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うさぎ 後編


滋養たっぷりのシチューは、趙雲と孔明のふたりで食べるには多すぎた。
あまったシチューでドリアをつくる。
チーズをたっぷりまぶして、あとは電子レンジでチンすれば、とろとろチーズのドリアのできあがりである。
それを、馬超の家に差し入れにいくこととなった。

ドリア片手に、馬超宅へと向かう趙雲のうしろから、孔明はてくてくと付いていく。
今日も中央都市の空は晴れ渡っていた。
すみれ色の深い空のなかに、うれしくなるほど真っ白な雲がゆっくりと、形をすこしずつ変えながら流れていく。
ほとんど人気のない町のなか、悠然と、かつて変化した虎のように趙雲は歩く。
その背中をななめ後ろから見つつ、孔明は、不思議に思った。

趙雲と馬超は、性格も価値観も、生き様も出身地も、ありとあらゆるところでちがう。
共通点といえば、蜀漢の将であったことくらいなもの。
ふつうであれば、気の合わない者同士、喧嘩別れをしたならそれっきりだろう。
だが、ふたりは、縁をたいせつにしているらしく、何度も喧嘩をしながらも、距離を保ってうまく付き合ってきていた。
会えば、嫌みの応酬になろうがかまわず、挨拶以上の会話はする。
ある程度は、お互いに相手の近況も把握しているらしい。

そんな付かず離れずの距離をたもってきたふたりだが、今回の喧嘩の意味するところは、逆にその距離が縮まったことを示しているのではないか。
これはいい傾向か、わるい傾向か。
わが君であれば、仲良きことは美しきことかな、などと言って喜ぶのだろうなと、孔明は想像する。

「あなたはマメだよな」
孔明が言うと、趙雲は、ふしぎそうに、
「そうか?」
と首をひねる。
ほんとうに馬超のことを嫌な奴だと思っていたなら、ドリアなぞ持って行かない。
意味不明な理由で殴られた直後だというのに、この対応。
さすがだなと孔明は感心してしまう。
お人よしともちがう。
趙雲は、人との距離をうまくつくるのだ。
好悪の感情で、人に差をつけない。
内気な孔明と、決定的にちがうところが、この点である。
孔明は、苦手な者は、避ける傾向にある。
よほどでないかぎり、私的な時間を使って、苦手な相手と会おうとはしない。

