「銀河鉄道物語〜忘れられた時の惑星〜」… ss 「鍵を握った少年」

TEXT INDEX


 (7)

 鉄郎とキリアンのコンビは、最初の突入時と同じ天窓から、飛行艇を侵入させた。
 今度は、機械化人の邪魔はない。
 全部、外に出払ってしまったのか、部屋の中はまったくの無人だ。
 飛行艇が大広間に到着すると、キリアンは息を飲みながら降り立った。
 モニュメントのように、部屋中に備えつけられている装置そのものを、改めてじっくりと見返した。
「この機械が…。あれは…。」
 キリアンは、一角にある、エメのケースに目を止めた。
 隣にたった鉄郎が説明した。
「モデストは、エメと呼んでいた…。」
「僕は、あの人と、運命を入れ替えてしまったのですね…。」
 キリアンは顔を伏せた。
 エメは、穏やかな表情で、静かに眠っている。
 美しく、長いブロンドの髪をなびかせた、神秘的な女性。
 口元のほくろが、その謎めいた美を際立たせている。
 鉄郎がいった。
「彼女は機械化人だ。」
「でも、今は人間ですよね…。」
「魂がなくなった抜け殻だ…。」
 鉄郎は、すっと目を閉じた。
 機械化人は、元の人間の体を「抜け殻」と呼んで、大切に保管している。
 その多くは、冥王星の、“氷の墓場”に眠らされている。
 メーテルの元の体もあるという冥王星。
 鉄郎は、そのことを改めて思い出して、複雑な気持ちになった。
 そうやって、感慨にふけっていると、目の前に、また幻覚が現れた。
 同じ現象が起きても、鉄郎に驚きはない。
 だが、初めて見るキリアンは、言葉をなくした。
 幻覚もそうだが、映し出された映像に、キリアンは、激しく心を揺さぶられた。
 あわただしく装置の前で動き回る、優しそうな男女の姿…。
 キリアンは、それが誰なのか、すぐに理解した。
「お父さん、お母さん…!」
 映像の中の両親は、悲痛な声で、会話をしあっている。
「あなた…。このままではキリアンが…。」
「わかっている。しかし、私達にはどうにもできない…。」
「キリアン…。このままでは、あなたはモデストに殺されてしまう…。」
「脱出させるんだ、この星から…。モデストの手の届かないところに…。私達は報いを受けても構わない…。でも、キリアンは無関係だ…。」
「愛しているわ、キリアン…。キリアン…。」
 優しい声で、手を差し伸べる母親に、キリアンは思わず歩み寄った。
「お母さん、僕はここにいるよ…。お父さん、お父さん達は何も悪くないんだ…。」
 キリアンは、両親の体を抱きとめようとした。
 しかし、それは空しく、キリアンの体をすり抜けてしまった。
 映像が消えても、キリアンの悲しみはいえなかった。
 身を震わせるキリアンを見つめながら、鉄郎がそっと声をかけた。
「キリアン…。君の両親はエゴイストだと思うかい?」
 キリアンは、かすかに首を横に振った。
「星野さん、ここに来られてよかった…。僕にもう、迷いはありません…。」
 悲しみを堪えると、キリアンは、鉄郎に言い返した。
「よかったね…。」
 鉄郎はぽつりといった。
 その時、鉄郎は、無意識に、服の中にしまいこんでいた、スカラベのペンダントを握りしめた。
 キリアンは、それを見つけて、表情を変えた。
「そのペンダント。ひょっとして…。」
「母さんの形見だ。これしか、もらってないけど…。」
 鉄郎は、寂しい表情を浮かべて、キリアンにいった。
 キリアンは、装置に向き直った。
 銃を取り出すと、まっすぐに構えた。
 キリアンは、表情を引き締めると、決意をこめていった。
「すべて終わりにしましょう。星野さん、手伝ってください。」
「わかった。」
 鉄郎も銃を構えた。
 二人が、装置を撃とうとした、その時。
「待て!」
 と、鋭い声がとんできた。
 二人は、声がした方に銃を構えた。
 部屋に入ってきたのは、モデストだ。
 片手をなくし、満身創痍でふらつきながら、装置の前に立ちはだかった。
「やらせはしないぞ。特異点、お前を許さない!」
「どうとでも、いってください。」
 キリアンは、モデストを睨んだ。
