前川邸を後にして、はたと思い出しました。
そういえば、山南さんのお墓ってどこにあったっけ?
記憶をたどること数十秒。そうだ、光縁寺だ!
けれど、ここでさらなる疑問。光縁寺ってどこにあったっけ?
この近くにあるはずなんだけど、どこにもない!
こんな時は、困った時の京屋忠兵衛さん!
しかし、ご主人は、親切に光縁寺の場所を教えてくださいました。
旧前川邸の前にある綾小路通り。その通りを前川邸を背にした方向から見て、右へ直進。
壬生川通りを抜けたその先にありますよ。
ご主人に感謝しつつ、早速、行ってみました。
歩いて五分くらいの距離でした。
人通りが減ってしまったので、あやふやになりましたが、途中の酒屋さんの表に手書きの表示もあって助かりました。
そして、やっと、光縁寺に到着! しかし、ここも門が閉まっている!
まさか、ここも非公開?と、思いましたが、門の横に小さな張り紙を見つけました。
「隊士の墓にお参りする方は、お見舞いとして100円を納めてください。」
この張り紙で心の重さがスッと軽くなりました。
そして、ようやく境内へ。
納入箱の横にある呼び鈴を押すと、中から住職さんが出てきてくださり、案内書を配って、いろいろと説明してくださいました。
さあ、いよいよお参りです。
一番、お会いしたかった山南さん。100年も前に亡くなった人ですが、こうして対面できるのを、ずっと心待ちにしていました。
◆ 光縁寺に埋葬された新選組隊士の一覧 ◆
◆ 隊士の墓碑 ◆
正式名称は、満月山普照院光縁寺といいます。法然上人が建立した知恩院の末寺で浄土宗のお寺です。
(余談ですが、私は知恩院が経営する女子高、短大に足かけ五年通いました。この間、仏教の授業で、みっちりと法然上人や仏教のことを習ったのですが。今は、ほとんど忘れてる〜;; というわけで、どこかで習ったような説明が、光縁寺の案内書に書かれてあるのを見て、めまいを覚えました…(苦笑)
新選組のお墓があることで知られていますが、他には、幕末に平安名家と呼ばれた京都円山派の絵師、中嶋来章とその子有章の墓があります。
来章は、京都御所や二条城本丸に襖絵を残し、有章は、孝明天皇が将軍家茂や義慶等文武百官を従えての両賀茂神社への行幸を描いた屏風図を残しました。