納期に追われて久方ぶりにテンパッています。
我ながら文学の才能の無さを痛感した作品でありますが、 妻が妊娠した喜びをなんの辱めもなく巧くに表現できたのではないでしょうか? 西村珈琲店は実在のお店ですが、ここで待ち合わせをしたというのは創作です。 とてもステキな店ですので、名古屋に立ち寄ることがあれば一度訪れるのもいいでしょう。 それから、嶽本野ばらさんの小説はこれ以来読んでないですが、 カフェー小品集はとてもステキな小小説です。
この作品は、このサイトの中で一番の失敗作です。 散り続ける花とは、結局、「人生は生き難い」ということを言っていて、 その理由は、「世界が乱雑さを増大する方向に向かっている」からである、と。
「乱雑さ」ってのは化学の用語なんだけど、
雑把に言えば、分子と分子は分かれて散らばっていくものだ、ということ。
上のモノが下に落ちるのと同じくらい当たり前さで、分子と分子は散らばっていく。 これは、18の或る夜、生き難さに悩んでいた時に、はっ!と気付いたことで、「な〜んだ、じゃあしょうがないな」と思ったことなのだ。もちろん、この生き難さは、仕事が難しいとか、恋愛を続かせ難いとか、と同じことで、だから「結構大変だけど頑張んなきゃな!」と受け入れた瞬間であったのだ。生き続けるとか、人間関係を維持するとか、モノを創るとか、それは自然に逆らった、非常に苦役なことなのだ。 あとがき : 乱雑さとは、エントロピーの増大ともいうらしい。部屋にほこりが溜まるとか、白いシャツが薄汚れるとかもそれで説明される。
この講義が続かないのは、別にネタが尽きた訳ではない。その表現手段にある。 日本人の文章で気に入らないのは、なんか偉そうで含蓄がありそうなことを書いておいて、 結局どうしたらいいのか?を明確にしないこと。それで分かったような顔をしている。 テレビの評論家とか解説者とかもそうだ。偉そうなことを自分の分かった範囲だけ言ってふんぞり返ってる。 俺はそんな奴らのようにはなりたくない。俺はもっと言いたいことを明確に責任を持って言うんだ。 そんな風に思ってこの講義を始めた。そしたら、疲れて続かなくなった。
そして、この作品がその「分かったようなことを言ってふんぞり返ってる」の典型である。 なんとなく含蓄のあるようなことを言って、肝心なことを何も明確にせず、結局何も答えていない。 堕落である。でもなぜか書きやすかったし、読みやすい。日本語って情緒があってステキな言語だと思うが、 ちょっと楽な方に流れやすい言語だな、と思った。
文と絵を両方見せるってのはいいなあ、と思った作品で、自分としてはこのサイト内ベスト3に入るお気に入り。 画像はもちろんパクリ。 センセイ元気にしてるかなあ?個展やってたら見に行きたいのだが。 もうちょっとお金が貯まったら、ホンモノの作品を買って居間に飾りたいと思っている。 04.03.19 |