ねずみの算数 後編
  
  
  さて、どうするか。
  まだ暴れ足りない様子の刺客である。
  こいつの四肢の骨すべてを折り、動きを封じてから牢へ閉じ込めるべきか? 
  とはいえ、甘ったるいことは言いたくないが、その蛮行ともいうべき行為を、孔明の前でするのはためらわれた。
  決裁をあおごうと振り返ると、孔明は、利き腕をさすって、痛みに顔をしかめている。
  「どうした?」
  「さっきので捻った」
  「…すまん」
  相手が、精神的には打たれ強いが、肉体的には打たれ弱い、やわな青年だ、ということを忘れていた。
  「どれくらい痛む? 字は書けるのか?」
  「たぶん」
  といいつつ孔明は腕をまくる。
  すでに腕は、ひねられた反動で腫れつつあった。
  これでは文字を書くのは無理だ。
  趙雲が顔を蒼くしているのを見て、孔明は、それでも笑みをうかべてみせる。
  「謝るのはこちらのほうだ。すまないな、子龍。やはり剣くらい、使えるようにしておかねばいかんな」
  むしろおまえが悪いと責任転嫁されたほうが、趙雲は気が楽だったろう。
  
  趙雲は、ふたたび仰向けになっている刺客に振り向くと、手にしていた剣を振りかざした。
  ざくり。
  一瞬ののちに、ぱらぱらと、刃によって切られた刺客の髪の毛が、束になって崩れた。
  刺客は、あまりのことに目を見張っている。
  おそらく、ひとおもいに、首を刎ねられたほうが、よほどましだと思ったにちがいない。
  髪を切られることは、罪人の証し。
  死罪に次ぐ、重い罪、そして死罪にも増して、恥辱を味わう罰なのだ。
  
  「殺せばよかろう!」
  そう叫ぶ刺客に、趙雲は冷淡に言い返した。
  「あとでな。しかし貴様には、まだ用がある」
  「貴様らにしゃべる情報など、なにもないぞ!」
  「俺が貴様に用があるのは、その口ではない。手だ」
  「手?」
  趙雲は、息を詰めて様子を見守っている、背後の孔明にたずねた。
  「軍師、発注書はどこまで終わっている?」
  「あとは、数字を書き入れればよいだけだ」
  趙雲はふたたび刺客に向き直り、剣の切っ先を、その咽喉元に突きつけるようにして、言った。
  「俺は貴様をかならず殺す。いや、もう死んだも同然の幽霊だ。軍師、条件には、幽霊に手伝ってもらってはいけない、というものはなかったろうな?」
  「普通は、そんな条件はつけないよ」
  「よし、貴様も、さきほどから俺たちの様子を探っていたのなら、事情はわかっているはずだ。貴様には、筆をもてなくなった軍師の代わりに、数字を書いてもらう!」
  「そんな無体な!」
  わめく刺客の咽喉を、趙雲は切っ先で軽くつついた。
  それこそすぐに殺されるのであれば、刺客もこれほど不様にわめかなかっただろう。
  だが、髪を切られたあげくに妙な条件を突きつけられたので、すっかり冷静さをうしなっている。
  「やめてくれ! 本当に無理なのだ! 俺は、文字が書けぬ!」
  「やかましい! 一や二ならば、線を横に引っ張るだけであろうが!」
  「ええ! 数字って、そうなのか!」
  刺客は、衝撃に目を見開いている。
  背後では孔明が、
  「この者は、どこから来たのだろうな?」
  とあきれている。
  
  庶民に文盲は多いし、彼らを莫迦にするつもりもない。
  むしろ、中流より少々上の階級の出である孔明や、趙雲のように文字に明るい人間のほうが少ないのだ。
  しかし数字は生活に密着した大切なもの。
  学のない人間でも、簡単な数字の書き方、読み方くらいは、知っているものである。
  
  同情を引くための芝居かもしれぬ。
  ともかく、夜明けまでに発注書を仕上げねばならぬのだ。
  芝居をしているのならば、騙されたフリをして、ともかく目的を果たす。
  あとの処理は、あとで判断しよう。
  
  趙雲はこころを決めると、刺客を起き上がらせた。
  そして、刃で威嚇しながら、腕を痛めた孔明の変わりに、刺客に筆を持たせて、数字を書き入れさせた。
  数字をかけない、といった刺客の言葉は、本当だった。
  筆の握り方もわからず、ぎこちなく、一や二を綴っていく。
  さらにいちいち、
  「これが一! ほお、これが四か!」
  と驚くので、たまに小突いて、黙らせる必要すらあった。
  
