(5)
ビッグワンの医務室。
そのベッドに、キリアンは、意識をなくしたまま横たわっている。
キリアンの怪我は、ことのほか重かった。
かろうじて、ビッグワンに帰還できたものの、キリアンは意識をなくして倒れてしまった。
すぐに、ユキの適切な処置が施されて、命はとりとめた。
しかし、いまだに意識はもどらず、ずっと昏睡状態のままだ。
キリアンの身を案じて、学とルイは医務室を訪れた。
「このキリアンが、時空のねじれを修正する鍵だったなんて…。」
ルイは、ついさっき、知らされたばかりの現実を思い出して、心を痛めながら口を開いた。
「こんな状態じゃ、キリアンを参加させるわけにいかないわ…。」
「キリアンを差し出したら、それこそモデストの思うツボだ…。」
学は、表情を歪ませた。
「しかし、かといって、モデストの要求に応じなければ、鉄郎の身が…。」
「何か、いい方法はないかしら…。」
ルイは重い口調で、ぽつりといった。
「いずれにしても、キリアンは、まだ何も知らない…。まずは、キリアンの意志を確認するのが先だ…。」
学は、表情を沈ませながら言い返した。
ルイは、学の横顔を見つめながら、頬をわずかに膨らませた。
「いいわね、キリアンは…。有紀君に、こんなに思われて…。」
「当然だろ。キリアンは俺達の大切な仲間だ…。失うわけにいかないさ…。」
「有紀君も同じよ…。失いたくないわ…。」
ルイはそっぽを向きながら、投げやりな口調でいった。
学は、えっと、けげんそうに首をかしげた。
「どうしたんだ、ルイ…。」
「何でもないわ…!」
ルイはくるりと背をむけると、そのまま医務室を出ようとした。
学は慌ててルイに呼びかけながら、後に続こうとする。
すると、医務室の前の通路で、歩いてきたデイビットと出くわした。
「キリアンは?」
デイビットが訊ねると、学は首を横に振った。
頭をかいたデイビットは、他人事のような口調で思わずぼやいた。
「状況は、芳しくねぇなぁ。」
「まだ、要塞の方からは、何も…。」
学が聞き返すと、デイビットは頷いた。
「音沙汰なし。その方が、こっちの時間も稼げるから、悪いことばかりじゃないが…。ただ…。」
「どうしたの?」
ルイが口をはさんだ。
一瞬、デイビットの表情が、暗くなったからだ。
デイビットは肩をすくめながら、言葉を続けた。
「これ以上長引くと、あの王女様の気持ちが持つかどうか…。王女様は、相当な痛手をお受けになられている。羨ましい限りだ。あの坊や、そこまで、あの美人に想われて…!」
「私、あの人が、よく解からないわ…。」
ルイが、いきなり口をとがらせた。
予想もしなかったルイの答えに、学とデイビットは目を丸くする。
ルイは、いらだった口調で言い返した。
「みんな、どうして、待ってる者の気持ちを考えてくれないの…?」
それだけいって、ルイは、学とデイビットの元から離れていった。
「ルイのやつ、何をムキになってるんだ?」
学は、ぽかんと口を開けて、立ち去ったルイの後姿を見送った。
すると、デイビットが、学の背中をぶっ叩いた。
「お前が、お気楽すぎるからだよ!」
学は顔をしかめた。
そして、デイビットに反発した。
「俺のせいだっていいたいのか?」
デイビットは言葉をなくした。
学の鈍さに、どこまでも呆れ返った。
憮然と、通路を歩いていたルイは、ゲストルームの前を通りかかった。
部屋のドアは、わずかに、隙間が開いていた。
ルイはそれに気がついて、部屋の前で足を止めた。
部屋の中では、メーテルが、悲しみとも苦しみともとれる、複雑な表情を浮かべて、静かに椅子に腰かけている。
包みこむような、優しい雰囲気をかもし出しながら、どこか近寄りがたい重みを感じさせる不思議な女性…。
長い睫を伏せた横顔は美しいが、深い孤独の影を背負っているようにも思えた。
ルイは、何か、言葉をかけたい衝動にかられた。
しかし、すぐに、話しかけることができなかった。