「僕は、自分にけじめをつけたいんだ!」
 叫びながら、中央の空間に広がる、金色の十字架のような部分を狙って発砲した。
 すると、スパークが、装置の表面を駆け抜けた。
 装置のあちらこちらで火花が散って、爆発を引き起こす。
「貴様…!」
 目を血走らせたモデストは、キリアンに向けて、サーベルを発砲した。
「危ない!」
 それよりも一瞬早く、鉄郎がキリアンに飛びついた。
 モデストの攻撃から、キリアンを守った。
 キリアンと体を絡ませながら、鉄郎は床を転げる。
 が、かわした直後、鉄郎は、苦痛に激しく呻いた。
「星野さん…!」
 蒼白したキリアンは、鉄郎の体を支えて、柱の影に身を寄せた。
 顔を覗き込むと、鉄郎は、どうにか笑顔を浮かべた。
「きついけど、何ともない…。」
 とはいうものの、鉄郎の腹部に、血がにじみはじめている。
「傷が開いたのですよ。」
 キリアンは、悲愴な表情を浮かべた。
 なおも、めちゃくちゃに、モデストは発砲を繰り返す。
 キリアンは、柱の影から応戦するものの、モデストは、うまくかわした。
 そのうち、別方向からも、銃の光条が飛んできて、モデストを急襲した。
 キリアンと鉄郎が呆気にとられていると、傷だらけの学が、部屋に飛び込んできた。
 学の足元も、おぼつかない。
 モデストとの、熾烈な攻防があったことを、容易に想像させた。
「学!」
「有紀さん…!」
 鉄郎とキリアンが叫ぶと、学は、転げ込むように、二人の側に近寄った。
「何をしてるんだ、二人とも…!」
 学は呆れていった。
 息が荒く、声もかすれぎみだ。
 苦しい息を吐きつつも、鉄郎は学に聞いた。
「学、何があった? モデストにやられたのか?」
「心配ない。かすり傷だ。」
 学は、息があがりかけるのを堪えながら、言葉を返した。
 しかし、キリアンは、痛々しそうに学を見返した。
「何をいってるんです。血まみれじゃないですか!」
 モデストは、柱の影に潜みながら、皮肉を込めて言葉を吐いた。
「それが、生身の人間の弱点だ。出血多量で死ぬことは必至。ここで、お前達は滅びるしかない!」
「黙れ! だからこそ、命ある限り、精一杯、俺達は生き抜くんだ。」
 鉄郎が、怒りを含んだ声できり返した。
「俺達は、けっして諦めない…!」
 学は呼吸を整えながら、自身を奮い立たせた。
「鉄郎の言うとおりだ。俺達は生き抜くんだ。」
 そして、言葉を続けた。
「『時の津波』の進行が速まっている。そろそろ、脱出することを考えよう。」
「600秒ですよね、確か…。」
 キリアンは銃を撃ちながら、学の言葉を継いだ。
 鉄郎が、思わず表情を変えた。
「とりあえず、飛行艇まで走る。キリアン、装置を撃て。鉄郎と俺が、モデストをひきつける。一か八かだ。」
 学の言葉に、キリアンは目を見張った。
「二人とも走れますか?」
「やるんだ、それでも。」
 学がいいきると、鉄郎は強く頷いた。
「条件は同じだ。」
 学はそういって、言葉を締めくくった。
 キリアンは、仕方なく頷いた。
 モデストは興奮にまかせて、メチャメチャに発砲している。
 鉄郎と学は、先に、柱から飛び出した。
 連携をとりつつ、モデストの攻撃に対抗した。
 だが、負傷の痛手は、容赦なく二人を苦しめた。
 疾走したくても、体が追いつかない。
 倒れかける肉体を、どうにか前に押しやる。
 そんな感じだ。
 そこを、モデストに突かれた。
 学が、さらに負傷した。
「学…!」
 鉄郎の顔色が変わった。
 二人は、飛行艇の影にたどりついた。
 鉄郎は学を支えた。
 意識はある。
 しかし、気力は、いつ萎えるかわからない。
「もどれなくなってもいいのか…?」
 鉄郎が諌めると、学はかすかに笑った。
「必ずもどるさ…。」
 鉄郎は言葉を失った。
「有紀さん!」
 撃たれた学を気にしながら、キリアンは装置に照準を合わせ、トリガーを絞った。
 それが、装置の最期をもたらした。
 焔が噴き出し、あらゆる箇所が爆発した。
 やがて爆発は、エメの装置を飲み込んだ。
 その有り様に、モデストは狂乱した。
「エメーッ!」
