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〜第9回 蚊帳の内〜


 どこまで歩いてもきりがない砂浜に見切りをつけ、海沿いの道に出る。てれてれ歩いて いると、再びインド人の群れに遭遇。ここでも、宮下と松藤は拒絶の姿勢を見せたため( 拒絶してもやられるのだが)、私と吉田に集中砲水。
 この時点で、もう我々2人は、モンゴロイドかアーリアかよく分からなくなっている。 と言うより、俺の横を歩いているのは、本当に吉田か
 「ちょっと、色のバランスが悪いぞ。貸してくれ。」
と、インド人に赤い粉の入った袋を借りる。
 「そうだな、目の周りをもっと赤くしとこうか。」
自ら顔に粉を塗る日本人を、不思議そうに見ているインド人達。
 「おい、これじゃあ、孫悟空だな。」
 「どうだ、これ。do you know this monkey?」
 「なんや、知らんとや。昔天竺に来たやんか。」
 インドでは、孫悟空は知られていないらしい。



 遊びすぎて、、宮&松に置いて行かれた。ホテルに戻ろうと歩いていると、あまりにカ ラフルな我々2人に、感激したのであろうか、すれ違うインド人たちから、握手を求めら れたり、抱きつかれたりした。彼らは皆一様に、
 「昔、仏陀は飢えた虎に我が身を投げ与えたとか。今君達は我々を嫌がることなく、 自ら飛びこんできた。これはまさに仏陀以来の出来事ではないか!」
と、言っているように思えた。爆笑している奴も居たが。
 ただ、この時、
 「どーも。」
と、一言挨拶してきた、真っ黒にやられた日本人や、駅で会った人もそうだったが、彼ら に比べると、我々は見事にカラフルに仕上がっており、悪戯好きなインド人達に対する態 度に、相違があったのかもしれない。精神構造が幼いので、こういったくだらない遊びは得意としている。その為か、くだけた雰囲気のアジア人には、妙に馴染むことがある。
 まあ、騙されたり、頭に来ることも多いのだが。

 途中、白人の金髪姉ちゃん2人組を見たのだが、インド人に粉をかけられると、
 「ちょっと、信じらんなーい。」
 「なにこれ、チョーむかつくー。」
と言ったかどうかはしらんが、そんな感じで、しつこいハエを追い払うような相手の仕方 であった。
 が、こっちは、額に牛糞らしきものを、最初なんだか分からなかったので、
 「あ、じゃあ、額にちょっと点けてくれ。」
と、自ら差し出してしまう始末。とにかく、片っ端から受け入れてしまう。さすがに牛糞 は悪戯なのであろうが、あまりにあっさり点けられてしまったので、向こうのリアクショ ンも殆どなく、こっちも
 「はい、ありがとよ。」
という態度、その為、真偽の程がよく分からん。しばらく歩いてから
 「しまった、やられたらしいぞ。まあ、いいか。」

 哲&吉田 with 牛糞



 とにかく、牛糞点けたまま、さらに歩いていると、
 「ジャーガイーモ掘ーり行ーこかー。」
と、自転車に乗ったインド人に、すれ違いざまに、言われた。
 「うーん、インド流の挨拶か?」
 「よく分からんが、確かに日本語だ。」
と、笑いながら戻ってくると、従業員が、こっちの姿を見て笑っていた。
 そのまま、部屋の前で、日印友好のカラフルな姿を写真に収め(牛糞付き)、シャワー を浴びて、一休み。

 ちなみに、この時点では、素足にサンダルで行動しており、そのサンダルは、防水撥水 全く無し、という、革で出来た代物であったので、当然洗う訳にはいかない。すると、足 を洗っても、またそのサンダルを履くので、ウンコにまみれた砂浜や、道を歩いている限 り、私の足が綺麗になることは有り得ないのだ。
 注意することはただ一つ、その足で、ベッドの頭の方を歩かないことだけだ。

 ここで利用したのは、“Tourist Bungalow”という、公営のホテルである。場所は、 旅行者がよく集まる地域からは、少し離れたところに在り、料金も高めで、他にバッグパ ッカーらしい人はいない。恐らく、他の客は全て、インド人であろう。(中流)
 夕食はホテル内で済ませる。洗濯疲れで出歩くのが億劫になった。

 ベッドには、蚊帳が付いている。初体験。部屋は、ファミリールームで、ベッドは4つ あり、2つのベッドに蚊帳が1つ着いている。組み合わせは、私と吉田、松藤と宮下。
 セッティングを終え、就寝。
 2時間くらい、経ったころであろうか、
 「かいー。」
と、うめくような、松藤の声。
 「これ、蚊が入っとうぜ、電気つけてんや。」
と、電気が、つく。
 「ぐぅわ、なんや、これ。」
 松藤の証言によると、彼らの蚊帳の中には、
 「いやあ、100匹はおったね。」
 翌朝、宮下は、はしかか風疹の患者にしか見えなかった。



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