秋下村塾

雑記

12月31日

大晦日ですね。今年も一年お世話になりました。来年もまた、何卒宜しくお願いします。

12月19日 いろいろと

ネタはあるのですが何処から話して良いのやら。今日はまぁ、呑んで帰ってきたのでそっち系の話としましょうか。
久しぶりに先輩と呑んできました。今の組織について話せて色々と楽しかったわけですが。

私ぁ根っからの末っ子でして、最近迄は別に上に立とうとは思ってはいなかったのです。使い勝手の良い駒であれば 誰かが見出してくれるだろうと。自分の能力からすればそれはいとも容易いものでした。
でも結局それは成熟しきってない証拠だと気付いてしまったのです。行き着く先は「人の上に立てない人」だということに。 それは窓際をも意味し、たとえ自分が其処に意義を見出していたとしても、傍から見れば「ダメなやつ」に留まってしまう ということに。

それに気付くことが出来たのは様々な要因からであって、一つは私に対して諭してくれた人のお陰であり、 一つは私の中から沸々と湧き上がる「上に立ちたい」願望でありました。
このコミュニティに居る限り、私は上に 立つことは出来ない。たとえ出来たとしても、それは何十年も先のことである。この事に気付いたとき、急速に そのコミュニティへの期待値は下がっていったのです。

そこで改めて分かったことは、自分が上に立てる人間であること。そこに気付いてしまった以上、引き返すことは もう出来なくなったのです。大きく考え方が変わり、どのようにして人を動かすか、その点を重視して行動するように 変わりました。

ここから先は応用。
まぁ人の上に立つと言ってもいきなり全ての上に立てるわけではありません。所属するコミュニティの何処ならどの位置に いるか、その算定をするわけです。
で、改めて人員を眺めてみると、私の周りにはどこかしらでトップを張ってる人間が多いなぁということ。そこに 重要なポイントがある気がします。

攻め方は二通りあって、まず一つはコルポラティスム(コーポラティズム)という考え方。もう一つは、「経験」という考え方です。 後者から攻めましょう。講義に入るので文体を変えます。

「経験しなきゃ分からない」と言う言葉を聞くことは多いと思うが、それを否定はしない。違和感を感じてしまう経験もあって、 かつてカルト教団にハマッた知人が同じ科白を吐いたときに「それは違う」と思ったことがある。それは結局、そのカルトが 人道にもとる行為をしたからであって、そんなものを「経験の共有」する必要性は全くないからにすぎない。そういう際の 説得の仕方は、素直に「俺はこの教義が正しいと思うからやるだけだ」で十分のはずだ。
今ここで言う「経験しなきゃ分からない」というのは、明確に説得の材料であって、やっぱりやってみないと分からないというものは、 実際に存在するということだ。与えられた飯を食すだけでは調理方法は決して分からない。調理を分かってない奴に対して 「ここで3分熱する」と言ったところで通じるわけはないということだ。

この点は前者のコルポラティスムの考えに通じるところがある。コルポラティスムとは、代表者同士による会議のことを指し、 具体的に言えば、企業のトップと(労働)組合のトップが会談をして決定したことを、各々の組織の人員に(トップダウンで) 伝える、という方式のことだ。見方は色々あるが、ここで言いたい事は、末端の人間はその会議には参加しないということである。

結局のところ「経験」と「実績」を兼ね備えた人は魅力があり、「会議」に出席すべき人員であるということだ。そこでは 経験の共有が既得権として存在しているので、余計な前口上は存在せず、ダイレクトに本題に入ることが出来る。

限られた時間の中で「結果」を得なければならない。その為には余計なことを言う暇など、ないであろう。
ここでいう「結果」とは個人の効用(満足度)であり、決して何かの業績を指すものではない。結局のところ、 身銭と時間を割いて集う以上、充足感を与えて終わりにしたいということである。最も端的に言えば、呑み会ね。

その点で、自分は与えていられるであろうか。「与えられる」人間は、そんなことを考える必要はない。しかしながら、 「上に立とう」と思った人間は、たとえ其処でのポジションがトップでなかったとしても、そのことを考える義務を負うものであろう。
経営を行うことは奥が深く、信頼を得るのは難しく、その信頼を壊すのはたった一度で十分である。

まぁ暗い話で終わらせたくはないので蛇足を。
これは現状の何かに不満なのではなく、自分への戒めを込めて書いたもの。2年連続で、何でこんな目に会うんだろうなぁと 思ってよく考えたら年末なのね。「忘年会」を騙ったただの呑み会、呑む為の言い訳として用いられる忘年会が 多いからこんなことになるのです。
やっぱり暗くなったな。信頼できるものは、どれだけ頻繁に顔をつき合わせているかということ。何もなくとも自然と 集う面子が多いという自負は、そこらの人間には負けませんよ。

12月18日 やっとこ

サイト立ち上げました。といってもココではなく、神社の総合案内所を謳ったサイトを立ち上げたのです。

神社へ行こう

まだまだ更新しなければならないところが沢山あります。そしてまた、金稼ぎの手段でもありますので 広告をバンバン載っけていきます。「神社に行きたい!」て思ったらまずはこのサイトを覗いてくださいな。

