本を読み、著者からの語りかけをうけて、自分のうちにある思いを確かめながら、
私たちは自分の視野を広め、人とつながる精神を深めていくことができます。
このページでは、会員が「わたしはこの本を読んだ、この著者を知った、ぜひあなたも」と伝えたい本を持ち寄って紹介します。


*** 目 次 ***                      
日本国憲法 THE VISUAL CONSTITUTION OF JAPAN



  • 編集/写楽編集部
  • 小学館/1982・4・20刊
  • 定価/本体700円(1982年現在) 127ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
茶色の朝   

  • 著者/フランク・パヴロフ 絵/ヴィンセント・ギャロ 訳者/藤本一勇
  • 大月書店/2003・12・8刊
  • 定価/本体1,000円+税 47ページ
  • 紹介する人/ゆもと みちこ
戦争が遺したもの 鶴見俊輔に戦後世代が聞く



  • 著者/鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二
  • 新曜社/2004・3・10刊
  • 定価/本体2,800円+税 403ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
1945年のクリスマス
    ー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝



  • 著者/ベアテ・シロタ・ゴードン 訳者/平岡磨紀子
  • 柏書房/1995・10刊
  • 定価/本体 円+税 ページ
  • 紹介する人/くぼ たえこ
もう、うつむかない ー証言・ハンセン病


  • 著者/村上 絢子
  • 筑摩書房/2004・3刊
  • 定価/本体 1600円+税 302ページ
  • 紹介する人/ゆもと みちこ
あなたが世界を変える日
    ー12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ



  • 著者/セヴァン・カリス=スズキ 編・訳/ナマケモノ倶楽部
  • 学陽書房/2003・7刊
  • 定価/本体1000円+税 65ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
日本は、本当に 平和憲法を捨てるのですか?


  • 著者/C・ダグラス・ラミス 訳/、まや・ラミス 絵/ヒロンベリー
  • 平凡社/2003・11刊
  • 定価/本体 1000円+税 60ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
非戦 戦争が答えではない。


  • 監修/坂本龍一
  • 幻灯社/2002・1刊
  • 定価/本体 1500円+税 401ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
やさしいことばで 日本国憲法
新訳条文+英文憲法*憲法全文



  • 訳/池田香代子 監修・解説/C・ダグラス・ラミス 
  • マガジンハウス/2002・12刊
  • 定価/本体 952円+税 60ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
復刊 あたらしい憲法のはなし
文部省発行中学校一年生用社会科教科書 


  • 著作/文部省  復刻編集/童話屋編集部
  • 実業教科書株式会社/1947・8・2発行
  • 復刻発行/株式会社童話屋/2001・2・26発行
  • 定価/本体 286円+税 77ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ
ラディカルに〈平和〉を問う
 


  • 著者/小田実・加藤周一・ダグラス・ラミス・土井たか子・木戸衛一  編集/小田実・木戸衛一
  • 法律文化社/2005・8・25発行
  • 定価/本体 1600円+税 246ページ
  • 紹介する人/なみひさ ゆうこ


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日本国憲法 THE VISUAL CONSTITUTION OF JAPAN
編集/写楽編集部
小学館/1982・4・20刊

この本は小学館の『写楽BOOKS』シリーズの一冊として、1982年に刊行されたもの。 4月20日初版第1冊がでてすぐ、10日後の4月30日に第2冊が刊行される。当時どこの本屋の店頭にも平積みされていた。

帯のコメントを紹介しよう。

「憲法は、わたしたちの暮らし方をきめているもっとも基本的な約束です。むずかしいから、といって、読まないで放っておいてよいものでしょうか。 一億一千万人のだれもが、楽しく、読みやすいように編集された、写楽BOOKS『日本国憲法』。 一家に一冊、手もとにおいて、ぜひ、一度お読みください。」

白地に小さな赤い水玉模様、赤い帯のすっきりしたデザインの表紙で、 表紙をめくると、アポロから撮影した地球の写真。以下憲法条文をのせた見ひらきページをめくると、次のページは2ページ全面大の写真がのる。 人々を取り巻く風景がさまざまな角度から映し出される。

