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噂の真相



※このお話は「うさ・ルート 貴人たちの情景」のつづきとなります。

馬超の家なのだから、草原のなかにある居心地のよさそうなテントじゃないかと、趙雲は勝手に想像していた(注・これは趙雲の誤解と偏見で、伝統的な羌族は、高い尖塔を有する、石造りの家屋の連なる街に住んでいる。一見すると、欧州的な集落である)。
しかし、じっさいの馬超の家は、『中央都市』の『バベルの塔』にほど近い場所にある、フランク・ロイド・ライトがデザインしたような、モダンで鋭角的なラインを持つ、格好のよい二階家であった。
しかし建物の豪奢さにくらべて、庭は猫の額ほどしかない。

人の住まう地球、つまり『基本世界』のコピーである『下宿先』。
この『下宿先』のなかで、塔にあつめられているアトラ・ハシースとはちがい、アストラルは、大地のどこにでも居を構えることが許されている。
ところが、馬超ときたら、ありあまる居住地候補のなかで、とくに住宅の密集している地域のなかの一角を自宅に選んでいた。
ちょっと外に出れば知り合いと出くわす、そんな地域に居を構える。
やはり馬超は、人が恋しいのだということは、その住まいの立地からも感じ取れた。

以前に趙雲が馬超から聞いた話によれば、思うさま馬を駆りたいときは、車庫にあるアルファロメオ スパイダー ヴェローチェをかっ飛ばして、郊外の草原へおもむくという。
そしてケンタウロスなどの神獣たちにお願いして馬を借り、好きなだけ草原を疾駆するのだ。

赤い煉瓦に黒い鉄の柵。
車庫に眠る赤いアルファロメオ。
センスが良いというべきなのか、それとも違う言葉が似あうのか、自分にインテリアや車関係のセンスがあまりないと自覚している趙雲には、よくわからない。
家や車だけではなく、ファッションについても、馬超は強いこだわりがあるようだ。
なにに憧れたのやら、パンクファッションに身を包んであたりを闊歩し、以前の彼を知る者をして唖然とさせたこともあった。
いまは少々落ち着いて、胸元の大きくあいたタンクトップに革ジャンにブーツ、革のズボン、シルバーアクセサリーをふんだんに身に着けた出で立ちであることが多いようだ。
どちらにしろ、目立つが。

ところで、『下宿先』には郵便制度がない。
電話線も敷かれていない。
たがいに連絡を取りたいにどうするかというと、使い魔をもってする。
風属性のアトラ・ハシースである孔明の場合の使い魔は蜻蛉というように、英霊たちは、その属性に従って、使い魔を変える。
使い魔を使用するには、それなりの霊力が必要となるため、みずから霊力を補給することのできないアストラルは、めったに使い魔を使用しない。
アストラルの趙雲の場合は、孔明に、あまり霊力の必要としない蜻蛉を特別に作ってもらい、これを緊急時のみ使うようにしている。

アストラルの馬超がどうしているのかは、よくわからないところである。
ちなみに、馬超も孔明と同じ風属性であった。
以前は、意外にマメなところをみせ、懸命に神々の課題をこなしていたため、趙雲より霊格が高かかった。
そのため、いずれはアトラ・ハシースに昇格し、『バベルの塔』に招聘されるのではと期待されていたほどだ。

ところが、アストラルとして活動していくうちに、本人のむらっ気が出てくるようになった。
神々の課題を与えられても、途中解雇されることがつづくようになったのだ。
反抗したり、ほかのアストラルやアトラ・ハシースと喧嘩することが増えたのだという。
そのため、いつの間にやら、霊格において趙雲に追い抜かされてしまった。

趙雲のほうは、かなり努力をして、霊格を上げていた。
相棒であるアトラ・ハシースの孔明が、あきれるほどに不眠不休で女神たちの課題を受けまくったためである。
孔明が課題を受ければ、そのたびに、趙雲にも召喚がかかる。
孔明が異常な早さで霊格を上げて行くのと同時に、趙雲の霊格も(小国の将軍としては)異例な早さで上がっていった。
馬超ら、ほかの蜀漢の関係者からすれば、あの二人はあんなに働いてどうするつもりだ、というところもあったようだ。
しかし、ふたりが名誉欲に動かされていたわけではない。
かれらがけんめいに働いたのは、広い世界のあちこちを見て回りたいという、純粋な好奇心の結果だったのである。

そんなふたりを横目に、馬超はあくまでマイペース。
霊格が上がらくなってからは開き直り、アストラルとしての第二の人生を気ままに過ごすことに決めたようだ。
貪欲に働かなくなってからのほうが、ほかの時代のアストラルとも、うまくやっている様子である。

