坂本龍馬が、寺田屋を定宿とするようになったのは、慶応元年夏頃、薩摩藩からの紹介がきっかけだった。
翌年、慶応2年(1866年)1月21日「薩長同盟」が締結したその二日後。
1月23日、宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行配下の捕り方が捕縛ないし暗殺しようとした。
すでに恋仲にあった同宿の養女・お龍の機転で、竜馬は危険を危ういところで回避。
しかし、この時の戦闘で、竜馬は手指を斬られ、左手の人差し指は、生涯自由がきかなかったといわれている。
なんとか寺田屋を脱出した竜馬は、長州藩士・三吉慎蔵とともに、伏見薩摩藩邸に保護された。
1月いっはいまで伏見藩邸に匿われた竜馬は、その後、京都二本松藩邸で療養生活を送った。
寺田屋事件後、お龍と結ばれた竜馬は鹿児島にお龍とともに滞在するが、同事件での傷をいやすことも兼ねていた。
![]() 表階段を2階にあがる。 |
![]() 2階正面西側の部屋の窓から見た光景 |
![]() 2階の床の間。上には龍馬やお登勢の写真が… |
![]() 龍馬が襲われた「梅の間」 床の間には、龍馬の掛け軸などがある。 |
![]() 寺田屋襲撃の際、龍馬が撃った銃の弾痕 |
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![]() お龍が裸で駆け上がった裏階段 |
![]() お龍が入浴していた風呂桶 |
寺田屋は、当時のまま残っているように説明されているが、当時の建物は、鳥羽・伏見の戦いで消失しているという。
現在の建物は、当時の敷地の西隣に建てられたものらしい。
当時の建物の敷地は、在の建物の東隣にある、石碑や像などが建っていて寺田屋の庭のようになっている場所だというが、その真意を言及することは避けておく。
やっぱり、ロマンは秘めたままにしておきたいと思うが、いかがだろう…。