バルト3国旅行記

2019年5月19日~26日(8日)
ヴィリニウス、カウナス、シャウレイ、リガ、タルトゥへ、タリン

スリランカ旅行記

2019年1月20日~26日(7日)
コロンボ、シギリヤロック、キャンディ、ゴール、ポロンナルワ

ポルトガル旅行記

2018年4月13日~20日(8日)
リスボン、ポルト、コインブラ、オビドス、ナザレ、バターリャ

ベトナム旅行記

2017年12月18日~23日(6日)
ホーチミン、フエ、ホイアン、ミーソン、ハロン湾、ハノイ

イギリス旅行記

2017年4月18日~25日(8日)
ロンドン、湖水地方、コッツウォルズ、コンウイ、オックスフォード

カンボジア旅行記

2016年12月9日~13日(5日)
シェリムアップ、アンコールワット、プレアヴィヒア、ペンメリア

北欧旅行記

2016年7月5日~12日(8日)
コペンハーゲン、オスロ、ベンゲル、ストックホルム、ヘルシンキ

クロアチア旅行記

2015年3月3日~12日(10日)
リュビリャーナ、ドブロヴニク、コトル、モスタル、スプリット

オランダ・ベルギー旅行記

2014年5月26日~6月2日(8日)
ブリュッセル、ブルージュ、ゲント、アムステルダム、ケルン

中欧旅行記

2013年8月19日~26日(8日)
ウィーン、プラハ、ドレスデン、プラチスラバ、ブダベスト

スイス旅行記

2012年8月26日~9月4日(8日)
ツェルマット、グリンデルワルト、ベルン、チューリッヒ

香港・マカオ旅行記

2011年12月25日~28日(4日)
香港、マカオ

フランス旅行記

2011年8月29日~9月5日(8日)
パリ、ロワール、モンサンミッシェル、ルーアン、ヴェルサイユ

スペイン旅行記

2010年8月23~30日(8日)
マドリッド、トレド、セビリア、グラナダ、ミハス、バルセロナ

イタリア旅行記

2008年8月7日~14日(8日)
ミラノ、ヴェネツィア、フィレンツェ、ピサ、ベローナ、ローマ

台湾旅行記

2009年8月30日~9月2日(4日)
台北、高雄

韓国旅行記

2007年3月26日~29日(4日)
ソウル、水原

海外旅行記

ゲレルトの丘からの眺望(ブダベスト)
ゲレルトの丘からブダベストを望む

中欧旅行記

《日程表》

日 程 主なスケジュール
初 日 11:15成田発オーストリア航空直行便。16:40ウィーン着。(ウィーン泊)
2日目 午前:ウィーン歴史地区(シェーンブルン宮殿、王宮、シュテファン寺院、ケルントナー通り、トラム乗車)観光。午後:ウィーン美術史美術館見学。ハイリゲンシュタット観光。ホイリゲディナーの夕食後、クラシックコンサートを鑑賞。(ウィーン泊)
3日目 午前:チェコのチェスキー・クルムロフへ。午後:チェスキー・クルムロフ歴史地区観光。観光後、チェコの首都・プラハへ。(プラハ泊)
4日目 午前:ドイツ国境を越えてドレスデンへ。ドレスデン(ツヴィンガー宮殿、ゼンパーオペラ、フラウエン教会)観光。昼食は古城ホテルで。午後:プラハに戻り、プラハ歴史地区(プラハ城、プラハ最古の石橋・カレル橋)観光。(プラハ泊)
5日目 午前:スロバキアのプラチスラバへ。途中、レドニツェ(レドニツェ城・庭園)観光。午後:プラチスラバ観光。観光後、ハンガリーのブダベストへ。(ブダベスト泊)
6日目 午前:ドナウベント(エステルゴム大聖堂、センテンドレ)観光。午後:ブダベスト(マーチャーシュ教会、漁夫の砦、ゲレルトの丘、くさり橋)観光。途中、地下鉄の乗車体験。フォークロアディナーショーの夕食後、ドナウ川ナイトクルーズ。(ブダベスト泊)
7・8日目 ホテルから直接ウィーンの空港へ。13:30ウィーン発オーストリア航空直行便。07:40成田着。

