秋下村塾

フランス旅行記C 3月20日 日曜日

 

昨日の余韻覚めやらぬまま、9時すぎに起床。遅めの朝食をとるが、流石に昨日の行程がキツかったため、 なかなか外に出る気にならず。
つらつらとTVを見ていたら、日本語っぽい叫び声が聞こえた。何かと思って画面を見ると、地震の 映像だった。ちらっと「フクオカ」と言っていた気がしたが、テロップでは「日本の南部」と出るばかりで、 正確な情報が伝わってこない。やや焦ったが、きっと福岡だろうと思い、それ以上の情報も望めなった ため、地震のことはひとまず頭の隅に追いやった。
そんなこんなで11時を周り、ホテルの清掃作業が始まってしまった。何となく居づらくなってきたのでとりあえず 外に出ることに。

今日は日曜日。当初の予定では、日曜休館を良いことに、昨日のデモに参加した労働組合の本部を見学(といっても、 勿論外観だけ)しに行こうと思っていたので、その方角へ向けて散歩を開始。
日本から持参した観光ガイドにも勿論地図は付いているのだが、無論そのような地図に番地までは 書いていない。加えて、フランスの住所は日本のようなきっちりとした番地で表記されるのではなく、 ○○道の△△番、といった形で書かれている。京都の○○上ルみたいだ。その代わり、全ての道に(本当に全ての道。 遊歩道みたいなところにも)名前がついており、大通り・普通の道・小道といった区分けもされている。 ちなみに、道路名の後ろの番号はセーヌ川側が奇数、だったかな。ルールがあるらしい。

さてそんな道路事情もあり、日本から持参した労組本部の住所も地図はなく、その道路名と番号しか記されて いないものだったため、フランスに来てまずミシュランの地図を購入した。
ホテル内でにらめっこの結果、ある程度の位置を把握して出発。

ホテルから歩くこと30分あまり、最初の目的地であるCFTC(キリスト教労働総同盟。かつて 業界2位の組織率を誇ったが、1964年に分裂し、現在は5%以下の組織率に低下)本部に到達・・・したのだが、 何ともみすぼらしい建物だった為、少なからぬショックを受ける。一応建物自体はCFTCのものらしいが、 日本のようにテナントビルなど存在しないパリにおいては、その規模はまさに雑居ビルの一室と同等の 気配さえ漂う風格であった。
知らなかったとはいえ、そのような団体の研究を生活の糧にしようとしていた自分が恐ろしくなる。 「みなかったことにしよう」と心に決め、次なる目的地へ。

次はCFDTの本部である。ここは前述のCFTCから分裂し、現在も組織率2位を誇る団体であり、 日本名はフランス民主総同盟である。ちなみに、組織率1位は昨日のデモでも圧倒的な存在感を演出した CGT(フランス労働総同盟)である。

CFTC本部からCFDT本部はさほど遠くない。いづれもパリ北西に位置している。
つらつらと歩いてると、街中にやたらと木の枝を持った人をみかける。拾ってきたにしては小奇麗で大きさも 統一されている。何かと思っていたら、ちょうど教会の前を通り過ぎたときに、中からその枝を持った人が 大量に出てきた。そう、今日は日曜の為、枝を持っている人は礼拝に来ていた人たちなのだ。

そんなことを思いつつ、CFDT本部付近へ到着するも、それらしい建物は見当たらない。さっきの洗礼が あるので、小さな建物も目を凝らして見るが、一向に見当たらない。同じ付近を行ったりきたりしても よくわからなかったので、目の前にあった大きな公園で一休みすることにした。

この公園が大当たりで、なだらかな芝生や、頂上からの景色などがとても良く、パリの喧騒を忘れさせて くれるものだった。折しも時はお昼時。昼食を持った家族連れなどが楽しんでいた。

ここで写真。今日は設定を間違えた為、小さい写真です。公園の雰囲気と公園からの眺め。

  

