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怪人ラッコ男 その1


理音の父の経営している田端フーズのコーヒー専門店『プリヴァート』は、このところ乱立しているカフェチェーンのなかでも、いちはやく高級化に転換し、成功をおさめていた。
ウィーンの古式ゆかしい高級カフェを模した『プリヴァート』。
ウェイトレスのレトロな給仕姿愛らしさもまた話題となり、学生のバイト先としても人気である。

雨咲町にある一号店は、田端フーズが初出店した記念すべき店である。
そもそも、田端フーズは理音の祖父が興した企業で、その成功の端緒をつかんだのも雨咲町であった。
そのため、わざわざ都心ではなく、郊外の?県の、しかもあまり中核都市とはいいがたいところに一号店を出店したのだ。
理音の父・翔一郎のこだわりが感じられる店ともなっている。
最近改装し、本場のウィーンのカフェをそのまま模倣して、県内外で話題となった。
テレビはもちろん、グルメ雑誌でも取り上げられたほどである。
少々、単価が高いが、味は抜群。
なかでもおいしいザッハートルテが人気で、店内はいつもにぎわっている。

理音は高校に入ってからすぐに、社会勉強も兼ねるからと両親に頼み込んで、一号店のアルバイトをはじめた。
まさかの社長令嬢のアルバイトという立場での入店に、当初は店長をはじめ社員もパートも警戒したようだが、理音のけんめいの働きがみとめられ、いまではすっかりなじんでいる。
店の時給はハードル式。
経験と、接客の良さ、仕事の手際のよさ、店への貢献度、熱意などをチーフが判断して昇給の申請を本社にするのだ。
理音は一年半のあいだに、めきめき頭角をあらわし、店のポジションでは中堅のサブチーフにまでなっていた。
仕事をしていれば、忙しさのおかげで、のびのびと自分でいられる。
目の回るような忙しさもあり、だれも理音の裏と表に気づかない。
唯一の憩いの場所が、このバイトだった。

「でも、さっきの貴海先生には幻滅ですう」
ため息とともに、おなじ雨咲名望学院の一年生で、バイト仲間の河村杏樹は心から残念そうに言った。
混雑する時間を抜けて、いまは客足は落ち着いている。
清掃などもすべて終了し、バイト仲間はカウンターのところでお客の来るのを待つばかりの状態だ。
Aラインのフレアのスカートに提灯袖の黒いワンピース、フリルのついた白いエプロン、胸元を飾る赤いリボンが店の制服の特徴だ。
身だしなみもきびしくチェックされ、そのまま時給に反映されるので、みな学校より服装規定を守っている。
 
「貴海先生、好きだったのに、みんなの前で、あんなふうに生徒を吊し上げするのって、どうかなって思うんです」
ショートカットに、バイトのときだけつけるちいさなムーンストーンのピアス。
痩せぎすで骨っぽい体型を気にしている杏樹は、以前から貴海のファンを公言していた。
今回の盗難事件の処置について、あきらかにがっかりしている。
杏樹は顔をしかめているが、それでも、まだ化粧慣れしていないところ、大きな目がさらに強調されるメイクしかできないところなど、逆に初々しくかわいらしい。

「先生、わたし以外の子にも、とっても人気あるのに、ほんとうにゲンメツ! 先輩もあの騒動を見てましたよね、どう思いました?」
アイプチでつくったぱっちり二重に、こってりとまぶたに塗った青いマスカラが気を引く目をきょろりと動かして、杏樹は隣に並んでいる理音に尋ねてきた。
杏樹は理音に仕事を教わったので、そのつながりで理音になついているのである。
「キキカイカイ、人気あるんだあ?」
意外だった。
みんなの話だけを総合すれば、相当なきらわれ者かと思っていたのだ。
「悪くいう人もいるけど、本気じゃなくて、キャラをからかうっていうか、そんな感じですよ。男の子はどうか知らないけど、一年の女の子には人気あるんですから」
「マジかよ。二年の女子の中にも好きだってやついるけどさ。教えてほしいんだけど、女から見れば、どこがいいわけ。男にはわかんねーな、それ。生徒に愛情とかなさそーじゃん」