初日 旅行先をトルコから中欧に変更

今年の海外旅行は、財政難のためヨーロッパよりも比較的料金が安いトルコに行くことにして、すでに申し込んだのだが、連日、トルコの主要都市での大規模な反政府デモの報道。テレビのニュースでは、イスタンブールの市街地でバスや車が黒焦げになっている映像を放映。2ヶ月先とはいえ、このような事態が起こっているところに旅行するのは無謀だと判断し、急遽トルコ旅行をキャンセルすることに。
代替する行き先には、ドイツ、ドイツ・オーストリア、オーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリーの中欧4ヵ国の3つが候補に挙がったが、如何せん、予算はトルコを想定した分しか確保していないため、いずこへ行こうと、贅沢は許されず、リーズナブルなツアーを選ばざるを得ない。熟慮した結果、欲を出してオーストリア・チェコ・スロバキア・ハンガリーの中欧4ヵ国にプラスしてドイツのドレスデンを周遊するツアーを選択。旅行会社は、昨年同様にH社。「ハイライト中欧8日間」と銘打つツアー。過去10,000人以上が参加したという人気のコースなので、コストパフォーマンスが良いと判断。オーストリア航空の往復直行便も魅力的。いくらリーズナブルとはいえ、ツアー料金はトルコに比べると2割程度経費が嵩むが、やむを得ない。

5ヵ国周遊も両替外貨はユーロのみ!

所沢6時54分発の特急に乗車。JR高崎線が信号機トラブルのため遅延していたが、JR山手線に遅れはなく、難なく日暮里に到着。ネットで予約し、ファミリーマートで購入した7時58分発スカイライナーに乗車し、9時前には成田空港に到着。
H社の受付で、チェックイン済みの航空券とイヤホンガイドを受けとり、スーツケースをオーストリア航空のカウンターに預ける。夏のシーズンのため人出が多く、両替所が混み合い、ユーロに両替するのに思いのほか時間がかかる。今回は5ヵ国周遊の旅。ユーロ圏は、オーストリア、ドイツ、スロバキアの3ヵ国で、チェコとハンガリーは、それぞれ独自の通貨コルナとフォリント。すべてユーロで賄えるという添乗員の助言で、両替はユーロのみ。添乗員は、30代半ばの女性で、ボリュームのあるパワフルな人。
出国審査前に、ツアー客29人が集合し、添乗員から簡単な説明を受ける。ゲートを潜ったあとは、いつものように免税店で買い物。オーストリア航空の搭乗時刻が通常よりも早く、カフェには入らず、ソファで時間を潰す。飛行機は定刻通り11時15分に成田を離陸。
機内では映画を観ることに専念するつもりだったが、JALやANAなどの国内航空会社に比べると、オーストリア航空は映画の種類が少ない。邦画は1本のみで、洋画もそれほど多くなく、日本語訳のあるものは、数が限られる。食指をそそられるものは、「ダイハード4」と「ダイハード・ラストデイ」。私たちだけではなく、周りの大半の乗客も同じものを観ていた。

トラム(路面電車)
トラム(路面電車)
散歩で見かけた教会
散歩で見かけた教会

ホテル周辺をのんびり散歩!

順調なフライトで、予定よりも20分も早く、現地ヨーロッパ時間15時40分、オーストリアの首都ウィーンに到着。EU圏内の出入国審査が簡略化されているので、入国審査はパスポートを見せるだけ。空港からは、バスで40分でホテルに到着。中途半端な時間帯で、夕食替りに軽食の入ったボックスが配られる。ボックスの中身は、サンドイッチ、野菜サラダ、ミネラル・ウォーターと果物。
ホテルの部屋で軽食を食べながらのんびりしたが、まだ外は明るく、日が暮れる気配がしないので、ホテル周辺を散歩することに。1時間ほどブラブラしたあと、ホテルに戻ってシャワーを浴び、幾分寝不足のため早めに就寝。

2日目 ウィーンでオーケストラコンサートを楽しむ

早めに就寝したにもかかわらず熟睡できず、何度も目が覚め、6時には諦めて起きることに。7時すぎレストランに降りて朝食を摂る。日本人観光客が多く、バイキングメニューにご飯、味噌汁、梅干しなどの和食が用意されていたが、それには目もくれず、ハム・ウインナー・ベーコン・スクランブルエッグに、パン、オレンジジュース、コーヒーなどの純洋食を選択。パンはフランスパンを小さくしたもので、可もなく不可もない。

ベルサイユと雰囲気が似ているシェーンブルン宮殿!