たとえば、「北海道上富良野の道」「昭和22年生まれの女性の右目」「宮城県松島の花火大会、8月15日」 「受胎後約一ヶ月半の胎児」「輸出用に船積みされるのを待つ自動車。静岡県清水港」「国立競技場で行われたラグビー試合の観客」などなど。

今のわたしたち生活がそこに定着されている。じっと見つめてしまう写真ばかりだ。

それらの「人々の生」を守っていることを形でしめすかのように、写真をめくると、
そこに、大きな活字の憲法本文が見ひらき2ページに載り、全部ルビがふってある。

下欄には、わかりやすい用語の解説がある。たとえば、「平等(びょうどう)」は 「かたよることなくひとしいこと。ひろく行きわたって差別がないこと。一様に扱うこと。」と説明。 「尊重(そんちょう)」は「価値のあるもの、損なったり反したりしてはならないものとして大切に扱うこと。」。 「何人(なんぴと)」は「どういう人。いかなる人。何者。」。「国籍(こくせき)」は「国家の所属員としての資格」

最後の写真は、「アポロ11号から撮影した、月面から見た地球。」だ。

写楽編集部の日本国憲法によせる心意気と、人々にむけたメッセージがまっすぐ伝わってくる。

最後に収録されているのは、「大日本帝国憲法」と「THE CONSTITITION OF JAPAN(英訳日本国憲法)」だ。

わたしの手もとにあるのは、第2冊版。いつも書棚の手に届くところにある。

柳父 章さんの「翻訳語成立事情」という岩波新書を読んだことがある。
「自由」や「権利」という語を、明治の時代に、その概念(これのまさしき翻訳語だが)がない日本社会に
どうやって定着させるかに苦心して、翻訳語を生み出していった福沢諭吉ら先人の模索の過程を描いた興味深い本だが、
そこに浮かび上がるのは、ある社会の中で使用される言語が、他の社会の言語に移し替えられた時、
本来もっていたその語の社会的意味合いが、ゆがめられて(あるいはずれて)移し替えられるという問題だ。

それならば、「日本国憲法」の日本語本文と英語本文とに、なんらかの「社会的意味」のずれはないだろうか。 第十二条の「この憲法が国民に保障する自由及び権利は」を「英訳」と比較して読んでみる。

英語では「The freedoms and rights guaranteed to the poeple  by this Constitution」なのだ。 直訳するなら「この憲法が人々に保障する・・」となる。これは翻訳上やむを得ず生じたずれなのか?

訳のずれは単なる翻訳上の問題以上の政治的な意図があったということを後で紹介する「新憲法の誕生」によって知った。

「poeple」「国民」となった、この英語版(英訳なのではない!)の憲法本文と 「日本語訳」憲法本文との間の、訳のずれが、敗戦直後日本という土地の上に何十万といた「在日」の人々の基本的権利を 奪ってしまったことを私たちは長い間自覚しないで来てしまった。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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茶色の朝


まずこの本の帯から引用しよう。

フランスの政治を動かしたベストセラー寓話。中学生から80代まで、今日本でも大反響。

読者の声/心うたれました、まさに今の私達への警鐘のの書。(70歳・男性)

    /これは現在進行形の物語ではないだろうか。(27歳・男性)

    /こんな時代だからこそ、大切な人に贈りたい。(21歳・女性)

茶色はナチス党の初期のシャツの色で、
ナチズム、ファッシズム、全体主義などと親和性を持つ「極右」の人びとを連想させる色。
静かな語り口のこの寓話はファシズムや全体主義の何が本当に恐ろしいかを私達に実感させる。

2002年、この本を読んだ人びとの間で、フランスに拡がりつつあった極右の危機に対して
「極右ノン」の運動が盛り上がり、危機を回避した。
とても短いので、あっと言う間に読めてしまうが、 深く考えさせられる本である。

