
〜第12回 日帰りコナーラク〜
1993年 3月12日
今日で、プリー滞在4日目になる。昨日、
「いくら居心地が良くても、たいがい飽きてきたな。」
「おう、もうこの町は全部見たぜ。どっか行くや?」
「ばってん、チケットは明後日の日付やろ。」
「と、言うことは、日帰りやね。どこ行くや?」
「近くにあるコナーラクなら、バスで行けるな。」
「じゃあ、行くか。」
という、計画を建てた。即ち今日の行動は、『コナーラクに行く』。
朝食を済ませて、リクシャーで、バス停に向かう。歩いて行こうかと思ったのだが、ホテルを
出たところにリクシャーが待ち構えている。バス停の位置をよく把握していないので、乗った。
着いた所は、バス停よりバスセンター、という感じの、結構大きなバスが何台も停車している
ところである。そこを歩いて、適当にそこら辺の人に、
「コナーラクに行く奴は、どれだ?」
と聞くと、1つの、小さなマイクロバスが停まっているところに連れて来られた。料金は、6R。
乗ると、席は既に埋っていたので、立つ。出る。距離は、35km。途中、2回くらい停車して、
人が降りたのだが、そこがバス停なのか、
「あ、そこ俺んちだから、止めてくれー。」
そう言って降りたのか、よく分からん。
人が降り、前のほうが開くと、
「席、開いたよ。」
と、おばさんが呼んでくれたので、前に移動すると、運転席の後ろにある、鉄板で覆われた、箱
状になっている場所を、
「ここ、座んな。」
と、指したので、座ると、無茶苦茶熱い。
「うわ、ここ熱いよ、おばちゃん。」
と訴えると、彼女はすかさずサンダルを取り出して、にっこり笑い、
「これを下に敷いて座れば、問題無し。」
あら、どうも有難う御座いますと、笑い返し、そのまま終点コナーラクへ。海岸沿いの、なかな
か趣のある景色を見ながら、1時間余り、着いたところは、スーリヤ寺院の前。

コナーラクに、何があるかと言えば、この寺院、後は本当に何も無い。村以下。
レストラン1件、店2件、人家無し。パッと見て、そのような佇まいの景色。
「と、言うことは、これが、この寺院が“コナーラク”か?」
寺院に入るが、入るのではなく、登る。神様の乗る戦車を模して造られているのだが、寺院の壁
面には、ある彫刻が施してある。
「むう、フェラ、69、3P、後ろから、前から。」
ミトゥナ、という、男女交合の像だそうな。確か、他の町でも、有名な所がある(カジュラーホー)。
この彫像、ほのぼのとした感じで、エロ度は低い。
「しかし、神様が好きなら、もっと人々に奨励してもいいのになあ。セックス。」
「まあ、何年前に造られたか知らんが、やってることはあんまり変わってないね。」
「進化してない、ということか。」
「そう、もっとやりまくって、新しい境地を求めることが、この神様に対する
信仰の証だね。」
「別に、信仰してねえよ。してもいいけど。」
と、性と信仰に関する学術的会話を交していると、1人の男が近づいてきた。
「ジギジギ、ジギジギ。」
と、呪文のように唱えるその男は、ここのミトゥナの写真入絵葉書を売っているらしい。
「これ、ジギジギ?」
「そう、ジギジギ。日本人、ジギジギ好きね。」
どうやら、“ジギジギ”とは、スケベ系の言葉らしい。
「そうか、プリーのあのガキは、俺達のことを『よう、このスケベ』と呼んでいたのかもしれ
ん。」
「それならいいが、どうする、『よう、マ○コ野郎』とかだったら。」
真相は、確認できず。
昼飯を、食う。カレー。ここで松藤、“レモンライス”なるものを注文。黄色の、僅かに具ら
しきものがまざった、米料理?
「松藤、それカレーかけて食う奴なんじゃねえの?」
「いや、違うやろ。これでいいとって。」
食ってみたが、味がしない。
「やっぱ、味しねえじゃん。俺のかけてやろうか。」
「やめろって、ちょっと。あーあー。」
そこまで、カレーが食いたくないのか、松藤。確かに、インドに来てから、私はこれで13〜14回
目のカレーだ。しかし、カレーを食いたくないから、と、毎日炒飯と炒麺ばっかり
食ってる吉田、それも辛くないか?
飯を食い終わると、やることが無くなった。帰ろうと思って、バス停を探すが、どこか分から
ない。というか、探す対象のものが、辺り一面、どこを見渡しても、無い。あるのは、寺院、3
件の建物、畑、林、以上。参ったね、こりゃ、と、店のガキと暇を潰す。ミネラルウォーターを
指すので、
「ああ、飲む?少ししかねえから、全部やるわ。」
と、渡すと、水を捨てて、容器を持っていった。
「あれ、なに?あっ、リサイクルか。しかし…」
「リサイクルと言っても、手前んとこで、そこら辺の井戸水入れて、売ってんじゃねーの。」
証拠はない。が、何故か、4人全員がそれを確信した。
しばらくすると、満杯のバスが、来た。乗れそうにない感じだったので、バスの上に乗っかっ
ている人を指差し、
「あそこでも、いいよ。」
と言ったが、
「まあ、乗れ乗れ、詰めれば入るだろう。」
と、インド人に中に入れられる。
「ちょっと残念だな。」
「そうだな、上に乗ってみたかったような気がする。」
出発してしばらく、左カーブに差掛かる。すると、明らかに、車体が左に傾く。何故か?無理
して乗った連中が、左側の乗車口の辺りに、掴まっているからである。私も、左側に乗っている。
「倒れたら、圧死だ。」
インド人は、マナーが良く(?)、バスや電車には、皆かなり詰めて乗り合う。彼らなら恐らく、
3人掛けに、10人は座れるであろう。
とにかく、無事にプリーまで戻れた。15時くらいである。が、今日の計画は『コナーラクに行
く』であり、それを完了した我々は、速やかにホテルに戻り、後はぼんやりと時間を過ごした。
途中、わざわざ、夜食のオーダーを取りに来た。それを終えると、
「記念に、何かくれ。」
ホテルの従業員の間に、
「あの部屋に日本人客がいる。」
という情報が広まっているようだ。
だが、私には彼に渡すような物はない。ちょっと考えて、これならいいやと髭剃りを渡すと、
案の定、がっかりした。だが彼はそのままの表情で、髭剃りを頬にあて、一応嬉しそうに見せて
くれて、その態度に、ちょっと申し訳なく感じたので、
「俺はこれしか渡すものが無いんだ。そっちに聞いてみな。」
と吉田に振っておいた。まあ、最後には人の良い松藤が、日本人の印象を良くしてくれるに違い
ない。
今夜も、バーで1杯飲んだのだが、釣から勝手に10R、チップを抜いてある。
「ああ、昨日もそうだったよ。」
「イギリスめ、変な習慣残しやがって。」
しかし、勝手に持っていくのは、犯罪だろう。サービス料とか、チップじゃなくて、お前が欲し
い分をそのまま好きに貰っているとは。恐るべし。
チップは、渡すのではなく、盗られるもの?
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