旅(競)馬・海外編
年ほど前、北大地質学の堀淳一さんの随筆を読んだ。「霧のかなたの聖地ーアイルランドひとり旅」(筑摩書房)というもの。
地質学者の彼はもっぱら地形を尋ねて旅をする。
アイルランドは白亜紀の古い地質で、ユーラシア大陸がプレートにのって西方へ西方へと移動していくその果てにあり、大陸から
ちぎれたイギリスの島嶼の、そのまた先にちぎれていった果ての島で、何度も氷河が溶けて流れては
運んでいった土壌が、海に向かってこんもりと盛り上がって、小さな丘をお皿をふせたように丸く並べ
ている。
その名はドラムリン。
地形図をもとにただひたすらそのドラムリンを尋ねて徒歩旅行する堀さん
の文章でアイルランドは妖精の国とはまた別の姿をみせてくれた。
この堀さんは日本エッセイスト大賞を受賞したこともあるそうだが、実に魅力的な文章である。
「緑のアイルランド」のその緑色の微妙な違いを「アップルグリーンの草の色」とか「梔子(くちなし)
色とオリーブ色をボソボソと混ぜた枯れ草原」というように表現する。
そして、地形図を元にガイドブック
にもない場所を求めて道を尋ね、いろいろな人と交わす会話。小さな村の民家のおばあさんや林道で行き会う
体の大きな髭もじゃの農夫。どんな村にも町にも必ずあるパブに屯する人々。
堀さんは言う。林の中の
一本道で大きな体の男とすれ違うことを考えると一瞬緊張してしまうことがあるが、すれ違うとき、必ず
向こうから「いいお天気だね。」とか「良い旅を!」とか笑顔と共に挨拶される。
道を尋ねると親切に、
時には自分の仕事を中断して案内してくれる。それでいて、どこから来たか何をしに行くのかと詮索する
ことがない。日本の田舎では考えられない。本当に気持ちのいい人々だと。
「外国旅行なんて・・・。」
と思っていた私をアイルランドに行きたいと思わせたのは、この堀さんの文章だった。
して、もう一つの理由はいわずもがな、種牡馬カーリアンがいる(旅行の計画をしている間に死んで
しまった!)アイルランドはサラブレッドの産地なのだ。
高校時代の親友で長くイギリス暮らしをしていた
Iさんがはじめてアイルランドで3週間過ごして帰ってくると、やや興奮気味に「アイルランドは素敵だ」
と言う。なにがって「馬が良かった」と言う。
どこのB&Bに泊まっても近くで馬に乗れる。ほんの10分
ほどの説明を受けてすぐ、1時間ほどのトレッキングに出る。
「馬の背中は本当に素敵。馬に乗るためだけ
にまた行きたい」という。
私の競馬狂いを半ばあきれ顔に見ていた彼女に、先を越されてしまった。
その彼女も「アイルランドにいるとほっとする。人間が温かい。」と言う。
海外旅行は退職してからでも、と漠然と思っていた私だったが、この夏行こうと決心してしまった。
発は8月21日、帰国は8月29日。Iさんの3週間とは比べようもない短期間だが、夫の休暇がこれ
しか取れなかったのでしかたない。
コースはダブリンから南に下り、南西部のデイングル半島から最西部の
コネマラ地方まで足を伸ばして、再びダブリンへ。ほぼアイルランドの南半分を回るというもの。
さて、旅行を終えての総括は、計画は失敗だったが、アイルランドは予想以上に素晴らしかったというところ。
失敗の最大の原因は日程がきつかったこと。一日平均200キロを移動する行程は、日本の国内旅行だって
きついのに、ましてはじめての、道路標識がわかりにくいので有名な(後で思えば、どの本にも書いてあった!)
