日野探索レポ


土方歳三が所属した新選組は、京都、大阪に向かった後、東京、流山、宇都宮、会津若松、仙台、函館へと北の地に変遷していくが、今回は、日野にまつわる歳三の面影を振り返る。
日野の人々にとって、土方はとても身近な人物。地元では、多くの逸話とともに、史跡が点在している。

 高幡不動尊

昔から関東三大不動の1つとして親しまれてきた寺。慈覚大師が、この地を東関鎮護の霊場と定め、 山上に不動堂を建立したのが起源。 現在の不動堂は、1341年に山上より移築されたもの。
足利時代には、「汗かき不動」として、戦国武将の尊崇を集め、また、江戸時代には、「火防の不動尊」として、庶民の信仰を集めた。
このお寺は、歳三の菩提寺としても知られている。
土方歳三の生家、土方隼人家は、室町中期以前から高幡山檀頭の格式を持つ家柄だった。また、歳三の姉、ノブが嫁いだ佐藤彦五郎は、高幡不動尊の篤信者だった。
そんな関係から、佐藤彦五郎が開いた道場、天然理心流の人々とのいろいろな逸話が残されている。
たとえば、裏山不動ヶ丘での実践訓練や、縁日での蛮勇ぶりなど…。
その後の京洛での新選組の活躍ぶりは、地元でも大きな関心が払われたが、明治になって戊辰戦争が終結した後、新選組の逆賊の偏見が強く、供養を願う関係者を深く悩ませた。
しかし、明治7年、ようやく新政府軍にはむかった人達の祭祀、慰霊が許されたことで、不動尊の境内で慰霊祭がとり行われた。
新選組を巡る陽と陰の部分で労力を尽くした関係者の苦労も多く、本当の戦争は、関係者の方々も浮かばれて、ようやく終結したといえるだろう。




高幡不動尊の仁王門。
室町時代の建物で、重要文化財に指定。
奥に見えるのが不動堂。
左手にかすかに五重塔を望む。
境内の奥に、本堂の大日堂がある。
堂内の天井に江戸時代の画家、法眼田公実による墨絵、鳴り竜が描かれている。
この竜図の下で立ち拍手をすると、願いが叶うと伝えられている。
不動堂の向こう側に奥殿があり、ここに、総重量1100キロを超える重文丈六不動三尊が安置されている。




  • 場 所・・・日野市高幡733
  • 電 話・・・042-591-0032
  • 交 通・・・(京王線)高幡不動下車 徒歩5分
           (中央線)立川駅〜(モノレール)高幡不動駅 徒歩5分
           (中央高速道路)八王子I.C.〜国道16号(橋本方面)〜北野街道(高幡不動方面)
           (中央高速道路)国立・府中I.C.〜国道20号(聖蹟方面)〜北野街道(高幡不動方面)
  •   殉節両雄の碑




明治7年の慰霊祭で建立された殉節両雄の碑。
新政府軍にはむかった人達の祭祀、慰霊が許されると、当時の住職、賢雅和上、日野宿の佐藤俊正(彦五郎)をはじめ、近藤、土方ゆかりの人達の尽力で建立された。
碑文は、近藤勇と義兄弟の契りを交わした小野路村の小島為政が誌した「両有志伝」をもとに、仙台藩の儒者、大槻盤渓が選し、碑の額を会津の松平容保公、書は幕府の侍医を努めた松本順の筆で書かれた。
しかし、この碑は、近藤・土方両士の幕府への忠節を贊える内容だった。
そのため、碑が完成しても、すぐに建設の許可が得られず、明治15年に神奈川県令に申請し、その後、時を置いて明治21年に、ようやく建立されたという背景がある。
また、この碑には、高幡山の時の住職の名前が記載されていない。
当時、逆賊扱いだった両士を顕彰したことで、寺に後難が降りかかるのを怖れて、前住職の名前しか記載されなかったのではないかと、推測されている。


  •   土方歳三の像




殉節両雄の碑の隣に建てられてあるのが、土方歳三像である。
この像が建てられたのは平成7年。最近のことだが、建立をめぐっては、こちらも裏話がある。
高幡不動尊では、戦前、戦後を通じて新選組隊士の慰霊法要が行われてきた。
しかし、一般社会では、まだまだ逆賊のイメージが強く、新選組は、いい印象をもたれていなかった。
だが、戦後、徐々に見直しの気運が起こりつつあった。
特に司馬遼太郎作「燃えよ剣」が世に出てから、新選組の人気が高まった。
そんな時、地元有志の間で、近藤勇、土方歳三、井上源三郎の銅像建立の計画が持ち上がった。
設計図も出来上がり、資金の目処もついたので、正式に観光協会に計画を持ち込んだところ、時の市の幹部から、暴力団まがいの人達の像を建てるのは、ふさわしくないというお達しがあり、計画が沙汰止みになってしまう。
その後、日野ロータリークラブによって、正式に建立されたという経緯があるらしい。