カウンターから身を乗り出して、沢登が言う。
沢登はバリスタとして、カウンター内でコーヒーを煎れる重責を担っている。
努力家なうえに勘の良い沢登は、アルバイトを始めてからすぐに仕事をおぼえ、いまでは社員が煎れるコーヒーよりおいしいコーヒーを客に出せるまでになっていた。
腕まくりをして仕事に備えているが、客はまだこない。
一段高いところにあるカウンターから身を乗り出す沢登を見上げる形で、杏樹がふくれたような顔をして反論した。
「ええ、格好いいじゃないですか、貴海先生。ちょっとコワイけど、ストイックで清潔感があるし、なにより落ち着いているし、公平だし、着てる服のセンスもいいし。子供っぽい男の子たちとはぜんぜん違いますよお」
「清潔感、ねぇ」

理音としては、貴海との最初の出会いが、ラブホテル街である極楽通りの入り口ででくわすという、あまりに生臭いものだっため、清潔感ということばがぴんとこない。
同時に、化学準備室でさきほど見た、あの情けない、うろたえた顔を思い出した。
あんな顔を見れるのは、当面はわたしだけということになる。
シャッターチャンスを逃さなかった、自分万歳。
理音は笑いをかみ殺すのに苦労した。

「融通きかないし、ノリが悪いし、授業も退屈だし、おもしろくねぇじゃん」
「おもしろければいいってもんじゃないですよぉ。すぐに下ネタに走る沢登先輩より、なんぼかマシです」
「言われたねぇ、沢登くん」
罪のない軽いやりとりが心地いい。
杏樹は、邪気のない明るい少女だった。
理音は杏樹といるときは、たとえ猫をかぶっていても、気楽にしていることができた。

「あー、それなのに、先生ってば、やっぱり生活指導担当になったばっかりで、力が入ってるのかなあ。うん、そうですよね、先輩。人間、力が入りすぎて空回りしちゃうってこと、ありますよね。なにせ先生は、まだ先生になって二年なんですから。未来の学長候補なんていわれて、プレッシャーもあるんですよ、きっと」
「どうだろう。キキカイカイって、そんなに出世とか気にしてないみたいだけど」
出世の鬼なら…理音は、自分の家の会社のことを思い浮べていた。
出世の鬼と言われる人間には二種類ある。
もともと仕事ができて、人徳もそなわっており、自然と頭角をあらわすタイプと、ともかく目ざとく要領よく、人の輪にどんどん潜るように入っていって、なおかつ、踏まれても踏まれても這い上がってチャンスを掴むタイプ。
貴海の場合、どちらにも当たらないようにおもえる。
職員室からひとり離れて、あの静かな場所で黙然と仕事をする様は、がつがつした印象とはほどとおく、むしろ内気で引っ込み思案な印象を受けた。
それに、職員室のなかで茂手木を中心とした派閥があることを、心底軽蔑しているようだった。
もし出世を第一におもう人間なら、派閥がどうこうなどと苦にしていたら、なにもできないだろう。

しかし杏樹は首をかしげて納得していない様子だ。
「そーうですかねぇ? 噂だと、貴海先生とうちの担任、うまくいってないって噂ですしぃ、先生同士でもいろいろあるのかなあ、なんて」
「杏樹ちゃん、1年C組なの?」
「はあい。ほら、うちの担任の樺原って、テニス部顧問の茂手木と仲がいいじゃないですか。茂手木が生活指導を外されたことで、結構いろいろあったみたいですよ」
「なんでそんな、職員室の事情が、生徒に洩れてるの?」
「だあって、バカですよね、茂手木も樺原も。廊下でこそこそ話しちゃって、でも廊下って反響するじゃないですか。ぜーんぶ教室内に筒抜けですよぉ。みっともないですよねえ、男の嫉妬って。だからあたしたち、かばっち(担任)だいっキライなんです。
知ってます? かばっちって、ものすごくお嫁さんに尻に敷かれているんですよ。いつだったか、授業中に何度もお嫁さんから携帯に連絡が入って、そのたんびに廊下にでて、ごめん、とか、すまん、とか謝ってんです。情けないですよねえ。電源切ればいいのに切らないし。お嫁さんの実家が金持ちなんで、頭があがらないとかなんとか。かばっちが好きっていう一年の女子、いませんよ。みーんな貴海先生の味方」
「かばっち、ダメだねえ。キキカイカイ、やっぱり苦労してるんだ」