アイルランドを、車で行くのは無理なのは当然。
次回のために、下見をしてきたことにして、是非もう一度本番の
旅行をしてきたいと思っている。
イルランドは素晴らしかった。一番良かったのは人間。こんなに人間がいとおしいと思ったのは久しぶりだった。
自然と、そこの生きるものたちも、つましく清潔だった。
馬と羊。ドラムリンと山道の両側にトンネルを造る
ホクシャの紅い釣り花と橙色の檜扇(ひおうぎ・ぬばたま)の花。白い石灰岩山地に一面に咲くうす紫のヒース。
町でも野でも空は360度広がり、雲が流れ、雨と風が襲いかかり、すぐまた青空になる。
ず人について。
ダブリンの町までは日本人を見かけたが、一歩出ると、再びダブリンに戻るまで、1人も
会わなかった気がする。不思議なくらいだった。
目にするのはアイルランドの人だけ。土地の人の私たちを
見る目が全く自然だった。ジロジロ見るということがない。
小さな村のよろず屋さんといった店にもよく入ったが、
常連のお客さんと全く区別しない。
が、値段だけは大きな声で言ってくれてー例えば、「ワンパンド・フィフテ
イーペンス、オーケイ?」そして、にっこりする。
私もにっこりして、「オーケイ、サンキュー」と言う。
お客が「サンキュー」
というのは考えてみれば変だが、自然と口をついて出てしまう。
買い物をするのがとても楽しい。
日本のスーパーでお互いに
口をきかないで買い物をしたりしていたのが異常だったと思った。
とても穏やかな気持ちになっていて、私は
自分が異国人だという意識をほとんどもたなくなっていった。
3日目くらいに、しずかな海辺の海の家で、土地の子に
混じってお菓子を買うとき、私は「これいくらですか?」「どうもありがとう」と日本語で買い物をしていた。
人々の顔は少し憂いを帯びた感じの美しさが印象的だった。
長い間、イギリスに支配・抑圧されていた苦しみの記憶が人々の表情に遺伝的に組み込まれているかのようで・・・。
町の至る所に飾られているフラワーボールや窓辺や庭先の花々がハッとするほど美しいのも、
人々の、独立への希望の実現を喜ぶ想いが、形になっているように感じる。
子どもがかわいい。なにしろたくさん見かける。カトリック
だからか、若い夫婦がたいてい3人は連れている。
そして若い女性の5人に1人は、ウイノナ・ライダーみたいな
顔をしているし、若者の10人に1人はダニエル・デイ・ルイスなのだ。
一番惹かれたのは、アランセーターを着て
ハンチング帽をかぶった羊飼いや漁師の初老の男性。
髭に縁取られた皺の深い顔。石を積んだ灰色の家をバックにして、
その人の人生が、そのまま人間の形を成してそこにいるといった風。
人忘れられない女性がいる。
バレン高原に向かう日、雨もよいで道に迷いながら、昼過ぎに、海辺の小さな
町を通った。
他に探しようもなく昼食に入った食堂は、今までで一番粗末で、お客も一人暮らし風の老人がぽつりぽつり
とテーブルに座っているだけだった。
それでも、がらっぱちの女将は、よそと変わりなく異国人にも普通に愛想が
良かったので、ほっとして食事を待っていた。
そこに、30代の女性と40くらいの男性の一組が入ってきた。
黒髪の女性は、生活に疲れているといった様子で、男性との関係も何か訳のありそうな雰囲気だった。
少し離れた
テーブルにいる私たちに向けた視線も暗い感じだった。
「ああ、こういう所にやたらに旅人が入るのは悪かったな。」
と、はじめてそんな気がした。
トイレに行こうとして、その女性のテーブルのそばを通ったので、軽く会釈して「ハロー」と言ったら、その女性は、
最初ちょっとびっくりしたような表情をしたが、次の瞬間、逆にこちらが驚くくらい顔一面の笑顔で、声に出さないで
挨拶を返してくれた。
しばらくして、彼らが先に食事を終えて出ていくとき、その女性が遠くから私を見て、もう一度
心に沁みるような笑顔を作って「バーイ」と言った。
私も言った。もう二度と会うことがない二人の、これは「人間と