  
  ※
  
  夜明けぎりぎりに、発注書は仕上がった。
  「よし! これで三割引きはわたしのものだ!」
  孔明は喜んで書簡をまとめる。
  刺客に仲間がいて、捕縛された仲間を取り戻そうと襲ってくるといけないので、柱に縛って放置しておこうとした趙雲だったが、ぎょっとしたことに、刺客がしくしくと泣き始めた。
  「俺の一生はここで終わりか。みなにいじめられ、縊られてしまうにちがいない。思えば、生れ落ちたときより、いじめられっぱなしのひどい一生であった。
  この仕事だって、本当は受けたくなかったのだ。でも、受けなければ、仲間たちにひどい目に遭わされる。俺だってわかっているのさ。要領がわるいし、刺客にはまるで向いておらぬとな。努力はしたよ。人一倍の努力を。
  だが、人には、向き不向きというものがあるということに、気づくのが遅すぎた。そう、俺は捨て駒にされたのさ」
  「よく喋るやつだな。同情を引こうとしても無駄だ。貴様を殺すと最初に言ったはずだぞ」
  「分かっているとも。刺客というものは、そういうものさ」
  刺客は唇をゆがめて、卑屈な笑みを浮かべて見せる。
  
  趙雲はだんだんと苛立ってきた。
  こいつ、小芝居がうますぎる。
  「子龍、すくなくとも、この者のお陰で書類は揃ったのだ。情状酌量の余地はあるぞ」
  「寝不足で冷静さを欠いているようだな。こいつがおまえの命を狙ったことを忘れたのか?」
  「忘れてはいないよ。でも、そんなに悪いばっかりの男でもなさそうな」
  「甘い!」
  つい語気が荒くなる。
  孔明は軽く眉をひそめて、いつもそうするように、小首をかしげた。
  「寝不足なのは、あなたも同様だな。この者の処断は、ゆっくり休んでから決めることだ。それより、商人の常宿へいくぞ。そろそろ夜が明ける」
  「うむ…こいつはどうする?」
  
  はらはらと涙をながし、ときに大きく鼻をすする刺客に、趙雲はうんざりした目線を向ける。
  それというのも、孔明が、すっかり慈愛をたたえた視線で刺客を見下ろしていたからだ。
  どうやら、ほぼ一晩、ともに書類を作成したことで、情がわいたらしい。
  
  わが君もお人よしであるが、こいつは輪をかけてお人よしだ。
  わが君の場合は、裏切られてもよし、という覚悟があってこそのお人よし。
  だからこそ人々に慕われるのだが、こいつの場合は、単に世間知らずゆえの、お人よしではないか。
  
  「ここでは、たしかにさらし者になるばかりだ。わたしの私室に縛っておこう」
  やはりというか、なんというか。
  趙雲は嘆息しつつ、孔明の言うとおりに、刺客をぐるぐるに縛って、孔明の私室に放り投げておいた。
  孔明が立ち去り際に、刺客の側にかがんで、なにかをつぶやいていたが、趙雲は、あえてそれを聞かないでおいた。
  知らなければ、苛立つこともあるまい。
  
  
  ※
  
  「ほんとうに発注書をおひとりで仕上げてしまわれるとは」
  商人たちはそう言って、目をまんまるにして驚いていた。
  孔明は得意満面。
  「感服いたしました、三割引きで品物を売らせていただきます」
  と商人たちは深々と頭を下げる。
  なにもかも、めでたしめでたし、と思ったが、まだつづきがあった。
  
  城に帰ると、張飛が仁王立ちになって待っていた。
  なぜだか、後ろには関羽まで控えている。
  かれらは一様にこわばった顔をしていた。
  なにか文句を言ってくるつもりなのかなと、趙雲はかまえた。
  趙雲も孔明も寝不足で、頭が冷静にはたらかない。
  この状態で言い争いは避けたいなと思っていると、関羽が、張飛小突くようにして、一歩、前に出させた。
  と、同時に、張飛の影にかくれて見えなかった、ちいさな女人もおずおずと前に進み出る。
  夏侯夫人であった。
  趙雲は、このあどけない風貌をした夫人を見るたびに、いったい家で張飛とどんなふうに過ごしているのだろうと考えてしまう。
  それほどに、大人と子供といっていいほど年の離れた、似合わない夫婦だった。
  仲は良いそうなのだが。
  