そのうち、メーテルの方がルイに気がついて、含みのある艶やかな声でいった。
「どうかなさったの…?」
ルイは、わずかに背筋を伸ばした。
思いきって、部屋の中に足を踏み入れると、緊張した声でメーテルに言葉を返した。
「あの…。この部屋、扉の接触が悪そうですから…。別の部屋を用意しましょうか…?」
すると、メーテルはふっと笑顔を浮かべた。
「結構です…。あなた、お名前は…?」
「ルイ・フォート・ドレイクです。」
「どこかで、聞いたことがあるお名前ね…。」
メーテルはすっと目を細めて、愛しげにルイを見つめた。
ルイは肩をすくめながら、メーテルに説明した。
「たぶん、父のせいかもしれません…。私の父は、クラリオス星団共和国の大統領ですから…。」
「そう…。大統領のお名前は、よく存知あげているわ…。」
メーテルがそういうと、ルイは軽く頭を下げた。
「それは、ありがとうございます…。」
ふと、そこで、会話が途切れかけた。
わずかな間を置いて、ルイの方がメーテルにいった。
「ご気分はいかがですか…?」
「ええ…。大丈夫です…。」
メーテルはさらりと答えた。
しかし、それが儀礼的な返事であることは、すぐに察しがついた。
ルイは、メーテルを見つめながら、堅い声で聞き返した。
「彼が…。星野鉄郎君のことが…。心配ではないのですか…?」
すると、メーテルは瞳を静かに閉じた。
ルイから視線をそらすと、わずかに声を震わせて口を開いた。
「もちろん、心配です…。」
ルイは眉を曇らせた。
メーテルは、落ちついた物腰を払いながらも、心の動揺は隠せない。
その苦しみを肌で感じながら、ルイはさらにいった。
「なぜ、星野君に本当のことを話そうとなさらないのですか…? 星野君から聞きました…。モデストの城に、一人で行かれたこともそうですが…。何も、今回の旅の目的をお話されていないとか…。どうして…ですか…?」
「理由を話せば…。鉄郎は、必ず終着駅まで行くというでしょう…。」
メーテルは顔を伏せながら、溜息まじりの声で、ゆっくりと語りはじめた。
「私は、鉄郎に、999を降りるようにいいました…。私のメッセージカードで呼び出されて、旅をしている鉄郎…。でも、私はメッセージカードを鉄郎に送っていません…。」
「それじゃ、星野君に、メッセージカードを送った人物というのは…。」
ルイは、戸惑いながら聞き返した。
しかし、メーテルはそれには答えずに、迷いに満ちた呟きを漏らした。
「鉄郎は、これが罠だと知らずに、旅を続けています…。私は、何としても、鉄郎を救わなくてはいけない…。いつかは鉄郎も、真実を知る時が来る…。ですが、私は迷っています…。どう救うべきか…。最後の途中駅を過ぎる前に…。私も、決断をしなくてはいけないのです…。」
ルイは悲しげにメーテルの横顔を見つめ続けた。
メーテルは、すっとルイから顔をそらせると、厚くよどんだ大気に覆われた、ヒーライズの成層圏の空を見つめた。
「モデストのことも…。小さな歪みは、やがて大きな破滅へと向かう…。そんな渦中に、鉄郎を巻きこめないと考えました…。だけど、私は間違っていたのね…。結局は鉄郎を、もっとも危険な場所に、追いやってしまったのだから…。」
「そう思われるのなら、すべてを話してください…!」
ルイは語気強く訴えた。
「私が、星野君ならそう望みます…。何もわからず、ただ待ち続けるだけなんて、耐えられません…。星野君は何も知らないまま、あなたのために、ビッグワンを飛び出していきました…。話さなくても行く人ならば、真実を知ってともに乗り越えた方が、私にはいいように思えます…。」
メーテルは、ルイの方に視線をもどした。
悲しみに耐えるような、深い思いを秘めた瞳と目線が合うと、ルイは気まずそうに小さく俯いた。
「ご…、ごめんなさい…。私…。よけいなことを…。」
「いいえ…。」
メーテルは、フッと表情を和らげた。
