京都御所の東側、梨木神社の向かいにある寺。紫式部の曾祖父権中納言藤原兼輔(堤中納言)が建てた邸宅(堤第)で ある。紫式部はここで育ち、結婚生活を送り、娘の賢子を産んだと言われる。 寺としての廬山寺は、摂家門跡寺院で、元は紫野の斎院跡にあったものを元亀二年1571年、織田信長の焼き討ちを免れ、この地に移転した。 訪問日2004/12/6 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
廬山寺の建物はわずか二棟、ひっそりと建つ。 | 紫式部を慕う熟年四人女。
|
白い石に松が映えるかっちりした趣の庭。奥の石は「紫式部邸宅跡」碑。 | 大弐の三位(賢子)と紫式部の歌碑。右は角田文衛氏の考証碑。
|
北区堀川通北大路下ル西側にある紫式部墓と伝える墳丘。同一敷地内には伝・小野篁墓がある。 この辺りは、平安の昔から蓮台野(れんだいの)と呼ばれる墓地だったところ。 この両人の墓がこのあたりにあったということは、文献上でも古い伝承として残っているが、本人たちがここに眠っているかは不明。 現在保存のため顕彰会が寄付を募っている。 訪問日2004/12/6 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
桔梗の花が手向けられた式部の墓。
右奥が小野篁の墓。式部は小野家の血を引くと言われる。 |
北区上賀茂本山にある「賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)」。天武天皇の時代に賀茂別雷神が鎮座したことになっている。 平安遷都後、山城国一ノ宮となる。 賀茂祭(現在は五月十五日)では斎院の行列が御所を出発後、下鴨神社の祭儀をへて、賀茂川を北上して、上賀茂神社に到着する。 また、五月五日には、競馬会(けいばえ)神事が、また六月三十日には夏越祓(なごしのはらえ)が行われる。 訪問日2004/12/6 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
駐車場から楼門をのぞむ。 | 二の鳥居の奥に細殿が見える。 |
左上;二の鳥居のおくにある細殿。前に一対の立砂がある。てっぺんに松葉がさしてある。 右上;立砂(たてずな)のてっぺんには松葉がさしてある。神が松の二股に降臨するようにとのまじないとか。 左;本殿の前を流れる「奈良の小川」。後方は御禊の場。上賀茂・下鴨両神社に「奈良の小川」と呼ばれる小川が流れる。 「ナラ」は韓語で「くに」「ふるさと」の意と言われているから、この賀茂氏も渡来人ではないかと思われる。 |
左京区下鴨泉川町にある、賀茂御祖(みおや)神社。上賀茂に祭られる別雷神(わけいかづちのかみ)の親にあたる 賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)と玉依媛命(たまよりひめのみこと)を東西の本殿にまつる。 上賀茂神社と共に山城の国一宮として京都の守護神。 鳥居の南側には、高野川と賀茂川に挟まれた三角地帯に生じた糺の森(ただすのもり)が拡がる。中を御手洗川や泉川が流れる。 訪問日2004/12/6 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい |
本殿の南に燦然と輝く赤い楼門。 | 「賀茂祭」の才の斎院の御禊が行われる場所。 |
神社の広い境内の南側は、鳥居をはさんで糺の森が拡がる。 | 糺の森に入るとすぐ、「奈良の小川」の「御手洗」がある。 |
紅葉がかかる御手洗川。 | 糺の森の中をまっすぐ三百メートルほど伸びる参道は椎・樫にまじった紅葉がみごと。
|