  夏侯夫人と張飛は、それぞれ思い詰めた目をして、孔明をじっと見た。
  あまりにふたりが黙っているので、孔明も緊張した顔をしている。
  ほどなく、沈黙に耐えかねた関羽が、張飛のあたまを小突いた。
  「これ、はっきり言わんか」
  「わ、わかっているよ」
  そして、夫婦は顔を見合わせてから、うん、と了解したようにうなずく。
  つづいて、仲良くそろって勢いよく頭を下げてきた。
  「ごめんなさい!」
  「すまなかった!」
  なんだ、なんだ。
  うろたえていると、謝る夫婦の背後に山のように控えている関羽が言った。
  「城の物資を三割で手に入れられるというめったにない機会をつぶそうとした、この馬鹿な義弟夫婦を許してやってくれ。たっぷり叱っておいたからな」
  
  そういうことかと、趙雲は安堵した。
  となりの孔明は驚きつつも、うれしそうである。
  「頭をお上げください、お二人とも。もう無事に品物は手に入れられたのですから」
  「際どいところだったがな」
  趙雲がちくりと言うと、張飛も夏侯夫人も、ますます気まずそうな顔をした。
  か細い声で、夏侯夫人が言い訳をする。
  「ごめんなさい、ちょっとしたいたずらのつもりで商人たちに知恵をつけてしまって」
  しどろもどろの妻のことばにかぶせるように、張飛がしおれた様子で言う。
  「軍師、俺が悪いのだ。俺がこいつに、あることないこと言いふらしたものだから、素直なこいつがすべて真に受けてしまって…ちょっとしたいじわるをしてやれと思ったらしい。すまぬ!」
  張飛はまた頭を下げた。
  うしろでは、関羽がそれでよいというふうに、うんうんとうなずいている。
  
  「謝ってくださって、うれしいですよ」
  意外なことばを孔明はつむぐ。
  おどろきに目を丸くしている張飛とその妻と関羽が孔明を見る。
  すると、孔明の顔には、いつにもまして魅力ある温雅な笑みが浮かんでいた。
  「済んだことですから、もう水に流しましょう。二度とこういうことをしないと約束してくださるなら、それでわたしは十分です」
  そのことばに引き寄せられるように、夏侯夫人がうなずいた。
  「しない、しないわ。約束します。ほんとうにごめんなさい。許してくださるのね?」
  「もちろんです」
  「俺も、いままでの態度を謝るよ。すまなかった、軍師。これからはこころを入れ替える」
  「ありがとうございます。わたしより年上のあなたが頭を下げてくださるとは。そう決意するのに勇気が要ったでしょう。その心遣いがなによりうれしいです」
  そう言って、あざなのとおり、はなはだ明るい笑みを見せる孔明に、夏侯夫人と張飛の頬が、ぽっと染まったのを趙雲は見逃さなかった。
  ひとたらし。
  そんな言葉が趙雲の脳裏をさらっとよぎった。
  
  気恥ずかしい雰囲気の漂うなか、張飛はぎこちないながらも、ようやく孔明に打ち解けて話をするようになった。
  ながいあいだ孔明を無視してきた男と、その男の言葉を真に受けて嫌っていた、少女のような妻。
  それがいま、打って変わって、孔明に心服している。
  わが君も大きな度量の持ち主だが、こいつも大したものだ、つがいの虎を手なずけてしまった、と趙雲は感心した。
  
  
  ※
  
  孔明の私室に帰ってくると、放り投げておいたはずの刺客は、縄を切って、姿を消していた。
  小刀でみずから縄を切って、逃げ出したらしい。
  しかし趙雲は、刺客を縛り上げたとき、ほかに武器となるようなものをもっていないか、くまなく調べていおていた。
  見落としをしたとは思えない。
  やはり、と思いつつ孔明を見ると、孔明も無言のうちに察したのか、
  「幽霊だから、ドロンと消えた」
  と、児戯めいたいいわけをした。
  
  あとで刺客が倍返しをするために、戻ってきたらどうするつもりなのだろう。
  趙雲が嘆息すると、孔明はなにがおもしろいのか、声をたてて、明るく笑った。
  その子供のような笑顔を見ていたら、どうでもよくなってきた。
  あとのことは、あとで考えよう。
  