それが証拠に、門のところにはダチョウがいるのか、というくらい大きな黒い鳥の巣状のものがある。
そこには、新聞のほか(『下宿先』にもメディアは存在する)、アトラ・ハシースやアストラルが放った使い魔が入る。
趙雲が見ると、黒い巣のうえで休んでいた使い魔と目があった。
思わず、
「失礼」
とつぶやくと、居眠りしていた使い魔は目を覚まし、趙雲に挨拶をしてきた。
「御機嫌よう、アストラルの旦那」

それは、いかつい顔をした、手のひらほどの小さな唐獅子であった。
身体に渦のような文様の毛皮を持ち、純白のふさふさの毛を生やしている。
喋れる、つまり人間とほぼ同等の知能をもつということである。
それだけの高等生物を使役できる、力のあるアトラ・ハシースの使い魔なのだろう。

「こちらにお住まいのアストラルの旦那なら、さきほど帰って、またお出かけになりましたよ」
「そうか。すぐ戻ってくるだろうか」
「戻ってこられると思いますぜ。あの方はいいお方だ。あっしのための餌を貰いに、『供給所』へ行ってくださったんでがす。あっしら使い魔にもおやさしい旦那で、使い魔たちのあいだじゃ、とても評判のいいお方なんでがすよ」
と、唐獅子はふさふさの眉をわさわさと動かして、自分のことのように嬉しそうに語った。

そうなのか、と趙雲は軽い驚きとともに答えた。
馬超の評価は、いつでも真っ二つだ。
良いか、悪いかのどちらかと極端で、中間がない。
好かれると、とことんまで好かれる。
だが、嫌われると、生死にかかわるトラブルに巻き込まれかねないほどのレベルで嫌われる。
そんな自分の性質について、自覚はあるようだが、どうしてもトラブルを招きやすいようである。
かといって、孤独は嫌なので、アストラルの居住地の中でも、住宅が密集している場所に居を構えているのだ。

人づきあいは強くは好まず、代わりに、使い魔や動物などには、こまやかな愛情を注ぐ。
しかし一方で、身にまとうものは革製品。
動物に優しいのか冷たいのか、いまひとつわからない男だが…

「あ、お帰りになったようで」
唐獅子が言うので、振り返ると、鼻歌をうたいながら、馬超が、石畳の道のうえを高らかに靴音をさせて、紙袋をかかえてやってくる。
もしや、この唐獅子の主は、女かもしれぬ。
そう推理しつつ、趙雲が声をかけようとすると、馬超が先にこちらに気づいた。
「あ」
ひとこと言うなり、馬超は背を向けると、いきなり走り出す。
その様子を見て、趙雲はピンと来た。
あいつ、このあいだの『緊急事態の霊力補給方法』についての悪い誤解をまだしちているのだな。
「待て、なぜ逃げる!」
追いかけると、馬超はちらりとこちらを振り返り、そしてさらに足を速めた。





数日前、馬超は、どこぞのアトラ・ハシースに召喚されて、帰ってきた。
帰ってきた足で、孔明のところで『緊急事態の霊力補給方法』を聞き、なにかを誤解して、あわてて退散した。

おさらいをすると、アトラ・ハシースは全宇宙を構成する汎世界を守るために働く霊体である。
世界を守る神々に召喚されて、課題をこなす。
だが、この課題が難行であることが多いため、助手が必要になることがある。
その助手たる存在が、アストラルだ。
アストラルもアトラ・ハシースも霊力を糧に活動するが、アストラルが自力で霊力を補給できないのに比べて、アトラ・ハシースは、世界に満ちている力から、直接霊力を補給できる。
ゆえに、アトラ・ハシースは、世界じゅうから集めた霊力を、召喚させたアストラルに分ける必要がある。

通常であれば、これは宝石などの霊力を宿しやすい物質を分ける等のやり取りになるのだが、緊急時には、石の交換をしているひまはない。
どうするか?
それが『緊急事態の霊力補給方法』というわけだ。

孔明が教えてくれなかったため、趙雲にとっては謎だらけの、この『緊急事態の霊力補給方法』。
馬超は、孔明にそれを耳打ちされて、蒼くなったり赤くなったりと信号のように忙しい顔色を見せた。
そのあと、なぜか嫌悪に満ちた表情を浮かべて、早々に去っていった。
気になったので、趙雲も孔明に方法を尋ねたが、孔明は笑うばかりで答えてくれなかった。