「あなたには…。好きな人がいらっしゃるのね…。」
「えっ…。」
ルイは、思わぬことを聞かれて目を丸くした。
「い…いえ…。私は…。」
と、そこに、同僚の学が、呆気にとられながら部屋を覗き込んだ。
「ルイ、何をやってるんだ…?」
「何でもない…!」
学に言い捨てると、ルイはペコリとメーテルに頭を下げた。
「失礼しました。ゆっくりとお休みください。」
そして、足早に、部屋を出て行った。
「おい…!」
学の呼びかけをルイは無視して、どんどんと通路の先へ行ってしまった。
学はおろおろした。
メーテルと視線が合ってしまい、立ち去ることもできず、かといって、ルイが気になってしようがない。
メーテルは、学を見つめて、艶然と微笑んだ。
「あなたは、先ほどの…。」
「は…はい…! 有紀学といいます。」
学は頬を染めながら、少年のような態度で挨拶をした。
「あの…。ルイが何か…。」
「いいえ。ご心配していただいて、申しわけないと思っています。ルイさんに、よろしくお伝えください…。あの方を、大切にされてくださいね。学さん…。」
「は…はい…!」
わけもなく、学は反射的に返事をしてしまった。
と、そこに、デイビットが、後からタックルをかけるようにぶつかってきた。
「たくっ、こういうのは、抜け目がねぇな…!」
「そうじゃない。ルイが、ここにいたから気になっただけだ…!」
「嘘をつくなら、もっとマシな嘘をつけよ。」
「ほんとだよ…!」
学の体を通路の横に押しやると、デイビットは愛想よく、メーテルに頭を下げた。
「あっ。どうも…。デイビット・ヤングです。」
メーテルは、優雅な物腰で軽く会釈をした。
デイビットは照れながら、学の体を押しやった。
「ほら、仕事に戻るぞ…!」
「押すなよ…!」
デイビットと学のやりとりが、しだいに遠ざかっていった。
周囲が静かになると、メーテルは、一人、部屋の窓に視線をもどした。
笑顔が消えて、深い苦悩を滲ませ、悲しみを湛えた表情に変わった。
平和な時代なら、あんな風に、鉄郎も同年代の若者とはしゃぎあい、賑やかに笑いあっていただろう…。
「鉄郎…。」
メーテルは、頭をもたげながら、震える声で呟いた。
過去の旅でも、メーテルは、鉄郎に真実を打ち明けることができなかった。
自身に課せられた、逃れられない責務を果たし終えるまで…。
鉄郎だけではなく、それ以前にも、多くの若者と旅を続け、同じように、若者達の自由を奪い束縛し続けた罪…。
メーテルは、その罪を背負いながら、永遠に宇宙を流離う運命にある。
だが、鉄郎に対しては、どの若者よりも、さらに強く、より悲しいものにとってかわる。
それは、メーテルが、鉄郎に気持ちを傾けていくほどに、より強く、そして重く…。
二度目のこの旅も、前の時と同じで、メーテルの役目は何一つ変わらない。
それでいて、鉄郎と、また関わらなくてはならない重みを、メーテルは痛感した。
お互いの運命を変えるほどの強い絆を自覚しながら、一方で、どうしようもない歪みが生じてしまうことも、メーテルはよく知っている。
そうでありながら、その歪みを修正する方法を、メーテルは持っていない。
気がつけば、鉄郎に、そのしわ寄せのすべてを与えてしまっている…。
けっして、避けられないことだと思いながらも、今ほど、この関係を深く憂いだことはなかった。
「ごめんなさい、鉄郎…。」
鉄郎の安否を思いながら、メーテルの心は沈んだ。
それは、鉄郎さえ気がつかない、メーテルだけが知る心の闇だ…。
激痛が鉄郎の体をかけぬける。
鉄郎の意識は、夢と現実の間をさ迷っていた。
だが、激しい痛みが、強引に鉄郎の意識を現実へと導いた。
体は鉛のように重く、だるさと心労でクラクラとめまいがした。
激しい頭痛も伴った。
息苦しさに我慢ができず、鉄郎は呻き声をもらしながら、重たいまぶたをゆっくりと開いた。
「…こ…ここは…?」
鉄郎は少しずつ焦点が合う目で、周囲に広がる光景を目の当たりにして息を飲んだ。