8時45分、バスでホテルを出発し、シェーンブルン宮殿に向かう。10分もしないうちに到着。シェーンブルン宮殿は、ハプスブルク家の夏の離宮として17世紀末に造営が始まり、マリア・テレジアの時代に完成。宮殿の裏側に広大な庭園が造られ、どこかフランスのベルサイユ宮殿と雰囲気が似ているが、こちらは至って地味。煌びやかな派手さはなく、外壁は女帝が好んだとされるマリア・テレジアン・イエローで統一。ウィーンの街そのものが質素で、パリと比べると落ちついた感じ。現地ガイドは、30代半ばの日本人女性。品がよく、ウィーンがとても似合っている人で、長く住んでいるようだった。
短いフリータイムで、広い庭園を散策し、宮殿をバックに写真撮影。宮殿からバスでウィーンの中心部に向かい、シュテファン寺院で下車し、ここでも写真撮影。モザイク模様の美しい屋根が印象的。予定を変更して、道路が渋滞する前に郊外に行くことになり、ベートーベンゆかりの地・ハイリゲンシュタットに向かう。ベートーベンが散策したという森の散歩道をツアー客全員で歩く。20分ほどで、ベートーベンが遺書を残したとされるハイリゲンシュタット遺書の家に到着。中を見学するが、小さな普通の民家なので数分で見終わる。遺書と楽譜、それにベートーベン自身のデスマスクが展示。遺書は、甥(弟の息子)に宛てたもので、ベートーベンは、子供がなく、甥に全ての財産を相続させたようだ。
ウィーンの銀座通り・ケルントナー通りに戻り、通りをブラブラしたあと、レストランで昼食。前菜替りのスープ(日本の吸い物風)に、主菜は名物シュニッツェル(叩き伸ばした豚肉のフライ)。味は想像していた以上に美味しく、かつてイタリアのミラノで食べてがっかりしたミラノ風カツレツより数段上。デザートは、名物・ザッハトルテ。不味くはないが、甘すぎる。

シェーンブルン宮殿の庭園
シェーンブルン宮殿の庭園
ハイリゲンシュタット遺書の家
ハイリゲンシュタットの家

トラム(路面電車)に体験乗車!

昼食後、ケルントナー通りの駅からトラム(路面電車)に乗ってウィーン美術史美術館に向かう。僅か5分の貴重な体験。ウィーンでは、バスや電車に改札や検札がない。性善説を実行しているようだが、ときどきそれをチェックする係員が巡回し、無賃乗車が見つかったときは、かなりの罰金をとられるらしい。
ウィーン美術史美術館は、宮殿を美術館に転用しており、展示されている美術品だけではなく、建物そのものにも価値がある。雰囲気がパリのルーブル美術館に似て、ルーブルの小型版という感じ。ブリューゲルの「バベルの塔」「雪中の狩人」、ラファエロの「草原の聖母」、ベラスケスの「青いドレスのマルガリータ王女」が必見。そのほかルーベンスやレイモンドの名作も展示。
1時間30分、名画を堪能したあと、徒歩で王宮に向かう。この王宮は、13世紀後半から20世紀初頭まで600年の長きにわたり、ハプスブルク家の居城と使われていた宮殿。中には入らず、王宮をバックに写真撮影。トイレ休憩を兼ねて土産物屋に案内され、そこでお土産用の歌うクマの人形を6つ購入。因みに、1つ10ユーロ。
ケルントナー通りで再びバスに乗車して夕食のレストランへ。夕食はホリゲイディナー。「ホイリゲ」とは、オーストリアのワイン酒場のこと。ワインの作り酒屋が自家製のワインと簡単な家庭料理を食べさせてくれるという触れ込みだったが、連れて行かれたところは、普通のレストラン。前菜は、酢の効いたキャベツと人参のサラダ。メインは、鶏肉と豚肉のソティーで、美味しくいただくが、出されたパンがライ麦パンで、口に合わない。デザートは、アップルパイに生クリームをかけたもので、こちらはまずまず。

ウィーン美術史美術館
ウィーン美術史美術館
王宮前の広場
王宮前の広場

迫力満点のオーケストラコンサートに感動!

夕食後、ツアーの目玉、ウィーン・レジデンツ・オーケストラコンサートを楽しむ。小さな宮殿のような建物の2階がコンサート会場。300人も入れば満席になる広さの部屋。椅子も作りつけではなく、普通の家庭のキッチンにある木製の椅子。会場に合わせて演奏者も総勢11人の小規模なオーケストラ。ヴァイオリンを弾きながら指揮をする人のほか、ヴァイオリンとクラリネットが各2人、ビオラ、チェロ、コントラバス、フルート、オーボエ、ピアノが各1人。演奏曲の大半は、モーツアルトの有名な曲で、観客を飽きさせないように、踊りや歌も交ざり、バリエーションをもたせて観客を楽しませてくれる。休憩を挟み僅か1時間半ほどのコンサート。舞台の近くで聴く迫力満点の演奏に圧倒される。客の大半は、日本・中国・韓国などの東洋人観光客。地元の人はほとんどいないが、一聴の価値あり。
コンサートが終わり、ホテルに戻ったのが10時すぎ。初日にしては盛り沢山で、かなりハードなスケジュールに疲労困憊。ウィーンは、パリのような派手さはなく、地味な街であるが、お洒落な雰囲気が漂っている。さすが芸術の都。車が多く至るところで渋滞し、市民生活を圧迫しているが、その代わりに路面電車網が整備されているところがとてもお洒落である。