ますます気になる。
好奇心のために気になるのではない。
これから、万が一、『緊急事態』に陥ったら、その方法を使えばいい。
だが、方法がわからなければ、対処のしようがない。
馬超がそれを知ったのなら、教えてもらおう。
そう思って、追いかけてきたのであるが…

なぜにあんな、ナマハゲかなにかを見つけてしまったかのような顔をして逃げるのか? 
だいたい、孔明の部屋から辞去したときも、なにやら意味ありげな表情をして去っていった。
『緊急事態の霊力補給方法』とは、もしやアレか? それともコレか?
ともかく、趙雲は気になって、眠れることすらできなくなっているのである。
そんな趙雲に、いつもおしゃべりな孔明が、妙に言葉を濁したがるし。





「旦那、あっしの背中にお乗りなさい」
さっきの使い魔の唐獅子が追いかけてきた。
黒い鳥の巣で居眠りしていたときの唐獅子の大きさは、沖縄の土産物としてポピュラーな、玄関先のシーサーの置物より、なお小さかった。
とても乗れたものではないはずだが、唐獅子はにっ、と笑みを向けると、むくむくと大きくなり、やがて子牛ほどの大きさになった。
前方を逃げていく馬超は、すでに、人通りのすくない大通りを駆け抜け、ゴマ粒くらいの大きさにまで遠ざかっている。

このままでは見失う。
趙雲は遠慮なく唐獅子の背に乗った。
とたん、唐獅子は、ぽん、と石畳の道を大きく蹴って、飛び上がる。
天馬のごとき跳躍力。
振り落とされないよう白いたてがみをしっかり握って、下を見れば、中央都市の町並みが、一望できる高さにまで飛びあがっていた。
「おまえは、馬超の友の使い魔ではないのか」
「そうでやんす。けれど馬超の旦那は、あっしのおやつも抱えて、逃げていなさる。これは追わざるをえませんや」
「なるほどな」
ここでいう、おやつ、とは、『最高府』の管轄している『供給所』で配給される、霊力がたっぷり封じ込められた、使い魔用のおやつのことである。

眼下には、カラフルな屋根の並ぶ街が広がっている。
住宅の密集している地域からどんどん遠ざかり、次第に家と家の間隔が空いてくる地域に入る。
道路は整備されているものの、人影も車も馬車もほとんどない。
アストラルやアトラ・ハシース以外の、亜人種たちが往来しているそのなかで、懸命に走り続けている人影がひとつ。
使い魔のおやつをかかえたまま、後ろを気にしながら走る、馬超であった。

「降下しますよ。しっかり掴まっておくんなさい」
唐獅子の独特のことばにうなずくと、唐獅子は、言い訳のように言った。
「あっしは、これまでたくさんのアストラルのみなさまがたと、手前の御主人さまの仲立ちをしてまいりました。御主人さまは交友関係がひろいもんですから、お相手の方はいろんな国の、いろんな人種の方々なんです。
そういう方々とあっしも付き合っているうちに、自然と、お相手の方のことばをおぼえてしまうんです。あっしのことばづかい、いつもめちゃくちゃだねえと指摘されるんですが、そんなにおかしいですかねえ」
「おまえの主人は?」
「残念ながらお教えできません。ただ、日の本の女性、とだけ申し上げておきやしょう」
「大和撫子の使い魔か」
「大和撫子か、はは、そんなこと、旦那から面と言われた日には、うちの御主人さま、きっと泣いて喜びますぜ。ネタがまた増えた、っていってね」
「なんとなくだが、だれだかわかった。くせ毛のひどい、随筆家だろう」
「わかっちまいましたか、あっしは口が軽くていけないやね」
と唐獅子は笑いながら言って、馬超めがけて、つばめのように、ぐんぐんと地表を降下していく。

地面に激突するぎりぎりまで速度を落さず急降下していくと、さすがの馬超も仰天して足を止めた。
唐獅子は、馬超の前に降り立つと、ぴたりと止まった。
乗っている趙雲のほうは、重力の負荷に、臓腑が引っくり返りそうであった。
吐き気をこらえつつ、唐獅子から降り、馬超に問う。
「なぜ逃げる」
顔の青い趙雲を見て、天上天下唯我独尊な馬超も、眉をひそめて心配してきた。
「おい、吐きそうな顔をしているぞ。大丈夫か」
「これしきは問題ない。それより、いきなり俺の顔を見て逃げるとはどういうことだ?」
「逃げてなどおらぬ。なにせ意外だったものでな。おまえが俺の家にやってくるなど」
そう言って、馬超は力なく、ははは、と笑うのであるが、目を合わせようとはしない。

この、怖いもの知らずの男が、見るからに及び腰というのも珍しい。
怖がっている? 俺を? 
『緊急事態の霊力補給方法』とやらは、神威将軍とまで呼ばれたこの男が怖じるほどの、すさまじい方法なのか?