鉄郎の目の前に、美しい夕焼けの海が広がっている。
潮の香りと、繰り返し、つむぎ出される小波の調べ…。
果てしなく広がる水平線は、夕焼けの光を受けて、まばゆい黄金色に染まって、キラキラと輝いている。
吹き抜ける風の冷たさが、物悲しい、夏の終わりの空気を運んでくる。
それは、美しい地球の自然の中に帰ったかのような、錯覚を起こしてしまう…。
「夢…? でも…。」
鉄郎は、自分の姿を見返して衝撃を受けた。
なぜか砂浜の一角で、鉄郎は、ゴシック調の豪華な肘掛け椅子に座っていた。
両手は、肘かけ部分についている手かせに縛られていて、拘束されている。
上半身は裸だ。
しかし、ちゃんと傷の手当てがされていて、包帯が丁寧に巻かれていた。
「いったい…何が…。」
鉄郎は上体をよじりながら、唇をかみしめた。
両手首の拘束具は、簡単にはずれない。
明らかなことは、鉄郎は、捕らわれの身であるということだ。
「くそっ…! どうなってるんだ…!」
夢か幻か、鉄郎は、頭を混乱させた。
だが、生きていることだけは、確かに実感できる。
死の恐怖を心の片隅に感じながら、気を失ったことを思い出した鉄郎は、まだ生きていることに不思議な感覚を覚えた。
その鉄郎の耳に、不思議な女の歌声が響き渡った。
かすかに首をめぐらすと、鉄郎の椅子の向こうに、純白のビーチパラソルつきのテーブルと椅子が置かれている。
そこに、白いドレスをまとった、美しい女が座っていた。
歌の主は、その女のようだ。
「誰だ、君は…?」
鉄郎が声をかけた。
しかし、女は、鉄郎の存在など眼中に入らないかのように、そしらぬ顔で歌い続けた。
「おい…!」
鉄郎は、苛立って声を荒げた。
それでも、女は、ずっと海の方を見つめながら、物悲しい歌をやめようとしない。
鉄郎は呆然とした。
やがて、女は椅子から立ち上がると、ゆっくりとした足取りで鉄郎の前を通り過ぎ、波打ち際に佇んで、沈む夕日を静かに見つめた。
そして、か細い声で言葉を綴った。
「これが、かつてのヒーライズ…。私が見た、美しい星の姿…。私の中に残る、かすかな記憶…。」
まるで、詩でも口ずさむような淡々とした口調だ。
長い金髪を潮風になびかせる女の姿は、幽霊のようにぼんやりとしている。
女の言葉はさらに続いた。
「だけど、ここは本当は地獄の星…。時空の磁場に襲われて、生きとし生けるものを屍に変えてしまう墓場の星…。」
その時、まるで溶けてしまうかのように、夕日の光景がゆっくりと消滅した。
たたずむ女の姿も、砂浜も押し寄せる波の光景も、すべてが鉄郎の目の前からなくなった。
愕然とする鉄郎の前に、新しい光景がゆっくりと現れた。
今度は、どこかの研究室のような場所だ。
そこで、あたふたと、二人の男女が、懸命に巨大な装置をいじっている。
鉄郎は気がついていないが、この男女こそ、999に赤ん坊を預けた、あの若い夫婦ーキリアンの両親ーだ。
その光景に、さきほどの女の声が聞こえてきた。
「やがて、この星の運命を、自分達の手で変えようとする人間が現れた…。押し寄せる、『時の津波』から逃れるために…。未来のために…。望みをたくした願いは、それでも埃となって朽ち果てた…。運命に逆らうことは、私達には許されない罪なのだから…。」
この光景を、呆然と見つめていた鉄郎は、初めて、その光景の意味に気がついた。
鉄郎の目の前に展開している光景は、フォログラフィだ。
そして、展開されている映像は、ヒーライズの過去の事象を見せている。
それから鉄郎は、女の語りに耳をしっかりと傾けて、次々に展開される映像を、真剣に見始めた。
そうして、鉄郎が知った事実には…。
想像を越えた秘密が隠されていた。
****
惑星ヒーライズ…。
アンドロメダ大星雲の手前にあるこの星は、機械化帝国の監視下にある星だった。
機械化帝国の管轄にありながら、生身の人間ばかりが暮らす星。
