奏を聴いたあとは、リガ証券取引所美術館。入場料は6€(720円)。海外旅行をするたびに必ず1つは美術館を巡りたいと考えている私たちには、今回のツアーの唯一の美術館。誰の作品かは不明だが、見覚えのある絵画を数枚見つける。それに海外では珍しいことに日本の浮世絵が展示されていた。小さな美術館で20分もあれば、すべて観賞し尽くした。
証券取引所美術館から2つ目のミッション、遊覧船クルーズの乗り場がある自由記念碑に向かって歩いていると、洒落たカフェの前で綺麗なお姉さんに呼び止められる。そういえば、昼食はまだだったので、テラス席に座り、遅めの昼食。写真付きのメニューからベーコンとキノコをクレープの皮のようなもので包んだトルティーヤ風の料理とビールをオーダー。クレープと思われたのは、ジャガイモだったが、意外と美味しかった。

美術館に展示された浮世絵
美術館に展示された浮世絵
トルティーヤ風の料理
トルティーヤ風の料理

のんびり遊覧船クルーズを楽しむ

お腹がいっぱいになったところで、自由記念碑の近くの乗り場に向かう。自由記念碑は、935年の独立を記念して建てられた巨大な石碑。ソ連時代でも壊されずに残っている。乗船口で船長にリガ観光局のホームページで見つけた割引券を印刷したものを提示すると、すんなりと正規料金18€(2,160円)を15€(1,800円)に割り引いてくれた。
私たちを乗せた遊覧船は、ゆっくりと運河を南下。バスターミナルと中央市場の間を抜けてダウガヴァ川に入る。アクメンス橋とヴァンシュ橋の下を潜り、リガ港まで来ると、再び運河に戻り、乗り場に至る行程。のんびりと旧市街を1周して伝統的な建物を違った角度から見ることができた。

遊覧船
遊覧船
遊覧船から見た中央市場
遊覧船から見た中央市場

見事な装飾が施されたユーゲントシュティール建築群

遊覧船クルーズを楽しんだあとは、自由記念碑からエスフラナーデ公園を横ぎり、さらに北上して3つ目のミッション、ユーゲントシュティール建築の宝庫であるアルベルタ通りに向かう。ユーゲントシュティールとは、ドイツ語で「アールヌーヴォー」を意味し、19世紀後半にヨーロッパ各地を席巻した新芸術様式。中でも建築分野に強い影響を及ぼした。その特徴は、過度に装飾されたデザイン。曲線や植物紋様を多用し、デフォルメされた人体像なども使われている。ユーゲントシュティールの到来は、ちょうどリガの大建築ブームと重なり、1900年頃から始まって十数年間という短い期間で、膨大な数の多様な建築物を残したという。アルベルタ通りからストレールニエク通りを見て歩いたが、見事な装飾が施された数多くの歴史的建造物に圧倒された。一見に値するすごい街並みだった。

アルベルタ通り
アルベルタ通り
ストレールニエク通り
ストレールニエク通り

リガで安く・早く・美味しい食事を楽しむならリド!

徒歩で旧市街に戻ることにしたが、歩き疲れたためクロンヴァルダ公園のベンチでしばし休憩。午前中の雨が嘘のように天気がよくなり、汗ばむ陽気。ミネラルウォーターで喉を潤し、気をとり直して旧市街を目指す。お土産にバルトのハーブを使用したハンドクリームを調達しようと、現地ガイドおすすめのコスメのお店を探したが、見つからず、諦めてガイドブックに載っているお店でハンドクリーム5個を購入。
そうこうしているうちに薄暗くなり始めたので、大聖堂の近くにある「リド(Lido Alus Seta)」というレストランで夕食。予めネットで調べたお店。リガで、安く・早く・美味しい食事を楽しむならイチオシのレストラン。セルフ形式で料理の実物を見て注文できるので、メニューが読めなくても、安心して注文できるのが、日本人には大好評。メインディッシュにシシカバブとチキン。前菜にミネストローネスープと野菜サラダ。それにビールとイチゴパフェのデザートまで付けて、2人で21€(2,520円)。かなりリーズナブルな値段で、ネットの口コミがよいのが頷ける。
帰りは、添乗員に教えてもらった通り自由記念碑近くのバス停から19番のトロリーバスでホテルに戻る。リガのトロリーバスは、ヴィリニウスと異なり、車内に次のバス停が表示されるため、乗りすごす心配がなかった。昨日行ったスーパー(MAXSIM)に今夜も立ち寄ってミネラルウォーターを調達。無事に戻れたという安心感と歩き疲れた疲労感で早々に就寝。