ますます想像がふくらむ。
だんだんと、知らなくてもよいような気がしてきた。
このまま話を進めるべきか、迷う趙雲に対し、馬超はどう見たか、さらにじりじりと後ずさいり、まだ逃げようとする。

これで往来に人があれば、おそらくおかしな集団は注目されたにちがいない。
目立つ男ふたりと、愛嬌のある丸い目をきょろりとさせた唐獅子。
だが、さいわいにもほとんど人通りのない街道には、だれもおらず、たまにはるか上空のとんびが鳴いているのが聞こえるばかり。

馬超が逃げようとしているのを見て、趙雲は考えた。
正攻法では、この男はしゃべるまい。
まずは、話題を変えよう。

「俺が貴公の家に来ると、なにかまずいことでもあったのか。以前は、俺があまりにおまえの家に行かないので、付き合いがわるいと、ぶうぶう言っていたではないか」
「そんなこともあった、な?」
「あった」
「うむ、いや、来てもらっても構わぬ。俺はアストラルで、おまえのアトラ・ハシースとちがうからな。わかっているのだろう」
この場合、『おまえのアトラ・ハシース』とやらは、孔明のことを指すにちがいない。
わかっている、とは、なにをだ?
「俺は別に、孔明の専属のアストラルというわけではない。だれに召喚されても働くが」
「そうか、それは真面目なことだ。そのわりには、おまえが留守のあいだ、丞相は機嫌が悪かった」
「あいつは気まぐれなところがあるからな。ところで話を戻すのだが」
趙雲が切り出すと、馬超は、あからさまに嫌な顔をした。
「俺はなにも答えぬ」
「まだ問うてもおらぬが」

馬超は誇り高い。
そのうえ、西涼の若大将として、かしずかれることに慣れてきた男だ。
趙雲のこういう率直な物言いが苦手のようで、彫の深い顔をむっとさせる。
「では、問え。答えられるかどうかは、問いによる」
「ずばり切り出したほうがよいようだな。俺が聞きたいのは、数日前、おまえが孔明から聞いた、『緊急事態の霊力補給方法』についてだ」
「なぜ俺に尋ねる。知っているだろう」
「知らぬから尋ねているのだ」
「面妖な。おまえ、もしやそうとは知らぬに、『方法』を行っているため、それと気づいていないのではないのか」
「そんなに日常的な行為なのか?」

とすれば、手を握るとか? 
いや、そんな単純な方法で霊力を分けられるのであれば、緊急時でなくてもできる。
だいたい、普段から、希少な宝石に霊力を籠めるなどという面倒な方法はとらずに、そうすればよいのだ。
孔明以外のアトラ・ハシースとも何度か仕事をしたが、いまもって、宝石での霊力の補給方法のほかは、経験したことがない。

馬超のを見ると、趙雲の言葉に首をひねっている。
馬超が動くたびに、全身にところどころに身につけたアクセサリの数々が、じゃらじゃらと心地よい金属音を立てた。
くまなく飾り立てているので、常人ならば安っぽくなりそうなものを、妙に統一性があるだけではなく、品がよいのは、馬超のセンスによるものであろう。
錦馬超の錦たる所以かもしれない。

「日常的…で、あろうかな? あれを日常的に行う者は、欲深なものとて、そうはおらぬと思うが」
「欲深?」
馬超は、鸚鵡返しにする趙雲に、さっと顔を赤らめ、こほん、こほんと咳をする。
「ああ、いかんいかん、口が滑った。だがな、斯様なことを、往来において、日中から尋ねるその態度は、如何なものかと思うぞ」
「昼間から口にできない事柄、ということか?」
どんなものだ、それは。
「そこまで言って、思い当たらぬか」
「いや…すまぬ、さっぱりわからぬ」
「とぼけておるのではないだろうな。俺のところより、丞相や、陛下のところへ行けばよかろう」
「主公は仕事から帰らぬし、孔明が教えないからおまえのところに来ているのだ。あれが、どうしてアトラ・ハシースになれたと思う。強固な意志の力があれをアトラ・ハシースに引き上げたのだ。その孔明が語るまいと思っていることを、俺が策でもって引き出せるわけがなかろう」
「ふうむ、で、丞相とくらべて、意志の弱い俺ならば、語るに落ちるであろうと」
「そういうことだ」
「ふざけるな! 俺が、斯様に口が軽い男だとでも? いやがらせか?」
「いやがらせのつもりはないが…そんなにおおっぴらに口にできない方法なのか? おまえは試したことがあるか?」
「あるわけなかろう、恐ろしい! いや、まったくないわけではないが、霊力を分けてもらうという意味で行ったことはない」

