17.神々の戦い 4

 アキの意識が回復した。
 ゆっくりと目を見開き、周囲を見回した。
 一面が緑の草原に覆われていた。
 愛らしい花々が咲き、美しい蝶が戯れる。
 呆然としたアキは頭上を見上げた。
 空には無数の星がまたたいている。
 地平線の彼方まで広がる暗黒の空間は、紛れもなく宇宙だ。
 植物が育つ環境じゃないのは一目瞭然だ。
 首をめぐらすと、横にジオネリアが倒れている。
「しっかりして下さい、ジオネリア!」
 体をゆさぶると、ジオネリアはすぐに意識をとりもどした。
 かすかな溜息をついて安堵した。
「…アルテイア。元気になってくれたのですね…?」
「いったい何が…。それに、ここは…。」
 ジオネリアはゆっくりと上体を起こした。
 アキが支えると、ジオネリアは小さく頷いた。
「大丈夫です…。何とか、力を吸収されないでいるようです…。」
「力を吸収…?」
 アキが聞くと、ジオネリアがいった。
「アトラリアが暴走しました。でも、この空間は均衡が保たれている。シールドのおかげです。」
「シールド…。トリトン…?」
 アキが叫ぶようにいうと、ジオネリアが説明した。
「この幻覚はトリトンの精神が具現化したもの…。ラムセスの仕業です、きっと…。」
「ラムセスは何を企んで…。」
 アキが言いかけた時、ジオネリアは厳しい顔をした。
「…このために、ラムセスは、女の人格に生まれ変わった…。」
「えっ?」
 ただならぬ様子にアキは表情を変えた。
 ジオネリアは鋭い視線を向けた。
「おそらく、あなたの代わりにトリトンと契りを交わす気です。」
「どういうこと…?」
 アキが聞くと、ジオネリアは固い声で言い返した。
「一度、あなたと結ばせることを失敗した。でも、自分がその立場になれば、もっと簡単に事がすみます。」
「そんなっ!」
 アキは激しく叫んだ。
 嫌悪感を露にしてかぶりをふった。
「そんなこと、させられない!」
「もちろんです。」
 ジオネリアは立ち上がった。
「阻止します。何があっても!」
 アキはジオネリアを見上げた。
「何も感じない…。どうすれば…。私の力はラムセスに通じない…。」
「諦めるのですか? あなたはそれでもいいのですか?」
「嫌です! これ以上、大切な人達をラムセスの好きにさせたくない…!」
「だったら希望を持ちなさい!」
 立ち上がったアキにジオネリアはいった。
「行きますよ、アルテイア。」
 どこまでも不自然に広がる草原の海。
 他には何も見えない。
 だが、二人はトリトンを求めて歩き出した。




 トリトンは現の境界を漂っていた。
 立っているのか、寝ているのか、よくわからない。
 さっきまで感じていた苦痛が嘘のように消えていく。
 心地がいい。
 リラックスし、ゆとりを感じた。
 しかし、現実は小惑星の大地に横たわっている。
 周囲を覆いつくす美しい草花の草原。
 それは幻覚だ。
 トリトンを見下ろすラムセス・クイーンだけが知っている。
 ラムセス・クイーンは優しい声で語りかけた。
「あなたに戦う姿は似合わない。あなたにふさわしいのは、自然を育て愛でること…。それが、本当のあなた自身…。」
「育て…愛でる…。」
 トリトンはうつろな声で言葉を反芻した。
 暗示にかかり、意識がしだいに薄れていく。
 ラムセス・クイーンのオーラが強まった。
 トリトンの体がゆっくりと宙に浮いた。
 腰の高さまで浮き上がったところで、トリトンは制止した。
 オリハルコンの剣が手から離れ、ストンと大地の上に落ちた。
 剣に目もくれず、さらにラムセス・クイーンはオーラを浴びせた。
 衣装がブルーの帯に変化する。
 ほどけるようにトリトンの体を覆いだす。
 トリトンは違和感を感じて顔をしかめた。
 しかし、意識が混濁して、現実がわかっていない。