 悲痛な叫びをあげて、モデストは、焔の中に身を投じる。
 その後のモデストを確認することは、もうできない。
 鉄郎は、学を飛行艇の上に引っ張りあげて、自分も乗り込もうとしていた。
 二人とも、キリアンの心を思って、何もいえなかった。
 その間に、キリアンは身を伏せながら、飛行艇まで走りに走った。
 焔をよけ、崩れる瓦礫をよけて、飛行艇までたどりつく。
 体の震えがおさまらず、かすかに声もうわずっていた。
 キリアンが、飛行艇に乗り込むと、やっと、飛行艇は離脱にかかった。
 キリアンは大声をあげた。
 ユキのカウントを聞いてしまい、血の気が引いた。
「『時の津波』が、到達しました!」
 鉄郎が振り返った直後、要塞は、『時の津波』の影響と思われる、崩壊に巻き込まれた。
 かろうじて、外観を保っていた部屋の壁が、一気に突き崩れた。
 部屋は、吹き抜けの状態となり、外の光景が、飛行艇からも、見渡せるようになった。
 すでに、街全体が、白い靄のような霞の中に、すっぽりと覆われている。
 そして、霞の中に浮き上がるように、ビルの一部分が崩れ、少しずつ、蜃気楼のように揺れて、消滅しかけている。
 飛行艇の三人が呆然としていると、ふいに、真下で爆発が起きた。
 大広間に設置されていた、最後の迎撃用の機銃。
 それが、モデストの執念が乗り移ったかのように、飛行艇を狙い撃ちした。
 直撃ではなかった。
 しかし、衝撃で、飛行艇のバランスが崩れた。
 円盤は、ほぼ垂直の形に横倒しになった。
 キリアンは、思わず、手すりに掴まった。
 学は反動で弾き飛ばされた。
「学!」
 鉄郎が手を伸ばしたが、学に届かない。
 鉄郎は意を決した。
 進んで手すりから手を離した。
 自身も落下に身をまかせて、落ちていく学を追いかけた。
「星野さん!」
 残された、キリアンの叫びが響いた。
 そこへ、デイビットが操る、救助ヘリがかけつけた。
 底部のハッチが開き、命綱をつけたルイがぶらさがる。
 ルイは、キリアンを救出した。
 キリアンを救助したヘリは、そのまま降下を続けた。
 落ちていく学と鉄郎を、さらに追うためだ。
 ヒーライズの大気は、重力異常を引きこした。
 『時の津波』の霞が、惑星の引力の力を歪めているからだ。
 それは、落下というよりも、むしろ、波間を漂う感覚に近い。
 先に落ちた学は、大気の中を漂っている。
 意識はない。
 弾かれた衝撃で気を失った。
 後から身を投じた鉄郎は、宇宙遊泳の要領で、学に近づいた。
 どうにか距離をつめると、鉄郎は呼びかけながら、学の体を抱きしめた。
「学…、学…!」
 それでも、学の意識は戻らない。
 その時、霞の彼方に列車の汽笛が響いてくるのを、鉄郎は感じた。
 鉄郎は息を飲んだ。
 それは999の汽笛だ。
 落ちる先に、長く尾を引く影が、うっすらと見えてきた。
 目を凝らすと、その影は、浮上してくる999だ。
 黒煙をはきながら、勇壮な姿で、銀河を疾走する999の全景。
 さびつきは嘘のように解消されて、元の黒光りのボディを復活させている。
「999…!」
 鉄郎は安堵した。
 懐かしい我が家に戻ってきたような気持ちで満たされた。
 999に追走する形で、ビッグワンがその横に並び、ともに黒煙をあげて、大気の中を勇ましくひた走る。
 そのはるか上空からは、救助ヘリが降下してきた。
 鉄郎は、顔をほころばせて、学に声をかけた。
「みんながきてくれたよ、学…。俺達は助かるんだ…!」
 学からの返事はない。
 しかし、この感激は、きっと学にも伝わっているはずだと、鉄郎は思った。
 鉄郎と学は、そのままどこまでも、ヒーライズの大気の中を落ちつづけた…。



 惑星全体が、グリーンのガスの中に、すっぽりと包まれた。
 ガスはじわじわと、宇宙空間にも広がりをみせている。
 漆黒の宇宙に波打つ、『時の津波』。
 さざなみのように、静かに無言のまま押し寄せ、世界を死の破滅に導く宇宙の脅威。
 ビッグワンは、その脅威から逃れようと、必死にあがいた。
 鉄郎と学を救出したヘリは、ビッグワンに収納された。