そういえば、茂手木との会話で、C組の男子生徒の下駄箱に財布があるという情報は、だれかの密告によるものだが、その情報源をにぎっているのは茂手木で、貴海はしらされていないようだった。
さらに、全校生徒の前で生徒を詰問する形になったのは、C組の担任の樺原が、?組の男子がやったのにまちがいないと先走ったからだ、とも。
大人の派閥争い…ばかばかしい。
んなもん、生徒に見せるな。

「でもよー、例の盗難犯人、あいつじゃねぇの、なんつったっけ?」
「横手。横手吾郎。ちがうと思いますよぉ。貴海先生だって、そうおっしゃってたし」
「ああ、キキカイカイ、杏樹ちゃんたちにちゃんと説明したんだね。その、横手くんが、財布が盗まれたときにちゃんと授業に出てたから、アリバイがあるって」
「だから陰謀くさいと思いません? 横手くんて、秋田から転校してきたばっかりで、まだ学校に慣れてないんですよぉ。だからそれを利用して、かばっちが貴海先生に嫌がらせ、とか…ああ、やっぱり貴海先生カワイソー。幻滅って言ったの、取り消します」
そのあと、夕方の帰宅ラッシュでお店が混みはじめ、その話は、それきり立ち消えとなった。

「あ、そうだ、沢登くん、これ」
理音は沢登に、貴海が戻してくれたマスコット人形を渡した。
「はるかのものなの。悪いんだけど、はるかに返しておいてくれないかな?」
「なんだよこれ、手作りマスコット? どう見てもおまえをキャラ化したものだな。可愛いじゃん」
「はるかにきっと渡してね。あ、あとオーダー入ります。ウインナーコーヒー3つとキャラメルトルテ2つ」
「了解しました…しかし田端」
「なあに?」
沢登は器具をいろいろ動かしながら、落ち着かない様子で言った。
「いや、おまえって、やっぱ仕事してるときってきびきびしてていいな。口調まで、いつもと違うし」
「これが本当のわたしだもん」
すると、沢登はけたけたと笑いだした。
「うっそつけ。おまえって本当におもしろいな」
やれやれ。
そこで笑わなければ、きみに対する認識も、だいぶ変わるのだがね、沢登くん。





空の青さが徐々にうすれ、白がつよくなってくる頃には、プール開きがやってくる。
体育の時間のあと、なにげなくプールの脇を通っていた理音は、洗浄が済んでいない、苔生した屋外プールの中央に、ぷかりと、黒いものが浮かんでいるのを見つけた。
風のつよい日に飛んできたビニール袋だろうか。
何気なくじっとそれを眺めていると、ぷかぷかと浮いたそれは、やがて肌色のパーツを持っていることがわかった。
手がある、足がある、頭がある。
人間である。
理音は仰天し、あわてて職員室…を、わざわざ通り抜け、化学準備室へ飛び込んだ。
うまい具合に、貴海はそこにいた。
 
「キキカイカイ! プールに人が!」
怪訝そうに振りかえる貴海を飛び抜けて、理音は乱暴に化学準備室の窓を開いてみせた。
その勢いで、窓辺にかざってあった青いモビールがかちゃり、かちゃりと揺れた。
三階にある化学準備室の窓から身を乗り出すと、ちょうど真下に屋外プールがよく見える。
ほら、と、指さす理音のただならぬ気配にうろたえ気味の貴海だったが、理音とともに身を乗り出し、やがて茫然としてつぶやいた。
「あれは、横手…?」
「横手って、このあいだ、盗難事件の犯人にされた子?」
「あの長身、坊主頭、まちがいない」