それには、機械化帝国側の、非情な思惑が絡んでいた。
宇宙の創世は、ビッグバンという、爆発が起源だといわれている。
はるかな時を隔ててもなお、宇宙は、無限の世界へと、広がり続けているという…。
しかし、宇宙では、理屈を超えた時空の狭間が生じることがある。
それは、広がる宇宙に対し、負のエネルギーが集約する場所にあたるのかもしれない。
ポピュラーなものが、ブラックホール。
珍しいものが、時限の磁場。
皮肉にも、ヒーライズは、時限の磁場の通過点にある星だった。
機械化帝国側は、反機械化思想の一部の人間を、この星に流刑した。
機械化帝国体制にとって、ヒーライズは都合がいい死刑場だった。
けれども、時限の磁場は、そう頻繁に起きるものではない。
多少の誤差があるものの、数百年に一度という単位で押し寄せてくる。
生身の人間達は、『時の津波』が押し寄せた直後は一掃されるものの、すぐに、新しい人間が住みつき、ヒーライズは、また一から発展していくという歴史を繰り返した。
普段は、この星の怖さを、人々が忘れてしまうほどの希薄な空気が漂っていた。
だが、人間の心理で起きる、危機管理の希薄さを、機械化帝国は逆に利用した。
こうして、この星に、気軽に人間を送り込める利便性を、一方では作り出していた。
が、二十年ほど前。
ヒーライズの皮肉な歴史を、変えようとするものが現れた。
それが、キリアンの実の両親だ。
若い夫婦は、有能な科学者だった。
そして、研究の末に、人工的に、「時限を操作できる装置」を作り出した。
ヒーライズの人類を、救うための行為のはずが。
実際に、夫婦が開発した装置は不完全なものだった。
テストを繰り返すうちに、夫婦の大切なものの寿命を、無意識のうちに縮めていたことを、夫婦は後から悟った。
それが、生まれたばかりの我が子、キリアンだった。
夫婦は、自分達の行為を責めた。
そして、今度は、我が子の寿命を、延ばすことに専念した。
その時、別の悲劇が生まれた。
一方で、時間の流れが伸ばそうとした時、均衡を保つために、一方で、ある部分の時間の流れが、自動的に縮まってしまった。
こうして、キリアンと入れかわりに、立体映像に登場した女性の寿命が、縮められてしまったのだ。
しかし、ここで、疑問が生まれる。
なぜ、その女性の寿命が縮まったのか…。
理由は明確だった。
女性は、モデストの恋人だった。
モデストは機械化人。
しかも、女王プロメシュームの選任を受け、ヒーライズの守り番の役目を授かった人物。
永遠の命を授かった機械化人にとって、多少の時間の変動は無関係だ。
メンテナンスさえ怠らなければ、『時の津波』の洗礼に、耐えることができる。
モデストは、恋人の女性とともに、ヒーライズで二人の栄華を満喫していた。
だが、キリアンの両親が造った装置は、相対するものすらも区別した。
人間の代表は、キリアンの両親。
対する人物が、モデスト。
キリアンの両親が、大切にしているものに対して、モデストが、大切にしているものの運命が交換される。
こうして、女性の寿命は、生身の人間でいた時間にまで、巻き戻された。
しかも、抜け殻という中途半端な状態で、女性の時間は止まってしまった。
真相を知ったモデストの怒りは、ただならぬ執念で満ち満ちた。
すぐさま、両親の赤ん坊に、すべての怒りの鉾先が向いた。
そのことを察知した両親は、赤ん坊のキリアンを、999に乗せて、ヒーライズから脱出させた。
しかし、ヒーライズの悲劇は、それで終わらなかった。
テストの段階で、装置を乱用したために、人工的に、『時の津波』を、引き起こしてしまった。
直後、ヒーライズは周期を待たずに、『時の津波』に襲われた。
結局、ヒーライズの人々を救うはずの装置は、ヒーライズの人々を犠牲にする結果を招いた。
以降、機械化帝国はこの星を廃棄した。
銀河鉄道も、この星の運行を除外した。
