西憂紀ロゴ

〜第1回 出かける時は…〜


 1993年 3月5日

 キャッシュカードを、忘れた。
 「だから、前もって済ませとけっちゅうんじゃ」
と言う日出子に、
 「わりい、ちょっと取りに帰ってくれ」
と、お願いする。
 ここは、池袋、今日は、インド旅行の出発日である。トラベラーズチェックをいくらか 持っていこうと思い、板橋(当時在住)から出てきたのだ。が、銀行のカードを、置いて 来た。
 30分もあれば往復できる。戻ってきた日出子をねぎらい、外貨コーナーのある2階へ上 がる。
 「申し訳ございません、ただいまUSドルの(チェックの)在庫の方は切らしており まして…」
 日出子の冷たい視線を浴びながら、池袋を後にする。
 「だから、先にやっときゃよかったのに。」
 返す言葉も無く、松藤、吉田と待ち合わせている上野へと向かう。日出子は、見送りに 付き合わされているだけなのだ。この季節では、日本とインドの気温差を考えて見れば、 今日私が来てきた上着類はかの地では全て不要である。荷物を可能な限り少なくしたい私 は、日出子に持って帰ってもらおうと思っていた。



 昼、上野にて吉田と合流。ちなみに彼は、コートを身にまとった人々の中を、Tシャツ に薄手のトレーナーという、まるで風邪知らずの元気な小学生のような格好で電車に揺ら れてきた。
 もう一人を待つ。
 「おい、普段通りに、遅いぞ、松藤。」
 当日朝、どうしても溜まった洗濯物を片付けなければ気が済まなくなった松藤。1ヵ月 近くそのままにしておくのが怖かったのである。
 ちなみに私は、洗濯物はおろか、洗い物まで残してきた。

 あんまり来ないんで、日出子と焼き芋を食う。すさまじい勢いで、鳩に集られる。
 「むお、餓鳩の群れがっ」
と言いながらも、楽しんでいた。しかし、後に思うにこれは、インドでの我々を暗示して いたのだろうか…
 松藤が、来た。送れた理由は、
 「いやー、パチンコが懸かってさあ。(洗濯が、なんて、カッコ悪くて言えねえや)」
だが、後に、旅行先に洗濯物を持ち込むという暴挙に出る。(「常雨」)



 京成線にて、成田着。トラベラーズチェックは、成田の東京銀行で両替。
 宮下とも合流し、出る前になんか腹に入れとくか、と飯を食う。(「この時はドリアを 食った」 by吉田)(「何故かインドに行く前にカレー食った」 by松藤)
 驚くべきことに、吉田はこれが人生最初のドリアであった。いったいこいつは、今まで どんな人生を送っていたのか?しかし、考えて見れば、大学時代、テレビ無しの生活を送 っていたような男だ。理解できん。

 しばらく談笑し、
 「さて、そろそろ行くか。」
と、空港使用料を払おうとしたその時、
 「〜宮下泰輔様、ご登場の手続きをお早めにお済ませ下さいますよう〜」
と言うような意味の、放送が流れる。
 「なにっ、もう飛ぶのか?」
慌ててバタバタ走っていく4人を見送る日出子。

 これから長い付き合いが始まることを、彼女は、まだ知らない



前回へ「西憂記」topへ次回へ