  
  ※
  
  
  それから十四年後。
  商人たちが、こぞって、おさめる品物がないと返答を寄越したとき、趙雲は暗い気持ちに襲われた。
  同時に、なぜか、なつかしい新野の一夜のことも思い出していた。
  
  いまは丞相となった孔明は、成都で留守をあずかっている。
  皇帝の孫呉への親征、ということで最初は盛り上がっていた戦であったが、趙雲の予感どおり、結果は大敗に終わった。
  本来の大義から大きく逸れ、冷徹な目線と戦略に欠ける戦は、負ける運命にあったといってよい。
  味方の兵たちは、みな士気をうしなっている。
  最悪の事態が脳裏をかすめた。
  このまま、江東の兵どもが押してきて、西に向かって来たらどうなるか。
  劇的な勝ち戦で波に乗っている彼らにたいし、蜀漢側は、物資にすら事欠くありさまだ。
  
  いや、実際のところ、物資は商人たちが抱えている。
  しかし、張飛の死に際の話が、あっという間に世間にひろまり、商人たちは及び腰。
  張飛が物資をそろえられなかった部下を打ちのめしたことで、恨んだその部下に報復されて命を落としたことが、商人たちをおびえさせている。
  かれらも命が惜しい。
  なにかの手違いで似たような境遇に陥ることを恐れて、物資がない、と嘘を言ってきていた。
  
  張飛。
  死んでまで、迷惑をかけてくれるやつだ。
  罵倒すら、笑って言い合える、数少ない相手であった。
  二度と会えないと思うと、悲しみと同時に、苦いものが胸を走る。
  夢はついえ、滅亡を待つばかりなのか。
  打てる手は、もうないのか。
  
  成都から状況を知らせろと矢継ぎ早にやってくる使者に、みずから筆をとって、丞相府あてに手紙を送る。
  東へ向かおうにも、物資が不足している。
  これがもし、呉の知るところとなれば、連中は、趙雲動かず、と見て、一気に押し寄せてくるだろう。
  わが君の待つ永安は目と鼻の先だが、こちらも持ちこたえられるのは、わずか数日。
  兵糧もなにもかも尽き欠けている。
  こうなれば、あとは頼むとしか言いようがない。
  
  「将軍、商人が、ぜひ将軍にお目にかかりたいと」
  孔明への手紙の筆を止め、趙雲は部下に答えた。
  「俺ではなく、司馬のだれかに応対させよ」
  「いいえ、それが、是非に将軍にお目にかかりたいと。もしお目通りがかなうのであれば、物資を用意すると申しております」
  趙雲は、筆を置いて、顔をあげた。
  
  商人どもめ、足元を見よる。
  おそらく元値の数倍もする物資を、恩着せがましく売りつけて、今後の便宜を頼んでくるにちがいない。
  忌々しいが、背に腹は変えられぬ。
  趙雲は立ち上がると、商人が待っているという広間へ移動した。
  
  広間では、髪に白いものの混じった、いささか太り気味の商人が、床にかしこまっていた。
  「面をあげよ。堅苦しいあいさつも前置きもいらぬ。物資を揃えられる、というのは本当か」
  「まことにございます」
  商人は顔をあげる。
  作り笑いでできたしわがくっきりと刻まれた、特徴のない中年男の顔であった。
  趙雲は奇妙に思った。
  なぜかその男の双眸は潤み、いまにも泣きだしそうになっていた。
  「物資のすべてを揃えられるか」
  「もちろんでございます。大量に仕入れてくださるとのことで、とくべつに、三割引で納品させていただきます」
  「三割引!」
  思いもかけない申し出である。
  思わず趙雲は安堵し、周囲の部将たちと喜びで顔を見合わせた。
  
  だが、待て。
  話がうますぎる。
  信じてよいものか?
  「質問をしたいのだが」
  「なんなりと」
  「おまえの申し出はありがたく思う。だが、ほかの商人たちが、我らと関わりあうのを恐れ、こぞって品物がない、といっているこの状況下で、おまえはなぜ、三割引で、我らに物資を提供するというのか。理由を聞かせてはくれぬか」
  「忘れておいでか。それも無理のないこと」
  そうつぶやくと、商人は、はらはらと涙を流し、趙雲をまっすぐと見た。
  「お久しゅうございます。わたくしは、かつて新野城にて、丞相様と将軍様に命をすくわれた男でございます」
  