リド(Lido Alus Seta)
リド(Lido Alus Seta)
シシカバブと野菜サラダ
シシカバブと野菜サラダ

5日目 エストニアの文化・学問の中核 タルトゥ

6時30分起床。7時から1階のレストランで朝食。メニューは前日とまったく同じ。いつものように軽めに済ます。このホテル、建物の増築により廊下が迷路のように入り組んでいて複雑。玄関まで離れていることもあり、ポーターサービス付き。レストランに降りる前に廊下にスーツケースを出しておくと、バスまで運んでくれていた。
8時にバスでホテルを出発。エストニアの文化・学問の中核を担い、「精神的首都」とも呼ばれているタルトゥに向かう。タルトゥは、バルト全体で2番目に古い都市。11世紀に交易の中心地として繁栄し、ユネスコ無形文化遺産「歌と踊りの祭典」がはじめて開催されたところ。街の中心にあるタルトゥ大学は1632年創立。インターネット電話「スカイプ」を生み出したIT先進国エストニアの優秀な学生が集まり、タルトゥは、優秀な人材を輩出する学問都市としても有名。

学問都市タルトゥを散策!

途中ドライブインでトイレ休憩。トイレの使用は無料。しかし、添乗員から安いものでよいので、お礼の気持ちで何か1つ買ってほしいとのこと。ミネラルウォーターを購入。500ml 1本が0.69€(80円)、物価は安い。
12時すぎにタルトゥに到着。旧市街のレストランで昼食。前菜はニシンのマリネ。ホワイトクリームが添えられ、ニシンの生臭さをクリームが消してくれたが、味はかなり微妙。主菜はチキンのグリルにチャーハンのようなご飯添え。これが見た目よりも美味しくて食が進み、完食。
昼食後、タルトゥを散策。「散策」とは、現地ガイドが付かずに勝手に観光すること。添乗員と一緒にレストランから旧市庁舎まで歩くと、中央で抱き合ってキスをする銅像の噴水があるラエコヤ広場。この噴水が街のシンボル。ラエコヤ広場からトーメの丘を登り、「天使の橋」と「悪魔の橋」を渡ったところでいったん解散。あとは自由に散策するフリータイム。

キスをする銅像の噴水
キスをする銅像の噴水
天使の橋
天使の橋

外壁に見事な塑像が飾られた聖ヨハネ教会

ツアー一行と離れ、丘の頂上にある大聖堂を目指す。15世紀に完成したといわれている大聖堂は、16世紀の宗教改革で廃墟となり、今は建物の一部が改修され、タルトゥ大学の歴史博物館として使われているが、ほとんど遺跡といった感じ。
トーメの丘を下り、タルトゥ大学の北側にある聖ヨハネ教会まで足を運ぶ。聖ヨハネ教会は、14世紀にリューベックの職人たちによって建てられた教会。外壁と内部に装飾された素焼きの塑像で有名な教会であったが、たび重なる戦争でほとんどが破壊された。現在は修復工事が完了し、教会としての活動を再開。外壁には塑像の複製が再び飾られ、オリジナルの塑像の一部は、教会内に展示されていた。1人2€(240円)のお布施を払えば、鐘楼に登れるというので、早速チャレンジ。それほど高くはなかったが、タルトゥの街を一望できる見晴らしだった。

廃墟となった大聖堂
廃墟となった大聖堂
聖ヨハネ教会
聖ヨハネ教会

タリンでは、好立地の高級ホテルに宿泊

フリータイム終了後、エストニアの首都タリンに向けてバスで出発。途中風車の形をしたドライブインでトイレ休憩。有料トイレで1人0.5€(60円)。午後5時すぎにタリンに到着。ホテルに直行してチェックイン。ラディソン系の高級ホテルで、旧市街の入口ヴィル門まで徒歩で10分ほどの好立地。1・2日目のヴィリニウス、3・4日目のリガ、5・6日目のタリンと、だんだんとホテルの立地がよくなり、グレードが上がっていく。これぞ、まさに「H社マジック」。チェックインしたあと、夕食まで時間があるので、添乗員の案内でヴィル門まで歩いてみる。ホテルの近くに大きなショッピングセンターがあり、スーパーやレストラン、ブティックや書店などが軒を並べている。帰りにスーパーに立ち寄り、ミネラルウォーターを調達。
夕食はホテル2階のレストラン。前菜は、モッツアレラチーズが入った野菜サラダ。メインは、豚ヒレ肉のグリルのご飯添え。デザートは、生クリームがかかったイチゴとコーヒー。前菜はまずまず。ヒレ肉は柔らかくて美味しかったが、ソースが甘すぎたのが難点。デザートは文句なし。高級ホテルだけあって、食事は満足できる内容だった。5月とはいえ、夜9時をすぎても外は明るく、10時になってようやく暗くなり始める。