そして、キリアンの両親の計画を見抜けなかったモデストは、機械化帝国からも追放されて、恋人の亡骸ともども、この星で見捨てられてしまったのだった…。
****
あまりの現実に、鉄郎は、言葉を失っていた。
最後の映像は、宇宙を漂う、あの発光体の姿だ。
発光体が集まる場所には、さまざまな幻覚が現れる。
鉄郎が最初に見た、渚の光景もその一つだ。
燃えるような新緑を湛えた、みごとな森林の光景や、美しい野の花畑に、壮大な山々の絶景…。
それらはすべて、幻覚の一種だ。
宇宙空間に、これらの光景が、忽然と浮かび上がり、ある程度の時間がたつと、溶けるように消滅してしまう。
その映像に、女性の言葉が重なった。
「それは、“時のかけら”…。『時の津波』を受けて、生まれた人々の記憶の魂…。“時のかけら”は、記憶の姿を映し出す…。なくなった人々の思いが、記憶として蘇る…。」
女性の言葉の意味を、鉄郎は思考した。
つまり、発光体そのものが、『時の津波』に襲われた人々のなれの果ての姿であり、様々な幻覚は、ヒーライズの人々が記憶している光景が具現化したものなのだ。
フォログラフィの映像は、そこで終わった。
映像が消えると、本来の場所が現れた。
そこは、要塞の大広間だ。
鉄郎の前に、モデストがいる。
鉄郎は、モデストを睨みつけた。
だが、モデストは、鉄郎の方を見ていない。
等身大の、水晶のような透明な物体を、じっと見つめている。
その背後に、巨大な装置が、部屋の壁面に張り付いている。
その装置が何なのか、鉄郎もよく知っている。
キリアンの両親が開発した、「時限を操る装置」だ。
部屋の装飾として、カモフラージュされていたが、改めてよく見ると、装置そのものが、大広間に備えつけられていた。
モデストは、切ない表情を浮かべて、装置の前に立つ、透明な物体の表面を撫でた。
その中に、女性の体が納められている。
それは、立体映像にでてきた女性ーモデストの恋人だ。
モデストは、口元を歪めると、口惜しそうに呟いた。
「エメ…。この手紙だけでは、せいぜい幻覚を呼び起こすだけだ…。やはり、目覚めさせるのには、キリアンが必要だ…。」
鉄郎は目を見張った。
モデストが手にしている手紙は、鉄郎がもらいうけた、宛名のない手紙だ。
「モデスト…。その手紙は、俺のだ…。返せ…!」
鉄郎は、痛みを堪えながら、振り絞るような声で叫んだ。
モデストは、この時、鉄郎に視線を向けた。
睨みつける鉄郎に、モデストは口を開いた。
「この手紙は、私がもらいうけた…。あの夫婦が書き記した、この装置の説明書…。しかし、これだけでは因子はそろわない…。やはり、特異点がいなければ…。」
「キリアンを利用して…。恋人を復活させる気か…?」
鉄郎は、低い声で呟いた。
モデストは、スッと目を細めた。
「利用する…? まさか…。本来、あるべき正しい時間の流れに戻すだけだ…。」
「よせ…!」
鉄郎は身を乗り出した。
「そんなことをしたら、この宇宙は、いったいどうなると思う…?」
「どうもなりはしない…。再び、『時の津波』の洗礼を受けるだけだ…。ただし、厄介なのは、この装置そのもの…。」
「装置、そのもの…?」
鉄郎は表情を変えた。
モデストは、独り言のような口調で呟いた。
「なぜか、生身の人間の時間は、機械の時間よりも、ゆるやかに時が進むらしい…。原理はいまだに不明だ…。それとも、元々生身の人間が開発したものだ…。そういう意志が働くのか…。」
「それでか…。999やビッグワンの腐食が進んでも、俺や車掌さんが無事でいられたのは…。」
鉄郎は納得した。
999やビッグワンを襲った光は、この装置から発射された力だ。
光を浴びただけで、何百年も時を経たかのような姿に、車輌だけが変貌したのに、中に乗車していた鉄郎や車掌に、何も変化は起きなかった。
さらに思うのは、赤ん坊のキリアンの時間が伸ばされた時も、機械化人のエメの人生は、何百倍ものスピードで短縮されてしまった。
