原作

***「源氏物語」の名場面を原文にあたってあじわうページです***


第六章 「去りゆく人・来る人 藤壺出家・源氏須磨へ・明石の君登場」
源氏を激しく愛した六条御息所が伊勢に去ると、 後を追うように源氏を愛した人々が源氏のもとを去っていく。
父桐壺院が崩御。源氏を守る偉大な力が消滅した。
我が子東宮のために藤壺は出家して、源氏を遠ざける。
抑制のきかない源氏は朧月夜との密会を右大臣・弘徽澱大后にみつかり、怒りを買う。
罪を逃れみずから須磨に退去する源氏。嵐のなかで父の亡霊がでる。
明石入道の迎えをうけて移り住んだ明石で、源氏は気位の高い娘に出会う。


「賢木」の巻  1 「藤壺に激しく迫る源氏 藤壺、出家を決意」 
原文口語訳

 内裏に参りたまはむことは、うひうひしく、所狭く思しなりて、春宮を見たてまつりたまはぬを、 おぼつかなく思ほえたまふ。また、頼もしき人もものしたまはねば、ただこの大将の君をぞ、よろづに頼みきこえた まへるに、なほ、この憎き御心のやまぬに、ともすれば御胸をつぶしたまひつつ、いささかもけしきを御覧じ知らず なりにしを思ふだに、いと恐ろしきに、 今さらにまた、さる事の聞こえありて、わが身はさるものにて、春宮の御ため にかならずよからぬこと出で来なむ、と思すに、いと恐ろしければ、御祈りをさへせさせて、このこと思ひやませ たてまつらむと、思しいたらぬことなく逃れたまふを、いかなる折にかありけむ、あさましうて、近づき参りたまへ り。心深くたばかりたまひけむことを、知る人なかりければ、夢のやうにぞありける。

 まねぶべきやうなく聞こえ続けたまへど、宮、いとこよなくもて離れきこえたまひて、果て果ては、御胸をいたう 悩みたまへば、近うさぶらひつる命婦、弁などぞ、あさましう見たてまつりあつかふ。男は、憂し、つらし、と思ひ きこえたまふこと、限りなきに、来し方行く先、かきくらす心地して、うつし心失せにければ、明け果てにけれど、 出でたまはずなりぬ。

 内裏に参内なさるようなことは、物馴れない気がし、窮屈にお感じになって、東宮をご後見申し上 げなされないのを、気がかりに思われなさる。また一方、頼りとする人もいらっしゃらないので、ただこの大将の君 を、いろいろとお頼り申し上げていらっしゃったが、依然として、この憎らしいご執心が止まないうえに、ややも すれば度々胸をお痛めになって、少しも関係をお気づきあそばさずじまいだったのを思うだけでも、とても恐ろしいのに、 今その上にまた、そのような事の噂が立っては、自分の身はともかくも、東宮の御ためにきっとよくない事が出て 来よう、とお思いになると、とても恐ろしいので、ご祈祷までおさせになって、この事をお絶ちいただこうと、 あらゆるご思案をなさって逃れなさるが、どのような機会だったのだろうか、思いもかけぬことに、お近づきになっ た。慎重に計画なさったことを、気づいた女房もいなかったので、夢のようであった。

 筆に写して伝えることができないくらい言葉巧みにかき口説き申し上げなさるが、宮、まことにこの上もなく 冷たくおあしらい申し上げなさって、遂には、お胸をひどくお苦しみなさったので、近くに控えていた命婦、弁など は、驚きあきれてご介抱申し上げる。男は、恨めしい、辛い、とお思い申し上げなさること、この上もないので、 過去も未来も、まっ暗闇になった感じで、理性も失せてしまったので、すっかり明けてしまったが、お出にならない ままになってしまった。 

再び源氏、藤壺に迫る 



原文口語訳

 御悩みにおどろきて、人びと近う参りて、しげうまがへば、我にもあらで、塗籠に押し入れられて おはす。御衣ども隠し持たる人の心地ども、いとむつかし。宮は、ものをいとわびし、と思しけるに、御気上がりて 、なほ悩ましうせさせたまふ。
兵部卿宮、大夫など参りて、 「僧召せ」  など騒ぐを、大将、いとわびしう聞きおはす。からうして、暮れゆくほどにぞおこたりたまへる。

