秋下村塾

フランス旅行記G 3月24日 学術日

 

昨夜の電話の通り、朝9時にオペラ座に到着。先輩は既に来ていた。

パリへ旅立つ前、私の当初の目的は学術の為というものもあった。だが、直前に 様々なアドバイスを賜り、あまり無理はせず旅の目的を観光へとシフトさせた。
だがそのまま帰るのも何だったので、先にフランスに留学に来ている先輩にコンタクトを 取り、フランスでの勉強の仕方を教わる為に今日一日を設けてもらった。

久しぶりの再会もそこそこに、早速案内をしてもらう。
最初に訪れたのは旧国立図書館である。ここは国立図書館がパリ東南に移動した後も 一部の文書を扱っているところだった。次に案内されたのが国立古文書館である。
この辺りで気付いたが、パリの図書館は日本のそれとは大きく勝手が違う。まず大荷物は 受付で預けるのが義務で、館内を利用する際にも「何故利用するのか?」「貴方の研究は 何なのか?」などと質問される。これは最初のみで、二度目以降はカードを発行するなり データを登録しておくなりで、そういったやり取りは不要となる。
研究分野を聞くのは、それと関係ない資料は渡さないという意味であり、無論思想的に どうとか判断されるものではない。

幸い今日は先輩のお陰で通訳をしてもらうことが出来た。これが一人だったらと思うと・・・。 出発前のアドバイスの意味を漸く知ることが出来た。

続いて本日のメインである国立図書館へ。ここも厳重な警備が施され、入り口では 荷物チェックを受けねばならない。館内に入っても、書庫にはやはり利用者登録が必要であり、 1階にあたる部分は誰でもが利用できるが、階下は研究者専用であり、何らかの趣意書か推薦書が ないと利用できないらしい。とにもかくにも、利用するのが大変である。日本で ほいほいと入って適当に閲覧し、目に入ったものをとる、という手法はここでは通用しない。 全て調べた上で現地に来ないと全く意味をなさないということを知った。

その後はナンテール大などを案内してもらいつつ、昨日買いそびれた私のお土産のお付き合いまで して頂き、夕方に一旦先輩と別れる。「折角だから」ということで夕飯まで御馳走してくれる ことになったのだが、それまで時間があり、互いに歩きつかれた為に一旦帰宅しようということに なったのだ。
ホテルに帰ったはいいものの、明日帰らねばならない為にとても荷造りなどしてる場合ではなかった。
いてもたってもいられず、結局ホテル近辺を徘徊することにした。
ほどなくして夕立が到来。パリに来て初めての降雨である。パリでは滅多に降らないし、降っても 日本のように一日中ではない、と聞いていたが、その為だろうか。とてつもない勢いの雨と雷鳴が 襲ってきた。
幸い近くの軒下で難を逃れ、小降りになってきたところで再び歩き出したが、その先に 広がっていたのは、巨大で、今までに見たことがないほど美しい、虹だった。
先刻の大雨は嘘のように止み、夕焼けの手前にそれは大きな虹がかかっていた。 待ちゆく人も虹を眺めていたが、あまりの綺麗さに暫くみとれてしまった。
結局5分ほど眺め、待ち合わせの時刻も迫っていたのでまた歩き始めた。数分後、振り返った 先に、もう虹は姿を消していた。

午後7時半、再び先輩を会う。先刻の雨と虹の事、ヤバいと思ったが傘を持たず出発したことなどを 話すと「それはパリ式だね」と冗談を言われた。
パリの人は傘をささない。いわゆる本降りくらいの雨でも傘をさす人は半分くらいだ。さっきの 大雨のときでさえ、傘をささず歩いてる人もいたくらいだ。

夕食はレストランに入り、ステーキを御馳走になった。やや味は薄かったが、 久方ぶりの肉のためにとても美味しくいただけた。前菜のサラダもとても美味しかった。

フランスの食事は美味いというが、確かにどれもこれも美味しかった。多少高いのが 鼻につくが、それなりのものを出してくるのでまぁ、しょうがないか。

夕食を済ませ、先輩と別れを告げ、日本への伝言を預かってホテルへと戻る。
今日のフロントは日曜日の彼だった。私の顔を見るや"trois cent neuf ?"と声をかけてきた。 どうやらあの一件以来、覚えてくれたらしい。礼を言って鍵を受け取る。
明日はいよいよ帰国の日だ。最初パリにやってきたときはどうなることかと思ったが、 やはりというべきか、結局帰る頃には名残惜しい気分になってしまった。
そんなことばかり言ってられないので、荷造りをする。持って行った服は殆ど捨てたから 軽くなったかと思いきや、旅先でもらった時刻表やら昨日買った書物やらで行きよりもずっと 重くなってしまった。まぁそれもしょうがない。荷造りも完了し、寝入った。明日が最後かぁ。

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