その矛盾がどうしてかは、その原理で説明がつく。
モデストは、鉄郎に言い返した。
「そういうことだ…。お前や車掌が、機械の体でないからだ…。しかし、その時間軸の相殺は、いずれ、『時の津波』が決着をつけるだろう…。」
「お前の思い通りになんかなるか…!」
鉄郎はカッとなって叫んだ。
体を動かすたびに、激痛に襲われた。
しかし、その痛みを悟られないようにしながら、鉄郎はモデストに対抗した。
「俺を自由にしろ…! こいつをはずせ…!」
すると、モデストは嘲笑うかのように、皮肉な笑みを浮かべた。
「お前を殺すことはいつでもできる。だが、しばらくは生き延びてもらう…。急所がはずれて命拾いをした…。運のいいやつだ…。」
鉄郎は、探るようなまなざしで、モデストを見返した。
「俺を…いったいどうする気だ…?」
モデストは、スッと目を細めた。
「さきほど、空間鉄道警備隊に、キリアンを差し出すように要求した…。お前はただの人質だ…。」
鉄郎は、奥歯をきつく噛み締めた。
にわかに信じがたい現実…。
しかし、それまでの理屈や原理を整理して考えると、危険極まりないのは明らかだ。
この装置は、いつ人の手を離れて、暴走しだすかわからない。
そうなれば、機械化帝国の大虐殺行為どころではなくなる。
それ以上の全てが、消滅してしまうかもしれない。
この宇宙が、未曾有の危機に陥ってしまう。
それを自覚していて、モデストは、装置を作動させるつもりでいる。
モデストは、キリアンを発見するまでに、あらゆる手を尽くした。
赤ん坊のキリアンの消息を知っているとすれば、999の車掌か、その時に居合わせた乗客だ。
そのために車掌がさらわれ、先に、モデストのところに向かったメーテルも、逆に拘束されてしまったのだ。
モデストは、恋人エメの亡骸にすがると、愛しげに話しかけた。
「エメ…。もうすぐだ…。機械化帝国など、私達には無縁だ…。この世界に、私とお前がいるだけで、私の心は救われる…。さあ、もう一度、起きておくれ…。この私のために…。」
鉄郎は、わずかに表情をゆるめると、ゆっくりと顔を伏せた。
モデストに、怒りをぶつけるのは容易い。
しかし、この男も悲劇を背負っている。
体制から見捨てられ、孤独と絶望の中で生きるしかない中、癒しと希望を与えてくれる相手は、恋人のエメだけだ…。
鉄郎が、過去に何度も見てきた機械化人の悲劇。
モデストも、その一人にすぎない…。
物悲しい後姿を見ていて、鉄郎は哀れに思った。
しかし、同情の余地はあっても、モデストは許されない。
「モデスト…。」
鉄郎は、冷静に気持ちを落ち着かせると、モデストに話しかけた。
「メーテルが、どんな気持ちでお前のところに来たか、今なら少しわかる気がする…。俺も、同じことをいう…。やめろ…。時間を操るな…。世界を、個人の都合で、変えていいわけがない…!」
「世界を変えるな…だと…?」
モデストは、鉄郎に、ゆっくりと視線を向けた。
「お前はどうなのだ…? 機械化母星を破壊したお前がいうな…。お前が破壊しなければ、世界はこのような動乱を迎えなかったはず…。違うのか?」
鉄郎は目を見張った。
一度は冷静になろうと努めたが、気持ちが、しだいに昂ぶりはじめた。
「動乱は、機械化帝国が引き起こしたんだ…。俺は間違っていない…。お前と、一緒にするな…!」
すると、モデストは、足早に、鉄郎の前に移動した。
思わず息を飲んだ鉄郎の頬を、モデストは平手で張り飛ばした。
顔をそむけながら、鉄郎はモデストを睨み返す。
モデストは顔をひきつらせながら、鉄郎に鋭い声を発した。
「しょせん、お前など、機械化帝国にいずれは処刑される。生きる価値がないやつに、今だけは価値を与えてやっている。それだけでもありがたく思え…!」
「………」
鉄郎は、無言のまま頬を震わせた。
抑えようとした怒りが、また沸々と、わきあがってくるのを感じた…。