二人は、アキが磔にされた大岩の前に出現した。
映像よりも凄惨な光景だ。
トリトンは我を忘れた。
夢中になって駆け出そうとすると、ジオネリアが引き止めた。
「お待ちなさい!」
「離してくれ! アキをあのままにしておけるか。」
「落ちつきなさい。私達は誘い出されたのです。」
「わかってる、けど…。」
反論するトリトンを、ジオネリアが冷たい視線で射すくめた。
「ラムセスの気配をまったく感じません…。嫌な予感がします。」
「だからって何もしない気か?」
「いいえ。御覧なさい、あの光を…。」
そういって、小惑星の向こうに広がる空間に視線を向けた。
いわれて、トリトンも同じ方向を見た。
空間の果てに、無数の閃光が走り消滅する。
「始まったんだ。連合艦隊と反乱軍との交戦が…。」
「あれはまだ、ほんの前兆のはず。行かせてくれた皆さんも、いずれあの中に加わるでしょう。」
トリトンが視線を戻すと、ジオネリアは小さく頷いた。
「エネシスや神官達も、オリハルコンを支えている。私達は、こんなところで死ぬわけにいかない。この戦い、感情に流されたら終わりです。」
ジオネリアはすっと瞳を細めた。
表情を引き締めると、磔にされたアキを見上げた。
「先に気配を感じる必要があります。」
「わかった。」
トリトンは気を落ち着けた。
「ゆっくりと近づきましょう。」
二人は慎重に歩きはじめた。
砂と岩だらけの荒涼とした大地。
上空には、漆黒の空間がどこまでも広がっている。
気温はおよそマイナス二百度。
わずかに浮くような足取りで進んでいく。
二人の体は地表から離れていかない。
体を覆うシールドが物理的条件を覆すからだ。
宇宙気流が二人の髪をなびかせ、トリトンのマントをふわりと浮かせた。
アキの大岩までは約百四十メートルほど。
何も起こらず、あっさりと大岩の下にたどりついた。
さらに精神を集中した。
大岩の下に転がっている身長ほどの岩石の上に、トリトンはジャンプした。
そっと大岩の表面に触れた。
触れた手の中に、小さなエネルギーが生まれた。
その時。
二人は同時にハッとした。
殺気を感じ、息を飲む。
いきなり大岩が爆発した。
相当なエネルギーと圧力が周囲を木端微塵に粉砕する。
表面が変形した。
大型のクレーターが出現した。
さらに、中心がひび割れる。
小惑星の半分が崩壊した。
熱とガス煙が立ち上り、澄んだ星空を黒々と濁らせた。
爆発から一キロも離れていない場所。
そこに忽然と闇の女が姿を現した。
邪悪な存在。
ラムセス・クイーン。
沈黙したまま爆発の様を見つめる。
時間が経つにつれて、衝撃が薄れた。
熱も冷え、嵐も沈静した。
ラムセス・クイーンは変化に気がついた。
衝撃の中に存在する異質のエネルギー。
その力は強まり輝きを増す。
エネルギーの正体は、ブルーの澄みきったオーラ。
中に複数の人間がいる。
ラムセスはフッと頬を歪めた。
オーラの中にいるのは、トリトン、ジオネリア、そして、救出されたアキだ。
アキのウラヌスパワー≠ヘ消えた。
通常のコスチュームー紅いセパレーツの衣装ーだ。
血まみれで、貧血のために肌は青白く、服もボロボロだ。
トリトンは憎悪のこもった視線でラムセスを見据えた。
抱きかかえたアキに、優しく生体エネルギーを与えている。
ラムセス・クイーンが冷ややかにいった。
「腕をあげたな、トリトン・アトラス…。」
トリトンは押し黙ったまま、何も答えない。
後方にいるジオネリアも鋭く見つめる。
「なめるなあっ!」
ラムセス・クイーンは黒々としたオーラを全身からほとばしらせた。
幾本ものオーラが枝分かれを繰り返し、矢のような力に変化した。
それが、三使徒を包むオーラに激突する。
衝撃が轟いた。
火花が散り閃光を放った。
ブルーのオーラは無傷だ。
トリトンの力が、ラムセスの力をすべて弾き返した。
ラムセスは愕然とした。
使徒達は、何もしかけてこない。
ラムセスは唸った。
使徒の方から動きがなければ、手の出し様がない。
沈黙が続いた。
とても奇妙な間だ。
その間が終わった。
変化は、トリトンの腕の中で起きた。
アキの意識が戻りかけている。
体が小刻みに震えて、かすかな溜息が聞こえた。
トリトンは悲しそうにアキを見返した。
やがて、アキはうっすらと瞳を見開いた。
「トリトン…?」
溜息のような声が漏れると、トリトンはふっと表情を和らげた。
「わかるね? ジオネリアもいてくれる…。」
「私…は…。」
苦しそうに声をあげたのを、かぶりを振ってやめさせた。