風車風のドライブイン
風車風のドライブイン
ラディソン系の高級ホテル
ラディソン系の高級ホテル

6日目 「おとぎの国」と呼ばれるに相応しいタリン!

朝からあいにくの雨模様。4日目のリガ観光の開始1時間ほど雨に降られたが、軍事博物館から出てきたときには、雨がやんでいた。今日はどうだろうかと心配しながら、朝食を済ませる。
8時バスでタリン歴史地区観光に出発。タリンは、中世で時が止まったかのような「おとぎの国」と形容される街。オレンジ色の三角屋根の家並みと、十字軍の騎士やハンザの商人たちが闊歩した石畳の道が今も残る中世の城塞都市。ロンリープラネットのランキング「Best in Travel」で、2018年もっとも価値のある旅行先に選ばれている。

もとは砲塔だったふとっちょマルガレータ

旧市街の北にある「ふとっちょマルガレータ」の近くでバスを降りる。現地ガイドは、30歳ぐらいのイケメンの長身男性。日本語は話せないが、エストニア語のほか、英語やロシア語など4ヵ国語を話すバイリンガル。
ふとっちょマルガレータは、街の重要な出入口を守るために1529年に建てられた砲塔。直径24m、壁の厚さが4.7mもあり、まさに「ふとっちょ」そのもの。砲弾が発射されなくなってからは、倉庫や兵舎、監獄として使われた。1917年のロシア革命の混乱時に火災に遭い、廃墟となったが、その後修復され、現在は海洋博物館になっている。傘をさしながら、15世紀に建てられた商家の集合体である三人姉妹、ノルウェーの聖人王を祀った聖オレフ教会を外から眺め、再びふとっちょマルガレータの近くまで戻り、バスで旧市街の西側に移動。

ふとっちょマルガレータ
ふとっちょマルガレータ
三人姉妹
三人姉妹

街を見下ろすトームペアは、常に権力の居城!

旧市街の西側は、トームペアと呼ばれる石灰岩の層でできた高さ24m(海抜47m)の丘。街を見下ろすトームペアは、常に権力の居城となり、市議会が支配する下町とは、政治的にも物理的にも厳格に隔てられている。トームペアの一画にあるトームペア城は、かつてエストニア人の砦があった場所に、13世紀に建てられた騎士団の城。外城の中に修道院型の内城がある強固な城で、支配者が替わるたびに補強改築され、現在の姿になったのは18世紀後半。当時の権力者エカテリーナ2世は、知事官邸として使うために改築を命じたので、正面から見ると、城というより宮殿に近い感じ。南側の高さ50mの塔「のっぽのヘルマン」には、エストニアの三色旗が掲げられ、今でも国を象徴する存在になっている。
トームペア城の隣にあるのが、アレクサンドル・ネフスキー聖堂。20世紀初頭に帝政ロシアによって建てられたロシア正教の教会。タリンの街並みとの調和を考えると、異端児的存在。エストニアが独立を果たしたとき、移転する計画があったが、実現しなかったようだ。今もなおロシアの脅威を感じているエストニア人の心情からすると、議会のすぐ前にロシア正教の教会が立ちはだかっているのは、あまり気持ちのよいことではない。教会の中に入ると、ちょうどミサの最中。これまでのカソリック教会と比べて異質な雰囲気がしたのは、気のせいかもしれない。
トームペア城の北側には、大聖堂(トームキリク)がそびえる。13世紀デンマーク人がトームペアを占領したときに建てられ、エストニアでは最古の教会。「聖母マリアの大聖堂」とも呼ばれ、タリンの中心的な教会になっている。

アレクサンドル聖堂
アレクサンドル聖堂
大聖堂(トームキリク)
大聖堂(トームキリク)