 感覚が死んで、すべて夢の中に入り込んだ。
 さらに心地よさが増して、快楽さえ覚える。
 ラムセス・クイーンは冷たい笑みを浮かべた。
 トリトンはラムセス・クイーンの手の中にある。
 欲望を満たした充足感に陶酔した。
「お前の肉体は若くとても美しい…。このまま消滅させるのは惜しい…。」
 露になったトリトンの胸元にそっと触れた。
 トリトンの胸には、一条の傷が走っている。
 それは、さっきの戦いでラムセス・クイーンがつけたものだ。
 血が滲み薄く盛り上がった傷口を、すっと指先でなぞる。
 トリトンは小さく呻いた。
 痛みが死んだ感覚をわずかに蘇らせた。
 しかし抵抗はない。
 トリトンの上に、ラムセス・クイーンは体を重ねた。
 おもむろにトリトンの首筋に手を回すと、そっと顔を近づけた。
「お前は可愛らしい…。」
 呟くとトリトンの唇に吸いつこうとした。
 突然、ラムセス・クイーンの体が硬直した。  
 動きが封じられた。
 背中に熱を感じた。
 焼けつくような激しい熱さ。
 肉体の中で、得体の知れないエネルギーが渦巻く。
 身を震わせた。
 エネルギーの制御ができない。
 謎のエネルギーは体を突き破った。
 突然、背中から炎が吹き上がる。
 赤く燃え上がるような激しいオーラの力。
 ラムセス・クイーンは絶叫した。
 そこへ。
 鋭い声が飛んだ。
「ラムセス、トリトンから離れなさい!」
 相手はジオネリアだ。
 ラムセス・クイーンはゆっくりと首を捻じ曲げた。
 黒髪の間から憎悪の瞳が覗いた。
 疾走してくるジオネリアとアキの姿が映し出される。
「邪魔だ…!」
 ラムセス・クイーンは苦痛に満ちながらオーラを放った。
 闇の嵐が二人に襲いかかる。
 一瞬、オーラに巻かれて立ちすくんだ。
 アキが力を放出した。
 シールドが強化される。
 闇のオーラをはじき返した。
 力を持続させて、アキは瞬発的に宙を飛ぶ。
 ジオネリアが叫んだ。
 静止を振り切り 純白の光矢と化す。
 猛然とラムセス・クイーンに迫った。
 アキは絶叫した。
「トリトン、目を覚まして。諦めないで!」
 同時に、別の声がトリトンの精神を揺さぶった。
ー目を覚ませ。お前の力はこんな程度か?―
 それは力強い男の思考だ。
 二つの声がトリトンの精神を呼び覚ます。
 トリトンは目を見開いた。
 言葉をなくした。
 自分の体の上にラムセス・クイーンがいる。
 叫んだトリトンは、オーラの力でラムセス・クイーンを弾き飛ばした。
 抵抗を受けたラムセス・クイーンは怒りにかられた。
 その隙に、トリトンは剣を手の中に呼び寄せた。
「俺に何をした! いえっ!」
 声を荒げながら剣を突き出す。
 ラムセス・クイーンは唸った。
 赤いオーラのエネルギーに耐えながら、邪悪なオーラをぶつける。
 間にアキが割って入った。
 トリトンの力とアキの力が混ざり合う。
 二つのエネルギーがラムセス・クイーンの力と激突した。
 爆発した。
 三種の気とオーラのエネルギーが。
 近くまでやってきたジオネリアは、猛烈な圧力に押されて立ちすくんだ。
 反射的に顔を覆い隠す。
 爆発の規模はすさまじい。
 今までの衝撃をはるかに上回った。
 莫大な光があふれた。
 ジオネリアはひたすら衝撃に耐えた。
 十数秒。
 激しい状態が持続した。
 その間に幻覚が消え、元の赤茶けた大地に変化した。
 大地がさらにえぐられた。
 爆発によって生じた高温反応が岩石の塊を融解した。
 周囲に熱風が吹き荒れる。
 足場を崩されたジオネリアは、シールドで身を守りながら宙に浮いた。
 宇宙にまで光と熱風が巻き上がる。
 再び宇宙が濁った。
 砂嵐のような衝撃のせいで。
 そんな中、女の断末魔の叫びが響いた。
 ラムセス・クイーンの声だ。
 反応が弱まった。