ホイリゲ(ワイン酒場)
ホイリゲ(ワイン酒場)
オーケストラコンサート
オーケストラコンサート

3日目 ジュニア・スイートルームに宿泊

前日の寝不足を取り戻すかのように爆睡。レストランで朝食のあと、8時にホテルを出発し、バスでチェコのチェスキー・クルムロフに向かう。
丘陵地帯の高速道路を走っていると、途中、中世の街並みをそのまま残す街が見え隠れする。中でも古い城壁を残したままそれを挟むようにして建てられた家もあり、驚かされることも。中世の街並みが残る道としては、ドイツの「ロマンティック街道」が有名。「ローマ時代の道」という意味で、なぜか日本では意味をとり違えているようだ。

ウィンナーコーヒーを飲んでマグカップをゲット!

トイレ休憩で立ち寄ったドライブインで、ウィンナーコーヒーを注文。濃い目のコーヒーに生クリームがたっぷりとかかったもので、苦味と甘味がミックスされ、微妙に美味しい。3.55ユーロ(460円)でマグカップつき。使ったものではなく、色々な模様の中から好きなものを1つ選べる。コーヒー代でマグカップをもらえたので、何となく得をした気分。
国境を越えて高速道路を下り、一般道を走る。日本ではゴルフ場でしか見られない広々とした草原が眼前に広がる。草原の切れめの段差が少し盛り上がっているのは、トウモロコシ畑。オーストリアは、どちらかといえば山岳地帯で山の起伏が激しいが、チェコに入ると、緩やかな丘陵地帯が続く。
正午にチェスキー・クルムロフに到着。旧市街のレストランで昼食。前菜は、玉葱のクリームソース風のスープ。しかしなぜか味はコンソメ風。かなり微妙な舌触りだが、不味くはない。メインは、牛肉をクリームソースで煮込んだもの。ブルーベリージャムと生クリームをつけて食べるらしいが、甘すぎてとても無理。生クリームを蒸しパンに塗って食べる。

中世の雰囲気をそのまま残すチェスキー・クルムロフ!

チェスキー・クルムロフは、大きく屈曲するヴルタヴァ川に囲まれ、中世の雰囲気をそのまま残す街で、1992年世界遺産に登録。旧市街を見下ろす崖の上に建つチェスキー・クルムロフ城は、13世紀にヴィートコフ家の居城として建てられ、その後何度も増改築が繰り返され、現在の形になる。ゴシック、ルネッサンス、バロック建築が混じり合った複合建築で、ボヘミヤ地方では、プラハ城に次ぐ規模。5つの中庭があり、4番目と5番目の庭の間は、プラーシュティ橋で結ばれている。街全体が世界遺産のためバスの通行が規制され、お城に行くには、崖下の駐車場で降りて徒歩で登ることに。城門まで登ると、街を一望でき、レンガ色の建物で埋め尽くされた中世の雰囲気を残す街並みは、なかなかのもので、さすが世界遺産だと感動。

チェスキー・クルムロフ城
チェスキー・クルムロフ城
チェスキー・クルムロフの街並み
チェスキー・クルムロフ

設備・備品が貧弱なジュニア・スイートルーム!

チェスキー・クルムロフからバスで3時間、ようやくチェコの首都・プラハに到着。着いた早々、市街地の中心部にあるレストランで夕食。前菜はまたもスープ。今回のツアーでよくスープが出る。今回はブロッコリーのポタージュ・スープ。これはまずまずの味。メインは、川魚の鱒の焼き物と大量のジャガイモ。鱒は意外に淡泊で、それなりに美味しく食べられるが、ジャガイモが多すぎて半分以上残す。デザートは、レモンのシャーベット。アイスクリームとシャーベットの中間のようなもので、これは旨い。
ホテルの部屋に入って驚く。ツアーのパンフレットには「ジュニア・スイートルームに宿泊」というキャッチコピーがあったが、たいして期待していなかったが、とんでもなく広い部屋。寝室とは別にリビングがあり、バスもトイレとは別。これほどゴージャスな部屋に泊まるのははじめて。ただし、お国柄か、設備・備品がとても貧弱。ゴージャスな部屋とは正反対に、シャワーのヘッドが壊れていたり、トイレのドアの建てつけが悪かったり、バスルームの備えつけシャンプーがヘアーとボディの兼用だったり。日本では考えられないが、とにかく部屋は立派。
テーブルにエビアンのミネラル・ウォーター(1L)がサービスで置いてあった。さすがジュニア・スイートルーム。翌日はいつもよりも早く7時半出発。早めにシャワーを浴び、10時半に就寝。連泊なので荷物を纏める必要がないのがありがたい。

4日目 バロック建築の「芸術と文化の街」ドレスデン

6時のモーニングコールが鳴る5分前に目覚める。ホテルのレストランで朝食。和食はなかったが、ウィーンのホテルとほぼ同様なメニュー。コーヒーを飲む習慣がないのか、コーヒーがインスタントのように不味いのも変わらない。

ステンドグラスがとても綺麗な聖ヴィート大聖堂!