タリンでのミッションは、マーケット・城壁・塔

トームペアの北側にある展望台まで辿り着いたときには、雨がやみ、傘が不要になる。ここからは、タリンの街が一望。「おとぎの国」という形容がぴったりの街並みが見渡せる。トームペアを降り、下町にある聖霊教会の前で解散。オプショナルツアー組とフリータイム組に分かれる。オプショナルは「野外博物館と駅裏マーケット散策(昼食付)」。昼食が付いているとはいえ、料金が13,000円もするので、私たちはもちろん不参加。あまり魅力のないオプショナルだったのか、21人中参加したのは9人。私たちを含め12人が不参加。オプショナルも数を重ねるたびにだんだんと参加人数が少なくなっている。
タリンでのフリータイムのミッションは、次の3つ。
①自力で駅裏マーケットを散策する。
②城壁(へレマン塔)を歩く。
③聖オフレ教会の塔に登る。

おとぎの国のような街並み
おとぎの国のような街並み
トームペアからの坂道
トームペアからの坂道

自力で駅裏マーケットを散策

トーム公園を抜け、地下道を潜ってタリン駅の反対側にある駅裏マーケットまで歩く。近代的な建物で多くの食料品や雑貨などの販売店が軒を連ねている大規模なマーケット。お店が多いだけで売られているものは、至って普通の品物。購買意欲をかきたてられることはなく、オプショナルツアーのコースに入れる価値があるかも疑問。お土産になりそうな厚手の靴下を見つけ、2足購入。クレジットカードが使えずキャッシュで支払う。このマーケットで昼食を摂る予定であったが、レストランやカフェが少なく、予定を変更して旧市街に戻ることに。
聖霊教会近くの添乗員おすすめのチョコレート専門店に立ち寄り、お土産用に大量のチョコレートを買い込む。リュックサックが満杯になり、とてもこの荷物を背負って歩く気になれず、いったんホテルに戻ることにした。途中ショッピングセンターのスーパーで昼食用のサンドウィッチを調達。ホテルの部屋で寛ぎながらランチタイム。しばらく休憩したあと、再び旧市街に向かう。

広大な駅裏マーケット
広大な駅裏マーケット
マーケット内の店舗
マーケット内の店舗

周回できない城壁にガッカリ!

ヴィル門を潜り、北に少し歩くと、城壁の入口になっているヘレマン塔。タリンの城壁は、13世紀に木造の城壁が造られたのが最初で、その後街の発展に伴い、何度も補強や増築が繰り返され、周囲には堀や陵郭も造られたという。かつての城壁の長さは2.5km。そのうち1.85kmが現存。入場料3€(360円)を支払って中に入る。7・8mの高さがあり、街の様子がよく分かるが、城壁が分断されているため途中で通行止め。結局元の入口に戻るほかはなく、城壁巡りは、僅か10分で挫折。1周はできなくても、半周ぐらいはできるものと思っていただけに期待外れに終わる。

外から見た城壁
外から見た城壁
城壁の内側
城壁の内側

まさにおとぎの国と形容される眺め!

ヘレマン塔から旧市街の北側、午前中に外から眺めただけの聖オフレ教会に向かう。ノルウェーの聖人王を祀った聖オレフ教会は、13世紀創設。15世紀に大規模な改築が行われ、その後何度か落雷により焼け落ち、1840年にほぼ現在の姿に修復された。124mもの高さの塔は、旧市街でもっとも高い。下から見上げると、その重厚さから恐ろしく感じるほど。3€(360円)の入場料を支払って塔の中に入ると、220段の螺旋階段。息を切らしながら登っていくと、途中休憩用に座席を倒せば椅子になるベンチ。そこでしばし休息して息を整える。15分ほど要してようやく最上階の展望台に到達。ここからの見晴らしは最高だった。パンフレットでよく見かける「おとぎの国」と形容されるタリンの風景写真は、きっとここから撮影されたものだと思う。それぐらい見事な眺めだった。

突然現れた煙突掃除夫の像!

聖オフレ教会からライ通りを南に下り、三人兄弟、ブラックヘッドの会館、大ギルドの会館などを眺めながら旧市庁舎があるラエコヤ広場へ。さらにハルユ通りを南下し、エストニア独立戦争戦勝記念碑へ。記念碑の前で記念撮影。ヴィル門まで戻る途中、カメラを持った観光客が挙って映していたのは、「煙突掃除夫の像」。よくできた銅像で、ここでも掃除夫とツーショットの記念撮影。タリンの街を歩き疲れたので、ヴィル門近くのカフェでコーヒーブレイク。しばらくのんびりと休息したが、これ以上観光する気力が湧かず、早々にホテルに引き上げ、5時にはホテルの部屋で寛ぐ。

