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うさぎ 前編



英霊の住まう世界『下宿先』の中央都市。
都市の中心にそびえる『バベルの塔』にて、アトラ・ハシースのひとりである孔明は暇をもてあましていた。
そろそろ次の仕事がこないだろうか。
しかし、その気配はおとずれない。
仕事がやってくるのは、いつも急である。
アトラ・ハシースおよび、その補佐として存在するアストラルへの神々の召喚は、前触れなくおこなわれるのが常だ。
かれらの虹彩が輝き、視界がちかちかと点滅をはじめると、それが神々からの呼び出しの合図である。
仕事の内容は、事前には知らされない。
心の準備ができなくて困る、という英霊もいるが、孔明は逆で、つぎはどんな仕事がやってくるだろうかとワクワクして待てるタイプだ。

あまりに暇なので、孔明は、アトラ・ハシースらを管理する上部組織『最高府』が運営する『供給所』からもらってきた『ナショナルジオグラフィック』のグラビアを、ぱらぱらとめくって暇を潰す。
世界は広いなあ、知らないことがたくさんあるなあ、といつもの感想をもって雑誌をめくっていると、ぴんぽんと呼び鈴が鳴った。
『バベルの塔』の守衛である水晶製ゴーレム・イーさんが呼んでいるのだ。
玄関のビデオモニタに映るイーさんは、今日も金剛石の脳髄をくるくると回転させている。
万華鏡にも似たおもしろさを持つイーさんの姿に感心しつつ、孔明は尋ねた。
「だれか来たのかい」
「ハイ、当山孔真君。イツモノあすとらるノオ友達ガ、ボロクズミタイニナッテマス」
孔明は耳を疑った。
「なんだと、ぼろくず? いつものアストラルと言えば、子龍か?」
「早ク霊力ヲ分ケテアゲタホウガ、良サゲデス」
「良さげ…イーさん、言葉が悪くなってきたな。だれの影響だ?」
「マァマァ、野暮ナツッコミハ、ナシニシテ、オ通シシテヨロシイデスカ?」
「いますぐ通してくれ」
アイヨ、と妙に気さくな応答が聞こえたと思った瞬間に、孔明のフロアの中央に趙雲の姿があらわれた。
イーさんが言ったとおり、服はよじれて、汚れているうえに破れ、顔が片側だけ、見事に腫れあがっていた。
さすがの孔明も、めずらしい趙雲のひどい姿に、言葉をなくして立ち尽くす。
「だれにやられた? 仕事帰りか? それとも、あなたを召喚したアトラ・ハシースと喧嘩でもしたか」
「いいや」
腫れてきた頬が痛むらしく、それを片手で抑えつつ、趙雲は、手にしていた供給所印のビニール袋を孔明に渡した。
そして、
「邪魔をする」
とぼそりといって、慣れたふうに、孔明の家の洗面所へ向かう。
目で追っていると、趙雲が、洗面所の鏡で自分の姿を見て、呻いているのが聞こえた。

「中央都市で犯罪などありえぬ。それ以前に、あなたがそんなふうな姿をさらすことがありえぬ。何があった?」
孔明がたずねると、趙雲は、汚れた顔を拭きながら答えた。
腫れたままのほほが痛々しい。
「俺にも理解できない事態だ。犯罪ではないのだろう。もしあれが犯罪と認定されたなら、『最高府』の例の警吏用ゴーレムが飛んできたであろうし」

