気流の嵐は弱まりつつあった。
けれども、宇宙空間では慣性の法則が働く。
勢いよく飛ばされた物体は、同じ速度でどこまでも流され続ける。
トリトンは闇を舞いながら呻き続けた。
弱まった力では強力なシールドが張れない。
スピードの調整ができないまま、自然の流れに翻弄された。
方向感覚もなくした。
どっちの方向に流されているのか、見当もつかない。
トリトンはうろたえた。
突然、巨大な小惑星が視界に入ってきた。
このままでは、小惑星に叩きつけられる。
反射的に頭を抱えて体を丸めた。
事故防衛本能が働いた。
シールドが一瞬、強化された。
叩きつけられるのを、シールドがうまく吸収してくれた。
だが、ショックは完全になくならない。
鈍い衝撃がした。
表面がすり鉢状に大きくへこんだ。
かなりの深さだ。
その中心に傷だらけのトリトンがいた。
意識はどうにか保たれた。
身を起こした。
動きはとてもぎこちない。
仰向けになった体をやっと反転させてうつ伏せに横たわる。
「くっそ…。」
トリトンは歯をくいしばった。
同時に思考を飛ばした。
ジオネリアとアキの居場所を探った。
消息はわからない。
だが、二人とも近くにいるような気がした。
「…ジオ…ネリア…。アキ…。どこにいる…?」
トリトンは直感を信じた。
感じる方向に向かおうとした。
そう思っても、肉体がいうことをきかない。
激痛が全身を駆け抜けた。
腕を伸ばそうとすると、しびれてワナワナと震えた。
ひきちぎれそうな苦痛にトリトンは苦しめられる。
それでも耐えた。
動かない体を強引に前に押しやった。
ーまだ30センチくらいしか動いてないぜ…。くたばれるか、こんな所で…!ー
その時。
全身が白く輝きはじめた。
突然の変化にトリトンは息を飲む。
新たな脱力感に襲われた。
「あうっ…!」
体を大きく反らした。
異質な光の反応。
それは不安定な明滅を繰り返した。
「ああっ!」
トリトンは悲鳴をあげた。
一つ一つの細胞が押しつぶされるような。
脳や心臓がかき混ぜられるような、気味の悪い感覚。
激突の痛手もまだ引いていない。
なのに、ショックが重なって苦痛は極限に達した。
「あああああ!」
途切れない悲鳴が、絶叫に変わった。
全身の感覚がなくなっていく。
うつろなまなざしを宇宙に向けると、かすんだ視界にアトラリアの輝きが映った。
それもすぐにぼやけ、滲んでいく。
ーだめだ…。―
わずかな思考が、トリトンに諦めの決意をつけさせた。
トリトンはすっと目を閉じた。
意識が消えた。
そうすると、自然に苦痛が和らいでいく。
ー死ぬんだ、本当に…。
トリトンは言い聞かせた。
その時、誰かがトリトンに呼びかけた。
「お前は死なない…。けっして、死なせはしない…。」
トリトンはハッとした。
…誰だ、声の主は…?
薄れていた思考が、少しずつ鮮明になってきた。
トリトンは目を見開いた。
視界はまだぼやけている。
しかし、景色が見えた。
一面を黒々とした闇が覆いつくす。
が、それは錯覚だ。
トリトンは気がついた。
闇の正体を。
黒いエナジーを発する人間。
ラムセス・クイーン。
彼女が脇に立たずみ、トリトンをじっと見下ろしている。
トリトンは身構えようと上体を起こした。
すると、再び激痛が貫いた。
トリトンは悲鳴をあげて、砂地に倒れ伏した。
「無駄だ。お前の体は、アトラリアのオリハルコンと共鳴しあっている。苦痛を伴うのはそのためだ。」
「お前が…。オリハルコンを奪ったからだろ…!」
トリトンは震える右腕をラムセス・クイーンに向けて突き出した。
「返せ…。オリハルコンを!」
ラムセス・クイーンはトリトンを見つめ続けた。
「失われたオリハルコンはもうもどらぬ。肝心なのはこれからだ。」
「勝手な…ことを…。」
睨みつけるトリトンに向かって、ラムセス・クイーンは微笑んだ。
「お前は何もわかっていないようだね。今のうちに教えてやろう。」
トリトンは押し黙った。
ラムセス・クイーンは淡々と言葉を継いだ。
「アトラスの時代からアトラリアの時代に変わるまで、どの時代であっても、アクエリアス三使徒は存在し続けなくてはならない…。先代のエネレクトは、大地の使いの力を有していた。が、その力は娘のジオネリアに受け継がれた。よって、オリハルコンは、エネレクトを吸収してしまった…。私がこの仕組みに気がついたのは、つい先ほどのこと…。それまでは考えもつかなかった事実だ…。」
「何がいいたい…?」
トリトンは頬を震わせる。
ラムセス・クイーンは笑みを絶やさず返した。
「オリハルコンは世代交代を切望する。特に不安定な時に顕著にその傾向が現れる。わからぬか? 次はお前の番だということが…。」
トリトンは小さく呻いた。
ラムセス・クイーンは、トリトンの反応を楽しみながら、言葉をゆっくりと発した。