 光が薄れて視界が見渡せるようになった。
 ジオネリアは目を細めて反応の中心を凝視した。
 人影が浮かんだ。
 三人の男女の影。
 すり鉢状にいっそう深くめり込んだ大地の中心に、トリトンとアキがいる。
 トリトンは激しく脱力して剣を取り落とした。
 アキはトリトンをかばう形で胸にしがみついている。
 上空に、苦痛で呻き身をよじるラムセス・クイーンがいた。
 彼女を取り巻く赤いオーラは、なおも激しく締めつけ苦しめる。
 ジオネリアは赤いオーラに驚きながらも、トリトンとアキの元に素早く駆け寄った。
「ラムセス・クイーンが爆発します! シールドを!」
 瞬間、ラムセス・クイーンが光に包まれた。
 トリトンは思わずアキを強く抱きしめると身構えた。
 ジオネリアは二人を包み込むようにシールドを放出する。
 視界が白い光に遮られた。
 体が圧力に押される。
 同じ現象の繰り返しだが、それでも耐えるしかない。
 今度の爆発は予想以上に小規模だ。
 光が薄れるのを待って、トリトンはゆっくりと顔を起こした。
 首をめぐらしたが、ラムセス・クイーンの気配を感じない。
 今度こそ、トリトンは緊張の糸をほどいた。
 虚空の宇宙を見上げて、ぽつりといった。
「やっと、ラムセスが死んだ…。」
 すると、ジオネリアが呟いた。
「いいえ、逃げられました…。」
「そんな。」
 トリトンは愕然とした。
「どうすりゃあいつを倒せる? これじゃ、いつまでも同じことの繰り返しだ。」
「いいえ。」
 ジオネリアはかぶりを振った。
「ラムセスは確実に威力を衰えさせています。あなたの力も増しています。私達がこうして動き回れるのもあなたのシールドが強まったからです。アトラリアも今は落ち着いていますから、安心してください。」
「そうだ、アトラリア…!」
 トリトンはハッとした。
 アトラリアは時空ぎりぎりのところで制止しているようだ。
 宇宙に漏れ出てくる光が一定だ。
 安定しているらしい。
 連合軍と反乱軍との戦闘も中断している。
 仕方がないとトリトンも思った。
「こうなりゃ戦闘どころじゃないか…。」
 ジオネリアは説明をつけ加えた。
「あなたの力がオリハルコンを制御しはじめたのです。あなたの体から反応が消えたのはそのせいです。」
 エッと思って、トリトンは自分の姿を見返した。
 その時、ほとんど裸体の姿に気がついてドッと赤面した。
 その体にアキがしがみついている。
「いったい、どうして…。」
 トリトンが声を震わせると、アキのオーラがすっと放出された。
 オーラの波がトリトンの体にまとわりついて、戸惑うトリトンの体を覆い尽くす。
 すっとトリトンの胸からアキは離れた。
 その時は、ちゃんとトリトンの体に衣装が身に着いていた。
 アキは笑顔を浮かべた。
「よかった、トリトン・アトラス…。」
「ありがとう…。って、何が起こったんだ?」
 トリトンはジオネリアを見上げた。
 ジオネリアは笑顔を浮かべた。
「何も…。ラムセスの力はないに等しい。オリハルコンは正気を取り戻して、あなたに従いはじめました。それだけです。」
「それだけ…?」
 トリトンは呆気にとられた。
「ラムセスにいわれた。オリハルコンが俺を吸収したがっているって。俺は消滅させられるって。」
ーでも、お前の力がオリハルコンを上回れば、その心配はなくなるんだ。―
 トリトンは目を見張った。
 目覚める瞬間、かすかに届いた男の思考。
 この思考の持ち主は…。
 アキがトリトンに静かな声でいった。
「あなたの力があの人を救い出してくれた…。」
「まさか…。」
 トリトンは言葉をなくした。
 アキの隣に忽然と赤いオーラの輝きが現れた。
 輝きがしだいに人の形を作り出す。
 やがて、光の中から小柄な体格の青年が現れた。
 それは間違いなく鉄郎の姿だ。