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〜第2回 つれづれ in バンコク〜


 機内では、特にすることもない。このメンバーは、時折、こいつら本当に友達同志か、 と周囲に疑われるくらい無口になることが有る。
 しかし、さすがに暇になる。
 「うむ、寝て過ごすのもなんだな。せっかくの海外旅行。そうだ、日記のネタでも考 えるか。将来的には紀行作家としての処女作になるわけだよなあ。なあ、松藤?」
 「えっ、ああ。」
突然人に振るのは、私の得意技だ。
 「在り来たりの出だしじゃつまらんな。なんか、面白い奴無いかいな。インド絡みの ネタ。インド、印度…。あれ、なんかこんな歌なかったっけ?」
   それは幼少の頃、遠い記憶の断片。私は呪文のように歌い出した。
 「…♪インドの山奥でんでん虫転がり大事なチ○ポをすりむいた♪…」

 幸い、私は窓際に座っていた。隣には松藤達が並んでいる。飛行機に座っていて、突然隣 の奴がこんな歌を歌い出したら、どうする。
 「何か、続きがあったよな。松藤、覚えとらんや?“チ○ポすりむいた”の後。」
 「いや、まあ、後でね。」
 「いいやんか、今教えろ。チ○ポの後だよ。チ○ポがなんだっけ?」
興奮して、声が大きくなってきた私のしつこさに観念した松藤は、人目をはばかりながら も、しかしはっきりとした口調で
 「…♪赤チン塗っても治らない、黒チン塗ったら毛が生えた♪…」
 「そうだ、それそれ!そんな歌あったよな。」

 私と松藤は、別の小学校である。中学校でこの歌を歌った記憶はない。すると、二日市 周辺の各小学校には、少なくともこの歌が広まっていたことになる。
 「恐らく、中村屋にカレーを伝えたボースが、二日市に密かに立ち寄り、インド独立 を暗示する歌として、日本の対アジア玄関口の福岡に、この歌を残したのだ。」
 「いや、レインボーマンの替え歌だろう。」
 「違うな。レインボーマンの方がパクリだ。」



 バンコクへ到着。外に出ると、熱帯の湿気を帯びた空気がまとわりついてくる。
 「おお、これが東南アジアの空気か。」
これが始めての海外旅行である私にとっては、新鮮な体験である。
 「だって、空港の職員がみんなタイ人やんか。」
元来、精神構造が幼いので、こういう当たり前のことにも不思議さを感じる。しかも、空 港も綺麗だ。東南アジアに、猥雑なイメージしか持っていなかった。
 先入観というものが非現実的であるということを、人には指摘できても、自分のそれを 振り払うのは、やはり実際の経験が必要である、ということを改めて感じた。

   さて、今回はここでカルカッタ行きの、エアインディアに乗りかえるのだが、待ち時間 が8時間ある。外へ出るにも、もう真夜中だ。どうする。
 とりあえずジュースでも買おうか。
 「ペプシくれ。」
 「what kind?」
 「へ、ペプシってそんな種類あんの?」
よく分からんかったが、一緒においてあるオレンジなんかもペプシらしい。
 「あ、じゃあ、ペプシコーク。」
 「あいよ。フッ。(この田舎ものが。ペプシもよう知らんのか)」
と、タイ人の姉ちゃんが笑ったようなので、
 「おいおい、そりゃあペプシのオレンジなんか見たことはねえさ、しかし姉ちゃん、 例えばあんた、霊長類には、ホモサピエンス、チンパンジー、ゴリラ、オランウータン にテナガザルも含まれるってことを、知っているとでもいうのか?そしてマウンテン ゴリラとローランドゴリラを見分けられるとでも言うんかい。」
と心の中でつぶやきながら、ニッコリ笑顔を返し、友好を深めておいた。



 我々の座っている席のそばに、変な一廓が。四畳半くらいのスペースが仕切られ、カー ペットが敷いてあり、そこに中東系の連中が寝ている。
 「おっ、あれはモスクか。うむ、しかし…」
熟睡している彼らが、時間が来たらちゃんとメッカに礼拝するかどうか確認してやろうか と見ていたが、ずっと寝ていたようだ。夜は、やらんのか?それにしても、イスラム教徒 だけが、快適に寝ている。
 床にレジャーシートみたいなのを敷いて、そこで寝ている連中もいた。だが、我々には 硬い椅子があるだけである。
 早くも、寝る時の自分の荷物の安全に気を使い始める松藤だが、
 「そんな登山家みたいなでかい荷物、誰も狙わねえよ。」

 根性睡眠。バンコクの夜は、長い。



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