日本人が今置かれている状況がよくわかり怖くなった。

(紹介者/ゆもと みちこ)







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戦争が遺したもの  鶴見俊輔に戦後世代が聞く     
  • 著者/鶴見俊輔・上野千鶴子・小熊英二
  • 新曜社/2004・3・10刊

この本は、戦中・戦後から現在まで、歴史の大きなうねりの渦中に身を投じて
発言してきた思想家鶴見俊輔に、
大作『<民主>と<愛国>』を書いた若き社会学者小熊英二と、
ジェンダー論の上野千鶴子とが聞くという異色の対談の記録。
記録者などの他の人間はいっさい入れず、3人だけで、3日間通しで行ったという。

第一日は、「原点としての生い立ち」から、アメリカ留学から帰国し、徴兵、
ジャワでの捕虜殺害(鶴見が手を下したのではないが)の件、 「『従軍慰安婦』との関わり」まで。
慰安婦問題では、女性観について上野千鶴子の鋭い追求があったが、真摯に答える鶴見氏である。

第二日は「八月十五日の経験」「占領軍と憲法」からはじまり、「『思想の科学』の創刊」では
多くの思想家・学者を集めて、多元主義の思想誌を作っていった経過が興味深く語られる。
この日は『思想の科』の業績「転向」研究まで。

第三日は、「六〇年安保」から全共闘、三島事件と続き、「べ平連と脱走兵援助」まで。
「六〇年安保」の市民の運動の高揚は予想を遙かに超えたという。
その時の力が、つぎの「べ平連」の市民運動となっていったと見ている。
小田実と知り合ったいきさつや、米軍の脱走兵を中立国へ送り出す活動など、
スリリングな経験が語られる。
メンバーの妻たちが日常生活で発揮した度胸が、脱走兵達を支えたのだという。

丸山真男・竹内好・吉本隆明・藤田省三・吉川勇一などさまざまなタイプの人々をつないで、
運動体として組織していく鶴見を、小熊は「編集者」の能力の持ち主だと評価する。

朝鮮との関わりについては、戦後早くから中国問題を意識したのにくらべ、
自分も含めて日本の知識人が、朝鮮問題を意識に上らせたのは、
中野重治を除いては、非常に遅く六五年以降であり、
その原因を長年の朝鮮蔑視であろうと率直にいう。

韓国にはたった一度行っている。
小田実に命じられて、政治犯としてとらわれていた金芝河救援の署名をもって、 彼に会いに行った時、
金芝河の言った片言の英語を、鶴見は若い二人に伝える。

この長い対談のなかに、ひときわ輝くのは、この金芝河のことばだ。
「Your movement can not help me.
But I will add my name to it to help your movement.」

(あなたたちの運動は、私をたすけることはできないだろう。
しかし私は、あなたたちの運動を助けるために、署名に参加する。)

上野千鶴子が感極まっていう、「まったく対等の関係から出る言葉ですね。
相手に頼るでも、相手を見下すでもない。しかも普遍への意志が感じられる・・・。」

鶴見俊輔は対談の冒頭で、「もう私も80歳だから、(この3日間は)余命から計算したら、
たいした時間ですよ(笑)。 聞いていただければ、なんでもお答えします。」と語って、
対談に臨む姿勢を示した。
若い二人は感激し、本当に遠慮無く質問した。
とくに、上野千鶴子はジェンダーの視点から、戦中の鶴見の女性観を鋭く追求している。

後書きによると、しばしば長い沈黙の後、鶴見が語り出す時もあったようだ。
鶴見は、当時の自分をごまかそうとせず、問いに向き合おうとしている。
だからその言葉は時に聞き手の予想をこえた、 人間の深みからの声となっている。

歴史の渦中で、自分の心をまげずに生きてきた一個の人間の姿が刻まれた本である。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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1945年のクリスマス ー日本国憲法に「男女平等」を書いた女性の自伝
  • 著者/ベアテ・シロタ・ゴードン 訳者/平岡磨紀子
  • 柏書房/1995・10刊


