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〜第7回 ゲロターリー〜


 1993年 3月8日

 今日は、ホーリーとか言う祭りだ(しかし…)。特に何の変化も無い朝を迎え、昨日、 チョーロンギーSt.で見たホテルへ。カルカッタ最高の、その建築様式はタージ・マハル を思い起こさせ(見たこと無いが)、頭にターバンを巻き、腰に幅広の剣を提げ、足には、 ブッチャーの凶器シューズみたいな靴を履いた守衛が立っている、そう、ここが、“Hotel Oberoi Grannd”。
 ここのカフェで、朝食を食ってみようと、薄汚れたTシャツにGパン、サンダル、髭もそってない状態で、入っていった。
 「うーん、どこだかよく分からんなあ」
と、キョロキョロしていると、ホテルマンが、最後尾にいた私に、
 “May I help you?”
と声をかけてきた。この男は、今回会ったインド人の中で、最もスーツを着こなし、最も 分かりやすい英語を話す人物であった。いや、正直、カルカッタ3日目にして、こんなイ ンド人もいたのか、と目が覚めるようであった。ちなみに、このときに我々が利用してい るホテルと、この高級ホテルの料金の格差は、20倍以上である。

 薄汚れた格好の我々を、彼はにこやかに案内してくれた。中庭のプールでくつろぐ白人 客の一瞥をくらいながら、カフェへ。
 メニューにはイングリッシュとインディアンがあり、松藤だけ後者を注文、すると店員 に
 「辛いですが、大丈夫ですか?」
と、念を押される。
 「あ、大丈夫です。No problem.」
だが、松藤、その食事の様子は、まさに辛い(からい)=辛い(つらい)ということを思 い出さずにいられないものであった。
 松藤は、
 「いや、結構食ったよ。」
 私は、
 「いや、結構残っている。」
と、判断が分かれた。

 トイレに入ると、驚くべき光景が。小便用の便器が、高い。この位置だと、そのままタ マが乗っかってしまう。これは、何故だ。仕方なく、つま先立ちで排尿。
 「外人って、そんなにデカい(背が、である。チ○ポではない)っけ?」
 「うーん、よく分からん。」
〜後に、タヒチでも同じような高い便器に出会う。理由がわかる人は教えてね。〜


 ホテルに戻り、チェックアウトを済ませる。1日、1人75R。こんなもんでしょう。ち なみに名前は、“Tourist inn”。
 荷物だけ預かってもらい、散策に出る。マイダーン公園という、でかい公園があり、そ こへ行ってみた。そこには、牛がいた。
 これ以前に、街中で見かけた牛は、痩せていて、傍に居てもどうとも思わなかったのだ が、ここの牛は、色が黒く、雄大な体格をしており、牛と言うより、水牛やバッファローを思わせる感じで、近寄り難い。
 「おい、刺激しないように歩け。赤いものを見せるな。」
この牛はしかし、何故ここにいるのか。誰かの所有で、放し飼いにしてあるのか?それと も野良牛か?よく、分からん。

 途中、インド人の兄ちゃん達に、ホーリーの余興か、額に緑色の塗料を点けてもらった。 別に、危険なことも無く、どう見てもその様子は、日印友好の図、である。
 このときの4人の楽しそうな様子から、明日に起こる出来事など予想出来ようか。

 ここの公園は本当に馬鹿でかく、この散歩でかなりの体力を消耗する。ふらふらしなが ら、ホテルに荷物を取りに行くと、おっさんがチャイを持って来てくれた。小さな素焼き の、杯のような容器に入った一杯のチャイ。このおっさんは、これまで外で会ったときに も“ナマステー”と、気軽に挨拶をしてくれて、
 「いやあ、インドの友人第1号は、この人だな。」
と、生き帰るような心地で、飲んでいると、
 「お金、払ってね。」
世の中、こんなもんだよね。いや、これこそが、正しい姿だ。日本人が甘いのだ、などと思案していると、
 「駅に行くタクシー、呼んで来てやろうか。」
と、言うので、お願いした。もちろん、タダじゃない

 チップを渡し、おっさんに別れ、駅へと向かう。目指すのは、ハウラー駅。途中、フー グリ川に架かるハウラー橋を渡るのだが、この川、他に近くに橋が無い。嘘か真か、この 川を渡るカルカッタ市内唯一の橋と、ガイドブックの 393ページに書いてある。
 「人口1000万都市に?マジで?」
 したがって、この橋の周辺はすさまじいラッシュになっている。橋にかかると、排気ガ スと砂埃で、この一帯だけ、暗い。視界が悪い。当然、空気も、悪い。
 アジアでは、バンコクのラッシュが有名らしいが、ここも一呼吸の価値あり。

   駅は、雑然としている。その周囲の雰囲気は、スラム街である。人ごみを突破し、建物 の中に入ると、かなり、広い。時刻表を確認し(私はさっぱり分からなかったが)、待合 室へ。綺麗な方へ入ろうとすると、
 「ここは1stクラス専用です。」
と、係員に押し戻された。そう、我々のチケットは2ndだったので、そちらに入る。しか し、ホテルより、綺麗だ。
 シャワーもついているので、汗を流し、乗る前に飯食っておこうと、食堂へ。インドに は、“ターリー”(大皿)と呼ばれる定食のようなものがあり、このときは確か2種類あ ったと思う。
 私はヴェジタブル・ターリーを、他の3人もそれぞれターリーを注文し、出てきたのを 見てみれば、平たい金属のプレートに、米、カレーが3種、ヨーグルトらしいもの、これ らが一緒に乗っている。
 この様子を、簡潔に述べると、
 「ゲロ&下痢の、品評会。」
 カレーは、全て汁っぽい感じで、具は殆ど入っていない。そして、これに不快感を覚え ることになった最大の要因は、香りがしないことだ。カレーにはスパイスの香ばしさがあ る。だが、安食堂故か、その匂いがしない。そして、カルカッタは、カルカッタ臭い。そ の臭いが、このターリーから発せられているような錯覚。

 左右皆、スプーンを持った手が、凍りついたように動かない。他のインド人客が同じものを食っているらしいことを確認しても、まだ我々は躊躇していた。
 だが、ここで食べておかないと、車中で腹が減って辛い旅になることが予想された私は、
 「よし、見るな。味わうな。速攻で食え。」
と、周りに一声かけて、そこから少しも休むことなく、1分でたいらげた。が、他の3人は、着いて来れなかったようだ。特に、このあたりから、吉田に、カレー拒否の症状が、 見られるようになる。



 駅の売店で、タバコ代をボラれたりしながら、暇を潰す。乗る直前、車掌の姿を発見し、 1stに変更してもらう。これで、コンパートメントになった。もちろん、追加料金は取ら れる。

 思ったより快適な1stの寝台で、速やかに眠りに就く。



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