「ところで、このあいだ、『バベルの塔』のロビーでお茶を飲んでいたら、おもしろい噂が耳に入ってきたよ」
「どんな?」
「先だって、獣化騒動があっただろう。ほら、あなたが虎になった」
「あったな」
思い出したくないらしく、趙雲の声は低い。
「夢のひと時だったな。『供給所』でムートンのスリッパを並べてあるのを見るたびに、惜しかったと思うのだよ。あの虎の毛並み、ムートンのスリッパ以上であった」
「ムートンのスリッパで我慢しろ」
「冷たいな。ムートンのスリッパは喋ったり、朝になったら起こしてくれたり、一緒に本を読んだりしてくれないだろう」
「俺はなんだ? 気の利いたアイボか?」
孔明は、ぽんと手を打って、そうか、と合点する。
「アイボを購入して、改造してしまえばよいのか。虎柄の布をかぶせて。名前は『子龍』にしよう。だが、アイボ的子龍は食事を作ってくれない。稼働時間も短いしな。応答もトンチンカンだから、むしろストレスが溜まりそうだ」
「いつぞや召喚されたとき、アイボの展示場のショーケースの前で、タニシのようにへばりついて、動かなくなったのは誰だ」
「あのトンチンカンさも愛嬌だと思えば、やはり欲しくなるのだ。いいだろうな、わたしがぼーっとしていると、勝手に踊ったり、喋ったり。『基本世界』に出かけて行って、ローンを組んで買ってくるかな。どう思う?」
「たわけ。ローンを組むアトラ・ハシースなど聞いたことがない。第一、審査に通るものか。汎世界のどこにも、おまえの戸籍はないのだぞ」
「そこはそれ、裏にはさまざまな方法があるそうな」
「あのな、その不穏当な発言を聞きつけて、おまえの大嫌いな警吏用ゴーレムが飛んでくるぞ」
「それは困る…ところでなんであったかな」
「獣化騒動のときに、どうとか」
「ああ、そうそう、獣化騒動のとき、やはり複数のアストラルやアトラ・ハシースが、その後も召喚されつづけ、被害に遭ったらしい。召喚された者たちは、全員、無事に帰還したそうだ。だが、だれも、何が自分の身に起こったか、語ろうとしないのだとか」
「『最高府』に口止めをされているのか?」
「緘口令というか、喋れないように、これもまた呪詛が掛けられているのではないか、という話になってね、我らアトラ・ハシースにさらに呪詛を掛けることができるとなると、これは並みの者ではなかろう」
「神代のアトラ・ハシースが関わっていると」
それまで、のほほんとした表情をしていた趙雲であるが、神代のアトラ・ハシースの話になると、とたんに顔つきが変わる。
「『最高府』には、神代のアトラ・ハシースが多く加わっている、というのは本当らしい」
とたん、趙雲もそれまでの穏やかな表情を変えた。
「かつての古き人…黄金の人々が、後続する人を管理している、というのか。汎世界のように、寿命があるわけではない。古き者の、新しい者に対する支配、というのは、いつまで続くのだ? とことん不健康だな、この世界のシステムは」
「たしかに不健康ではあるな。口の悪い者の中には、『最高府』は、黄金の人々だけで構成されており、自分たちより遺伝子的にも劣る新しい人間たちを差別しているのだ、などと喧伝しているようだ。だが、わたしとしては、それは穿った見方に感じられるよ」

黄金の人々とは、最初に人類が創生されたときに作り出された、長寿を誇り、健全な魂を持つ、賢く優美な人類のことである。
世界中のありとあらゆる伝説に残される、黄金…つまりはこのうえなく光輝に満ちた性質を凝縮した人類は、実在したのだ。
しかし、やはり、これもさまざまな伝説に拠るように、やがて堕落したがために、創造主の怒りをかって、大洪水で全滅した。
しかし、黄金の人々の存在は、その築いた文明とともに、憧憬をもって語られつづけている。
一神教の普及が暴力的なまでにすすめられる以前に、各地に残っていた古い伝説に生きる神々は、この黄金の人々の名残であるといわれている。

「黄金の人々は人格者の集まりかもしれない。もしかれらにお会いすることがかなうのであれば、やはり堯や舜といった帝のご尊顔を、一度でよいから拝見したいと思うし、そうなったときのことを想像して、なにやらわくわくするのだがね」
「伯約もいつも呆れているが、本当におまえは前向きというか、明るいやつだよ」
「わたしたちがここに『いる』のは現実で、いまのところそれに変化はないのだから、日々をじっくりと楽しんで生きたほうがよい。不確かな情報に惑わされ、鬱鬱と過ごすなど、それこそ不健康だよ。
汎世界のあちこちで、最近は軋みが起こっているようだけれど、人がどんどん己の内面に目を向けるようになってきているのに、周りにある情報が、良いものも悪いものもふくめ、あまりに多すぎるのだ。氾濫する情報への対処が大切だと思わないか、子龍。もちろん、それはアトラ・ハシースおよびアストラルたるわれらにも言える。わたしたちは、たしかに一度『死んだ』けれども、その魂は、まだ学習の途上なのだから」
「まあ、お前の言う通りだな」
「おっと、話はまだ途中だったな。獣化の噂だ。気になる話があってね、召喚されたうちの一人が、どういう手違いからか、獣化の呪詛が失敗したようで、獣になったり、人になったりを繰り返しているようだというのだよ」
さすがにおどろいたのか、ドリア片手に趙雲が振り返った。
「本当か?」
「その気の毒な者がだれなのかは特定できていないのだがね、ひどい話だよ。他人事ではない。あなたは元に戻れてよかったな、子龍」
「そうだな」
「元に戻れてよかったな、子龍」
繰り返す孔明。
ふたたび趙雲が振り返れば、そこには、にまにまと、期待に満ちた笑みを浮かべる孔明の姿があるのだった。
「まったく…感謝いたします、当山孔真君」
「だろう? わたしと仲良しでよかったと、心の底から思いたまえ。遠慮せず」
無邪気に笑いながら言う孔明に、趙雲はため息をつく。
とはいえ、それはいつもの二人のやりとりである。
ほどなく、二人は馬超の家にたどり着いた。




