
〜第5回 ウンコの山〜
1993年 3月7日
早朝に目覚める。今回の旅行では、少なくとも私は、全く予定を考えていない。これからどうするか?そんなこと、知るか。
とにかく、20日間、ずっとカルカッタに居る訳にもいくまい、どこかに移動しよう、と。
4人で大雑把に計画を建てるに(ほとんど松藤の案)、ここから南下してマドラスを目
指し、そこから北上してボンベイに向かい、東進してカルカッタに戻るような感じで、イ
ンドを巡ろう、ということになった。
しかし、我々は、インドの広さをまだよく理解していなかった。
また、このメンバーが、計画に素直に従うはずも無い。
さらに、松藤の計画がうまく行くことも、まずありえない。
ずさんな計画+気ままな人々=破綻。

まず、最初の目的地を、ヒンズー教の聖地であり、海岸の保養地でもある、プリーとい
う町にすることにした。カルカッタから鉄道で10時間。夜行で行こう、と、鉄道オフィス
へ向かう。
カルカッタのメインストリートと言ってもいい、チョーロンギーst.に、でる。すると、
多数のヤギを引き連れた子供が居る。
「人口1200万の都市の、メインストリートに、山羊かい。」
楽しい国だ。足元には、路上生活者が、毛布に包まって寝ている。インド人は、朝はそれ
程早くないのか、車も、少ない。
「おい、吉田、あぶねえぞ。」
「お、やべっ。」
と、彼がつまずきそうになった、横たわっている人を見れば、目と口は半開き、その目は
白く濁り、ハエが舞っている。
「うーん、死んでいるらしいぞ。」
しかし、彼を跨いで行かなければ先に進めないので、そうさせてもらう。
カルカッタの市街には、信号はあるが、電気は切れているようだ。オブジェだね。
途中、昨日買ったサンダルの底に、ゴムを貼ってもらうことにした。そう、このサンダ
ルは靴底に何も着いておらず、革を貼り合わせただけのペラペラ。その薄さ故、石を踏ん
だりすると、なかなか辛いものがある。
「How much?」
「20R 。」
早速、貼ってもらったのだが、何故か前半分だけ。しかし、これがインド流か、と思い、歩いてみたが、どうも具合が悪い。
ここでゴムを貼らなかった吉田は、後に裸足で歩くことになる。最終的には、このタイ
プのサンダルを購入した3人は、これを日本に持ち帰る事はなかった。
そうこうしながら、進んでいくと、ビルの間が、スラム状態になっている界隈へ。臭い。
ふと、ビルの谷間の路地を覗くと、出た、“ウンコの山”だ。噂には聞いていたが、しかし、これは、どう見ても、ウンコの上からウンコをしないと、こうはならない。スラムの連中の、トイレに違いない。路地一帯にウンコが、敷き詰められたかのように一面に広
がっている。 0.8秒ほどで、全てを理解し、目線を逸らす。
あそこを歩け、と言われるのは、修験者の“火渡り”より、絶対辛い。
オフィスに着いた。そこの前に、またゴム貼りの兄ちゃんが居たので、後ろ半分を貼っ
てもらうことにした。
「15R。」
ふと思う、ひょっとしてこいつと、さっきの奴は、つるんでたんじゃねえのか、という、
根拠の無い疑問を抱いた。そうでないとしても、この半分づつのゴム貼りは、納得がいか
んが、これも貧困の為せる業か。
「さっき、前半分で20R取られたんだが、どう思う?」
「うーん、分からない。」
なかなか、本音を出さねえな、インド人。
予約を3人に任せ(常に他力)、周囲に目を遣ると、他にも日本人が何人か居る。そのうち1グループが、
「予約って、どうやって取るんですか。」
と聞いてきた。知らん。とりあえず、窓口がある2階に行け、と言っておいた。
「何も、哲に聞かんでもなあ。」
「おう、相手を見てものを尋ねろっちゅーんじゃ。」
そこからサダルst. に戻りつつ、適当に道を変えてぶらぶら歩いていると、建物の屋上
から、ガキが水風船を投げてきた。
「この糞ガキ、そこを動くな。」
と、今にも走り出しそうな宮下を押さえていると、通りかかった人が、ガキを一喝し、
「明日はホーリーと言う祭りなんだ。」
と、教えてくれた。英語力に問題があるので、よくは分からなかったが、水をかけあった
りするらしい。
ホテルに戻ると、濡れている服を見た従業員?(よく分からん)のおっさんが、
「ホーリーは、危ないから気をつけな。」
と、言っていた。この後、外であった日本人の姉ちゃん達と話をしたが、観光客を狙って
くる、と、注意されたそうな。
「夜は女性だけで外出すると、危ないみたいなんですよ。」
「ああそう、気をつけてね。」
と、暗に一緒に行動しませんか、と言っているのを無視。そう、相手が悪い。
〜宮下は、スキーでとある女性(日出子の同僚、北島朋子嬢)と同行し、先に自分だけ
ガンガン滑り、後ろを振り返った時のことを、
「いやー、彼女泣きながら滑ってきて、びっくりしたよ。」
と、笑いながらとても楽しそうに語ってくれる様な男だ。
一緒に滑っていた吉田は、
「ああ、別に置いてきても死にはせんやろ。」
〜バリ旅行の折、その北島嬢と日出子が、空港で荷物を持って居るところに、ポーターが
近づいてきた。
「おいおい、持って行かれるぞ、気いつけんと。」
と、少し離れたところで、私と宮下は、孫の微笑ましい姿を眺める爺さんのように、にこ
にこしながら、見ていた。
予想どうり、 20mくらい運んだだけで、女性2人を壁際に追いこみ、1000円を強奪する
ように持っていった、ポーター。
「書いてあったじゃん、『地球の歩き方』に。」
「知ってるなら、助けろ。」
このとき、現場にいた松藤は、
「荻須(日出子)さんは哲が助けるだろう。手出し無用。」
と、自分の荷物だけを取り返していた。〜
自分の彼女や友人達にでさえ、この有様。
我々は、間違っているのか?
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