理音の脳裏には、いやな想像がさっと浮かんだ。
もしや、盗難事件の犯人にされたことを苦に、入水自殺?
大変なことになったと、理音と貴海は一緒に準備室を飛び出して、ふたたびプールに下りてきた。
プールの入り口の数字錠はやぶられており、ぶらんと片側の扉にぶらさがっていた。
塩素の据えた匂いと、苔の生臭いにおいが鼻をつく。
ほこりまみれのプールサイドを移動しながら、見るとやはりプールのほぼ中央に、ラッコのように仰向けになってぷかりと浮いているのは、気弱そうな目をした、坊主頭の横手吾郎なのだった。

その姿を間近で目のあたりにして、ようやく貴海も判断能力が復活したようだ。
理音にするどく言う。
「田端、携帯電話持ってたな。至急、救急車を!」
「はい!」
返事をしているうちに、貴海は上着を脱ぎ捨てた。
なにをするか悟った理音は、声を上げる。
「先生、飛び込むつもり? 現場は保存しておかなきゃ!」
「ばか。まだ生きてるかもしれないんだぞ! ともかく早く、救急車、それから養護の佐野先生を呼んでこい!」
貴海が飛び込もうとした矢先であった。
曇天から差し込むカッターナイフのようにするどい陽光を浴びて、プール上にぷかぷか浮いていたラッコもどきが、のっそり動いた。

「なんスか? おれ生きてるっスよ?」

溺れた、あるいは自殺未遂にしては、あまりに呑気な様子である。
理音と貴海は顔を見合わせ、横手のつぎの動きを待った。
「せーっかく、気持ち良く昼寝してたのに。死んでたとでも思ったんですか? ひどいっスねー」
ぼやきつつ、横手は水の中で起き上がると、ざぶざぶと深緑色の水面をかきわけて理音たちのところへやってくる。
その顔はまだ眠そうだ。
言葉通り、昼寝をしていたのだろう。
びっしょり濡れた制服は、本来の色をなくして真っ黒に見える。

「なにをしてたんだ、いったい?」
さすがの貴海も呆然として…今度は怒りをふつふつとたぎらせながら…皿をなくした河童のような有様の横手に言った。
「昼寝ッス」
横手は、そのままなにくわぬ様子で、プールサイドに上がってきた。
理音ははじめて横手吾郎を至近距離で見た。
目がどろんとしている、というのが最初の印象であった。
それでいて、全体の雰囲気がぎらぎらしている。
矛盾しているのだが、生命エネルギーが間違った方向に滞っていて、籠っている、といったふうだ。
見た目は坊主頭の素朴な顔つきながら、肩幅があり、がっしりしていて、上背もあり、背の高い貴海と、ほとんどならぶほどだった。
「ストレス解消には、これが一番なんス」
呑気に横手は言う。
ああそうですかと、納得できるものではない。
水は昨年のまま一年置かれており、汚いままであったし、だいたい六月が過ぎ、衣替えが終わったとはいえ、まだ肌寒い風が吹くこともある状況だ。
生徒も長袖と半袖の者が半ばしているほど。
しかも、ざぶざぶ泳いでいたというならまだしも…それも異常であることには変わりないが…身じろぎもせず、ただぷかりと土左衛門のように浮いていたのだから、理解不能である。

とんちんかんな横手を見て、これはヤバイ、と理音は思った。
県下でも有数の進学校で、そのシステムも有名進学塾のようにシビアなもの。
この学校の特別進学科の生徒たちは、いつも汲々とした生活を強いられている。
ストレスに強い生徒ならばまだしも、そうでない生徒は悲惨だ。
たまにストレスが臨界点を越えて、異常行動を示す場合がある。
テスト中に、突然わけのわからないことをわめきながら飛び出て、それっきり二度と帰ってこなかった、などと言う話は、まだ可愛い部類で、ほかにもいろいろ、嘘のようなほんとうの話があるのだ。
これもそのひとつになりそうな気配だ。

ちらりと横を覗くと、貴海も同じような判断を下したらしい。
怒りを抑え、懸命に感情を殺した声で、ぽたぽたと滴を垂らす坊主頭のマーマンに言うのだった。
「横手、ストレスがたまったのなら運動をしなさい。こんな整備されてないプールではなくて、ちゃんとした、普通の生徒と同じような運動を」
「オレ、水に浮かんでいるときが、一番落ち着くんスよ」
「ともかく、体を乾かして、あとでわたしのところへ来るんだ。田端、すまないがいま時間はあるか? 次の授業はわたしが免除する。事務員の馬場さんと養護の佐野先生のところへ行って、警備員用のバスを使わせてもらうよう、手配してくれないか」
「バス…魚?」
「おまえまでわたしの神経をおかしくさせるな。風呂のことだ。担任の広川先生には、おれから言っておく。頼んだぞ」