一休みも終えて公園から降りてきたら、目の前にCFDTと書かれたビルが目に飛び込んできた。
公園に入る前に探していた道とは向かい側の道だった為、完全に見落としていた場所だった。
めでたくCFDTの本部も見つかり、その本部の綺麗さと大きさに感嘆しつつ、写真を一枚とって そこを後にする。

その後、地震のことも気になったのでネットカフェで情報でも仕入れようと思い、その方角へ向けて 出発。パリ市内は至るところにネットカフェがあるが、折角なので日本語が打てるところに しようと思い、公園からはやや離れたところへ向かう。そこはホテルからもさほど 遠くはないので、今日はそれくらいにして帰ろうと思った。

ところで、パリの日曜は殆どの店が終日閉店である。レストランなんかも軒並み休みで、 食事一つするにも困ってしまう。いちばん驚いたのが、デパートが休館だったことだ。日本で言う 三越クラスのデパートが全て休館だった。後に聞いた話だが、カトリックの国・フランスでは 日曜に休むのは当然で、それはたとえデパートのような業界でも普通だそうだ。フランス人からすると、 日曜でも休みなく働く日本人は奇異に映るのだという。

街を歩いてうすうすそのことに感ずいていたので、嫌な予感はしたが、やはり、行った先のネットカフェも 日曜休館であった。途方に暮れたわけでもないが、することを失ったので、今日はもう帰ろうかと思ったとき、 営業している喫茶店を見つけた。その近辺はいわゆる日本人街で、その店にも日本語が書かれていた。
カフェとマフィンを頼み、2階へ上がる。確かに日本人の姿が多い。

ここなら今朝の地震のことを知ってる人がいるかもと思い、明らかに日本人顔をしている男性に聞いてみた。
結局地震は福岡であったこと、被害はそれ程大きくなかったことを聞き、お互いに暇だったということもあり、 その日はその人と過ごす事になった。
男性は業務でパリに来たばかりで、これから3年居る予定だという。軽くパリ市内を案内してもらい、 日本料理屋で天ぷらを食す。味は・・・まぁ、「ありがた味」といった感じか。決して美味くはなく、 値段も安くはない(というか、普通のパリ食よりも、「やや」高い)。
久しぶりに食した天ぷらと日本酒のおかげで酒の回りも早く、泥酔するほど呑めずに店を出る。

帰宅するにはまだ早かったので、娼婦街がある通りを案内してもらうが、お互いのチキンっぷりを 遺憾なく発揮し、遠巻きに眺めながら通り過ぎた。雰囲気としては小道の入り口に2人の女性が 立ち、そこで交渉して小道に入った先に店があるらしい。歌舞伎町とかによく立ってる街娼のような たたずまいをしている。
その時に気付いたのだが、フランスの女性は皆スカートを履かない。皆デニムなどのパンツをはき、 たまに見かけるスカートを履いた女性は、アジア系(恐らく日本人)か、もしくはここにいる 街娼しか見かけなかった。

酔い覚ましの散歩も終え、夜も暮れてきたので別れを告げる。異国の地である同郷の人というのも、 旅の醍醐味の一つではある。ただし、毎日会うのではなく、8日滞在の中の1日だったこともまた、 良かったのかもしれない。

ホテルに到着。フロントではいつも鍵をもらう時に"trois zero neuf"と言っていた。
私のルームナンバーは「309」であり、日本で言えば「サン ゼロ(マル) キュウ」だ。 だからそのつもりで言っていたのだが、今日はほろ酔い気分も手伝ったので、フロントにいた 男性に聞いてみた。すると"trois cent neuf"という答えが返ってきた。つまり「三百九」と言うのが 正しいらしい。分かったと伝え、礼を言って部屋に戻った。
そのお陰でその日以後、ちゃんと伝えることが出来たようだ。小さいことだけれども、嬉しかった。

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パリ紀行