「お前には、お前の血を引き継ぐ赤子が存在する。エネレクトと同じだ。その赤子にお前の力が引き継がれる。そのかわり、今度はお前がオリハルコンに吸収される。そして、この世界からお前は消滅する。ただし、それは人が考える『死』とは違う。オリハルコンの間≠ニ呼ばれる場所で、オリハルコンの中枢核となって、精神だけの存在となり、そこで生き長らえることになる。何千年…。いや、お前の力だと何万年になるかな…? アトラリアを支え、オリハルコンの力の源となるのだ…。そうなれば、人としての五感は皆無。すべてを超越した「聖なる存在」へと昇華する。」
トリトンはずっと黙リ続けた。
かすかに表情は蒼白している。
ラムセス・クイーンは微笑んだ。
「怖いか…? そうだろうな…。そうなると、人間としての楽しみは何もなくなってしまう。若いお前にしてみたら、ショックも大きいだろう…。ただし、一つ例外があった。アクエリアス・アテビズムが働いている間はそうはならない…。同じ人間が再生されるまでは、その作用がストップする。数千年、お前とアルテイアがいない時間が存在した。しかし、その過程の中でお前は生まれた。お前はその運命から逃れることはできない。アトラスの歴史はそうやって築かれてきた…。お前の力はオリハルコンが望んだもの…。お前の体に輝きが生じているのは、その現れだ…。」
「本当の…目的は…?」
トリトンは息を切らしながら、言葉を吐き出した。
「そうやって…。アクエリアスの人間を犠牲にして…。お前だけが…。生き残るつもりか…?」
ラムセス・クイーンはゆっくりとかぶりを振った。
「いったはずだ。お前を殺しはしないと…。何のために、生体エネルギーを与えてやっている? オリハルコンに吸収されかけているお前を助けてやっているのだ。 感謝しろ、トリトンよ…。」
「笑わすな…。」
「私が気に入ってるのはお前だ。お前の赤子など少しも興味がない。お前が私にとって、もっとも大事な存在だ…。」
トリトンは皮肉げにいった。
「お前に好かれてシャレになるか…。読めたぜ。お前の心が…。」
トリトンは強い口調でいった。
「お前の希望は、アトラリアに輝く安定したオリハルコンだ。そのために、俺達、アクエリアスを利用しようとしているだけだ。俺の子供の代まで待つわけにいかないだろ。その代まで待っていたら、後、十数年もかかってしまう…。」
「意外に頭が働いているようだな…。」
ラムセス・クイーンが目を細めると、トリトンは不敵に笑った。
「おかげさんで…。ついでに結論も出たぜ。」
「結論だと…?」
ラムセス・クイーンはいぶかしむ。
トリトンは語気強く叫んだ。
「さっさと生体エネルギーを切れ! 俺の目的はお前を倒すことだ。そのためならどうなってもいい。神でも聖人でも、何だってなってやる!」
「愚かなやつ…。」
ラムセス・クイーンは呟いた。
同時に力が強まる。
闇のオーラがトリトンを締めつけた。
トリトンはまともに力をくらった。
精神と肉体を容赦なく苛まれた。
「うあああっ!」
トリトンは悶絶する。
身をさくような絶叫とともに、狂ったように地面をのたうった。
ひとしきり、トリトンを苦しめてオーラはやんだ。
トリトンは体を丸め、大きく呼吸を繰り返した。
全身から汗が噴き出し、身を震わせながら激しく呻いた。
ラムセス・クイーンはふっと表情を和らげると、静かな口調でトリトンに言い返した。
「お前には戦う力も強がる力もないではないか…。もうよせ。敵意を向けても無駄なこと…。お前にはふさわしくない…。」
トリトンは目を見張る。
ラムセス・クイーンはさらにいった。
「お前の本心は違う。自分の子供に運命は引き継がせるつもりはない。ならば、お前がオリハルコンに吸収されてはまずい…。もとはといえば、アルテイアと契りを交わさなかったせいだ。だとすれば、その方法しかないだろう。すべてを助けたいと思うのなら…。」
トリトンは息を飲んだ。
ラムセス・クイーンを見返した。
トリトンを見つめる表情はとても穏やかだ。
その笑顔はレイラの笑顔に変化している。
「トリトン、あなたの守護神はポセイドンの子、トリトーン。トリトーンは穏やかな海に漂い、ほら貝を好み、自然と戯れることを好んだ神様…。あなたもそうでしょう? あなたはとても優しい人…。」
「君は…レイラ…なのか…?」
トリトンがうつろな声で聞いたが、ラムセス・クイーンは答えない。
そのかわり、トリトンにそっと話しかけた。
「あなたの理想はこんな世界じゃない。自然がたゆとう美しい世界のはず。表現してみて。あなたが思う理想の世界を…。」
「俺の…理想…。」
トリトンは静かに目を閉じた。
苦痛はなかった。
トリトンは優しいレイラのまなざしを感じながら、夢に落ちた。
そこには、穏やかな理想の世界がある。
眠ったトリトンの体からゆらりとオーラが放出された。
そして、ゆっくりと広がった。