人間の挨拶なんだわ」と思った。
いきさつを知らない、隣にいた夫はびっくりしていた。
して、馬。ついでに驢馬。
ダブリンの町並みを車でぬけて、10分もすると四車線の道路の両側にある林の奥は、一面に牧場で、群れている茶色は
牛。
一頭広い草原に孤高の雰囲気で草をはむのは、我があこがれのアイルランドのサラブレッド。
いちいち馬を見か
ける度に歓声をあげていたが、やがてこの国ではいたるところ牧場だらけだと気がついた。
なにしろ、リンク・オブ・ケリーという風光明媚の最たる地も、道路わきから山の頂にいたるまで、山羊だらけと
いう土地柄なのだった。
町外れの道を向こうから、自転車に乗るような感じで、馬に乗ってコンビニに買い物に来る
少女なんかを見かけると嬉しくなってしまう。
バレン高原というところは、西部の有名な「モハな断崖」という海岸から、内陸に五キロほど入った荒涼たる石畳の
高原なのだが、そこに昔の領主館をホテルにした「グレガンス・キャッスル」がある。
近代ホテルはあまり興味がないが
箱根の「山のホテル」のようなのは大好きな私のたっての希望で、ここも一泊することにした。
他の宿の五泊分くらいの
値段だったが、ここは本当に素晴らしかった。
部屋の広さ、調度の落ち着いた豪華さ、周りに荒涼とした自然以外何一つ
ないことのこころの安らぎ。
何もしないで暫く滞在したいとしみじみ思った場所であるが、なにしろ朝9時には出発の
日程なのだった。
早朝、ホテルの周りを散歩して、裏手にまわると牧場があって、芦毛の馬がいた。
5歳の時のメジロマックイーンと同じ
連銭芦毛だった。
柵のそばに行くと、寄ってきて頸を伸ばして、柵の外側の草を噛むそぶりをする。
ところが、頸の
とどくところはもう食い尽くしていて、草は2センチくらいしかない。
顔を上げて私を見る。私の足元には20センチ
くらいの柔らかい青草がいっぱい生えている。
「あら、ほしいのね。」と言ってむしってやるとおいしそうに食べる。
こんな近くで顔を見るのは初めてだが、目が大きくて、じっと見るその眼は、人間の眼としたら、知性のある眼だ。
馬は利口だと聞くが本当だろう。
20分ほどいて、自分の朝食時間が近くなったので、「これでおしまいね。」
というと、じっと見てから、ゆっくり頸を回して、頭を高くもたげて柵から離れていく。決してねだらない。
誇り高い感じである。
日後、コネマラ地方の湖の南側にあるB&Bに泊まった。
湖の向こう側にジョン・フォード監督の「静かなる男」
の舞台になったコングという町があって、翌日の新聞を見ると、その日、イギリスのブレア首相が来ていたらしい。
そう、北アイルランドの和平交渉が成立したばかりなのだ。
そのB&Bは、清潔で、品のいい知的な感じの40代の女性が経営していたが、住宅としてもとても好ましい家
だった。
隣家は前庭に牧場を三区画持っていて、道に面した区画には、頭の大きな、背筋のあまりきれいでない、
馬風の動物がいて、どうもこれは驢馬らしいなと思ったのだが、これがまあ、あのキャッスルの馬の誇りの一欠片でも
煎じて飲んだら、と言いたくなるくらい、誇りのない奴であった。
人の姿を見ると遠くから大急ぎで寄ってきて、草をねだる。
牧場の真ん中にたくさんあるのに、いつまでもくれといって、去っていく私を、柵に頭を載せてジーッと見ているのだ。
そして、通りに別の人の姿が見えると、大急ぎでそちらに行って、またジーッと見ている。
恥も外聞も無い、といった感じだ。
宿の人に聞くと
「ドンキー(驢馬)のビりー」といって、近所の人気者とのこと。
でもやっぱり私は馬の気品が好きだ。
アイルランドから帰ってすぐに、持ち馬(一口馬主だが)2頭が相次いで、3勝もしてくれた。
1998/9/15執筆 photo by june&yuko
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