なにやら難解なクイズをろくなヒントもなしに解いているような気分だ。
ますます訳がわからなくなった趙雲に対し、馬超は、東洋人離れした大作りの顔を、おおげさにくしゃっとさせて、ため息をつく。
その脇で、唐獅子がいつのまにか手のひらサイズに戻っていて、馬超の足元に縋りつくようにして言った。
「旦那、込み入ったお話の最中に申し訳ありませんが、あっしのおやつをくださいませんか、さっき、大きくなったので、腹ペコなんでやんす」
「おお、すまぬ、趙子龍が妙なことを言うので、失念しておったわ。これでよかったかな」

馬超は抱えていた紙袋から、使い魔用のおやつである骨つき肉を取り出し、唐獅子に与えてやる。
すると、唐獅子は大喜びで肉に食いつきながら、趙雲に言った。
「失礼ですが旦那、旦那が知りたいと思っておられるその方法とは、もしや『緊急事態の霊力補給方法』のことではありませぬか」
「うむ、そのとおりだ」
おい、と唐獅子を制止する馬超。
だが、唐獅子は、ふさふさの白い毛のついたうつくしい尻尾を振って、言った。
「馬超さま、趙雲の旦那は、すっぽんのように根性がありなさる。いま、馬超さまがお答えしなければ、いつまでもしつこーく尋ねて来なさりますぜ。しつこくされようとかまわないというのであれば、あっしも口をはさみやしません。
が、馬超さまは、うちの御主人さまと逢引のお約束なさっておいでのはず。このままだと、趙雲の旦那は、御主人さまのところにまで押しかけてきそうだ。あっしは、本当は、いますぐにでも馬超さまをお連れしなくちゃならない。けれど、それでは趙雲の旦那もついてきそうなので、こうしていままで、黙って待っていたのですぜ」
「そうだな、せっかく俺の打ち明け話を面白おかしくルポにしてくれるというのに、邪魔者が現われては、集中力が削がれてしまう」
「その通りでさ。うちの御主人さまの新作は、『中央都市』の皆様方の注目の的。馬超さまがそのモデルに選ばれたということは、たいへんな名誉なことなんですぜ」
「わかっておる。だが、確かにおまえの言うとおり、この男は、見ての通り、なかなか粘着質でな。そも、俺の口から『方法』を言うのは憚れる。おまえ、知っているのなら、教えてやってくれ」
「ガッテン承知だ。しかし、なぜに孟起さまが、そう恥ずかしがるのか判りませんな」

「唐獅子、教えてくれ」
趙雲が身を乗り出す一方で、馬超は、
「ああ、恥ずかしい」
といいながら、顔を背ける。
そんな馬超をしり目に、唐獅子は答えた。
「『緊急事態』に陥った場合、アトラ・ハシースは、霊力を宝石に還元している暇はなくなります。そこで取る方法は、ずばり『献血』でやんす」
「…………血?」
「左様です、アトラ・ハシースのみなさまの中でも、慎重なお方は、万一に備えて、いつも注射器を携帯しているほどですぜ」
「本当か?」
馬超に確認すると、なぜかわからないが照れて、
「うーん、まあ、そうだ」
と、めずらしく歯切れ悪くに答えた。

呆れて趙雲は言った。
「紛らわしい反応をするな! 献血なんぞで、なにゆえ、そうも照れる?」
馬超が、それは、その、などと、口を濁しているため、唐獅子が代わりに答えた。
「そりゃあ、己の血を、人に与えるということで、照れておられるのでしょう。父母から与えられたこの血潮に、他人の物が混ざり合うのはおぞましい、血は不浄なり、とか、我らは、羊を屠るにしても、大地に一滴もこぼさぬというのに、いかな緊急時とはいえ、血を分け与えるのは如何なものか、などとおっしゃる方も稀にいらっしゃるそうで。
一方で、この方法に病みつきになる者もいるとか。血を抜いたあとの、ちょっとふらっとする感覚がたまらないそうでやすよ」

唐獅子が淡々と語るのを聞いて、趙雲は、一気に力が抜けた。
「ここまで引っ張っておきながら、なんだ、献血か。力の抜けることだ」
「まあ、そういうことで納得しておれ。趙子龍、おまえ、なにを想像していたのだ?」