この本は、1945年、GHQの民政局員として来日し、
新憲法の草案作りにたずさわった 女性の自伝です。
彼女は、人権委員会に属し、女性の権利条項に尽力します。

私は戦後生まれなので、物心ついた時から、日本国憲法は存在していました。
しかし、どのようにしてできたかは学ぶ機会がなくて知りませんでした。
占領下にできたものなので、アメリカの軍事力によって作られたのではないかと、
どこか、ひっかりを持っていました。

が、この本を読んで、日本国憲法の草案は、
ベアテ女史を初め、25人の民政局員の知性と理想を結集して、
寝食を忘れた激しい討議の繰り返しの末、生まれたことを知りました。
そして、私は日本国憲法が、占領や支配、国家の利害、優劣を越えて、
人類が幸せに生き、平和共存するための叡智として生まれたのだと
確信ができ、やっとすっきりしました。

ベアテ女史は「女性が幸せにならなければ、平和は訪れない」と、
「私が神様に成り代わって書いたような気持ち」で、
女性の基本的人権をすべて草案に盛りこみましたが、
憲法に入れるには、細かすぎるとの理由で、大々的に削除されました。

その喪失した権利の部分が、近年、男女雇用機会均等法案や、
男女共同参画社会基本法などで、復活しつつあるのも興味深いことです。

もともと日本には、権利という言葉も概念もなかった訳ですが、明治には、訳語が生まれ、
戦後憲法で初めて人権が保障されました。
今では当然のものとして扱われていますが、これもベアテ女史たちの当時の情熱、努力と、
50余年という成熟期間があってのことなのでしょう。

人類の叡智と理想の結晶ともいうべき、この憲法が、戦後50余年、
とにかく無傷で、無事にここまでもったことに、あらためて良かったなあという思いを持ちます。

1945年、「男女平等」が戦勝国アメリカにさえなかった当時、
22歳の若い彼女はどんな思いで、草案に「男女平等の権利」を もり込んだのでしょうか。

彼女は、少女時代を日本ですごしました。
貧しい山村では、娘を身売りさせる現実、
「夫の後ろをうつむき加減に歩く」財産権も婚姻の自由ももたない女性を見て、
多感な彼女は心を痛めていたのでしょう。
そして、生活者としての「女性が幸せにならなければ平和は訪れない」という切実な思いから、
激論の席で泣いてまで、この権利を草案に入れることを主張したのではないでしょうか。

自伝によると、ベアテ女史は、その後、日本・アジアの文化交流、
発展にかかわる活動を生涯の仕事としています。
結婚し、子どもを育てながら、憲法の条項を書いた時と同じような思いで、活動を続けてきたのでしょう。
今、私達も、その思いの恩恵のもと、幸せを享受していると思います。

(紹介者/くぼ たえこ)






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もう、うつむかない ー証言・ハンセン病 

差別と偏見の加害者・被害者とならないために

 今年三月二十九日に行われた本書の出版祝賀会に何人かのハンセン病回復者の姿があった。回復者の祝辞には、 本書の著者、村上絢子さんとご主人のカメラマン、八重樫信之さんを慕う気持ちと信頼感があふれていた。

 村上さんが、ハンセン病回復者のボランテイアをはじめてからもう九年になる。今では、それがライフワークをなっている。

 ボランテイアのきっかけは、森元美代治・美恵子さんご夫妻のハンセン病の闘病記録『証言 日本の過ち』 (1996年、人間と歴史社刊)の出版の手伝いを頼まれたことだった。それ以来、村上さんは、必要があればどこへでも、 いつでも回復者に付き添い、手助けをしたり、国内外のハンセン病施設、療養所を訪ねたりした。中国の回復者がやっている パッチワークの布切れが足りないと聞けば、周囲の人々に呼びかけて、せっせと集めて送ったりもしていた。ハンセン病国賠裁判を 傍聴するために、毎回東京地裁に通っては、原告の訴えに耳を傾けた。