7時30分にホテルを出発してプラハ城に向かう。プラハの街も歴史地区として街全体が世界遺産に登録されているため、大型バスの乗り入れが規制され、乗降できる場所は3箇所のみ。朝いちばんでカレル橋に向かう。カレル橋は、カレル4世の時代、15世紀初めに完成したゴシック様式の橋。旧市街とマラー・ストラナ地区を結び、全長520mの橋の両側の欄干に30体の聖像が並んでいる。橋を往復したあと、プラハ城に登る。城内に旧王宮や宮殿、修道院などが建てられ、中でも圧倒的な存在感をもつシンボルが聖ヴィート大聖堂。高さ96mの尖塔がそびえる聖堂に入ると、ステンドグラスがとても綺麗だった。
お城見物のあと、バスに迎えに来てもらい、旧市街広場へ。広場を散策し、ボヘミアングラスのお店で、ショッピングとトイレ休憩。ガーネット石のペンダントと指輪を物色するが、気に入ったものが見つからず、買うのを断念。またもバスの乗降場所に戻り、ドイツのドレスデンに向かう。ドレスデンは、陶磁器で有名な古都・マイセンの南東25kmに位置する都市。

カレル橋
カレル橋
聖ヴィート大聖堂
聖ヴィート大聖堂

世界遺産よりも市民の生活を優先したドレスデン!

途中で道路工事による渋滞に遭い、予定よりも遅れてドレスデンに到着。郊外にある古城ホテルでの昼食の予定が、すでに2時近くに。かつての由緒正しき古城を改装したホテルでの食事は、昼食にもかかわらずかなりゴージャス。前菜は、野菜サラダに魚のソティー。メインは、豚ヒレ肉のボイル。デザートは、アイスにムースとオレンジが添えられたもの。今回のツアーで最高の食事に、一同感激して舌鼓を打つ。このホテル、外観の古さを残したままで中だけを改装し、最新の設備を備えつけてある。帰りがけに使わせてもらったトイレがとてもお洒落で、泊まるとかなりの料金をとられそう。
ドレスデンは、ザクセン王国の首都として、かつては「百塔の都」と称され、エルベ川の水路を利用して発展し、商業都市として栄えた都市。バロック建築の「芸術と文化の街」として欧州に名を轟かせ、「エルベ川のフィレンツェ」とも呼ばれるが、第2次世界大戦時の空襲でほとんどが破壊される。東西統一後、街ぐるみの再建作業が続いている。
現地ガイドは日本人女性。とても熱心な人で、第2次世界大戦時で街が破壊されたときの写真を持参して建造物の歴史を紹介してくれる。一生懸命に説明してくれるのはいいのだが、詳しすぎてとてもツアー客が理解できるとは思えない。要点だけを簡単に説明した方がよかったかも。建造物に使われている石は、サガン石という深緑色の石。それが年月を経るにつれて黒くなり、最後は煤を吹きつけたように黒光りする色に変色するのが特徴。バロック建築にとても似合っており、戦後再建するにあたっても、かつてと同様にこの石を使っている。観光用馬車や人力タクシーが街中を往来しているのも、情緒がある。
実は、このドレスデンは、2004年に「ドレスデン・エルベ渓谷」として、一度世界文化遺産に登録されたが、2009年に登録が抹消されている。その理由は、エルベ川に新しい橋を架けたからだという。生活上どうしても橋が必要となり、世界遺産よりも市民の生活を優先させた。懸命な選択だと思う。現地ガイドによると、その新しい橋が間もなく開通するらしい。

レジデンツ城外壁
レジデンツ城外壁
ツヴィンガー宮殿
ツヴィンガー宮殿

ドレスデン観光後、バスでプラハに戻り、市街中心部にある市民会館のレストランで夕食。前菜は、生ハムで巻いたチーズとレタスのサラダ。メインディッシュは、ロールキャベツのご飯添え。ヨーロッパでは、ご飯は主食ではなく、野菜と同様に副菜扱い。サラダはまずまずであったが、ロールキャベツのキャベツが固く、とても美味しいとは言えない代物。デザートは、ブルーベリージャムを包んだ中華饅頭のようなもので、微妙な味。
夕食後、バスでホテルに戻るとすでに9時すぎ。朝が早く、さすがに疲労困憊で、シャワーを浴びると、直ぐに眠くなり、そのまま就寝。

5日目 久しぶりに日本のコーヒーを味わう

6時半に起床してホテルのレストランで朝食。チェックアウトで驚いたのは、サービスだと思ったエビアンのミネラル・ウォーター(1L)が有料だったこと。しかも1本7ユーロ(900円)もする。普通テーブルに置いてあるのは、サービスではないか、と文句をつけようと思ったが、語学力がないので諦め、素直に料金を支払う。ただし、本当は2本飲んでいたが、1本分だけ。

マリア・テレジアの居城として使われたプラチスラバ城!