その問いにこそ、趙雲は顔を赤らめる。
とても他人に言えたことではないからだ。
ともかく、たかが献血ならば問題ない。
めでたし、めでたしだ。

「まったく、おまえたちときたら、平時は俺の事なんぞすっかり忘れているくせに、たまに思い出すときには、面倒しか持ち込まない。仲間の甲斐のないやつらだ」
むくれる馬超に、趙雲はおどろきをおぼえた。
こいつ、そんなふうに思っていたのか。
どうも馬超との関係は、こじれやすい。
ここは謝るべきだろうと思い、趙雲は謝罪する。
「すまいないな、迷惑をかけた。今度は、なんでもないときに普通に寄らせてもらう」
馬超は、直言を吐いたことで、気まずく思っているのか、ああ、と短く返事をした。
騒ぎを起こして、心からすまなかったと思いつつ、趙雲は唐獅子にも礼を述べ、場を立ち去った。

それにしても孔明のやつ、なんだって献血ごときで、こうも答えをはぐらかそうとしたのだろう…




『中央都市』の、まさに中央にそびえたつ『バベルの塔』は、今日はカンボジアの仏塔風になっていた。
いまにもはるか彼方から、独特の弦楽器の調べが聞こえてきそうな雰囲気である。
風に乗って、淡黄色の花びらがふってきて、手に取ると、それは椰子の花びらのひとつであった。
塔の管理人である、水晶製ゴーレムのイーさんによれば、階上にすむアトラ・ハシースたちが集って、優雅に天上に花を散らしつつ、歌会をしているということであった。

ためしに、孔明の部屋に行くと、だれもいない。
『なんだ、留守か?』 
留守の場合ならば、イーさんがここへ案内してくれることはないのだが。
勝手知ったる人の家。
とはいえ、留守のあいだにそこいらにあるものを動かすのも気が進まない。
帰ろうか、と踵を返したところへ、ぱっと扉が開き、珍しくも、昔懐かしのゆったりした道衣に身を包んだ孔明が、上機嫌であらわれた。

酒の臭いとともに、趣味の良い香の薫りがただよってくる。
孔明は、目も醒めるような鮮やかな色合いの衣を身に纏っていた。
見慣れた目にも、その姿は鮮烈で、手放しで美しいと褒め上げたくなるものである。
ははあ、これは歌会とやらに招かれていたのだな、と趙雲は見当をつけた。

「子龍、どうしたのだ。呼んでいるというから、中座をしてきたのだよ。それにしても、こんな気持ちのよい天気の日に、こんな愉快な宴を開けるとは、しみじみ幸福だと思うねえ」
「おまえが歌会に出るなんて珍しいな。その格好はどうした?」
ああ、これか、と言いながら、孔明は冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを飲みつつ、言う。
「わたしは武骨者で詩作が下手だから、埋め合わせに舞を披露してみせたのさ。そしたら、おもいのほか好評でね。ああ、気が晴れた。このところ、役員同士でぶつかることが多かったけれど、これで互いに帳消しだ」
孔明はうれしそうに声を立てて笑う。

基本的にひとりを好む孔明が、賑やかな場に招かれて、これほど上機嫌でいる、というのも珍しい。
よほど良いことがあったのだな、約束もなしに突然に訪問して悪いことをした、今日はつくづく間が悪い、と趙雲が思っていると、孔明は、怪訝そうに顔を小首をかしげている。
「どうした、浮かない顔をしているな。なにかあったのか?」
「急ぎの用というわけでもない。また出直してくる」
「なんだ、せっかくきたのに、それではつまらないだろう」
孔明は、水のボトルを仕舞うと、帰ろうとする趙雲の腕を取った。
「そうだ、あなたの知っているアトラ・ハシースもいることだし、一緒に宴に出ないか。あなたならば、きっと歓迎されるよ。そうしよう」
「俺はそういう、晴れやかな場には似合つかわしくない。歌も舞いも披露できぬからな。無用な恥はかきたくないのだ」
「演武は?」
「それこそ無粋というものだろう。今日はこれで帰る」
「まてまて、本当につまらぬ。そうだ、貰ってきた桃があるのだ。一緒に食べようか」
と、孔明は大きな桃を取り出して、なにも返事をしないうちから、危なっかしい手つきで桃の皮をはがし始めた。