 本書に載っている二十五人の証言は、こうした努力の積み重ねがなければ、世に出ることはなかったのではないか。 本が出れば、名前や写真が公表され、家族や親戚に迷惑がかかるし、つらい過去の記憶をたどりながら、事実を隠さず 語る事は容易ではなかっただろう。ましてや、顔を正面から写した写真が載るとなると、よほどの信頼関係がなければできない。 この本は、誰にでもできるのではない。村上さんだから、できたのである。

 村上さんは、もの静かではあるが、とてもしっかりしていて、わからないことはとことん文献をあさり、人に尋ねて調べ、 どこまでも真実を追求する姿勢を崩さない。本書の証言も、長年つきあってきた回復者の気持ちを汲み取って、語った方たちの 納得がいくような文章になっている。言葉を慎重に選び、何を訴えたいのかをしっかりつかみ、著者のよけいな感情は排除されて いるので、読む者に回復者の一言、ひと言がしっかりと受け止められ、真実が重くのしかかってくる。

 なによりよかったのは、自分の存在を否定され、ふつうの社会生活のできなかった方々にとって、この本に自分の 生きてきた証しが残せたことであると思う。証言をした方々は喜んでいるし、まだ証言する機会に恵まれていない 方々は自分たちも証言を残したいと思っていることだろう。しかし、この本で証言された方々のうち、すでに四人が亡くなり、 平均年齢は七十六歳を超えているという。まさに、ぎりぎりのところで間にあった出版なのである。

 法律がひとたび成立してしまえば、国によって、憲法で保障されている基本的人権をも簡単に奪われてしまうのだ、そして、 ひとたび成立した法律は簡単には廃止されないのだ、という恐ろしさをこの本で教えられた。国は「国土浄化と 社会防衛」の名の下に患者を強制的に隔離収容するための「らい予防法」という法律をつくり、いったん患者となったら、 だれでも収容し、たとえ間違って宣告しても、また病気が治癒してうつる心配がなくなっても、法律がある限り、隔離政策を 続けてきたのである。

 治療薬プロミンの出現で「治る時代」を迎えても、また、うつる病気ではないとわかっても、政府と専門家は 「らいは危険な伝染病」「隔離こそ予防の最善策」という考えを変えなかった。こうして、1907年の「癩予防ニ関スル件」という 法律以来、1931年の癩予防法、1953年の新らい予防法を経て、1996年に廃止されるまで、実に90年もの間、 患者の人権を奪い続け、その家族を苦しめた。患者は社会生活を送ることはおろか、療養所内で結婚しても断種、中絶手術を強制されて、 子どもを持つことも許されなかった。差別と偏見を恐れる家族からは絶縁されて、戸籍から消され、偽名のまま死んでいった患者も多いという。

 一度つくられた差別と偏見は容易にはなくならない。らい予防法が廃止されても、家族に迷惑がかかるので、本名を名のれず 、親兄弟の葬式に出られないこともあるという。この病気に対する差別と偏見の例として、去年、熊本の黒川温泉で入所者が宿泊を 拒否された事件は記憶にあたらしい。

また、ハンセン病回復者とよく似たケースとして、韓国の旧日本軍従軍慰安婦だったお婆さんたち(ハルモニ) に対する差別と偏見をあげることもできると思う。ハルモニたちはまわりの人々や家族の偏見、差別によって、 今でも家族といっしょに生活できず、ひっそりとソウル近郊のナヌムの家に住んでいる。

私の身のまわりにも例がある。「常在菌が増えて 口の中にカビの生えている親しい友とつきあっているが、気持ちが悪いし、うつるのではないかと心配で、このごろその人と 疎遠になっている。」と友から電話がかかってきたのはつい、最近のことである。