イーさんを始めとする、最高府特製ゴーレムは、国家制度を持たない中央都市において配置された、サービス業務に特化した公務員のようなものである。
アストラルやアトラ・ハシースの生活を補助するため、さまざまなところに配置されている。
しかし、なかでも特異なのは警吏用ゴーレム。
別名『ケルビム』と呼ばれている。
有翼型ゴーレムでもある。
かれらに翼がある、天使の名前がついている、このふたつの条件を聞けば、たいがいの者は愛らしい天使を想像するだろう。
しかし、警吏用ゴーレム『ケルビム』は、愛らしい天使像とは程遠く、ガーゴイルも裸足で逃げ出す巨体と、グロテスクな外貌を持っていた。
最初、その姿を見たとき、孔明は、おぞましさのあまり、動くことすらできなかったほどである。
なにせ、四方向に頭があり、腕は八本、体中に、霊的攻撃を防ぐための防御呪文が刻み込まれているのだ。
その呪文が、遠くから見ると、規則性のなさすぎる鱗のように見えて、不気味なことこのうえないのだ。
しかもかれらは、言語機能を持たない。
警吏用ゴーレムにつかまると、問答無用で煉獄へ連れていかれるようである。
孔明は思う。
『最高府』の給湯室の冷蔵庫(煉獄がある、といううわさの)へ連行すること以外に解決法を知らないかれらに、会話能力など必要ない、ということなのか。

「警吏用ゴーレムが飛んでこなかった? 良かったじゃないか。喧嘩両成敗とかで、煉獄行きになったら最悪だった」
「良くない。俺はつねづね思っていたが、ここは英雄の楽園なんかじゃない。どこのだれの組織かよくわからん『最高府』によって監視されている牢獄だ」
「危険発言だな。この塔にだって、『最高府』の人間が紛れているかもしれないのに」
趙雲は、いつもの気に入りの場所に置いてある椅子に、不機嫌そうに、それでもどこか律儀な姿勢で座る。
その椅子からは、一面ガラス張りの部屋から、この緑多き『下宿先』の景色が地平線まで見えた。
慎重な趙雲が、これほどいらだちを隠さないのはめずらしい。
刺激しないほうがよさそうだと判断した孔明は、そのかたわらに立って、趙雲の頬に手をかざした。
指が真珠のように白くなり、やがて、ほのかに光りだす。
ほどなく、ぱんぱんに腫れあがっていた頬、襟元を捻り挙げられた時についた擦過傷、そのほか細かい傷、打ち身の痕などは、徐々に薄れていった。

「癒し手は苦手だが、すこしはマシになっただろう」
「マシどころか完璧だな。痛みがなくなった」
趙雲が社交辞令を言うことはめったにない。
孔明はそれを知っているので、満足してうなずく。
「それはよかった。で、この喧嘩の相手は?」
「馬超だ」
「馬超? なんだってまた」
「わからん」
趙雲は、腫れが引いたおのれの頬をさすりつつ立ち上がる。
そして、先刻、孔明に渡したビニール袋の中身を開けてみせた。
「おまえ、以前に中華は食べ飽きたと言っていただろう」
「言ったな」
「とはいえ、俺も料理はあまり得意ではないし」
そうか? と孔明が首を傾げる。

趙雲は器用な男で、家事全般をこなす。
料理も長い独り身生活のなかで腕をあげ、いまでは家庭料理なら、なんでも作れるくらいにまでなっていた。
レシピを見ずに、冷蔵庫の中にあるものだけで料理を作れる趙雲を、孔明は心から尊敬している。

それはともかく、趙雲は、ビニール袋から、じゃが芋、人参、玉ねぎ、マッシュルーム、かぶ、ホワイトソース、牛乳、肉の入ったパックを取り出した。
「簡単に出来る料理ならば、失敗も少なかろうと思ってな。食材を『供給所』から仕入れてきたのだ」
「この食材から想像するに、あなたの作ろうとしていたのは、ホワイトシチューか」
目をきらりと輝かせる、食べるだけの人・孔明。

孔明の料理のスキルは低い。
まるっきり作れないわけではないが、作る気がない。
食べなくても霊力の自然回復を見込めるアトラ・ハシースであることをいいことに、一日中、なにも食べないで、ずぼらに過ごすこともままある。
前世でハードワークが過ぎたから、その反動だと本人は周囲に言い訳していたが、趙雲は、休養中とはいえ、ずぼらにすぎると気にしていた。
そこで、神々からの召喚がないときなどの暇をみつけては、料理を作りにやってきているのだ。