馬超は留守であった。
赤レンガづくりの邸宅である馬超の家は、しんと静まり返っている。
趙雲が庭に回って窓辺へまわる。
「召喚されていなくなった、というふうではなさそうだ。さっきまでいたのだよ。カーテンが開いている」
「しかし、あらためて思うが、うち(蜀漢)の人間は、特長として、よその文化を受け入れて馴染むのに抵抗がないよな。異民族に四方を囲まれている土地で、生前を暮らした影響かな。車庫だの家屋だのを見て、ここにいるのが中華系アストラルだと誰が思う? 表札だってアルファベット表記だもの」
「伯約は、頑固に生前と同じ生活様式を守っているようだが」
「あれは頑固すぎる。さすがに水回りは直したようだけれど」
「馬超と伯約は、出自が似ているのに、それこそ両極端だな。おまえは、馬超とはまたちがった意味で極端だ。『塔』のおまえの部屋を見て、やはりここが、中華系のアトラ・ハシースの部屋だと思う人間は、少ないだろうよ」
「わたしは、新しいものが大好きなだけだ。新しいものといっても、見栄えがよいからという理由で好きなのではないぞ。あたらしいものを見ていると、人類の技術の進歩が嬉しくなるからだ。わかるかな、この心理。わたしはありとあらゆる世界の技術者の、真の後援者としてだね…」
「はいはい。ご高説は俺の留守番電話にでも録音しておいてくれ。暇なときに、とりあえず聞いてみる」
「あなたの留守番電話は、録音時間が十秒しかないではないか」
「十秒で手早くまとめてくれ。ところで、玄関は開いていないようだな」
「なんだかんだと、全部きちんと聞いてくれるくせして、なんだってそう意地悪を言うのだか」

馬超の家の庭は、猫の額ほどしかない。
植木の類はすくなく、地面には綺麗に刈り取られた芝生植えられている。
隣家との区切りをしめす煉瓦の壁に、自分でしつらえたらしい、小さな壁掛け式のプランターがかかっていた。
プランターの中では、ベコニアが赤い見事な花を咲かせていた。
「マメだよな」
孔明は丹念に雑草を抜いたり、芝刈り機を操ったり、ベコニアに水をやる馬超を想像し、思わずつぶやきつつ、こっそり隣の趙雲を見る。
見えないところで似ている、というわけか。

「あ」
趙雲がちいさくつぶやいた。
見れば、カーテンが開けっ放しになったフランス式窓の向こう側に、瀟洒なデザインの木のテーブルがある。
そのうえに、茶色の大きなうさぎが一匹、二本足で立って、じっとこちらを見つめているのである。
「うさぎだ」
「飼っているのかな。意外だ」
意外か? と趙雲が目で尋ねてくるので、孔明は答える。
「動物を飼うこと自体は意外に思わないけれど、うさぎというのが意外だ。馬超って、たとえ動物を飼ったと自慢されても、返答に困るような動物を飼いそうな気がするのだ。たとえば、オカピーとか、タスマニアデビルとか」
「食用かもしれぬぞ」
言ったとたん、趙雲は、すばやく窓の向こう側に向き直り、周囲に目を配った。
「どうした」
「いや…殺気をおぼえた」
「うさぎが睨んでいるからじゃないのか」
見れば、うさぎは、目を三角にして趙雲を睨みつけている。
その鋭い目を敢然と受け止めつつ、趙雲は言った。
「おかしいな。哺乳類綱ウサギ目ウサギ科アナウサギ属なんぞに知り合いはいないのに、既視感をおぼえるのはなぜだろう」
「あなたもかい、わたしもだよ」
言いつつ、孔明が窓に手を掛ければ、無用心なことに鍵がかかっていない。
そっと押せば、窓はたやすく開いた。
「馬超め、『供給所』にでも行っているのかな。すこし待つか」
孔明は言うが、趙雲のほうは、うさぎのほうが気になって仕方がないらしく、生返事をする。
「子龍、もしや、このうさぎ、あなたの手にしているドリアの中身の知り合いかもしれぬぞ」
「嫌なことを言うな。しかし、新鮮なうさぎ肉がここにあるわけだし、またなにか作ってみるか」
「こいつでか?」
「そうだな、今日はなににするか…」
メニューを考える趙雲。

