
〜第11回 ジギジギ〜
1993年 3月11日
インドに降り立った初日、空港で60ドルを両替して以来、それだけでここまで生活してきた。
4日間である。1日あたりで、1500円未満。まあまあかな。しかし、手持ちが少なくなってきた
ので、銀行に向かう。
西部劇に出てくる銀行を少しだけ近代化させたような内装。窓口に並んだのだが、こっちの人
々は、とにかく窓口の前まで行って手を出し、それを銀行員が受けたら勝ち、という世界のよう
だ。
「まあ、そのうち回ってくるだろう。」
と、待っていたが、何故か結構混んでおり、前に進めない。
他の3人は終わらせてしまい、待っている。しかし、普段から、よほどの事以外に、他人を押
し退けて前に行く、という感覚に乏しい私は、こういう状況は苦手である。人が善い、と思われ
るかもしれないが、さにあらず。こういう場面で、こいつは大丈夫だろう、とほおって置かれる
と、最終的に癇癪を起こすのだ。
この場面でも、いい加減、苛々してきた。インド人と白人のおばさんが、なんか後ろで口論し
ている。銀行員、時々、隣の同僚と話をするのだが、どう見ても、仕事と関係無いことを喋って
いるようだ。キレた。何に、と言うことではなく、全体の雰囲気に。
「たいがいにしとかんやて。」(日本語)
と、怒鳴ってしまった。インド人が、皆こっちを見る。一瞬の静寂。
「…う、変な空気になっちまったかな。」
すると、銀行員が手招きをしたので、固まっている人々の間をズカズカ前に進んで、両替を終わ
らせた。なんか、申し訳ない感じだが、一旦キレたら、最後まで貫くことが大事。
〜中学1年の時、入学まもなくの5月。体育祭の練習中、後ろから小石が飛んできたので、
「野郎、山口だな。」
と思って、山口がいるだろうと思われる斜め後ろに居た人のボディーに、振り向き様に思いっき
り地獄突きを入れたが、全然違う人だった。別の小学校出身の奴なんか、まだ分か
らん。
「痛え!俺が何かしたや。」
という彼に、幾分動揺が見られたので(こっちも動揺していたが)、ええい、ままよと、
「てめえ、石投げたやろうが。何か文句あるとや。」
と、押し切ってしまった。彼は、不満げであったが、勢いに押されて、何か言いながら立ち去っ
た。
後に判明したが、彼こと藤さんは、空手をやっていて、腕もそこそこの人だと聞いた。もしあ
そこで隙を見せたら、結構困った事になっていたかもしれん。
しかし不思議なもので、この後すぐに彼と仲良くなってしまったのだが。〜
両替は今回も60ドル=1866R。だが、空港では、外人観光客相手だからであろうか、紙幣で最
も大きい500R札が2枚あったのだが、今回は無い。そう、庶民は500R札など使わない。いや、
使えないと言った方が正しいのか。
タバコを買うときに、使おうとしたら、
「兄ちゃん、つりが出ねえよ。」
と言われたことが何回かあった。
この、私の手許にある札束、その厚さの手応えと言えば、
「タバコの箱並だな。」
こんなの、財布に入る訳が無い。腹ん中に、仕舞っといた。
金も手に入れたことだし、なんか買いに行くかと、バザールへ。今回、下半身はGパン1着し
か用意していなかったので(日本から持って来た服は、Tシャツ1枚、ジーンズ1枚、パンツ2
枚、それだけ。Tシャツをカルカッタで1枚買った。)、こっちの連中が着ている、ルンギーという、腰に巻く布を買う。
バザールの界隈は、道の幅が異様に広い。おそらく、寺院に関連した大きな祭りがあるらしい
ので、その時のことを考えてあるのであろう。
昨日は公園を目指して失敗したので、今回は海岸方面にでる。途中、とある行列にぶつかる。
煌びやかな衣装に包まれた人々が、輿に担がれた人を中心に行進している。乗っているのは、若
い女性のようだ。
「結婚式かいな。」
「ばってん、随分若いぜ。」
「じゃあ、○潮か?」
「いちいち、みんなに知らせんでもいいやろ。」
結局、よく分からなかった。
昼食後、松藤が買った生ココナッツのジュースを飲む。果実を鉈で割って、ストロー突っ込ん
だ奴。
「ぬるい、青臭い。」
これ以来、生ココナッツ汁は飲んでない。
海に出て砂浜を歩いていると、ガキが寄ってきて、
「ジギジギねー。」
「日本人、ジギジギ。」
と言って、笑っている。意味が分からん。
「ああそう、ジギジギ。」
としか、返しようが無い。物を売っているガキもいたが、難解な日本語を使いこなす。英語の方
がまだ分かるのでは、と思うが。
ホテルにルンギー姿で戻ると、従業員に笑われた。そこで考えた。
「これは、たとえば、外人が日本で、安っぽいちょんまげかつらをかぶって喜んでいるような、
そんな光景ではあるまいか?」
まあ、いいか。実際、着ている奴は大勢いる。貧しい人の物であるようだが。
晩飯食って、このホテルにはバーがある、と言うので、入ってみた。そこは恐らく、世界で最
も殺風景なバーであろうか。
客は、誰もいない。ヒンズー教徒は、酒は好まない。飲まない、ということではないらしいが。
監獄のようなバーに、それに相応しい、厳ついおっさんが注文を聞きにくる。
「何が、美味いっすか?」
「ラムがある。」
とのことで、ラムの炭酸割。美味くも、まずくもない。宮下の飲んでいるビールをいただくと、
こっちは、明らかにまずい。
「ヒンズー教徒は、酒が嫌いなんじゃなくて、酒造りが下手なんじゃねえのか、おい。」
日中は、コーラ、7UP、リムカ(日本には無い)といったジュースをがぶ飲みしているが、冷たいビールが飲みたい、という欲求は出てこない。
「こんな国で、迂闊に酔っ払えるか。」
一杯だけにして、部屋に戻る。
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