  •   高幡不動尊パンフレット


 上記に紹介した碑や銅像についての解説や碑文の意訳など、詳細に説明された高幡不動尊のパンフレット。
保存されている新選組の資料目録が写真入りで解説されている。

パンフレットには、紹介のみだけでなく、長年、偏見を持たれつづけた新選組を正しく理解してほしいという強い訴えも込められている。

 高幡不動尊界隈

高幡不動尊前には、お食事処やお土産屋さんが点在している。
主な場所をあげると…

  • ・そば処「開運そば」・・・高幡不動尊指定。境内店もあり。(10時30分〜22時 無休)
  • ・幕末めし処 池田屋・・・新選組にちなんだメニュー名が楽しい。(定休:木曜日・第3金曜日)
  • ・仁王せんべい 開運堂・・・不動せんべいが人気。(9時30分〜17時 無休)
  • ・おみやげや新選組・・・新選組グッズがひととおり買える。(昼〜夕方 無休)
  • ・開運 四八天丼・・・480円のリーズナブルな天丼が食べられる。(11時〜21時30分 無休)

  •   高幡まんじゅう松盛堂

大正7年からのれんを構える老舗の饅頭屋さん。
新選組にあやかったユニークな新選組グッズも販売されていた。
店舗の中央にある階段の横に、ちょっとした休憩所があり、大河ドラマの山本副長のどでか〜いポスターがべったりと貼られていた。

その昔、金持ちの家に忍び込み、奪ったものを貧しいものに分け与える若者がいた。
しかし、怒った金持ちが毒饅頭を食べさせて若者を殺してしまった。
その後、村に疫病が流行りだし、村人は若者のたたりとして、饅頭を作って供養した。
すると、疫病はおさまり、この饅頭を食べると病気をしなくなった。
それが、饅頭の由来だとか…。
  • 場 所・・・日野市高幡1丁目1番地
  • 電 話・・・042-591-0317
  • URL・・・http://www.syoseido.co.jp/

 土方歳三資料館

歳三の生家。ただし改築されて、現在は当時のものではない。
資料館正面には、歳三が幼少の頃、相撲の張り手の稽古をしたという当時の家の大黒柱や、武士になって名を上げんとの願いを込めた手植えの矢竹が残されている。
紹介されている展示物は、歳三の愛刀である和泉守兼定(限定公開)、書簡をはじめ、歳三が京に上る前に書き留めた俳句集である豊玉発句集、池田屋事件で使用したと伝わる鎖帷子、歳三が使用した鉢金、榎本武揚氏の書、石田散薬に関する資料など。




現在の土方家の外観。
平成2年の改築の時、住居の一室を土方歳三資料館に改装。
さらに平成17年4月に、展示スペースを三倍に拡大し改装開館した。
月2度の開館日には、多くのファンが見学に訪れる。行くと、五代目の土方陽子館長の説明を聞くことができる。
行ったこの日は公開日ではなく、足跡だけでも残したいと、門前のみの写真に。
みずらいが、だんだらの張り紙に、「本日は閉館いたしました。」と書かれてある。




改築前の歳三の生家。
土方家の家系を継いだのは、歳三の次兄喜六義厳だった。
世襲名隼人を名乗った喜六は若くして亡くなり、現在の土方家は、この喜六の玄孫である佑氏一家が住んでいる。






  • 場 所・・・日野市石田2丁目1番地3
  • 電 話・・・042(581)1493
  • 開館日・・・毎月第1、第3日曜日:12時〜16時 GW、夏休み等特別開館日有。
  • 交 通・・・多摩都市モノレール「万願寺」駅より徒歩2分
           京王線「高幡不動」駅より徒歩18分
           中央高速道路「国立府中インター」出口より日野方面へ向かい車で5分
  • その他・・・グループ・団体等は予約制にて臨時開館有。電話にて問い合わせすること。
           入館料/500円  小・中学生/300円 
  • URL・・・http://www.hijikata-toshizo.jp/


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