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〜第8回 真実のホーリー〜


 1993年 3月9日

 心地よい揺れと、薄ら差す陽光。
 目を覚ますと、他の3人は起きている。
 朝日に照らされる松藤の横顔。私が知っている限り、彼が最もいい男に見えた光景 である。他では、殆ど無い
 車窓からは、一面に広がる田園、だが、家らしき建物は全くと言って良いほど、見 当たらない。そこら辺の地面で生活しているのか?
 「いくらなんでも、そりゃーねえだろ。」
 と、話をしながらも、途中、野グソするおばさんを発見。トイレは屋内ではないよ うだ。
 「野グソを日本人に見られるたあ、お釈迦様もびっくりだね。」
 俺もびっくりしたぞ。

 インドの車窓から



 目的地である、プーリーに着くと、真っ黒に汚れた日本人がいる。
 「どうしたんですか?」
 「いや、やられました(苦笑)。」
 「大変っすね(笑)。」
この会話は、私と彼の間で行われたのであるが、間抜けな私は、身近に迫る危機を予 見できなかった。眼前のこの黒い日本人は、きっと昨夜一晩中騒いだんだな、と漠然 とした思いで見ていた。
 そのままぞろぞろ外に出ると、例によってインド人がぞろぞろ寄ってくる。どうせ タクシーの客引きだろう、と、無視して歩いていると、いきなり、水鉄砲を浴びせら れる。
 1人がやると、他の連中も一斉に浴びせてくる。最初に反応したのは宮下、
 「てめえ、やめろって言いようのがのが分からんとや。」
と、ガキを怒鳴り付け、インド人を蹴散らし、松藤と共にリクシャーに飛び乗り、先 にホテルへと向かって行った。

 そう、何故だかしらんが、事実、プーリーでは、今日がホーリーなのである。
 置き去りにされた私と吉田に、赤、緑、青、黄、色んな水が飛んでくる。
 「参ったなあ、おい。どうするや?」
 「おう、しかしこいつら無茶苦茶楽しそうやね。」
 「うん、しゃあねえ、一緒に笑っとくか。」
 「おう、笑っとけ。うひゃひゃ。」
 「あっはっは、まだ足りねえぞ、もっとかけろ。」
と言うわけで、可笑しくなった2人は、とにかく楽しむことにした。
 為すがままに、のんびり歩いて、ホテルに辿り着く。ホテルは事前にツーリストバ ンガローと決めていた。
 フロントで
 「おっ、いい感じに仕上がってるねえ、君達。」(多分。英語はよく分からん。)
 「まあ、郷に入れば郷に従えですよ。」(日本語と笑顔で返す)
 この会話が本当にかみ合っていたかどうかは別として、こういったさり気ないとこ ろで現地の人に好感を与えるのは、快適な旅をするための1つの要素ではある。

 そのままの状態で昼食をとり、そばに居たインド人のおっさんに
 「洗っても落ちないかもしれんよ。」
などと言われ、
 「いいや、別に。どうせこの後もやられるだろう。」
と言うことで、着替えずに外出。



 プーリーは、一応ビーチリゾートである。が、鄙びた感じで、金持ち&観光客はゴ ア方面へ、そうでない人はここに来るとか。
 ビーチは、呆れるほどに広い。我々のホテルは、海に向かってビーチの右端の方に 位置している。左手のほうは、終わりが見えない。
 その果てを目指して歩き出す一行。が、足下には、さすがインド、牛糞、犬糞、人 糞、糞だらけ。が、既にこの時点では、カルカッタにもそこら中にあったので、感覚 としては、
 「煙草の吸殻が落ちているようなもんだ。踏んだってどうってことねえよ。」
と言う境地にまで達していた。
 そんな砂浜をサンダルで歩きながら、海を見ると、水が赤い。
 そう、ホーリーで色づいた服を、海に入って洗っているのである。
 「これが、インドの赤潮。」
 海に、ドブ川が流れ込んでいる。下水道が無いので、凄まじくドブ度が高い。田舎 っぽい感じと、この汚い川とのアンバランスに、人と自然との関係の難しさが表れて いる。



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