 「ハンセン病の正しい知識の普及と啓発活動は、これから起こり得る未知の疾病に対する偏見・差別問題や、 あらゆる人権侵害を解決する道標となるだろう。」と著者は言う。まさに、私たちも、差別と偏見の加害者、被害者と ならないためにも、本書を読むことをお薦めしたい。

 なお、巻末の「資料」には、「らい予防法」の抜粋と、廃止に関する法律、違憲国家賠償請求事件判決骨子、 ハンセン病関連略史、主な参考書などの関連資料が載っていて参考になる。

(紹介者/ゆもと みちこ)



  ハンセン病回復者のたたかい、特に医療過誤訴訟の裁判の経過については 
     「ハンセン病ニュース 」  http://www.rivo.mediatti.net/~nanya/  をご覧ください。







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あなたが世界を変える日 12歳の少女が環境サミットで語った伝説のスピーチ
  • 著者/セヴァン・カリス=スズキ 編・訳/ナマケモノ倶楽部
  • 学陽書房/2003・7刊


ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開かれた国連の地球サミットで、
カナダ人の12歳の少女セヴァン・カリス=スズキさんが、
世界の首脳の前で「子ども代表」としてスピーチした。
その言葉は人々に強い感動を呼び、世界中をかけめぐり
「リオの伝説のスピーチ」と呼ばれるようになったという。

「私がここに立って話をしているのは、未来に生きる子どもたちのためです。
世界中の飢えに苦しむ子どもたちのためです。
そして、もう行く所もなく、死に絶えようとしている無数の動物たちのためです。」


戦争のために使われているお金を貧しさと環境問題のために使うなら地球は取り戻せること、
子どもたちが生きていく未来の世界を決めているのは大人たちなのだということ。

大人が「あなたたちを愛している」と口で言うなら、「どうぞ、行動でしめしてほしい」とまっすぐに訴える。

本当のことは、わかりやすい言葉でまっすぐ伝えることができる。
虚飾をはいだなら、物事の本質はたった6分間の言葉で 100%言いつくせるのだと、しみじみと思う。

セヴァンさんは小学校5年でECO(子ども環境運動)をはじめ、
12歳で環境サミットに仲間の子どもとNGOとして参加、スピーチのチャンスを得た。

今、大学生として生物・化学を学び環境問題に取り組んでいる。
環境問題が、世界中の貧富の不平等を生み、暴力を生み出していると見ている。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?

平和憲法を捨て去ろうとする動きに対して、
「読者のみなさん」に「平和憲法」とはなにか、これを失うことは何を失うことになるかを、
世界の歴史に位置づけ、条文をわかりやすく説明しながら語る。

「憲法は政府の権限を制限するものである」と明快に語り、
「押しつけ」られた憲法という言い方に対しては、
問題は、『誰が』『何を』『誰に』押しつけたかだとして、『アメリカ占領軍と日本の人々が』
『戦争をする権利(交戦権)を放棄する事を』『日本政府に』押しつけたのだと言う。
「殺すことをやめること。これこそ、九条がもとめたことでした。」

「失われた交戦権」を求めたがっているのは、「政府の権力」であり、「市民=人々」ではないのだ。
「世界中の何百万人もの人びとが平和憲法のメッセージに耳を傾ける チャンスは今だというのに。」
それでも、「日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?」


著者ダグラス・ラミスさんは、1936年サンフランシスコの生まれ。
1960年から一年間、海兵隊員として沖縄に駐留。80年から津田塾大学教授をし、
2000年に退職後は、沖縄を拠点として執筆評論活動をしている。
『ラデイカルな日本国憲法』『なぜアメリカはこんなに戦争をするのか』などの書がある。
『世界がもし100人の村だったら』の対訳者。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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非戦 戦争が答えではない。
  • 監修/坂本龍一
  • 幻灯社/2002・1刊