あ、あと、環境によって見た目が大きく変わるかもしれないので、何処か見づらい所がありましたら指摘してください。

12月11日

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12月8日 大東亜戦争開戦記念日

良識ある日本国民の皆様、今日という日は、 今から遡ること64年前、我が大日本帝国が、西洋白人帝国主義から亜細亜・阿弗利加を解放せしめんと アメリカに斗いを挑んだ、記念すべき日であります。

というわけで、渋谷にて青年統一行動があるという情報を入手したので行ってきました。
平日の昼日中、13:30より街頭演説が開始されました。私が到着したのは13:40ころ。既に最初の 弁士が演説を始めているところでした。内容は今日という日の説明が主で、まずは聴衆に自分たちの意義を 問うという内容。以下、短観を交えて書いていきましょう。

愛心翼賛会会長・菊池さん。声量が良く、遠くまで轟くような演説。最初の弁士を継ぐ形で、今日という日の 説明を自分なりの言葉で語る。

日本皇政党・遠友國志青年同盟・佐藤さん。対象を渋谷を歩く若者に絞って演説を開始する。導入が非常に上手く、 ところどころに笑いを交え、自身の体験を交えながら演説をしてゆく。面白かったのが、
「君たちは恐らく学校で習う事など殆ど覚えていないでしょう。でも八大将軍である吉宗の名前は 知ってるんだよな、パチスロで。」
というくだり。続けて
「でもこれだけは覚えておいてください。今日という日は、日本が、西洋の帝国主義から、黄色人種を 解放しようと闘いを挑んだ記念すべき日なのです。8月15日などという、敗戦の、後ろ向きな日を記念とするのではなく、 闘いを挑んだ今日こそを、記念の日とすべきなのです。」
と力強く述べた。僅か15分ほどの演説だったけれども、導入から終わりまでとてもよく構成された弁だった。今日の弁士の中では 一番惹きつけられたな。

日本郷志同盟・根本さん。いかにも右翼、って感じの演説。「良識ある日本国民の皆様、我々は〜」から始まり、 淡々と今日という日の説明を行う。声量が弱く、いまいち人を惹きつける言葉がなかったのが残念。

神州誠義團團長・片山さん。これまた根元さんと同じく定型演説。だみ声だったので聞きづらかった。定型演説はまぁ、 右翼っぽくて良いのだけれども、聞きなれている身としてはどうしても飽きが来てしまう。

同血社会長・河原さん。やはりこの人の演説は上手い。今日の弁士の中では一番長く、20分強演説していたと思うのだが、 時間を感じさせない安定した喋りを見せてくれた。ただ、若干言葉を噛んでいたのと、思考する少しの間があったために、 演説の仕方という点で前述の皇政党の佐藤さんに軍配が上がった。内容は河原さんの話が一番面白かった。

「政治家が政治家らしくなくなってしまった。医者が医者らしくなくなってしまった。先生が先生らしくなくなってしまった。 子どもが子どもらしくなくなってしまった。親が親らしくなくなってしまった。男が男らしくなくなってしまった。女が女らしく なくなってしまった。

と、一息でまくしたてるところは凄かったなぁ。これは実際に聞いてみないと伝わりづらいけど、 言葉に魂がこもった演説だった。その先にある言葉は果たして「右翼が右翼らしくなくなってしまった」ということなのだろうか。

最後に至考塾の赤城さん。紹介の時から「若手」と称され、自らも「まだまだ勉強中の身でありますが」といった具合で、 今日話すために勉強してきたことを話していたようだった。声量はとてもよく、これからどんどん惹きつける演説を していってもらいたい。

以上で渋谷駅頭における演説は終わり、神州誠義團の街宣車を見送り(といっても遠目から眺めていただけ)、第一部は 終了。この後街頭情宣部隊が代々木公園にて集会を開いている間は渋谷で小休止をして、17時すぎに行われた 徒歩デモを観賞。平日だったせいか参加者がとても少なく、ちょっと迫力に欠けたのが残念だったが、徒歩でも参加者 一人一人が手に日の丸を持ち行進するさまはとても見栄えが良かった。

徒歩デモの一行を見送り、渋谷を後に。久しぶりに右翼の風に触れたが、やはり居心地の良いものだった。

12月2日

色々ありましたが、今日からまた再開します。掲示板のレスにも書きましたが、ミムラさん是非みんなを 集めて忘年会やりましょう。

何から話したら分からないような時を過ごしてました。まぁ、色々と考えて、自分の中では大筋で結論は 出ていたことなのですが、なにぶんしがらみなどが多いもので大変なところもありました。
最大のヤマは越えたので、あと残すヤマは一つです。浅間山くらいの。あとは高尾山くらいのヤマが二つくらい。

全てカタがついたらたぶん此処でも書きます。さりとて此処は 天保山くらいですから。

とりあえず今日はこの辺で。
私は物事を内に溜め込んでしまう方なのですが、全部話した方が楽なのでしょうか? 楽だとは思う反面、私の 厄介な性格が二つ鎌首を上げているのです。一つは、言うことによって現状が崩壊してしまうという恐れ。そして もう一つは、内面に溜め込むことによる恍惚です。さしも厄介な性格を持ってしまった為の苦しみだと思いますが、 そんな苦しみもまた、愉しいのです。

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