 ヘリに乗り込んでいたデイビットとルイは、すぐに指揮車輌に戻り、通常の責務についた。
 今は、デイビットがビッグワンを操っている。
 すべては、デイビットの操縦に託された。
 999は、当初の計画どおりに、ビッグワンの最後尾に連結された。
 出力は充分にあった。
 大気圏を離脱して、衛星軌道上までは、無事に走行した。
 だが、そこから先が、思うようにいかない。
 『時の津波』の吸引力は、予想をはるかに超越している。
 出力を限界にまで引き上げた。
 が、パワーが不足して、いっこうに脱出できない。
 そのうち、ビッグワンの機関部に塔載された、コスモバーストボイラーが、スパークを起こし始めた。
「くそっ、飲み込まれちまうぜ、このままじゃ…!」
 デイビットは、思わず悪態をついた。
 バルジは、外の光景を映し出すモニター画面を、沈黙のまま見据えている。
 ルイは、通信シートに座って、祈りを捧げていた。
 自分の持ち場にもどったキリアンは、遠ざかるヒーライズを、悲しみの表情で見つめている。
 現在、指揮車輌にいる人員は、この4名だ。
 それ以外の人間は、医務室のほうに集まっている。
 医務室では。
 鉄郎がベッドに寝かされていた。
 鉄郎は、ゆっくりと瞼を見開いた。
 視界に、心配そうに覗き込む、メーテルと車掌の顔が入ってきた。
「鉄郎…。」
 メーテルが、穏やかな声で呼びかけると、鉄郎は、ほっと表情を和ませた。
「メーテル…。ここは、999?」
 鉄郎が溜息混じりの声で聞くと、メーテルは静かに首を横に振った。
「ここは、ビッグワンの医務室よ…。」
「よかった。よかったです、鉄郎さん…。ご無事で戻られて…。」
 車掌は感極まって、泣き出してしまった。
 鉄郎は、車掌の泣き顔を、穏やかな笑顔で見つめた。
「鉄郎、ごめんなさい…。」
 メーテルは、ふっと顔を悲しそうに伏せると、小さな声で呟いた。
「私が、勝手に行ったばかりに、あなたまでこんな目に…。」
「いいよ、そんなこと…。」
 鉄郎は優しい声でいった。
「いいんだ…。メーテルと車掌さんが、傍にいてくれるだけで…。」
 たとえ、ビッグワンの医務室だろうと、鉄郎にとって、二人の存在があることの方が大切だった。
 会話を続けているうちに、朦朧とした意識も、しだいにはっきりとしてきた。
 少しずつ、戻ってこられた喜びを、かみ締められるようになってきた。
 そこへ、セクサロイド・ユキが入ってきた。
 カーテンをそっと開いたユキは、鉄郎の意識がもどったことに気がつくと、艶やかな声で話しかけた。
「星野さん、ご気分はいかがですか?」
「ユキ、迷惑をかけてごめん…。」
「いいえ…。」
 首を横に振ったユキは、鉄郎にお願いがあるといって、言葉を続けた。
「有紀さんが、星野さんとお話がしたいそうです。起きあがれますか…?」
「たぶん…。」
 鉄郎は、そういう前に、身を起こした。
 苦痛は、幾分ましになっている。
 また服は脱がされて、上半身は裸だが、しっかりと、手当てがやり直されていた。
 ユキがいった。
「痛み止めと、止血剤を点滴しました。それで痛みはなくなると思います。」
「ありがとう…。」
 鉄郎がベッドから降りようとすると、メーテルが、鉄郎の肩に、ふわりとモスグリーンのジャケットをかけた。
「鉄郎、あなたのジャケットよ…。」
 鉄郎はメーテルに笑いかけた。
「そういや、999に、ずっと置きっぱなしにしてたっけ…。」
「学が、私達の私物を、ビッグワンに運んでくれたのよ…。」
 メーテルは鉄郎にそういった。
 鉄郎は、ジャケットをはおって傷をかばうと、ユキに連れられて、カーテンの外に出た。
「学は…? どうなんだ?」
 鉄郎が容態を訊ねると、ユキは、悲しい表情を浮かべた。
「ビッグワンでは、充分な治療ができません。手術が必要です。」
「そんなに悪いのか?」
「ディスティニーに戻るまでは、このまま安静を要します…。」
「ビッグワンは、どうなってるんだ?」
「まだ、『時の津波』からは、脱出できていません。」
「くそっ…。」
 鉄郎は唇をかみしめた。
