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鈴木サツ聞き書き 遠野物語にもどる

●わかってくれれば

 「もう十年も前のことだっけもね、遠野の博物館から頼まれて、知っている昔話ぜんぶを、 テープさ吹きこんだことあんのよ。いやー、苦労したす、あのときは。だって、目の前に、だれえも人がいねんだもの。 たんだテープがまわってるだけで、うなずく人もねえばハ、なかなか、しゃべれるもんでねすよ。 やっぱり、話ちゃんと聞いてくれる人がいれば、語りやすいんだもの。

 だからね、おおぜいの人たちの前で昔話かたるときは、いつでも、話にあいづちうってくれる人見つけるの。 その人さ向かって、しゃべるのよ。

 だども、しゃべっているときに、この人たちに私の話がわかるんだろうかとか、 方言がわかるんだろうかなんつことは、考えないね。私はそういうこと、いまだに考えないもん、 聞きやすいんだろうかとか、そういうふうには。ただ、私のこの言葉を、この人たちがわかってくれればいいがなあ、とは 思う。だけれど、それ以上、くだいて聞かせようとは思わないもの。

 だって、つまらないでねえ。昔話をなんぼでも、「こうして、ああして」って説明していったらば、「むかす」の本質がなくなるんじゃない? 私はそう思うよ。だから、教えられたまんまなるたけ方言で語りてえと思うから、 話(はなす)するときは、この人たちがわかってくれればいいがな、とだけ思う。 うん、それだけだ。また、そう思って語ればね、ある程度わかってけるだっけ。

 弟の嘉七が、こういうんだよな。「おしらさま」の話していると、私は、ほれ、
「馬つるして殺した桑の木の葉っぱ取ってきて、食せたずもな」
って、こうしゃべんでしょ。せば、うちの弟が、
「それでは、聞く人にわからねんだ」
っていうのよ。
「桑の木の葉っぱ取ってきて、なにさ食せたのよ」
っから、
「昔話、それくれのこと、わけわからなくて聞いてられっか」
つったのよ(笑)。
「これはこれでいいんだって。何時何時(いづいづ)、これさ、蚕(とど)っこだから、 かようまっかくで、あんだのこんだのつったら、なんにもつまらねんでねえか」
って、私はいうの。私は、「親父から聞くとき、そういうふうに聞いてらから、おれはそうしゃべる」っていえば、
「それではつまらねえ。そこさ、なんかがなければ」
っていうんだってば、うちの弟が。

 父は説明しねえんだもの。しゃべっていくうちに、自分の判断と、それからその話の内容で、私たちわかったんだもの。

 細かく説明すれば、それは、聞く人がわかるかもしれないけれども、本気に昔語り聞く人は、 つまらねんだっていうの。そだって、昔話は説明してったら、つまらねんだもの。私は、説明したくないよ。ただ、わけがわからなかったら、 そのつどそこは教えるけれども、説明はしていきたくないよ、私。

 親父のしゃべりかた?親父はそれこそ、「ごりごり」を、あとから教えるような人だから。 ほれ、「頭のおっきな男の話」のおしまいのところ、「十里ある大根、ごりっ、ごりっと食ってば、なくなったど」っとこ聞いて、私たちが、 「十里ある大根、ふた口ぐれえ食ったって、なくなんねんでないの」ってば、父は、 「ハ、いいんだ、いいんだ、ほんでアそいつア、お前(め)たつア宿題だ」っていうんだよ。

 あとで考えれば、「十里」だもの、「五里五里」と食ば、なぐなることなんだもの。説明しねんだもの。

 まっつ、なにか私がしゃべってって、そして、そこさ説明加えたとき、それではたして昔話の感じが伝わるか、 伝わらねえかだと思うのよ。よしんば、わからなくっても、私のそのまんまの言葉でしゃべったほうが、あんまり説明さねえほうが、 昔話つものはかえってよくわかるんじゃないかと思うんだけっど、どういうもんなんだべ。

(一九九七年五月十四日ー十六日に、花巻温泉で聞く)

『鈴木サツ全昔話集』(語り鈴木サツ・編者小澤俊夫 荒木田隆子 遠藤篤)より

up date:5/1/99 byゆうなみyunami@cilas.net