8時にホテルを出発し、スロバキアの首都・プラチスラバに向かう。途中、オーストリア・チェコ・スロバキアの3国の国境にあるレドニツェ(チェコ)に立ち寄る。レドニツェ城の庭園は世界遺産。城の中には入らず、しばらく間、庭園を各自散策する。帰りがけに駐車場の露店で、添乗員お勧めの温泉クッキーをお土産に買う。
プラハからプラチスラバまで350km、プラチスラバの市街地に到着したのが1時すぎ。レストランで遅めの昼食。前菜は、人参と素麺のようなものが入ったコンソメスープ。メインは、鱈のムニエル。ともに旨いとはいえないが、不味くもなく、完食。デザートはなし。
食事中のレストランに、流暢な日本語でジョークを交えて話す大柄な中年のスロバキア人女性が登場。添乗員曰く、スロバキアの「大屋政子」と綽名するこの女性が本日の現地ガイド。スロバキアで日本語を話せるガイドは、彼女ただ1人で貴重な存在らしい。
まずはプラチスラバ城に向かう。お城の正門前で写真タイム。プラチスラバ城は、ドナウ川と旧市街を見下ろす小高い丘に建つ街のシンボル的な建物。どっしりとした四角い建物で、4本の塔が四隅に建つ。16世紀にオスマントルコの攻撃に備えてかなり堅固に造り替えられる。18世紀にマリア・テレジアの居城にもなる。お城を見終えると、ほかに見るものがなく、早々に退散し、バスで旧市街に向かう。メイン通りを歩き、マルチン・ルター教会付近を散策して、プラチスラバ観光を終える。添乗員の話だと、長期間の中欧ツアーでも、スロバキアはプラチスラバ以外に見るべきものがないとのこと。

レドニツェ城の庭園
レドニツェ城の庭園
プラチスラバ城
プラチスラバ城

今度こそ無料だったミネラルウォーター!

プラチスラバの観光後、さらにバスで200km、ハンガリーの首都・ブダベストに向かう。この日は移動日で、プラハからブダベストまで550kmをバスで移動。長時間バスに乗っているのもけっこう疲れる。6時すぎにブダベストに到着し、レストランに直行して夕食。前菜は、ハンガリアングヤーシュと呼ばれる名物の野菜スープ。牛肉とジャガイモ、人参などの野菜をパプリカで煮込んだスープで、濃厚で美味しい。メインは、クリームシチュー風の魚にご飯添え。一見豚肉と思えたが、食べてみると魚。微妙な味だが、完食。
8時にホテルにチェックイン。デラックスホテルという触れ込みどおり、インターネットと湯沸の設備があり、テーブルにはミネラルウォーター(500ml)が2本。プラハの件があったので、添乗員に確認すると、ミネラルウォーターは無料とのこと。ただし、ガス入り。早速、湯を沸かして持ち込んだドリップ・コーヒーを淹れ、久しぶりに日本のコーヒーを味わう。部屋の広さこそ、プラハのジュニア・スイーよりも狭いが、それ以外のすべての面においてグレードが高く、期待していなかっただけに大満足。

ドッキリする街中のオブジェ
ドッキリする街中のオブジェ
プラチスラバの旧市街
プラチスラバの旧市街

6日目 ドナウ川ナイトクルーズに感動!

6時に起床。朝食は、ホテルのレストランでバイキング。デラックスホテルだけあって、ウィーンやプラハのホテルよりも品揃えが豊富。

親日家や日本語を話せる人が多いハンガリー人!