鼻歌でも飛び出しそうなうしろ姿に、嫌がられると判っている話題をぶつけるのもなんだったので、趙雲が黙っていると、孔明が口を開いた。
「その気まずそうな顔からして、どうやら、馬超に会って、例の方法を聞いたらしいな」
「なぜ知っている」
「だいたい見当がつくさ、あなたの性格を考えればな。しかし馬超はなかなか人気者だな。今度、やまと随一の文筆家に、ルポを書いてもらえるのだって? 流行りもの好きの連中が、いまから騒いでいるよ」
「ああ、そんなことを言っていたな。『緊急事態の霊力補給方法』のことを尋ねたら、おまえたちは、いつもそういう面倒なことを聞きに来るときなどにしか現われないと言い返されてしまった」
「ああ、それは申し訳ないな。とはいえ、こちらはこちらで、遠慮しているのにな。馬超は、あれでいて繊細な人だからな。うまく付き合わないと、ひどく傷つけてしまう感じがして、付き合うのがむずかしい」
「それはあるな。そうだと本人に指摘しづらいところが、なんともはやだ。こちらとしては、疎外しているつもりはないし、避けてもないつもりだが、向こうはそう思っているようだ」
「お互い、過度に無理をせず、付き合ったほうがよさそうだな。わたしが見たところ、馬超はあなたに歯がゆい思いをしているようだけれど」
「あいつが俺に? そうか?」
「気づかないかな。たぶん馬超は、もうすこしあなたと仲良くなりたい様子だよ。馬超からすれば、わたしは邪魔者だろうね。あなたをいつも独占してばかりいるのだから」
「どうしてそう思う?」
「馬超は、わたしには本音を漏らさないからだよ」
と、孔明は、桃の薄皮をゆっくり向きながら言う。

趙雲は、ソファに座って、じっと孔明を待っている。
「あいつの人見知りなところは、おまえに似ているな。似たもの同士で、かえって反発するというところか。ところで」
「なんだ」
「もし、おまえが俺ではなく、あいつを召喚した際に、霊力の補給がままならなくなったとしたら、例の方法を取るか?」

とたん、孔明は手を止めて、眉をぎゅっとしかめたまま、振り返った。
「なんだって?」
「いや、だから、霊力の補給についての方法なのだが」
「馬超と? 例の方法を? 冗談じゃない。そんなこと、絶対にするものか」
意外なことに、孔明はさきほどの上機嫌な様子をかなぐり捨てて、勢いよく否定をしだした。
「あなたでなければ、風でもって、その窓から放り出しているところだ」

なんだか変だな。
たかが献血ではないか?

「しかし緊急時だぞ。どういう思想が原因で、そうぷりぷり怒っているのかはしらぬが、おまえも、他人のものが己の中に入るということに抵抗を覚えているクチか?」
だから教えようとしなかったのか。
趙雲の言葉に、なぜだか今度は孔明が、蒼くなったり赤くなったりしているところであった。
そして、きょとんとしている趙雲を、剣呑な表情で凝視しながら、言った。
「問う」
「なんだ」
「貴公はまこと趙子龍か。ニセモノではあるまいな」
「ニセモノかどうかなど、おまえならば、すぐに見破ることができよう」
「そうだよな…子龍、このあいだ、ただの草刈で召喚された、という話、あれ、本当か?」
「本当だとも。そこで嘘をついてなんになる」
「いや…いままでの価値観を覆すような、衝撃的な出来事でもあったのかと。子龍、もし方法を試したいというのであれば、古えのギリシア人かローマ人の所へゆけ。とくにスパルタ人のところへ。歓迎されると思う」
「古えのギリシア人かローマ人で、とくにスパルタ人? なぜ?」
「なぜと問うか。知っている癖に…でもギリシア人やローマ人に歓迎されているあなたを想像するのも、悲しいものがある。ああ、どうしよう、想像が止まらぬぞ」
いったいなにを想像しているのやら。
孔明は、大げさにため息なんぞをつきながら、のろのろと、桃の皮をむく作業を再開した。

おかしいな。献血だろう。
古えのギリシア人やローマ人の献血率はそんなに高いのか?

「でも子龍、たとえあなたがかれらのところに入り浸るようになっても、わたしはあなたの友であり続けよう。そうなることが運命ならば、仕方ない。甘んじて受けるさ。ただ、のめりこみすぎて、『堕天』しないようにな。結構多いらしいから」
献血=人助けという図式が、頭のなかにしっかり出来上がっている趙雲には、ますますわけのわからない言葉である。
「なあ、もしおまえが俺を召喚した際に、やはり霊力の補給が石などでは間に合わなくなったら、例の方法を取るわけだろう。当然」
「『当然』とはなんだ」
孔明は吼えた後、ぴたりと止まって、なにやら考えはじめた。
「いや、でもどうかな。緊急時だろう? うむ、仕方ないのかな。いや、でもいやだな」

馬超とだったら、例の方法を取るか、と尋ねたときよりは、すこし態度が違うところは喜ぶべきことか? 
まあ、これだけ長い付き合いで、いまさら血がどうこうと問題にすることも意味がなかろう。