 かく籠もりゐたまへらむとは思しもかけず、人びとも、また御心惑はさじとて、かくなむとも申さぬなるべし。 昼の御座にゐざり出でておはします。よろしう思さるるなめりとて、宮もまかでたまひなどして、御前人少なになり ぬ。例もけ近くならさせたまふ人少なければ、ここかしこの物のうしろなどにぞさぶらふ。命婦の君などは、  「いかにたばかりて、出だしたてまつらむ。今宵さへ、御気上がらせたまはむ、いとほしう」  など、うちささめき扱ふ。

ご病気に驚いて、女房たちがお近くに参上して、しきりに出入りするので、茫然自失のまま、 塗籠に押し込められていらっしゃる。お召物を隠し持っている女房たちの心地も、とても気が気でない。宮は、 何もかもとても辛い、とお思いになったので、のぼせられて、なおもお苦しみあそばす。
兵部卿宮、大夫などが参上して、 「僧を呼べ」  などと騒ぐのを、大将は、とても辛く聞いていらっしゃる。やっとのことで、暮れて行くころに、ご回復あそばした。

 このように籠もっていられようとはお思いにもならず、女房たちも、再びお心を乱させまいと思って、これこれ しかじかでとも申し上げないのだろう。昼の御座にいざり出ていらっしゃる。ご回復そばしたらしいと思って、兵部 卿宮もご退出などなさって、御前は人少なになった。いつもお側近くに仕えさせなさる者は少ないので、あちらこち らの物蔭などに控えている。命婦の君などは、  「どのように人目をくらまして、お出し申し上げよう。今夜までも、おのぼせになられたら、おいたわしい」  などと、ひそひそとささやきもてあましている。 

藤壺、胸痛を病み、源氏塗籠に隠れて過ごす 

原文口語訳

 君は、塗籠の戸の細めに開きたるを、やをらおし開けて、御屏風のはさまに伝ひ入りたまひぬ。 めづらしくうれしきにも、涙落ちて見たてまつりたまふ。  「なほ、いと苦しうこそあれ。世や尽きぬらむ」  とて、外の方を見出だしたまへるかたはら目、言ひ知らずなまめかしう見ゆ。御くだものをだに、とて参り据ゑ たり。箱の蓋などにも、なつかしきさまにてあれど、見入れたまはず。世の中をいたう思し悩めるけしきにて、 のどかに眺め入りたまへる、いみじうらうたげなり。髪ざし、頭つき、御髪のかかりたるさま、限りなき匂はしさ など、ただ、かの対の姫君に違ふところなし。年ごろ、すこし思ひ忘れたまへりつるを、「あさましきまでおぼえた まへるかな」と見たまふままに、すこしもの思ひのはるけどころある心地したまふ。

 気高う恥づかしげなるさまなども、さらに異人とも思ひ分きがたきを、なほ、限りなく昔より思ひしめきこえて し心の思ひなしにや、「さまことに、いみじうねびまさりたまひにけるかな」と、たぐひなくおぼえたまふに、 心惑ひして、やをら御帳のうちにかかづらひ入りて、御衣の褄を引きならしたまふ。けはひしるく、さと匂ひたる に、あさましうむくつけう思されて、やがてひれ伏したまへり。「見だに向きたまへかし」と心やましうつらうて、 引き寄せたまへるに、御衣をすべし置きて、ゐざりのきたまふに、心にもあらず、御髪の取り添へられたりければ、 いと心憂く、宿世のほど、思し知られて、いみじ、と思したり。

 男も、ここら世をもてしづめたまふ御心、みな乱れて、うつしざまにもあらず、よろづのことを泣く泣く怨みき こえたまへど、まことに心づきなし、と思して、いらへも聞こえたまはず。ただ、  「心地の、いと悩ましきを。かからぬ折もあらば、聞こえてむ」  とのたまへど、尽きせぬ御心のほどを言ひ続けたまふ。

 君は、塗籠の戸が細めに開いているのを、静かに押し開けて、御屏風の隙間を伝わってお入りになった。珍しく 嬉しいにつけても、涙は落ちて拝見なさる。  「やはり、とても苦しい。死んでしまうのかしら」  と言って、外の方を遠く見ていらっしゃる横顔、何とも言いようがないほど優美に見える。お果物だけでも、と いって差し上げた。箱の蓋などにも、おいしそうに盛ってあるが、見向きもなさらない。世の中をとても深く思い 悩んでいられるご様子で、静かに物思いに耽っていらっしゃる、たいそういじらしげである。髪の生え際、頭の恰好 、御髪のかかっている様子、この上ない美しさなど、まるで、あの対の姫君に異なるところがない。ここ数年来、 少し思い忘れていらしたのを、「驚きあきれるまでよく似ていらっしゃることよ」と御覧になっていらっしゃると、 少し執心の晴れる心地がなさる。