理音はわけがわからないまま、事務員の馬場さんのところへゆき、警備員用のお風呂の支度をしてもらった。
事務員の馬場さんというのは50代半ばの、パンチパーマに濃い色の口紅が特徴のおそろしげなおばさんである。
さぼりで遅刻した生徒の嘘を容赦なく見抜き、すぐさま担任に報告することで有名であった。
抵抗するかと思われた横手は、びっしょり濡れた状態で、意外に素直に理音についてきた。
この道20年で、わが子も学院のOBである馬場さんは、異常事態の接し方に慣れているのか、余計な質問はいっさいなしで、警備員用のお風呂を用意してくれた。

一方で、おたおたと手際がわるいのが、養護の佐野だった。
佐野は、極度の近眼で、自分が保健室に行ったほうがいいのでは、というくらいに痩せていて、いつも自信がなさげである。
馬場さんがてきぱきと采配を奮い、理音がそれに的確に従うのに対し、佐野は所在なさげに、後ろからついてくるだけだ。
あまりに役に立たないので、しまいには馬場さんも、
「佐野先生、こちらは結構ですから、保健室に帰られたら。ほかに具合の悪い生徒がいるかもしれませんし」
と言った。
佐野はばつが悪そうにしながらも、しおしおと保健室に帰っていった。

「まったくもう、役立たずなんだから」
馬場さんは毒を吐く。
気が荒く、エキセントリックな祖父に育てられた理音は、気むずかしい大人が嫌いではない。
しかし、生徒としては、教師たちは生徒を受け止めるべく、どんと一枚岩であってほしいと思う。
派閥争いや人間関係のややこしい部分を見せないでほしい。





理音ははじめて、この学校の警備員のために、お風呂まで用意されていることを知って驚いた。
設備もあたらしく、ホテル並みに清潔である。
警備員の人数分だけロッカーが用意されており、ちゃんと私物も所定の場所に並んでいる。
しかし理音は、脱衣所の篭を何気なく数えて、おかしなことに気が付いた。
いま働いている警備員の数と、脱衣所の篭の数が合わない。
ひとつ多いようだが、予備の篭だろうか。

一方、当直の警備員のほうは、手際のよい馬場さんと、懸命にそれにあわせる理音の様子を、なにがなにやらわからない、といった顔で見ているだけである。
さらにかれは、びしょびしょの横手の姿を見て、眉をしかめた。
「風呂、あとで洗っておいてくれよ。今日だって、入るんだから」
「もちろん、本人にぴかぴかにさせますよ」
馬場さんは、きつい口調で返した。
「運動部用のシャワーを使わせりゃあいいのに」
「目立たせたくないと、先生が」
これは理音である。
時期はずれにびしょびしょの横手の姿は、いやでも人目につく。
これは事件当日に横手を責めた貴海の、
「キキカイカイのせいで横手がプールに飛び込んだ」
という噂を抑えるための処置なのか、
それとも純粋に、横手のこれからの生活に支障をきたさないようにするための配慮なのか、理音にはわからなかった。


その2につづく


(2003 初稿)
(2022/01/07 推敲1)
(2022/04/11 推敲2)
(2022/04/26 推敲3)

※あとがき※

〇 舌足らずのひとことに尽きる。主語があいまいな文章は直し、前後に内容を追加した。短い話なのに、直すのに三日かかった。国語のテストを受けているかのようだった…
これを読んでくださっていた方は、もっと苦行以外の何物でもなかったかと思う。おおいに反省…
〇 今の時点でも、これで読みやすくなったかどうか、自信がない。内容が伝わりさえすれば問題ないけれども。
〇 理音の両親が経営する会社のことも、すこし具体的に書いてみた。なぜ全国展開しているカフェの一号店が地方都市にあるのかの説明が抜けていて、おかしなことになっていたので、訂正した。