8時にホテルを出発してドナウベントに向かう。「ドナウベント」とは、ドナウ川が曲がるところという意味で、ドナウ川がほぼ直角に曲がる両岸にあるエステルゴムとセンテンドレの辺り一帯の総称。現地ガイドは、若かりし頃のポール・ニューマンを彷彿させるダンディなハンガリー人。流暢な日本語を話す。ハンガリー人の祖先は東洋の騎馬民族で、そのため親日家が多く、日本語を話す人が多いらしい。トルコと似ている。
まず、古都・エステルゴムにある大聖堂へ。大きなドームが印象的な大聖堂は、ハンガリー・カトリックの総本山。丘の展望台からドナウ川対岸のスロバキアを望むことができ、見晴らしは最高。この大聖堂をバックに、添乗員が気をきかせて、全員の集合写真を撮り始める。集まったカメラは約25台。すべてのシャッターを切るのに5分はかかり、長く被写体になるもの疲れる。聖堂で販売していたリストのパイプオルガンのCDを買う。10ユーロ。
次は、センテンドレ。通商の要地として古くから栄えてきた街。中央広場を中心に街並みが広がり、セルビア風の教会、小さな美術館やギャラリーが点在するハンガリー屈指の観光地。ここで30分のフリータイム。少し散策したあと、カフェでお茶をする。

ブダベストに戻って昼食。昼食は、名物のパプリカチキン(パプリカソースで骨付き鶏肉を柔らかくなるまで煮込んだ料理)。前菜は、チキンのコンソメスープで、中に白いハンペンのようなもの。スープそのものはそれなりの味で、ハンペンは小麦粉を練って固めたもので、味はなく、食べられなくはないが、美味しくもない。メインのパプリカチキンは、肉が柔らかく美味しく完食。付け合せの酢漬けのパプリカは口に合わず、ひと口食べただけで食べる気が失せる。

センテンドレの広場
センテンドレの広場
ドナウ川の対岸はスロバキア
ドナウ川の対岸はスロバキア

土曜日の午後、教会は結婚式のラッシュアワー!

昼食後、世界遺産のブダベストの街を観光。ドナウ川を一望できるゲレルトの丘にバスで向かう。夜はライトアップされ、若者のデートの聖地で、多くのカップルが集まってくるらしい。ブダベストとは、ドナウ川の両岸、「ブダ」と「ペスト」を合せた呼称で、市の名前。
ゲレルトの丘から再度バスに乗り、王宮の前を通って漁夫の砦とマーチャーシュ教会がある小高い丘へ。ブダベストは世界遺産の割には大型バスの規制は少なく、けっこう近くまでバスの乗り入れが許される。漁夫の砦は、王宮の丘を囲む城壁の一部で、街を分断するドナウ川対岸のペストをブダ側から見渡す絶好の展望台。建築家シュレック・フリジェシュの作で、7つの円塔と回廊から成り立つ。
マーチャーシュ教会は、ベーラ4世によって13世紀半ばにロマネスク様式で建てられた教会が起源で、その後ゴッシク様式で再建され、15世紀には、マーチャーシュ王が高い尖塔を付け加えたという。オスマントルコ軍によって占領されると、モスクへと改装される。しかし、ハプスブルク家の支配下に入ると、再び教会に戻り、バロック様式の装飾が施されたらしい。
ちょうど土曜日の午後。教会は結婚式のラッシュアワー。20分ごとに教会の鐘が鳴り、新婚カップルを祝福する。教会の出口に、新郎新婦を出迎える高級なリムジンが待機していたが、現地ガイド曰く、それはお金持ちの場合で、貧乏人は、ウエディングドレスとタキシードを着たまま徒歩で帰っていくらしい。教会近くのハンガリアンギフトショップに案内され、ショッピングとトイレ休憩。お土産にレースの鍋敷きを6枚購入。ショッピングのあとは、再度バスに乗車してブダ側に向かう。
オペラ劇場前でバスを降り、地下鉄に乗る。今回のツアーのユニークな企画、地下鉄の乗車体験。ブダベストの地下鉄は、ヨーロッパではロンドンに次いで2番目に古く、ヨーロッパ大陸では最古。終点で降りて、エリザベート王妃(「シシィ」という愛称)が愛したカフェ「ジェルボー」でティータイム。コーヒーとケーキでしばし休憩。コーヒーはまずまずだが、チョコレートケーキは甘すぎる。

漁夫の砦
漁夫の砦
結婚式で混雑する教会前
結婚式で混雑する教会前

添乗員イチ押しのドナウ川ナイトクルーズは最高!