「俺には、なぜそうもったいぶるのか、よくわからぬ。たかが献血ではないか」
「…………献血?」
孔明は、笑い出したくなるほど、気の抜けた顔をして、趙雲をまじまじと見る。
「馬超がそう言ったのか?」
「馬超、というか、馬超が最近、仲良くしているらしいアトラ・ハシースの使い魔から聞いたのだが…ちがうのか?」
趙雲が質問に質問で切り返すと、孔明は、しばらく考え込んでいたが、なにやら思い当たったらしく、笑っているような、ひきつった顔を見せた。
「そうだとも。いやいや、そのとおり、献血だ」
「なんだか変だな。献血だよな?」
趙雲が、ソファから起き上がり、桃をむく孔明に近づことすると、孔明は、それを手で押し留めた。
「そう迫ってくるな。怖いじゃないか。献血だよ、献血。うん、献血なのだ。わたしが馬超と申し合わせたわけではない。証拠に、使い魔も、そうだと言ったのだろう。だから、献血だ」

早口になっているところが、なんとも怪しい。
孔明は、はるか昔にした、趙雲には嘘をつかない、という約束を、いまだに覚えているのである。

ふと、孔明がぼそりとつぶやいたのが聞こえた。
「そうか、献血と言うのは穏当な手段だな。そうすればよいのか。学習した」
「いま聞こえたぞ。おまえ、はじめて献血だと知ったのか?」
「うん? 空耳ではないか?」
「嘘をつくな、嘘を! おい、本当はなんなのだ?」
趙雲が迫ると、孔明は五月蠅そうに言った。
「ああ、もう、どうして『緊急事態の霊力補給方法』に、そうも拘っているのだ? わたしたちがそんな状態に陥ることはないから、関係ない。それでよかろう」
「もしそうなったとしたら? 方法を知っていると知っていないとでは、作戦の立て方も変わってこよう」
「そうかもしれないが、いいではないか、献血で。献血で行こう。ほーら、桃がむけた。これを食べて、すっかり忘れるように!」

そうはいくか、と言いかけた趙雲の口に、孔明は桃の切ったものをむりやり押しこめた。
そうして、そのままの姿勢で、言う。
「子龍、あなたとは、たぶん誰よりも付き合いが長い。助けられているし、感謝している。わたしはね、このままの関係を保っていたのだ。わかるか?」
やわらかな桃の実を頬張りつつ、趙雲は、判る、と頷いた。
「よろしい。ならば、このことは、もう二度と口にしないように。ほかのアトラ・ハシースがどんな方法を取ろうと、わたしたちが緊急時に霊力を補給するその方法は、献血だ!」
「考えてみれば、献血なんぞ、悠長な方法を取っていられない場合もあるな。そういうときはどうするのだろう?」
「考えるなと言っているだろう! 子龍、すまないが、わたしは歌会に戻らせてもらうよ。あちらの人たちも、待たせているわけだしね」
「ああ、引き止めたな。すまない…しかし釈然とせぬ」
「無理にでも納得するように。重ねて言う。わたしたちが、緊急事態に陥ることなど、ない」
「言い切れるか?」
「言い切れるとも。というわけで、さようなら。ここに居たければ居てもよいが」
「なんだ、もう歌会には誘ってくれぬのか」
「事態が変わった。あなたのことだから、歌会に連れて行ったら、ほかのアトラ・ハシースに方法を聞こうとするだろう」
ばれたか、と趙雲は小さくつぶやいた。
やはり、互いに伊達に付き合いが長いわけではない。

孔明は、忘れるように、と念を押して、優雅に衣擦れの音をさせて、自邸から出て行った。
主のない部屋に留まっていても、用などなにもない。
趙雲は、仕方なく孔明の家から去ったが、忘れろといっても忘れることはむずかしかった。
やはり、あれやこれやと考えては、悶々とするのを繰り返すのであった。

いまもって、趙雲は、方法についての明瞭な解答を得られていない。


おしまい


(2005 初稿)
(2021/11/27 推敲1)
(2022/01/03 推敲2)
(2022/01/07 推敲3)

※ あとがき ※

〇 献血です、はい。ほかの方法は…? 邪道なんですよ、きっと。
〇 前作に引き続き、原本は意味不明な文章と誤字脱字のオンパレードだった。我慢して読んでくれていたみなさんに陳謝いたします…
〇 「ここはいったい、どうなっているんだ?」というような動作の描写が多かったので、これも訂正。
〇 唐獅子の御主人さまは…おわかりですよね?
〇 2005年にねここ様よりリクエストいただいた作品。ありがとうございました。
〇 次回、うさぎ登場!