 気品高く気後れするような様子なども、まったく別人と区別することも難しいのを、やはり、何よりも大切に 昔からお慕い申し上げてきた心の思いなしか、「たいそう格別に、お年とともにますますお美しくなってこられた なあ」と、他に比べるものがなくお思いになると、惑乱して、そっと御帳の中に纏いつくように入り込んで、御衣の 褄を引き動かしなさる。気配ははっきり分かり、さっと匂ったので、あきれて不快な気がなさって、そのまま伏 せっておしまいになった。「振り向いて下さるだけでも」と恨めしく辛くて、引き寄せなさると、お召物を脱ぎ 滑らせて、いざり退きなさるが、思いがけず、御髪がお召し物と一緒に掴まえられたので、まことに情けなく、 宿縁の深さ、思い知られなさって、実に辛い、とお思いになった。

 男も、長年抑えてこられたお心、すかっり惑乱して、気でも違ったように、すべての事を泣きながらお恨み訴え申し上げなさるが、本当に厭わしい、とお思いになって、お返事も申し上げなさらない。わずかに、  「気分が、とてもすぐれませんので。このようでない時であったら、申し上げましょう」 とおっしゃるが、尽きないお心のたけを言い続けなさる。

迫る源氏に髪を握られてうごけない 

原文口語訳

 さすがに、いみじと聞きたまふふしもまじるらむ。あらざりしことにはあらねど、改めて、 いと口惜しう思さるれば、なつかしきものから、いとようのたまひ逃れて、今宵も明け行く。

 せめて従ひきこえざらむもかたじけなく、心恥づかしき御けはひなれば、  「ただ、かばかりにても、時々、いみじき愁へをだに、はるけはべりぬべくは、何のおほけなき心もはべらじ」  など、たゆめきこえたまふべし。なのめなることだに、かやうなる仲らひは、あはれなることも添ふなるを、 まして、たぐひなげなり。

 明け果つれば、二人して、いみじきことどもを聞こえ、宮は、半ばは亡きやうなる御けしきの心苦しければ、  「世の中にありと聞こし召されむも、いと恥づかしければ、やがて亡せはべりなむも、また、この世ならぬ罪と なりはべりぬべきこと」  など聞こえたまふも、むくつけきまで思し入れり。
 「逢ふことのかたきを今日に限らずは
  今幾世をか嘆きつつ経む
 御ほだしにもこそ」  と聞こえたまへば、さすがに、うち嘆きたまひて、
 「長き世の恨みを人に残しても
 かつは心をあだと知らなむ」
 はかなく言ひなさせたまへるさまの、言ふよしなき心地すれど、人の思さむところも、わが御ためも苦しければ、 我にもあらで、出でたまひぬ。
 

 そうは言っても、さすがにお心を打つような内容も交じっているのだろう。以前にも関係がないではなかった仲 だが、再びこうなって、ひどく情けなくお思いになるので、優しくおっしゃりながらも、とてもうまく言い逃れな さって、今夜もそのまま明けて行く。

 しいてお言葉に従い申し上げないのも恐れ多く、奥ゆかしいご様子なので、  「わずか、この程度であっても、時々、大層深い苦しみだけでも、晴らすことができれば、何の大それた考えも ございません」  などと、ご安心申し上げなさるのだろう。ありふれたことでさえも、このような間柄には、しみじみとしたこと も多く付きまとうというものだが、それ以上に、匹敵するものがなさそうである。