 ユキは、鉄郎を、隣でしきられたカーテンの中に案内した。
 学は、酸素マスクをつけたまま、ベッドに横たわっている。
 鉄郎と違い、生命維持に必要な装置に囲まれ、装置から伸びる様々なチューブやコードが、裸体の学につけられていた。
 鉄郎は、静かに、ベッドの傍らに近寄った。
「学…。俺だ、鉄郎だ…。」
 そっと呼びかけると、学は、かすかに反応した。
 うっすらと瞳を見開くと、鉄郎の方に、視線を向けた。
「よかった…。無事だったのか…。」
 かすかな囁き声で、学はいった。
「学に、ずっと守られていたからね…。」
 鉄郎は優しい声で答えた。
 学は表情を歪めながら、溜息に近い、かすれ声で訴えた。
「マトリ…。」
 今度は、はっきりと聞き取れない。
 鉄郎は顔を覗き込んで、学に聞き返した。
「何…? 何を伝えたいんだ…?」
 学は、ゆっくりと右手を持ち上げると、鉄郎の腕を掴み取った。
 驚く鉄郎に、学は必死で訴えた。
「マトリ…クス…。父さんに…。撃てと…。」
「マトリクス…? 何だ、それは…!」
 鉄郎は、ようやく聞き取れた言葉の意味を訊いた。
 すると、学は、苦しそうに声をつまらせた。
「うっ…。」
「これ以上、面会は無理です…。」
 ユキは、鉄郎を学から遠ざけた。
「マトリクスって、なんのことだ?」
 カーテンの外に出てから、鉄郎はユキに訊いた。
 すると、ユキは躊躇いがちに説明した。
「コスモマトリクス。ビッグワンの主砲です。」
「それを、俺が撃てって、ことなのか…?」
「そこまでは…。」
 だが、言葉を濁すと、ユキは鉄郎を促した。
「指揮車輌にご案内します。バルジ隊長のご判断に委ねましょう。」
「うん。」
 鉄郎は、ユキに伴われて、指揮車輌に向かった。
 指揮車輌にいたメンバーは、鉄郎の申し出に驚いた。
「本当に、有紀学がそういったのか?」
 バルジはユキを見返した。
 ユキは困惑しながら、バルジにいった。
「断言できません…。ですが、コスモマトリクスを提案されたのは確かです。」
「時限の穴を開け、瞬時にワープする…!」
 バルジ思考をめぐらした。
 デイビットが操縦しながら、他人事のように口をはさんだ。
「そこまで、両機関車の出力が、もつかどうかです…。」
「いや、必ずもたせるんだ。可能性に全てをかける…!」
 バルジは決断した。
 そして、鉄郎に視線を向けた。
「星野君、撃つ自信はあるか?」
「レクチャーしてもらえたら、何とか…。」
 鉄郎が曖昧にいうと、キリアンが、バルジに発言した。
「星野さんなら撃てるはずです。照準マークがそろった時に、トリガーを引けばいいんです。後は、機械がやってくれます。」
「よし。星野君、君に担当してもらう。」
 思わぬ使命を受けて、鉄郎は背筋をのばした。
「はい!」
「坊や、こっちだ。」
 デイビットに呼ばれて、鉄郎は、慌てて隣の空席についた。
 そこは、学の戦闘指揮シートだ。
 操縦桿を握りながら、デイビットは説明した。
「そのスイッチを押せば、主砲システムが働く。指示があるまでトリガーは引くなよ。照準点があっているか、それだけを確かめろ。」
「はい。」
 鉄郎は張りつめた声で、返事をした。
 バルジはふっと顔を伏せると、独り言を呟いた。
「有紀隊長…。これは、あなたの指示ですね…。」
 バルジは、学の中に、有紀渉の面影を見た気がした。
 なぜなら、これは学よりも、有紀渉が実行しそうな作戦だからだ。
 指揮車輌内の空気が、さらに張り詰めた。
 コスモマトリクス砲は、すべての小隊に属する、各車輌に装備された最終兵器だ。
 これが使用される時。
 それは、作戦が、最終局面を迎えたことを意味づける。
 デイビットに教えられたスイッチを、鉄郎はプッシュした。
 すると、ビッグワンの、前方下部のスカートが、中央から開いていく。
 中から、戦闘艦に備えられているような、巨大な砲塔が、前にゆっくりと押し出されてきた。
 さらに、砲塔の下には、砲塔を押し上げる、クレーン台がくっついている。
 クレーン台は、ビッグワンのボイラー正面にまで、砲塔を徐々に引き上げた。
