私の競馬道ことはじめ
しい職場に移って1年ほどたった頃、休憩室のテーブルの所で、何人かの若い人が、数字のいっぱい書いてある表をじっと見ては、◎や○や▲などを付けている。私が視線を向けるとさりげなくテーブルの下のしまうのに気がついた。
この職場には私の目から見て30代のなかなか好感の持てる人物が多い。ある日、その中の1人、H氏がそれを見ているときに聞いてみた。
「それはなんですか?」(まるで英会話の初歩みたいなセリフ!)H氏曰く、「えー、この表は馬柱と言いまして、この数字はすべて馬についてのデータです。これを見て、今度の日曜日のレースでどの馬が1着に来るかを予想しているわけでして・・。」と、ことばを選びつつ説明してくれる。
「それってつまり競馬ね。私、やってみたかったのよ。」
と、まるでミーハーみたいな反応をしてしまって、とりあえず、印の付け方を教わって、[馬連3点BOX]なるものを書いたのが、[ビギナーズラック]で見事当たり。
G1レースの予想をして点数を競うゲームだった。
ゲーム参加者はそれぞれカタカナ9文字以内のペンネーム(馬名)を持っている。カネコ氏は[ゴールデンボーイ]であり、シンゴ君は[シンゴラブリイ]だったりするわけで、私は
[トーダイモトクラシ]で出発した。
さて、私にとっては初めての分野。知らなかったことを知っていくのが「勉強」の本領。
”インテリ”の私の勉強スタイルはまず活字から。それまでケガラワシクて手に取ることのなかったスポーツ新聞を毎日読むことから始めて、学校の図書館・地域の図書館の「馬」という活字の付いた本を、片っ端から借りて読む生活が始まった。
寺山修司氏とも、山口瞳氏とも遅ればせながらお友達となりました。古井由吉氏とはこれから現役として張り合いたい。デイック・フランシスの『競馬シリーズ』も全部読了。木下順二氏堪能の「競技馬術」とはあまりウマが合わない感じかな。
ものを理解するには順番がありますね。本当に学びたいと思ったことには謙虚に単語(競馬専門用語)の意味から一つずつ覚えていきます。[パドック]も[返し馬]も[フケ]もわかるようになりました。
私より一歩先を行く人はみんな先達です。
本を読んでも分からないことがあると、年若い先輩に教わります。活字で予習していって、生身の先生から説明をじかに聞くとよーく理解できます。質問すれば、こちらがどこでつまづいているのか察知して、別の角度から説明し直してくれます。
「教師ってやっぱり必要なんだな。」と、とんだことから再認識したりする。
でも、やっぱり、実地の勉強が一番。ある日、休憩室で呟きました。
「中山競馬場ってきれいなんですってねー。」
秋になって、メモが回ってきた。”Tさんを中山に連れていくツアー10.1”というもの。
曜の午後、武蔵野線船橋法典駅を降りるともう別世界。みんなの真似をして入り口で競馬新聞を買った。(前日、家でスポーツ新聞でじっくり検討はしてありましたが、なにしろ今日はフルコースで競馬場を経験しなければなりません!)
入場すると、他の人はそそくさといろんな方向に散り、そばにはH氏1人が残り、「今日は、Tさんを悪の道に引き込んだ責任をとって、ぼくがご案内します。」
遊園地風の中央の芝生からはじめ、パドックやモニター画面の見方・コース・投票券の書き方・払い戻し・当たり馬券のコピーの仕方・コーヒーショップやおみやげやにいたるまで、くまなく、かつ、猛烈なスピードで案内してくれた。
「ちょうど今7レースの発売をしているところですから、投票券を書いて買ってみて下さい。」私、マークシートに記入「いくら買ったらいいのかしら?」と馬鹿なことを聞いてしまった。「いやー、いくらでもいいんですよ。百円から買えます。」
そこで、つましく[単勝]と[馬連3点]を百円ずつ買うことにした。
窓口のおばさんに「初めてなんです。」とおもわず喋ってしまうウブな私でした。
「買えましたね。それでは、ぼくはこれで・・・。集合はメインレース終了後、第4コーナーの手前の柵際です。」と、H氏は去っていってしまった。最後まで一緒にいてくれるものだとばかり思っていた私はちょっと慌てたが、今教わったばかりのことを必死に頭で反芻しながら顔だけはいかにも場慣れしているふりをして、馬場に向かった。
芝生がまぶしい。人をかき分けて柵まで行って見ると、ちょうど[返し馬]だった。
柵にもたれているとすぐ目の前、手を伸ばせば届きそうなところを走っていく。地響きが足元に伝わってくる。
”なんてすてきなんだろう。”もうダメだ、私はこの道から抜けられない、と思った。
このレースで私は、父オグリキャップ・母ユウコ・岡部騎手騎乗のアラマサキャップという3歳牝馬を見つけ、単勝と馬連を買っていた。
オグリキャップは好きだったし、私と同名の母馬がいたなんてうれしくなってしまう。アラマサキャップは父に似て濃い灰色(芦毛)のずんぐりとした馬だった。
一番人気はハーバーカレンで、キャップは2番人気だった。
ゲートインがおわり、走り出した。スタートダッシュよく、内枠を活かして、なんと先頭を走っている。
胸がドキドキしている。4コーナーを先頭で回って直線に。ハ−バーカレンが迫ってくる。ゴールまでの距離を目で測ってしまう。まだだいぶある。
岡部騎手が一生懸命追っている。最後にまたグッと伸びて、1着でゴール。
頭がボーッとしてきた。隣に誰も知り合いがいないのが残念だった。
私はこの後1年間、ユウコの生んだアラマサキャップの”追っかけ”をすることになる。いつも”張り込んで”、自称”花束馬券2千円”を買っていた。
翌週、今度は夫と連れだって出かけ(夫は晴れて競馬場に行けることになり大喜び)、以後中山開催の”一日勝負師”が一組誕生してしまった。
は今、最初の時に、”責任を取って”場内をくまなく案内してくれたH氏の、あの”30分”がいかに貴重なものであったか、彼の犠牲的精神がどれほど深かったか、よく分かる。
場内に一歩入ったら、”自分の競馬”以外には一瞬の余分の時間もないのである。同行の夫でさえ、邪魔になり2レース目からは別行動をとることが多い。これはお互い様であり、冷たいわけではない。ひたすら集中しなければならないのである。
肉体的にも、30分刻みでパドック・オッズ板・窓口・馬場と、早足で階段を上り下りしてひたすら移動。足腰が鍛えられる。
競馬は知力・体力・洞察力・集中力・記憶力を要し、喜怒哀楽の感情をいやが上にも高め、またなによりも、3分間に凝縮した”興奮”という、
歳をとると失われがちな体験を味わえるのである。人間の活力に必要な要素をすべて兼ね備えた最高の趣味であると感じている。
自称”競馬歴30年”となるのがささやかな望みである。
1996/8/20執筆 photo by yunami
アラマサキャップは今、母となり、98/4/19に父ダンスホールの牡馬を生んでいる。アラマサキャップ98は薄い灰色の芦毛馬で黒灰色のたてがみと尾毛の、
幅のある馬体の持ち主。気性が勝っていて、母の父オグリキャップ譲りの勝負根性を期待させる。(99/4/26追記「Gallop」99/5/2号参照)
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up date:5/1/99
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