 明けてしまったので、二人して、大変なことになるとご忠告申し上げ、宮は、半ば魂も抜けたような御様子なの が、おいたわしいので、  「世の中にまだ生きているとお聞きあそばすのも、とても恥ずかしいので、このまま死んでしまいますのも、 また、この世だけともならぬ罪障となりましょうことよ」  などと申し上げなさるが、鬼気迫るまでに思いつめていらっしゃった。  
「お逢いすることの難しさが今日でおしまいでないならば
  いく転生にわたって嘆きながら過すことでしょうか
 御往生の妨げにもなっては」 と申し上げなさると、そうは言うものの、ふと嘆息なさって、
 「未来永劫の怨みをわたしに残したと言っても
  そのようなお心はまた一方ですぐに変わるものと知っていただきたい」
 わざと何でもないことのようにおっしゃる様子が、何とも言いようのない気がするが、相手のお思いになること も、ご自分のためにも苦しいので、呆然自失の心地で、お出になった。

源氏の心を宥める藤壺 

原文口語訳

 「いづこを面にてかは、またも見えたてまつらむ。いとほしと思し知るばかり」と思して、御文も聞こえたまはず 。うち絶えて、内裏、春宮にも参りたまはず、籠もりおはして、起き臥し、「いみじかりける人の御心かな」と、 人悪ろく恋しう悲しきに、心魂も失せにけるにや、悩ましうさへ思さる。もの心細く、「なぞや、世に経れば憂さ こそまされ」と、思し立つには、この女君のいとらうたげにて、あはれにうち頼みきこえたまへるを、振り捨てむ こと、いとかたし。

 宮も、その名残、例にもおはしまさず。かうことさらめきて籠もりゐ、おとづれたまはぬを、命婦などはいとほし がりきこゆ。宮も、春宮の御ためを思すには、「御心置きたまはむこと、いとほしく、世をあぢきなきものに思ひ なりたまはば、ひたみちに思し立つこともや」と、さすがに苦しう思さるべし。

 「かかること絶えずは、いとどしき世に、憂き名さへ漏り出でなむ。大后の、あるまじきことにのたまふなる位を も去りなむ」と、やうやう思しなる。院の思しのたまはせしさまの、なのめならざりしを思し出づるにも、「よろづ のこと、ありしにもあらず、変はりゆく世にこそあめれ。戚夫人の見けむ目のやうにあらずとも、かならず、人笑へ なることは、ありぬべき身にこそあめれ」など、世の疎ましく、過ぐしがたう思さるれば、背きなむことを思し取る に、春宮、見たてまつらで面変はりせむこと、あはれに思さるれば、忍びやかにて参りたまへり。
 「何の面目があって、再びお目にかかることができようか。気の毒だとお気づきになるだけでも 」とお思いになって、後朝の文も差し上げなさらない。すっかりもう、内裏、東宮にも参内なさらず、籠もってい らして、寝ても覚めても、「本当にひどいお気持ちの方だ」と、体裁が悪いほど恋しく悲しいので、気も魂も抜け 出してしまったのだろうか、ご気分までが悪く感じられる。何となく心細く、「どうしてか、世の中に生きている と嫌なことばかり増えていくのだろう」と、発意なさる一方では、この女君がとてもかわいらしげで、心からお頼り 申し上げていらっしゃるのを、振り捨てるようなこと、とても難しい。

 宮も、あの事があとを引いて、普段通りでいらっしゃらない。こうわざとらしく籠もっていらして、お便りもな さらないのを、命婦などはお気の毒がり申し上げる。宮も、東宮の御身の上をお考えになると、「お心隔てをお置 きになること、お気の毒であるし、世の中をつまらないものとお思いになったら、一途に出家を思い立つ事もあろう か」と、やはり苦しくお思いにならずにはいられないのだろう。

 「このようなことが止まなかったら、ただでさえ辛い世の中に、嫌な噂までが立てられるだろう。大后が、けしか らんことだとおっしゃっているという地位をも退いてしまおう」と、次第にお思いになる。故院が御配慮あそばして 仰せになったことが、並大抵のことではなかったことをお思い出しになるにも、「すべてのことが、以前と違って、 変わって行く世の中のようだ。戚夫人が受けたような辱めではなくても、きっと、世間の物嗤いになるようなことは 、身の上に起こるにちがいない」などと、世の中が厭わしく、生きて行きがたく感じられずにはいられないので、 出家してしまうことを御決意なさるが、東宮に、お眼にかからないで尼姿になること、悲しく思われなさるので、 こっそりと参内なさった。

世に知られることを恐れ思い悩む藤壺 

原文口語訳

 大将の君は、さらぬことだに、思し寄らぬことなく仕うまつりたまふを、御心地悩ましきにこと つけて、御送りにも参りたまはず。おほかたの御とぶらひは、同じやうなれど、「むげに、思し屈しにける」と、 心知るどちは、いとほしがりきこゆ。

