御所(内裏)は本来、平安京の北中央、朱雀大路に南面して位置した大内裏の中にあったが、何度もの火災、戦乱で消失し、そのつど里内裏が用いられ、 元弘元年1331年光厳天皇即位以後、現在の地(土御門東洞院殿)になり、明治2年1869年の東京遷都まで皇居となる。 現在の殿舎は老中松平定信が総奉行となり、 平安の古制をにのっとて再建した。その後、また消失したが、安政2年1855年再建し今に至る。 訪問日2004/12/6 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
京都御所参観の清所門を入ってすぐの景色。遠くに御花御殿を見る。 | 内裏の内郭の西門である月華門、東側には日華門がある。
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内裏の西門である宜秋門、檜皮の端が崩れかかっている、これも四脚門 | 宜秋門から入った公卿が車を寄せる御車寄せ、唐風の造りである
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承明門からみた京都御所・紫宸殿 屋根は檜皮葺、庭前に見える木は「右近の橘」 | 内裏の正門である建礼門、豪壮な四脚門
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神泉苑は平安京の大内裏の南にあった御苑南北は二条大路から三条大路、東西は大宮大路から壬生大路までにわたる。 雨乞いの祈祷などが行われた。 平安時代そのままに位置している貴重な場。 現在は二条城の南に位置する。 訪問日2004/12/6 訪問者;しとう・とだい |
左上;南側の道から入ったところ。小さい拝殿がある。赤い反り橋が印象的。左奥に見える建物は料亭。 右上;反り橋の奥の木立に隠れて、竜頭の船がみえる。これは10年前にはなかった。観光用に作ったものか。 左;池は木立に隠れるように薄暗くよどみ、水鳥が見え隠れしていた。 |
嵯峨野に設けられた伊勢斎宮の潔斎所。野宮は斎宮一代ごとに設営された。鳥居は「黒木」(皮を剥がない丸木)。周囲は小柴垣をめぐらす。 斎宮は、天皇の代替わりに、未婚の内親王が定められ、二度目の御禊ののち、一年間野宮にこもる。 制度上最初の斎王は、天武天皇(670年頃)の娘・大来皇女(おおくのこうじょ)で、 制度が廃絶する後醍醐天皇の時代(1330年頃)まで約660年間続き、その間記録には60人余りの斎王の名が残されている。 現在の野宮は最後の斎宮の潔斎所だった所。 訪問日2004/12/5 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
現在では嵯峨野めぐりの入り口に位置するため、観光客の姿が絶えない。 | 「黒木の鳥居」は現在はコンクリート製。
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