秋下村塾

フランス旅行記H 3月25日 帰国

 

朝6時起床。いよいよこのホテルとも、フランスともオサラバか。
最後の朝食を取り、忘れ物がないか入念に調べて部屋を出る。フロントで お礼を述べ、8日間滞在したホテルに別れを告げる。

荷物が多い為徒歩を断念し、メトロでオペラ座まで行く。8時25分発ドゴール空港行きのバスに乗り、 パリを去った。
バスの中には日本人やらイギリス人(だろう。英語を話していた)やら沢山の人がいる。
市内の渋滞を抜け、高速に入るともう、すぐに空港についた。飛行機の出発は13時。バスで万一のことが あったらマズイと思い、早めに出たけど結局空港で2時間以上待つ羽目になった。

搭乗手続きを済ませ、「フランス」での最後の一服をする。8日前、右も左も分からぬまま とりあえず喫煙所に来たときとは大違いだ。間違いなく得るものを得て帰国の途につけたと思うと 感慨深くなる。
最後の一服を終え、出国ゲートをくぐり待合室で搭乗を待つ。目の前にユニセフの募金箱があったので 記念の1ユーロ硬貨を残し、全ての小銭をその中へ入れる。確かに空港に置くのは良いことだと思う。
余ったお金は20ユーロほど。折角なので残金全てをはたいて煙草を買うことにした。

搭乗までまだ2時間近く。一服しに喫煙所へ向かう。
私が乗るのは行きと同じく大韓航空のインチョン国際空港行きである。その為韓国人の姿も非常に多い。 市内では殆ど他のアジア系外国人に遭遇しなかったが、改めて空港に来ると沢山の韓国人・中国人がいる。彼らは 一体何処にいたのだろう?
そうこうする内に搭乗手続きが始まる時刻が近づいてきた。しかし一向にその気配はない。
待てど暮らせど手続きは始まらず、ついに電光掲示板に「DELAY」の文字が現れた。
まぁしょうがない。どうせ帰るだけだし、遅れた分また一服つきに行こう。でもこの便が遅れた場合、 インチョンでの乗り継ぎはどうなるのだろうか。日本の終電乗り継ぎのように待っててくれるのだろう。

結局遅延情報は2度も続き、予定より1時間遅れて漸く手続きが始まった。
始まったはいいけど、その先に見えるはずの大韓航空機の青い機体は全く見えない。とはいえ すべき方もないので言われるがままに行くと、階段の先にバスが待っていた。
そのバスに乗せられ空港内を走ること約3分、エールフランスの機体が見えてきた。どうやら機体を 変えて出発するらしい。

機体が変わったお陰か、皆隣席が空くという待遇のもと、飛行機は1時間遅れでドゴール空港を 出発した。さらばフランス。また来よう。

機内

目の前にコリアンが座している。先刻から延々と隣のコリアンと話している。男が話し手、女が聞き手のようで、 書類らしきものも見せながら延々と話している。少しは黙れ。ファッキンな野郎だ。機内が暗かろうと 静かだろうと、彼らにはそれが見えないのだろう。
唯一黙るのは食事のときくらいか。それも終わるとすぐにまた喋り始めた。こっちは食後の一服が出来ない イライラもあり、あと一歩で暴言を吐いてしまいそうだった。

結局コリアンは12時間のフライト中1時間くらいしか黙らず、延々と喋っていた。お陰でこっちは 仮眠程度しか出来ず、苛々を抱えたまま、そして1時間遅れでインチョンへとついた。もう当分 朝鮮語は聞きたくない。

韓国

急いで乗り継ぎゲートへ。電光掲示板では「締切り」の文字が書かれていた。
とりあえず向かってみるとやはり、ゲートは閉まっており、飛行機も飛び立った後だった。
途方に暮れてる暇はない。手当たり次第に係員に尋ね、どうすべきか聞くがどいつもこいつも 「知らん」「分からん」果ては英語の通じない輩までいた。
ようやく一人の男性が「乗り継ぎカウンターへ行ってみろ」と教えてくれたのでそっちに 向かった。そこには同様の悩みを抱えて日本人や外国人がおり、「トーキョー行きはこっちのカウンターだ」 のような事を行っている。その列に並び、無事飛行機のチケットを交換してもらった。
交換後のチケットは予定より1時間後のもので、つまり、1時間遅れているこちらとしては 離陸ギリギリなのである。これまた急いで搭乗ゲートに行き、何とか乗ることが出来た。なるほど、 遅れた場合はこのような措置が取られるのか。

インチョン〜成田

帰りの飛行機は色んな意味でダメだった。まず右が韓国人の無愛想なマダム。まぁこれはしょうがないが、 先刻の一件がある為に韓国人そのものを見たくはなかった。
そして左側。いかにも「ヨン様」って感じの日本人オババの集団。沢山土産買ってるなぁ、こいつら。
そして目の前にスクリーン。そのスクリーンには現在何処を飛行中というような地図が出るのだが、 「独島」やら「東海」といった字が嫌でも目に入ってくる。これだからコリアンは嫌いだ。

そんなことを思いつつ、僅か1時間そこそこで成田に到着。入国ゲートで久しぶりの日本語の 会話をし、バッグも無事すぐ見つかり、10日ぶりに日本の大地に足を付けることが出来た。

帰りはやはりスカイライナー。元気があれば秋葉原でも覗いて帰ろうかとも思っていたが、不眠も 手伝い、真直ぐ帰ることを選択。時は土曜の昼下がり。長閑な車窓を見つつ、家へと帰った。

(フランス旅行記 完)

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