
〜第3回 異臭の都市〜
1993年 3月6日
空港内のカフェで朝食をとる。ビーフストロガノフwithヌードル。タイでビーフストロ
ガノフ食う奴なんて、あまりおらんやろ。味はたいしたことはないが。
昨晩は硬い椅子のおかげで、あまり寝ていなかった為、飛行機の中では殆ど寝ていた。
着陸直前まで寝て、目が覚めれば、眼下にはインド亜大陸。
インド上陸の第1印象は、
「これで、国際空港か?」
乾燥した風と、鄙びた雰囲気。人の気配が薄い。カルカッタは大都市のはずだが、周囲に
都市がある感じはない。郊外か?
入国手続きに並ぶが、人の数にカウンターが足りず、建物の外に人がはみ出している。
狭い。学校の教室くらいの部屋だ。
税関のカウンターは一つ。しかも誰もおらん。素通り。
「これが、インド流か。」
と、感心しながら、外に出る。
トラベラーズチェックの両替をすませると、隣のカウンターで替えようとしていた日本
人が、
「あの、VISAはだめって言われたんですけど、そっちはどうですか?」
「あ、俺のもそうだけど、大丈夫でしたよ。」
よく分からん。銀行屋の気分で、変わるらしい。
「おう、インド流だ。」
次に、街まで出るためにタクシーの手配をすることにした。そこら辺にも停まっている
のだが、空港には、タクシーを一括して取り扱うカウンターがある。第1目標、サダルス
トリートまでの値段を聞くと、
「72R(ルピー、当時のレートで1R=4〜5円)、OK?」
契約して、タクシーへと向かう。ここで宮下、荷物を持とうと言ってきた奴に、あっさり
渡す。浅はかな。
だがしかし、このときは別に何も要求されず、タクシーに乗る。この付近の車は殆どが
インドの国民車、“アンバサダー”。正直、ボロい。後ろに、松藤、宮下、吉田、前に私。
ところが何故か、私とドライバーの間に、1人インド人が乗っていた。
そのまま車は走り出し、然る後、その兄ちゃん曰く、
「サービスチャージ、1人20Rで、80Rくれ。」
と、のたもうた。なんじゃ、それ。料金より高い、サービスチャージ?
「おっ、インド流だ。きたきた。」
吉田は、楽しそうだ。
しばらく押し問答が続き、諦めた兄ちゃん、今度は私の帽子や時計を、くれ、と言い出
した。私と彼は、一見親しそうに会話を交しながらも、激しい駆け引きを繰り返す。
ようやく諦めたか、彼は途中で降りていった。おそらく、また別のタクシーの中で、同
じことをやるのだろう。それが、彼の仕事。
だが彼は、私達にとっては良い教訓を残していった。
「インドにはこういう奴が多く居るらしい。」
今思えば、早い時期にこういう経験をしてよかったと思われる。我々はまず、
「ここは油断ならん。」
と学習したのだ。机の上ではなく、現場で。
街に近づいて来るに従い、風景が変わる。
「おい、なんかやべーぞ。」
崩れかけたような家々に、路上生活者であろう人々の、細い手足。剥れたアスファルト。
そして、漂う、なんとも言えない、イヤな臭い。
この時、松藤は、
「俺のアパートの部屋でもこんな臭いはしないぞ。」
これが20日間も続くことに、早くも気が滅入っていた。既に彼は後悔モードに入っている。
汚さに耐性を持つ私や松藤が臭いのだから、恐らく吉田や宮下も辛いに違いない。
旅行代理店の兄ちゃんが言ったのは、このことだったのか。
途中、路地を走っていると、牛が。
「いやー、インド流だ。」
と見ていると、ドライバーはバンバンクラクションをならし、歩いていた兄ちゃんが、バ
シバシ引っ叩いている。
「なんか、聞いていたのと違うな。」
どうも、神の使いは、厄介者らしい。
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