江戸時代、日野は甲州街道の宿場町でした。宿場の中心は現在の日野本町あたりです。
また、日野宿の出身だったのが、源さんこと、井上源三郎です。
生真面目で誠実。無口で、温厚な性格。若い隊士からの人望も厚かったという源さん。
一方、 頑固な面もあり、一度言い出すとテコでも動かないところがあったとか…。
そんな源さんの面影は、この街のいたるところに残っています。
600年以上の歴史を持つ神社。
1570年、開基された普門寺の移転と現在の甲州街道の道筋が定められたことから現在地に遷座した。
明治になると、政府の神仏分離によって、普門寺から切り離され、八坂神社に改名。
このとき、日野宿名主、佐藤彦五郎の子、俊宣が発起人になり、10年の歳月をかけて神輿などが新調された。現在、千貫神輿と呼ばれ、お祭りの時に渡御される。
五月中旬の「ふるさと日野まつり」では、ここが新選組パレードの出発点。
日野宿鎮守であるとともに、天然理心流の佐藤道場ゆかりの神社。
神社には、天然理心流の剣士たちが、剣の上達を願って奉納した額がある。
境内では剣士たちが、たびたび団体の稽古をしたといわれている。
安政5年(1858)に奉献された剣術額には、日野宿の剣士たち23名と近藤(嶋崎)勇、客分として沖田(惣次郎)総司、井上源三郎など後の新選組隊士の名が連ねてある。この額は非公開。
井上源三郎の子孫の方々が運営されている。資料が発見された土蔵の一部を改築。
(開館日ではなかったので、外観のみのご紹介)
佐藤彦五郎に天然理心流を紹介したのは源三郎の兄・松五郎と考えられている。
松五郎は家を継いで八王子千人同心となって多くの記録を残し、源三郎は新選組六番隊隊長として活躍。以来、井上家は、八王子千人同心を務めた。
松五郎の「文久三年御上洛御供旅記録」、歳三書状、源三郎書状、八王子千人同心資料、近藤勇が松五郎に贈った名刀「大和守源秀国」、などの資料が展示されている。
源さんの菩提寺。正式名は如意山宝泉寺。臨済宗建長寺派の禅寺。
持ち上げた時に感じる重さによって吉凶を占う馬頭観音の石像、「持ち上げ観音」がある。
また、裏山の雑木林は、日野市の保存緑地になっていて、神明緑地と呼ばれている。
区画整理で失われた群生地が、日野市と有志の方々によって移植されて根付いたもので、緑地内から湧き出す清水が古い歴史を物語る。
井上源三郎は、武州日野宿北原(現在の日野本町)に八王子同心の世話役だった井上藤左衛門の三男として生まれた。
1847年頃、多摩に広がっていた天然理心流の宗家、近藤周助に入門。近藤勇の兄弟子として稽古に励み、1860年に免許皆伝を受けた。
新選組では、芹沢鴨一派の静粛後、副長助勤となり、近藤、土方を補佐し、お互いに絶大な信頼で結ばれていたという。
隊内では、対外的な職務、要人の接待などの総務が担当。その後の再編成で六番隊組長に就任。
池田屋事件をはじめ、目立たないが、自分の立場を理解し、落ち度なく任務を遂行する人物であったと伝えられている。
鳥羽伏見の戦いで戦死。享年40歳。
お墓は、宝泉寺にあるものの、首と刀は甥の井上泰助が近くの寺院に埋めたとされるが、いまだに不明。
日野市立新選組のふるさと歴史館分館 『日野宿本陣』として公開されましたが、その前は、蕎麦処「日野館」として開業されていた。
元々は、都内で唯一残る江戸時代に建てられた本陣で、今の建物は、嘉永2年(1849)正月18日の大火で焼失してしまった主屋にかわるものとして建設された。
幕末に日野宿の問屋と日野本郷名主を務めた佐藤彦五郎が本陣兼自宅として翌元治元年(1864)12月から使用した建物。
歳三を追体験できる場所でもあり、玄関脇の静かな座敷は、歳三がよく昼寝をした部屋だといわれている。
佐藤彦五郎は、土方歳三の姉の婿であるとともに、従兄弟にあたる人物。
嘉永2年の大火で武芸の必要性を感じた彦五郎は、近藤周助の門人となり、4年後に免許皆伝。
そして、自邸東側の一角に日野宿では初となる出稽古用の道場を設けた。
この道場に、近藤勇や土方歳三、沖田総司、井上源三郎、山南敬助らが出稽古に訪れるようになり、新選組の母体が築かれていった。
この頃、まだ本陣の建物はなく、彼らが稽古に励んだ佐藤道場は、現在の駐車場のあたりにあり、長屋門の一角を道場に改築したものだった。
現在は、道場は焼失してしまい、道場跡に碑が立っている。
佐藤彦五郎は、他の日野の有力者達とともに、浪士組が京都に旅立ち、新選組を組織してからも支援を続けた。
鳥羽伏見の戦い後、彦五郎は、春日隊という農兵隊を組織し、甲陽鎮撫隊に加わりましたが敗退。
その後、征討軍の追及を躱すため、一時、一家離散の憂き目に合いますが、維新後、再び日野宿に戻ることができた。
その後、初代日野町長、南多摩郡長を歴任し、明治35年9月17日、76才で生涯を終えた。
多摩の歴史を作り上げた、偉大な一人である。