独立戦争戦勝記念碑
独立戦争戦勝記念碑
煙突掃除夫の像
煙突掃除夫の像

タリンでもリドでディナーを楽しむ

夕食は、ショッピングセンター内にある「リド(Lido Bistroo)」で食べることにした。昼食を調達するためにスーパーに立ち寄った際、リガで利用したレストラン「リド」がセンター内にあることが判明。セルフ形式でメニューが読めなくても、安心して注文できるので、タリンでも利用することにした。リガの店よりも、広く明るく、品数も豊富。メイン料理は、白身魚のグリルとチキンのロースト。3種類の野菜サラダ、スープ、パン、イチゴパフェのデザートにビール。昼食を軽めに済ませたため、盛たくさんの料理を注文してしまったが、2人で26€(3,120円)。リガと同様とてもリーズナブル。塾帰りの小学生たちの一行が押し寄せていたためレジで随分待たされたことと、パンの味がイマイチだったことを除くと、ほぼ満足した食事。バルト最後のディナーを楽しむことができた。

チキンローストとスープ
チキンローストとスープ
白身魚とイチゴパフェ
白身魚とイチゴパフェ

7・8日目 乗継の合間を利用してワルシャワ観光

帰国の途につく7日目であるが、往路同様タリンからワルシャワに飛び、ワルシャワでポーランド航空の成田便に乗り継ぐ。この乗り継ぎ時間を利用したワルシャワ観光がオマケで付いていた。旅程表では、9:35ワルシャワ着、15:10ワルシャワ発。ワルシャワ滞在は僅か5時間半であるが、この5時間半を無駄なく活用して観光する。このパターンは、北欧旅行のヘルシンキで経験済み。
6時起床。7時ホテル出発の予定で、6時45分にロビーに集合すると、ブレックファースト・ボックスが配られていた。ボックスの中身は、サンドウィッチとクロワッサン、オレンジジュースとミネラルウォーター、バナナ1本。液体類は機内に持ち込めず、空港のセキュリティ検査で没収されるので、ミネラルウォーターはホテルに残し、バスの中でサンドウィッチとオレンジジュース、バナナを食べ、クロワッサンは、機内に持ち込むことにした。
15分ほどでタリン空港に到着。早朝のため空港内は閑散としており、チェックインもスムーズ。タリン~ワルシャワ、ワルシャワ~成田の2枚の搭乗券を発券してもらう。預けたスーツケースは、ワルシャワを通過して成田で受けとる手はず。定刻よりも10分早い8:45にタリンを離陸。機内でクロワッサンを食べる。

空港の床に描かれた地図
空港の床に描かれた地図
旧市街の市場広場
旧市街の市場広場

スーツケースを預けたままワルシャワ観光に出発!

9:15予定よりも20分も早くワルシャワに到着。タリン~ワルシャワの所要時間は1時間30分。スーツケースを預けたまま、身軽にワルシャワ観光に出発。地理的に大国に囲まれていたポーランドは、歴史上何度も大国の支配下に置かれる。現在のドイツであるプロイセン、フランス、ロシアなどに領土を分割され、世界地図からポーランドという国そのものが消滅したこともある。第一次世界大戦の終結とともにポーランドは、ようやく独立を果たしたが、その後さらに壊滅的な状況に陥る。第二次世界大戦が勃発すると、ナチス・ドイツがポーランド領土を侵攻し、ポーランド政府はパリに亡命。ナチス・ドイツは、ポーランドで暮していた多くのユダヤ人を弾圧。この弾圧に対して民衆の抵抗運動が起こると、ナチス・ドイツは、ポーランドの街を破壊してしまう。戦後再び独立を果たしたポーランドであるが、街は壊滅状態。しかしポーランドの人びとは、決して諦めなかった。崩れた瓦礫を使って、建物の「壁のひび1本に至るまで」を完全に復元。何度も国の存亡の危機に陥り、建物を破壊し尽くされても、決して諦めなかったポーランド人。この祖国に対する誇りと愛着が評価され、1980年「ワルシャワ歴史地区」として世界遺産に登録される。ワルシャワは、音楽家ショパンが半生を過ごした街、科学者キュリー夫人が生まれた街としても知られている。

