物語の土地
***物語ゆかりの土地 その3***
嵯峨野〜常寂光寺・落柿舎・祇王寺〜

 ∽ ∽ 常 寂 光 寺 ∽ ∽ 

嵯峨小倉山の麓にある寺。文禄4年1595年に開創される。
藁葺きの仁王門をぬけて石段がつづき、本堂のある高台にあがると一面の紅葉をすかして、
京の町が一望できる。重要文化財の多宝塔もある。
藤原定家の別荘時雨亭がこの地にあったされ、碑が立つ。

 訪問日2004/12/5 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい 

時雨にけぶる仁王門。紅葉は昨夜来の大風にみな散っている。 昨日まではさぞあざやかだったろう紅葉。
木々をすかしてひっそりと建つ本堂。 紅葉の散りしく小道に「藤原定家卿山荘址」の碑が建つ。
北側の小道を降りると市川房枝らの建てた「女の碑」。戦後一人で生きてきた女性達をまもる碑だ。  



  ∽ ∽ 落 柿 舎 ∽ ∽  

蕉門の十哲の一人、向井去来の庵。芭蕉も三回訪れ、「嵯峨日記」を書く。
「落柿舎」の名の由来は、ある商人が柿を買う約束をしたところ、大風の為に一夜にして実が全部落ちてしまった故事から。
今も柿の木が何本かあり、小さな庵の入り口には蓑が掛けてある。
芭蕉や去来の句碑が多く建ち、現在も俳人達が投句する箱が設置されている。

 訪問日2004/12/5 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい 

開けた田(今は野菜畑になっていた)を前に、木々に埋もれ、ひっそりと建つ茅葺きの庵。 ふすまには与謝蕪村の書いた「奥の細道図絵」が貼ってある室内。
庵の隣に別棟が。ここで今も句会をするようだ。 落柿舎の裏手にある墓地の一角に立つ去来の墓。30cmほどの自然石。義仲寺の芭蕉の墓石に趣が似る。




  ∽ ∽ 祇 王 寺 ∽ ∽  

平清盛の愛人だった白拍子祇王・祇女とその母刀自、およびのちに彼女たちの所へ自ら発心して訪れた仏御前が住んだ庵。
明治の初めには廃寺となって、墓と木造は大覚寺が保管していた所、元の京都府知事北垣国道氏が嵯峨の別荘の一棟を寄付し、 現在の建物がある。建物内に四人の木造が安置された。
一面こけむした地面に散る紅葉が美しい。
横手に、祇王・祇女・母刀自の三人の墓と、並んで清盛供養塔がある。

 訪問日2004/12/5 訪問者;あらき・かわむら・しとう・とだい 

祇王寺の入り口。こけむした茅葺きの屋根と小柴垣が風情がある。 昨夜来の風で散った紅葉を受けた門の屋根。
紅葉の庭の奥にひっそりと建つ庵。中に尼四人の木造が安置されている。 左が祇王・祇女・母刀自の墓。右が誰が建てたのか清盛供養塔。


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