ニューヨークに住んでいた音楽家坂本龍一は、9.11の事件を間近に体験した。

彼は、報復戦争の声が日増しに強くなり、テロと戦争の「真実」がみえてこない現実に対して、
今世界に何が起きつつあるのか、 世界はどこへ向かおうとしているのかを知るために、
インターネットで重要だと思われる記事を発見し、 友人たちと互いにメールで知らせ合うなかで、
それら情報の発信者、論評の筆者にたどり着き、
新しい友人関係を築きながら「非戦」という一冊の本にまとめ上げた。

冒頭は、アメリカ下院議会でたった一人、武力行使決議に反対したバーバラ・リーさんの演説が載る。

音楽家オノ・ヨーコ、マドンナ、佐野元春、作家村上龍、梁石日さんら、日本によく知られた人だけでなく、
ワエル・フマイダン、モハマド・アリ・アブダビさんらのイスラム圏の人々の意見もたくさん載っている。
キング牧師、マハトマ・ガンジーの言葉も。

今の日本の「戦争」を迎え入れようとする動きも、「9.11」からの流れの上にあることを考え、
もう一度、「9.11」の真実を知る必要がある。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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やさしいことばで 日本国憲法
新訳条文+英文憲法*憲法全文


この本は「世界がもし100人の村だったら」を紹介したコンビ、
池田香代子さんとダグラス・ラミスさんが、
「日本国憲法こそ『世界が100人の村だったら』の希望、わたしたちの夢です。」として、
むずかしい語をつかって取っつきにくい「日本国憲法」のエッセンスを、
「英文憲法」から、わかるやすい日本語をつかって新訳したもの。

池田香代子さんの新訳の特徴は、漢字をできるだけつかわないで、
日常のやさしいことばづかいで、英文の真意を十分に言い表していること。
だから、漢字をすこし覚えた小学生でも、読めばすっと分かること。

これは実はとても大変な作業だったはず。
抽象的な表現を使わないで、読んでスッと分かるためには、
抽象語の意味していることを、具体例をイメージできるくらい良く理解していなければ、出来ないこと。

私の特に感心したのは、9条の「as well as other war potential」の部分、
正文では「その他の戦力を」と書いている。
ここを新訳では「そのほかの、戦争で人を殺すための武器と、
そのために訓練された人びとの組織を」と訳している。
「potential」とは「潜在力」という意味。つまり「その他の戦争の潜在力となるようなもの」。
憲法の正文の表現では、「その他」に何があるのか、イメージできないではないか。
新訳は、どこの国の、どの時代にもあてはまる、戦力の中身を言い得ている。

この訳のもう一つの特徴は、英文の主語を正確に訳していること。
「We,the Japanese people」という一人称を「日本のわたしたちは」と言い、
「the people」という普遍性のある語を「人びと」ときちんと訳している。
(peopleは人間全部に当てはまる語だ)
正文では「people」を「日本国民」と言っている場合がぽとんどで、基本的人権はあたかも
「日本国民」だけにしかあてはまらないという解釈ができてしまう。
ここから、現実に戦後以降、「在日」の人びとの基本的人権が無視されてきたのだ。
英文を正確に読めば、基本的人権は「すべての人間」のものであることがわかる。

憲法の冒頭が「We」という主語ではじまるということは、
解説のラミスさんが、一番初めに力説していることだが、
憲法の主体がだれかを明示する重要な主語である。
憲法は「わたしたち人びと=民衆」が、政府の権限を制限し、
政府に「これをしなさい、これはしてはいけない」と命じているものなのだという
ラミスさんの、解説は読み応えがある。

読み間違えやすいとされている「9条」も、主語「われわれ」をしっかり押さえれば、
読み間違えようがないはずのものなのだと言う。
「日本は、本当に平和憲法を捨てるのですか?」と合わせて、しっかりと読みたい本。

このページでは、池田香代子さんの新訳の一部分を、
「やさしいことばで 心に刻もう、日本国憲法」で、紹介しています。

(紹介者/なみひさ ゆうこ)







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復刊 あたらしい憲法のはなし
文部省発行中学校一年生用社会科教科書 


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ラディカルに〈平和〉を問う
 


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