その趙雲は、テーブルの上に並べられた食材を見下ろし、言う。
「で、殴られた」
「わけがわからぬ。なぜ」
「俺としても、本当に、心から訳がわからぬ。あやつ、専門医にかかるべきではないか」
「どういうことだ」
「やつめ、しばらく家に引きこもっていただろう。今日、ひさびさに、『供給所』で顔を合わせたのだ」
「なんだかんだと、あなたと馬超は気があっているのだな。それで?」
「どこへ行くのだと馬超が聞いてきたので、今日は塔へ行ってシチューを作るのだと話をしたのだ」
「それで?」
「まあ、それで、ちょっといろいろと会話があったのであるが…そこは割愛して、と」

『あるが…そこは割愛』のあいだの、…の沈黙のなかで、趙雲の表情に苦いものが走ったところを見て、さては、また嫌味の応酬があったのだな、と孔明は見当をつけた。
指摘するのは控えようと、すばやく判断する。
趙雲の機嫌が悪くなるとシチューにありつけなくなるからだ。
趙雲のつくる鍋料理は絶品である。
ちなみに孔明が得意なのは、テーブルセッティングである。
しかし、武骨者の多いその周辺に、繊細なセンスと技術を評価してくれる者はいない。
せいぜいが、馬超が対抗して、ナプキンで兜を折ってみせるなどの小技を披露する程度であったりする。

「会話をして、それで?」
「うむ、やつめ、『シチューならば、わたしも行こうか、会話がはずむぞ、喜ぶがいい』などと言い出した。そのあたりはいつもの通りだ。俺は、孔明がよいと言ったら同席してよいと答えて、一緒に食材を選んだのだ」
「ふぅん」
『供給所』は巨大デパートである。
そこで、身の丈八尺の男ふたりが、食材を真剣に選ぶさまを想像すると、微笑ましい。
「肉を選ぶ段からおかしくなった。今日は、たまたま特売だったのだが」
「『特売』? 『供給所』に金は必要ないのに、『特売』はおかしかろう」
「ああ、おまえはアトラ・ハシースで、霊力は自然回復するから。あまり利用しないし、知らないだろう。おれたちアストラルは、『供給所』の特別会員に登録すると、ポイントカードが貰えるのだ。『特売』品は、ポイントが三倍になる。おそらくは、『供給所』の流通の調整対策であろうが」
「ポイントが溜まるとどうなる」
「好きな商品をリクエスト出来るのだ。高級食材とか、珍しい食材なども手に入れられる」
「手に入れてどうするのだろう。美食家のアトラ・ハシースなんて、いたかな」
「結構多いぞ。そもそも仕事をあまりしない連中にとって、この都市は、なんの面白みもないところだから、料理に凝ったり、園芸に凝ったりする者もいるのだ。ともかく、今日の『特売』を手にしたところ、突然、馬超が俺に掴みかかってきた」
「どんな理由で?」
「よくわからぬが…『この人でなし!』と、いきなり言われた」
「『特売』品に問題があったのかな」
「普通のパック肉だぞ。もちろん、馬超にもそう言ったのだが、やつは『この鬼畜! グール!』と罵倒を浴びせてきたうえに、めちゃくちゃに殴ってきたのだ」
「一方的な話だな。だいたい、グール(人食い鬼)ってなんだ。なぜ抵抗しなかったのだ?」
「泣いていたのだ」
「だれが」
「馬超が」
「冗談だろう?」
孔明の問いに、趙雲は首を横に振った。
「本気で泣いていたな、あれは。もしや、過去に悲しい思い出でもあったのかもしれぬ」
「パック肉に悲しい思い出?」
「そうとしか考えられぬ。泣いていたからな。だから仕方ない、あえて殴られてやることにしたのだ。いま思ったのだが、俺が大人しくしていたから、『ケルビム』も、喧嘩ではないと判断したのではないかな」
「呆れた話だ。訳のわからぬ涙を流しながら殴ってくる相手のされるがままになっていた、というのか? どんな青春ドラマだ、それは」
「しかし泣かれてはな…」
「変なところで慈悲を見せるものだ。まあ、わたしとしても、あなた方が『ケルビム』の世話にならずに済んでよかったと思うけれど」
「この程度の怪我ならば、おまえが治すだろうとも思ったし。やつめ、滅茶苦茶に殴ってきているようで、それでも力を抑えていたようだ」
「なぜわかる?」
「歯が折れていない」
「やめてくれ、いま寒気が走ったよ。こちらの神経が痛くなってくる話だ。あ、わかったぞ。その肉、もしや『馬肉』では?」
「馬肉のシチューなんぞ好みではない。これは」
と、趙雲は、肉のパックの表示を孔明に見せた。