  まさか。
  
  趙雲は驚愕のあまり涙にくれる男をまじまじと見た。
  「おまえ、あのときの?」
  商人は、袖で涙を拭きつつ、こくりと肯いた。
  「あの夜まで、わたくしは、薄汚いネズミでございました。あの夜、思いもかけず、貴方様と丞相様は、わたくしに数字を教えてくださり、しかも命まで助けてくださった。あれからわたくしは、生れ変わったのでございます。
  裏の仕事から足を洗い、文字を習い、算術をおさめ、こうしてまっとうな商人として、身を立てることができるようになりました。
  本来ならば、もっと早くにお礼のごあいさつをしなければならなかったのですが、以前のわたくしのことは、ほかのだれも知りませぬ。昔を知られるのがおそろしくて、ずっと黙っておりました。
  しかし、此度の戦にて、将軍様が困ってらっしゃると商人仲間から聞きまして、いまこそ恩返しせねばと、こうして駆けつけてきたのでございます」
  「なんと…」
  趙雲は、すっかり言葉を無くしていた。
  世の中は、どん底を味あわせてくれることもあるが、こんなふうに、すばらしい贈り物をくれることもある。
  
  いや、世の中のおかげではない。
  趙雲の脳裏に、かけがえのない友の顔が浮かんだ。
  
  「あいかわらず、よく喋るやつだな」
  「よく言われます」
  商人は、涙に暮れつつ、笑った。
  「あのとき、丞相様は、わたくしに小刀を渡してくださいまして、こうおっしゃいました。
  『わたしは今宵、おまえに三つの贈り物をした。ひとつはこの刀、ふたつめは自由、みっつめは数字だ。よいか、この三つのうち、世のなかでもっとも強いものは、数字なのだ。刀は折れれば用はなさぬし、自由はときに、かえって行く手を阻み、重荷となる。
  おまえが今宵のことですっかり懲りて、人生をやり直したいと思うのなら、わたしが与えた、数字という最大の武器をつかって、自らの道を切り拓いていけ。そして、二度と闇に戻るな』と。
  あのときの、あの言葉がなければ、わたくしは、ふたたび闇に戻り、どこかで野たれ死んでいたかもしれませぬ。あの御方の言葉は、わたくしにとって、今日まで光のように、行く手を照らしてくださいました」
  
  趙雲は、思わず、ここにはいない孔明の姿を捜し、そして、成都のほうを仰ぎ見た。
  おまえは、ほんとうに凄いやつだ。
  これで情勢は変わる。
  偶然でもなんでもない。
  おまえの力が変えたのだ。
  
  「そうか。では、三割引だな」
  「はい、三割引で」
  そうして、数年を隔てて再会した男たちは、まるで旧知のように、温かい笑みを交し合った。
  
  
  ※
  
  かくて趙雲は軍をととのえ、永安にまで兵を進めたが、そのときには、すでに呉の軍勢は撤退をしたあとであった。
  しかしもし、趙雲の軍に物資が不足しており、士気も上がらぬ状態であったなら、そして、それを呉につけこまれていたら、その後の歴史も、大きく変わっていたかもしれない。
  
  
  完
  
  (2005/04/10 初稿)
  (2021/11/28 推敲1)
  (2021/12/22 推敲2)
  (2021/12/26 推敲3)
  (2022/01/09 推敲4)
  
  ※ あとがき ※
  
  〇 好きな作品ということもあり、他より多く推敲していたようで、誤字脱字は仰天するほどの多さではなかった。
  〇 けれど、長ったらしい文章、「〜が」でつづくもの、おかしな形容詞の含まれる文章、孔明の感情表現で稚拙なところなど、悪いところも目立ったので、直した。
  〇 後半の趙雲と刺客の対決シーンもわかりづらかったので、文章を追加した。
  〇 張飛と夏侯夫人が謝罪するシーンも付け加えた。原本は夏侯夫人は悪女のようになってしまっていた。大幅に訂正できて、個人的にはほっとしている。
  〇 好評だった作品なので、また定期的に見直してブラッシュアップしていきたいところ。
  〇 自分のために書いた、旧サイトにおける10000HIT記念作品。ご読了ありがとうございました(^^ゞ