人魚の像
人魚の像
バルバカン
バルバカン

祖国ポーランドをこよなく愛したショパン

空港からバスで30分、旧市街に到着。旧王宮前の駐車場でバスを降り、徒歩で旧市街を散策。正式な観光ガイドではないが、アシスタントの若い女性が一緒に歩いてくれた。彼女は、ワルシャワ大学の日本語学科を卒業。在学中に1年間神戸大学に留学した経験があり、流暢とはいえないが、日本語会話にはまったく支障がない。
まず向かったのは、人魚の像。ポーランド人の心のふるさと「ヴィスワ川」の人魚伝説から、ワルシャワの守り神としてシンボル化。この人魚の像以外にも、ワルシャワではいろいろなところに人魚の像が出没するが、人魚は必ず剣と盾を手にしているらしい。
人魚の像からキュリー夫人博物館の前を通ってバルバカンに向かう。バルバカンとは、赤レンガ造りの円形状の砦。15世紀から16世紀にかけて造られ、火薬庫や牢獄として使われていた。第二次世界大戦時にナチス・ドイツによって破壊されたが、戦後復元。内部はお土産物屋として名産の琥珀や民芸品が販売されている。
旧市街の市場広場から少し離れた聖十字架教会まで歩く。聖十字架教会は、ショパンの心臓が保管されている教会として有名。祖国ポーランドをこよなく愛したショパン。祖国に戻れないままパリで死亡したが、「自分の心臓を取り出し、祖国ポーランドに持ち帰ってほしい」という遺言を残したため、ショパンが通っていたこの教会で保管されることになったという。自由に教会の中に入ることができたが、ミサの最中で多くの信者が集まっていたので、ショパンの心臓が納められた柱を確認して早々に退散。

聖十字架教会
聖十字架教会
ショパンの心臓を納めた柱
ショパンの心臓を納めた柱

ワルシャワ散策でツアー観光はお終い!

聖十字架教会の通りを挟んだ向かい側がワルシャワ大学。アシスタントの彼女が母校ワルシャワ大学のキャンパスを案内してくれて、ワルシャワ散策はお終い。ここでいったん解散。
12時30分旧王宮前の駐車場に集合。バスで空港に向かう。空港のセキュリティ検査と出国審査は、混雑もなく、スムーズに通過。搭乗時刻まで時間があったので、カフェでサンドウィッチとコーヒーで遅めの昼食を摂る。飛行機は、定刻より15分遅れて成田に向けて離陸。

到着時免税店で免税品を購入

ほぼ定刻の8時30分、成田に着陸。飛行機がかなり端の方に停められたため、入国審査場まで10分ほど歩かされる。2017年度の税制改正で帰国時にも免税品が買える「到着時免税店」が導入され、昨年の12月から成田空港にも免税店がオープンした。スーツケースを受けとるターンテーブルのフロアの隅に免税店があったので、タバコを購入。
いつものようにトイレで歯磨きと洗面を済ませてスーツケースが出てくるのを待つが、なかなか出てこない。ツアーメンバーはみな同じで、どうやら乗継便を利用したスーツケースは、後回しにされているようだ。受けとり客が疎らになってようやくスーツケースを受けとる。添乗員にお礼の挨拶をしたあと、税関はいつものとおりフリーパス。余裕で9:58発スカイライナーに乗車、日暮里と池袋で乗り換え、お昼前には、所沢の自宅に戻ることができた。

ワルシャワ大学の正門
ワルシャワ大学の正門
大統領官邸の衛兵
大統領官邸の衛兵

バルト3国旅行の感想

(1)見どころ満載のバルト3国だった。北欧とも、中欧とも違う独自の歴史と文化をもつバルト3国。そしてひと口にバルト3国といっても、リトアニア、ラトビア、エストニアのそれぞれの国で微妙に違った文化や風情を感じとることができた。

(2)無駄な費用を支払いたくない私たちは、基本的にオプショナルツアーは不参加。最近のH社のオプショナルツアーは、ぼったくりの料金設定。今回も例外ではなかった。その分フリータイムが多くなり、事前にきちんとした計画を立てなければならなかった。今回は計画が欲張りすぎて、かなりハードなスケジュールになってしまった点は反省点。

(3)今回のツアーでは、昼食3回、夕食2回が付いてなかったが、事前にネットでリサーチしていた「リド(Lido)」がリーズナブルな価格で美味しく食べられたのはラッキーだった。外食の場合、昼食はともかく、夕食は事前のリサーチが不可欠だと思われる。

(4)添乗員がとても気さくで気配りができる人だった。ホテルまで戻るバスの乗り方など、オプションに参加しない人に対しての配慮も怠らず、とてもよくしてくれた。スリランカで酷い目にあっただけによい人でとても助かった。

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