とたん、ウサギは、だん、とテーブルを蹴って、趙雲のほうへと向かっていく。
その姿は、まさに茶色の弾丸。
ウサギは前傾姿勢のまま、高い跳躍を見せると、趙雲の腹めがけて、どすん、と鈍い音をさせ、その身体ごと体当たりしてきた。
突然のみぞおちへの攻撃に、さしもの趙雲も言葉をなくし、思わず小さく呻いて、前に屈む。
どうやら、まともに入ったようだ。
「……………………っ!」
「大丈夫か?」
うずくまる趙雲の前で、誇らしげに、だんだん、と地面を足で叩いてみせるウサギ。
そして、まるであかんべえでもするように、小さな尻尾をくるりと見せる。
さらに、うさぎは、みぞおちを抱えて呻く趙雲の前を挑発するように行きすぎた。
手出しできない趙雲をよそに、うさぎは庭をよぎって、外へと逃げ出してしまった。

しばらくしたのち、趙雲は、ぱっと顔を上げる。
まず、ドリアの入った皿を孔明に渡し、次に上着を脱ぐと、それも孔明に渡した。
「子龍?」
おそるおそる孔明が尋ねれば、趙雲は、まさに敵を前にしたような、緊迫感みなぎる強ばった声でつぶやいた。
「なめす」
「は?」
「そして肉は、ミートローフにしてくれる!」
そう高らかに宣告するや、趙雲は、逃げた茶色の穴ウサギを追いかけて、自らもまた走り出したのであった。

「えーと」
ひとり、置いてきぼりをくらった孔明。
これからどうしようかと考える。
考えて…ふと思った。
たまたま聞いた、獣化したまま、呪詛が失敗し、獣と人の姿の両方を往復しているという、気の毒な者の噂…
「まさか、ねぇ」
つくねんとしていても仕方ないから、とりあえず馬超の家をあとにして、『バベルの塔』に戻る孔明であった。



後日。

馬超「わたしの解呪のスペルは、『ムーンプリズムパワー メ○クアップ!』らしい。丞相、唱えてくれ!」
孔明「こっぱずかしいからイヤだ」

と、いうわけで、馬超はしばらく茶色のウサギである。


おしまい

しろくま事件につづく

(2005 初稿)
(2021/12/13 推敲1)
(2022/01/12 推敲2)
(2022/04/14 推敲3)

※ あとがき ※

〇 2005年は自分的うさぎブーム。うさぎを触ったこともない、もちろん飼ったこともないのに、うさぎの飼育法とか、うさぎ専門誌などを購入し、読みふけっていた。
〇 この時点では、「うさぎが観察日記」を書こうとはまったく思っていなかった。
〇 妙に孔明が趙雲にひっつきたがる箇所は削除。やはり不自然だし。自立した大人同士という雰囲気を出したかったから。
〇 この作品に限っては、あまり誤字脱字やてにをはがおかしいところがなかった。そこがかえって怪しいと思っている。大丈夫か?
〇 孔明のセリフが読みづらい箇所が何か所もあった。意味が通らないところも。直したけれど、当時、どういうことを書きたかったのか、すでにわからない状態になっている。つづく原稿と整合していくほかないわけだが…むずかしい作業になりそうである。