『うさぎ肉』

「ホワイトシチューといえば、うさぎだろう」
「そうか? 鶏肉のほうが…」
「いいや、うさぎだ。脂肪が少ないので肉が主張しすぎないから、ホワイトソースと相性がいい。特にこの時季の野うさぎは絶品だぞ」
「わたしは、あなたが美味しいと思う食材で作ってくれれば一番だと思うが、もしや馬超には、『シチューは絶対にビーフ』とか、そういう守らねばならぬ遺言か家訓があったのかもしれぬぞ」
「やつの家の家訓がそんなものだったとは聞いたことがない。羌族の神の教えか?」
「羌族の神の教えにも、そんなものはなかったような」
「ともかく、あれだけ泣くくらいだから、相当に嫌だったのだろう」
と言いつつもなお、自説を曲げずにうさぎ肉をもらってきて、調理しようという趙雲の、頑固さといおうか、確固たる意思、といおうか。
『まあ、なんだ、思いやりがないとは、あえて思わないようにしよう』
孔明はこころでつぶやいた。

「子龍、馬超のところに行って、仲直りをしなければならないな」
「被害者は俺だ」
「それはそうだけれど、あなたもわかっているだろう。馬超が向こうから頭を下げにくるものか。こちらから手を差し伸べれば、馬超も反省するよ」
不満そうに、どうだか、と言う趙雲。
孔明は笑って言った。
「一緒に行ってやろうか」
「いらん」
趙雲は収まらないらしく、そっけなく言うと、台所に食材を持って行って、シチューをつくりはじめた。

しばらく、トントンと包丁を動かし、サッと油で材料を炒め、ぐつぐつと鍋で煮ていた趙雲だが、ぽつりとつぶやいた。
「シチューの余り物で、ドリアを作って持っていってやるか」
「余り物はどうかと思うよ、かれのようにプライドの高い男が、喜ぶかねえ。それに、いま付き合っている女が何人かいると聞いた。かれのテーブルには、きっとたくさんの女の手料理が乗っているだろう」
「それなんだが、あれほどいた女友達はいなくなって、いまは一人らしい。以前に召喚された先で会った、現地の野生の娘が忘れられぬという噂だが」
「『現地の野生の娘』? なんだ、その草原の香りのする娘は」
「何者かは知らんよ。さて、これから料理に集中するからな、おまえはそこで大人しくしていてくれ」
「わたしはいつもおとなしいではないか。ところで子龍、なにかよい仕事の話は聞かないか。そろそろ退屈してきたのだが」
「退屈を楽しむのが真の貴族だと」
「だれが言った、そんなこと。貴族でも退屈は退屈だ。ああ、いまわかった。馬超が仕事をしないのは、貴族だからか。学習した」
「学習したところで、しばらく話しかけるな。味をととのえる」
そうして趙雲は料理に向かう。
孔明は、相手にされなくなったので、ソファに身をあずけて、また何度目かのナショナルジオグラフィックのグラビアめくりを始めるのであった。

後編へつづく

(2005 初稿)
(2021/12/11 推敲1)
(2022/01/12 推敲2)


※ あとがき ※

〇 だれが何を言っているのか、わかりづらい箇所がとくに多かったので直した。登場人物が少ないのに、このわからなさは困ったものである。
〇 誤字は少なかったが、見落としているだけかもしれない。
〇 原本だと、孔明が無邪気に過ぎるというか、いささか子供っぽかったので、そこは改めた。
〇 世界観が伝わっているか不安な出来である。説明が少ない部分を足した。まだ足りないかもしれない。