■イルカ島外伝・再会を期して その2
「助けてくれて、有り難う。」
トリトンは口を開いた。
「良かった。言葉がわかって。身振りだったらどうしようって思ってたんだ。僕は、ピエール。学生なんだ。そして・・」
さっきの青年が自己紹介した。
「私は、ジャック、この船の船長だ。そして、彼が、医者のアラン。君の手当をしてくれた。・・・」
船長が、仲間の紹介してくれた。
今度は、トリトンの番だ。
「僕は、トリトン。」
とたんに、青年が目を丸くした。
「へえ、君、いい名前だね。海の神様の名じゃないか。」
トリトンは、照れて顔を赤くした。
しかし、次の青年の言葉に凍り付いた。
「君の島には、ポセイドンもいるんじゃない?」
トリトンの様子に、気まずい雰囲気が流れた。
ジャック船長が口を開いた。
「今日の食事当番は、ピエールだったね。」
「そうだ。はやくしてくれよ。もう、ペコペコなんだ。」
「わかった。わかりましたよ。トリトン、君も食べるだろ?」
ほっとしたようにピエールは言った。
「いえ、僕は・・」
とたんに、トリトンのお腹は、空腹だと言うことを主張した。
バ、バカヤロー。
真っ赤になった彼を見て、一同は笑った。
暖かな笑いだった。
トリトンも笑った。
ジャック船長が言った。
「それだけ、空腹なら大丈夫だろう。」
しばらくして、キッチンから良いにおいがしてきた。
火のにおいだ。
トリトンは懐かしかった。
一平と別れてから、トリトンは、火を通した料理を口にしていなかった。
ピピは、何よりも火を恐れていた。
仲間のいやがることを彼はする気になれなかった。
ピピは、自分の目の前で火を使わなければいいと言ってくれたが、今度はイルカたちが反対した。
煙が立つことで、人間やポリペイモスにイルカ島が見つかることを懸念したのだ。
自分の我が儘で仲間を危険にさらすことはできない。
ピエールが夕食を運んできた。
トリトンも手伝った。
一平と暮らしていた頃、夕食をよくトリトンは作った。
ピエールが作った料理は、トリトンにとって初めて見るものばかりだった。
イ カやタコをバターとオリーブ油で炒めたものと、生野菜、温かくしたパン、どろっとしたスープ、オレンジが出た。
焦げた香ばしいにおいが食欲をそそり、温かな料理は心まで温めるような気がした。
何と懐かしいことだろう。
トリトンは食べながら一平のことを思い出した。
「君たちの料理と全然違うだろう?食べられるかどうか心配だったんだ。」
ピエールが話しかけた。
「とても、おいしいです。」
トリトンは、のどに詰まらせながら答えた。
料理は、本当においしかった。
夕食後、彼は、甲板に出た。
海は凪いでいた。
夜空に満月が上ってきた。
猪首村での蒼白い冴え冴えとした月に比べ、熱帯の海のそれは、黄色く、温かかった。
手すりにもたれてトリトンは月を眺めている。
「まるで目玉焼きだな。うん、おいしそうだ。」
ピエールだった。
トリトンが吹き出した。
面白いことを言う人だな。
青年の人なつこさはトリトンの警戒心を吹き飛ばした。
「ピエールさん、この船は何をしてるんですか?」
「ピエールでいいよ。トリトン、この船は、海洋調査船なんだ。」
「カイヨウチョウサセン?」
はじめて聞く名前だ。
「う〜ん、つまり、サンゴやイルカを調べたりしてるんだよ。後は、サメの行動とかね。海の生き物がどんな暮らしをしてるかってね。」
「ふ〜ん、どうやって調べるんですか?」
「これだよ。」
青年は、潜水具を指さした。
「君たちは、素潜りの達人なんだろうけど、これを使えばずっと長い間潜れるんだ。」
「アクアラングですね。」
青年は目を丸くした。
「よく知ってるね。」
「ええ、じっちゃんに聞いたんです。」
「へえ〜。君のおじいさんは物知りなんだなあ。」
感心しきった声だった。
青年の素直な反応がトリトンにはうれしかった。
一平と暮らした頃、村の大人達は冷たい視線を彼に浴びせるだけだった。
海人の子、そんな彼を守ってくれたのは、一平と漁師仲間の吾助だけだった。
「このアクアラング、発明したのは船長なんだ。」
「ジャック船長が、学者さんじゃないですか?」
「今は、海洋生物学者だよ。今はね。」
「ピエールさんも、生物学を?」
「う〜ん、どっちかって言うと、僕は考古学や民俗学かな。」
「コウコガク?ミンゾクガク?」
「神話や伝説、遺跡を調べるんだ。」
トリトンは、はっとした。アトランティス人のことを知っているかも知れない。
「トリトン、君の島はどんな暮らしをしてるんだ。君の髪、着ている服、それに君の名前、南太平洋の民族とは全然違う。まるで、古代ギリシア人みたいだ。」
「あの、・・・」
トリトンは口ごもった。
もし、本当のことを言えば、頭がおかしいと思われるかも知れない。
それの方がましだ。
逆に、イルカ島にこの船が押しかけてきたら、と考えるとぞっとした。
「いいんだよ。話したくなければ・・」
閉鎖的な暮らしをしている原住民なら、警戒心が強いのも当たり前だ。
ピエールはそう考えているようだった。