 宮は、いみじううつくしうおとなびたまひて、めづらしううれしと思して、むつれきこえたまふを、かなしと 見たてまつりたまふにも、思し立つ筋はいとかたけれど、内裏わたりを見たまふにつけても、世のありさま、あはれ にはかなく、移り変はることのみ多かり。

 大后の御心もいとわづらはしくて、かく出で入りたまふにも、はしたなく、事に触れて苦しければ、宮の御ために も危ふくゆゆしう、よろづにつけて思ほし乱れて、  「御覧ぜで、久しからむほどに、容貌の異ざまにてうたてげに変はりてはべらば、いかが思さるべき」  と聞こえたまへば、御顔うちまもりたまひて、  「式部がやうにや。いかでか、さはなりたまはむ」  と、笑みてのたまふ。いふかひなくあはれにて、  「それは、老いてはべれば醜きぞ。さはあらで、髪はそれよりも短くて、黒き衣などを着て、夜居の僧のやうに なりはべらむとすれば、見たてまつらむことも、いとど久しかるべきぞ」  とて泣きたまへば、まめだちて、  「久しうおはせぬは、恋しきものを」  とて、涙の落つれば、恥づかしと思して、さすがに背きたまへる、御髪はゆらゆらときよらにて、まみのなつかし げに匂ひたまへるさま、おとなびたまふままに、ただかの御顔を脱ぎすべたまへり。御歯のすこし朽ちて、口の内 黒みて、笑みたまへる薫りうつくしきは、女にて見たてまつらまほしうきよらなり。「いと、かうしもおぼえたま へるこそ、心憂けれ」と、玉の瑕に思さるるも、世のわづらはしさの、空恐ろしうおぼえたまふなりけり。

 大将の君は、それほどでないことでさえ、お気づきにならないことなくお仕え申し上げていらっしゃるが、ご気分 がすぐれないことを理由にして、お送りの供奉にも参上なさらない。一通りのお世話は、いつもと同じようだが、 「すっかり、気落ちしていらっしゃる」と、事情を知っている女房たちは、お気の毒にお思い申し上げる。

 宮は、たいそうかわいらしく御成長されて、珍しく嬉しいとお思いになって、おまつわり申し上げなさるのを、 いとしいと拝見なさるにつけても、御決意なさったことはとても難しく思われるが、宮中の雰囲気を御覧になるに つけても、世の中のありさま、しみじみと心細く、移り変わって行くことばかりが多い。

 大后のお心もとても煩わしくて、このようにお出入りなさるにつけても、体裁悪く、何かにつけて辛いので、 東宮のお身の上のためにも危険で恐ろしく、万事につけてお思い乱れて、  「御覧にならないで、長い間のうちに、姿形が違ったふうに嫌な恰好に変わりましたら、どのようにお思いあそ ばしますか」  とお申し上げなさると、お顔をじっとお見つめになって、  「式部のようになの。どうして、そのようにはおなりになりましょう」  と、笑っておっしゃる。何とも言いようがなくいじらしいので、  「あの人は、年老いていますので醜いのですよ。そうではなくて、髪はそれよりも短くして、黒い衣などを着て、夜居の僧のようになりましょうと思うので、お目にかかることも、ますます間遠になるにちがいありませんよ」  と言ってお泣きになると、真剣になって、  「長い間いらっしゃらないのは、恋しいのに」  と言って、涙が落ちたので、恥ずかしいとお思いになって、それでも横をお向きになっていらっしゃる、お髪はふさふさと美しくて、目もとがやさしく輝いていらっしゃる様子、大きく成長なさっていくにつれて、まるで、あの方のお顔を移し変えなさったようである。御歯が少し虫歯になって、口の中が黒ずんで、笑っていらっしゃる輝く美しさは、女として拝見したい美しさである。「とても、こんなに似ていらっしゃるのが、心配だ」と、玉の疵にお思いなされるのも、世間のうるさいことが、空恐ろしくお思いになられるのであった。

出家を決意して、東宮と別れ 



第五章  「情熱と理性 朧月夜・朝顔斎院」へつづく (準備中) 

第六章  「去りゆく藤壺・源氏須磨へ・明石の君登場」その2「源氏須磨へ」へつづく  

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