その後、フリータイムになり、歩行者天国をブラブラ。いったんホテルに戻ったあと、夕食のフォークロアディナ―ショーに出かける。フォークロアとは、ハンガリーに伝承されるジプシー民謡。途中から観客参加型に様変わりし、舞台に引っ張り出された客は、ワインを飲まされ、踊らされる。食事の方は、酢漬けのサラダと牛肉の叩き。酢漬けは口に合わず、半分も食べられない。牛肉の叩きはカレー味で、美味しくいただく。1時間半近く、飲んで食べて踊って、楽しいひと時を過ごす。今回のツアー、食事はあまり期待していなかったが、それなりに満足できるレベルで、ほぼ合格点。
夕食後は、いよいよメインイベントのドナウ川ナイトクルーズ。添乗員イチ押しのイベントで、「ブダベストに来て、これを見ずには帰れない!」とまで、バスの中で話していた。搭乗した船は、全長20mの中型船で、私たちツアーの貸切り。ドナウ川の河口のベトゥーフィ橋を出発し、中洲のマルギット島の手前でUターンして、もとのところに戻るというコースそのものは何の変哲もないが、夜景の素晴らしさに圧倒される。まず目に入るのは、オレンジ色に統一されたライトで映し出された王宮、マーチャーシュ教会、漁夫の砦。お見事としか言いようがない。原色の派手に照り輝く看板が皆無のため、オレンジ色が一段と映える。船が進むにつれ、ライトアップされたエリザベート橋、くさり橋、マルギット橋が現われる。それぞれに個性を持たせたイルミネーションに、言葉が出ないぐらい感動。ヨーロッパの川クルーズでも、このドナウ川クルーズは最高の部類だと絶賛されるのも頷ける。ツアーの最後の夜が、最高の夜になる。ハンガリーは、派手さはないが、素晴らしいのひと言に尽きる。
夜景の感動も冷めやらないままホテルに戻ると、すでに10時すぎ。急いでシャワーを浴び、12時前には就寝。

フォークロアディナ―ショー
フォークロアディナ―ショー
ナイトクルーズの夜景
ナイトクルーズの夜景

7・8日目 お土産にモーツアルトチョコレートを買い漁る

7日目は、観光はなく、バスでウィーンに戻るだけ。ホテルを7時40分に出発。ウィーンまでの途中、一度トイレ休憩でドライブインに立ち寄り、11時15分に空港に到着。チェックイン・出国審査を済まし、あとは1時30分発のオーストリア航空直行便の搭乗を待つだけ。空港で添乗員お勧めのモーツアルトチョコレートを買い漁る。大小合わせて20個、120ユーロ(15,000円)も買ってしまう。

添乗員が全員分の座席をWebチェックイン!

驚いたのは、チェックイン機にパスポートを翳すと、既に座席が指定されていた。どうやら添乗員が前もって全員分の座席をそれぞれが隣り合わせになるようにWebチェックインをしてくれたようだ。通常は出発前の成田で渡されるEチケットが、今ごろになって配布されたのは、帰りの座席を確保するためにEチケットが必要だったからで、ここまでやってくれる添乗員はまずないだろうと思う。そう言えば、スペインでもスイスでも苦労してWebチェックインをしたことを思い出す。。気になったので、添乗員に尋ねてみると、外国の航空会社では添乗員が顧客のWebチェックインを代行することができるが、日系のJALやANAでは、添乗員の代行は許されず、個人でするほかはないらしい。
飛行機は、定刻の1時30分にウィーンを離陸し、約11時間のフライトを経て、予定よりも20分早い7時20分、成田に着陸。入国審査後に荷物を受け取り、税関も難なくクリア。始発のスカイライナー(8時17分発)まで時間が余ったが、時間を潰す喫茶店を見つけられず、ホームのベンチで炭酸飲料を飲みながら待つことに。日暮里でJR山手線に、池袋で西武線に乗り換え、10時20分、所沢に帰宅。

ゲレルトの丘から眺望
ゲレルトの丘から眺望
添乗員撮影の集合写真
添乗員撮影の集合写真

今回の中欧旅行の感想

(1)今回のツアーでオーストリア・チェコ・ドイツ・スロバキア・ハンガリーの5ヵ国の主要都市を周遊したが、最も印象に残ったのがハンガリー。中でもドナウ川のナイトクルーズは、生涯忘れられない思い出。ハンガリーは、日本人にはあまり知られていないが、中欧では絶好の観光地の1つと言える。
(2)もう1つの気に入ったところを挙げると、ドイツのドレスデン。まだドイツを旅行したことがないが、サガン石で再建されたドレスデンの街は一見の価値あり。何と言っても、世界遺産に媚びずに、市民の生活を優先させる心意気に感服。
(3)予算的な制約があり、リーズナブルなH社のツアーを選んだが、前回のスイス同様、ホテル、食事、観光コースとも期待以上の内容。特に食事は、中欧という場所柄あまり期待していなかったが、それなりの内容で、ほぼ満足。
(4)今回は「ツアーの人数が多く、客層のレベルが低い」というH社の悪評を感じなかった。参加者が29人とそこそこ多かったが、ツアーのメンバーは、夫婦以外には家族連れや母娘・母息子の組み合わせが多く、中高年の女性グループが皆無だったのが、幸いしたと思われる。おそらくヨーロッパツアーでも、中欧は少しマニアックな場所なのだろうか。悪評を感じないと、H社はリーズナブルな割には内容が充実しているため、とても得をした気分。

PAGE TOP ▲