 それと同時に、ボイラー前方の扉が、左側に大きく開いた。
 ボイラー内には、コスモマトリクス砲の芯になる、太い砲塔が納められている。
 ボイラー内の砲塔は、下部からせり上がってきた、先端の砲塔と合体した。
 自動的に、連結部分のネジが締められ、コスモマトリクス砲の準備が整った。
「準備完了です!」
 鉄郎は、ビッグワンから送られてきた、完了のシグナルを確認して、それを告げた。
 直後、スイッチの横のコントロールデスクが開いた。
 そこから、四角い照準パネルがついた、トリガー装置がせり上がってくる。
 デイビットは説明を続けた。
「そいつがスコープだ。表示を見間違うなよ!」
「はい…。」
 鉄郎は、真剣な表情で、スコープを覗き見た。
 細かな計測が、スコープの両側に、表示される。
 その中央に、丸い的のような、照準点の表示が映し出される。
 カーソルが、微妙に誤差修正をしながら、照準点の中心に移動していく。
 トリガーレバーを握りしめながら、鉄郎は、カーソルの動きを、目で追いかけた。
 一方、指揮車輌内には、様々なデーター報告がとびかった。
「ニュートリノ粒子、収束率、120パーセントを突破!」
 ルイが張りつめた声で伝えると、それを受けて、デイビットも状況を報告した。
「インナーバレル素粒子流動値、臨界点へ!」
 車輌内では、すべて数値で、表示される現象。
 実際は、砲塔の中心にエネルギーが収束し、熱源が形成されつつある。
 バルジが指示をだした。
「トリガーロック解除。総員対ショック防御!」
 鉄郎は、その指示で、トリガーのロックをはずした。
 バルジは、瞳を見開くと、声を張り上げた。
「コスモマトリクス砲、発射!」
「発射します!」
 鉄郎は、トリガーを手前に引いた。
 瞬間、コスモマトリクス砲が、すさまじい咆哮とともに、火を噴いた。
 白熱した光の帯が、周囲に渦巻く気流を吹き飛ばし、ビッグワンの道筋を開いていく。
 デイビットは、一瞬、開放された空間の中へ、ビッグワンを一気に突入させた。
 さらに、バルジの号令が飛んた。
「素粒子ワープ走行、開始!」
「了解!」
 デイビットは、ワープスイッチをオンにした。
 それを受けて、ビッグワンの動力部にあたるメーターが、煌びやかに輝いた。
 それは、999の動力部も同様だ。
 二つの機関車は、ともに同調し、ワープ機能を発動させる。
 反動がきた。
 ワープ突入時に起こる、衝撃だ。
 と、同時に、パネルに映っていた外の星空が消滅し、不思議な光の空間に変化した。
 ワープぼうと呼ばれるワープ空間の光景だ。
 光は七色に変化して、後方に、素早いスピードで流れていく。
 デイビットのデスクにとりつけられている小型モニターに、ワープ空間から見た、通常空間が映し出される。
 星々が、棒状の光となって、後方に次々と流れていき、その中心に向けて、デイビットはビッグワンを走行させた。
 やがて、ビッグワンと999の両車輌は、そろって通常空間にワープアウトした。
 星々のまたたきは、普通の光点となり、極彩色の輝きは消滅して、通常の宇宙空間にもどった。
 直後、ユキの報告が、指揮車輌に響いた。
「『時の津波』消滅…。通常空間に戻りました!」
「よっしゃ!」
 デイビットは、思わず歓声をあげた。
 ルイとキリアンの表情も、自然とほころんだ。
「やったぜ、坊や。」
 デイビットは、隣の鉄郎に声をかけた。
 しかし、鉄郎の返事はない。
 デイビットは目を見張った。
 鉄郎は、シートに体を横たえたまま、意識を失っていた。
「仕方がねぇな。この怪我じゃ、ワープの衝撃に耐えられないか…。」
「星野さん…。」
 慌ててシートを立ち上がったユキが、鉄郎の様子を見るために駆け寄った。
 ルイもキリアンも、心配そうに、鉄郎の様子を見つめている。
 その中で、デイビットは、苦笑しながら口を開いた。
「しかし、根性が座っていやがる。見上げたもんだぜ、英雄さん…!」
 バルジは、シートに座りながら、かすかに笑顔を作った。
 気持ちは、デイビットと同じだった。