「君は十分にやった。もういい。後は俺達にまかせて…。」
アキは身をよじった。
トリトンは慌ててアキを抱きなおした。
「今は元気になることだけを考えて。ゆっくり休むんだ。いいね…?」
アキは表情を固く強張らせた。
「ジオネリア、頼むよ。」
トリトンはくるりと振り返ると、アキを差し出した。
ジオネリアは頷くと、アキを貰い受けて抱き返した。
「トリトン…。」
アキがトリトンの方へ腕をのばす。
トリトンはその手をそっと握りしめた。
あいている側の手で、服の腰布にさしていた銃を取り出した。
それは鉄郎の銃だ。
アキの手に銃を握らせた。
「君の大切なお守り≠セ…。早く元気になって。」
アキは呻いた。
銃を握り締めると涙を流した。
その雫が丸い粒となって空間に漂いだす。
「さっさと、くだらぬ取り込みを終わらせろ。」
ラムセスの怒り声が響いた。
ジオネリアの表情が鋭く変化した。
トリトンはすっと、ラムセスに向き直った。
「いったはずだ。俺のアルテイアに手を出せば、ただじゃすまないって…!」
いきなりだ。
トリトンを取り巻いていたオ―ラが一気に爆発した。
素早い速度で膨れ上がり、あっという間に埋め尽くしていく。
ラムセス・クイーンは驚愕した。
使徒達から身を引く。
それにもまして。
エネルギー体がラムセスの速度を上回った。
あっという間に吸収された。
比較にならない強固な力。
取り込まれると、二度と脱出できない。
力も完全に遮断される。
人質をとるような戦法もきかない。
相手の力を弱め、自分の力を最大限に発揮できる強力な結界。
円形の水の空間が宇宙に忽然と生まれた。
マイナス二百度以上の世界でも、けっして凍りつかない。
無重力空間でも、外に飛び散ることもない。
「液体」という状態で存在し、成分すら人体に自然になじむ濃度を保つ。
といえば、海水の成分だ。
たった一人の「気」が、海水という物質を瞬時に生んだ。
アクエリアス≠フ力は、理論や根拠を超えたところで、不可能を可能にする。
それゆえ、人々は恐れを抱き、野望の温床を作りだす。
シールドの直径は数キロ。
これでも、戦いのパワーは完全に押さえきれない。
ラムセス・クイーンは敗北を認めない。
勝ち誇った声で言った。
「お前らしい戦いの場だ。しかし、私を倒すことはできない。私が死ねば、レイラの魂は滅びる。鉄郎ももどらない。さあ、どう戦う…?」
トリトンの眉がわずかにはねた。
「そんな脅しがきくと思うか?」
言い放ち、容赦なく剣を突きつけた。
輝きの強さにラムセス・クイーンは呻きながら、わずかにひるむ。
「相手になってほしかったんだろ。望みどおりに相手になってやる!」
トリトンは感情を剥き出しに突進した。
ラムセスは舌打ちした。
逆に不可読みしすぎた。
「倒すことのみを考えていたとは…!」
ラムセスはサッと身を翻した。
「甘い!」
トリトンは叫んだ。
数百メートルを飛びこえるような瞬時の敏捷さ。
一瞬でトリトンはラムセス・クイーンの懐に飛び込んだ。
同時に剣を振りあげた。
胴体を真横に叩き斬ろうとする。
ラムセス・クイーンは直前で受け止めた。
右手にオーラを集中させて思念の剣を作り出す。
薙ごうとするトリトンの剣と交錯した。
とたんに。
エネルギーがぶつかった。
閃光と火花が飛び散った。
エネルギーがシールドを震わせた。
宇宙空間に広がった莫大な力は、周囲の小惑星を粉砕した。
「トリトン…!」
ジオネリアは表情を強張らせた。
自身のシールドで身を包んでいる。
彼女の腕に抱かれたままのアキは、生体エネルギーを貰い受けながら傷を癒した。
首を傾けながら、アキも戦況を見守った。
その瞳からまた涙があふれた。
「自分が情けない…。誰も助けてあげられない…。そのために、トリトンが戦うことに…。」
「あなたは自分を信じて戦ったのです。責めてはいけません…。」
「でも…。三使徒、私は失格です…。」
アキは顔を伏せた。
ジオネリアは静かにいった。
「あなたは鉄郎を想うからこそ、ラムセスを追ったのです。違いますか?」
アキはゆっくりと見返す。
頷きながら、ジオネリアは言葉を続けた。
「今はトリトンが時間を稼いでくれています。あなたは完治することだけを考えなさい。」
アキは小さく頷いた。
ジオネリアは再び戦いの場に視線を送った。
表情が暗く翳った。
ートリトン。すっかり感情に流されている…。どうか、気がついて…ー
ジオネリアは思念を送った。
トリトンは自分を見失っている。
このままでは自滅する。
奇跡を祈るだけだ。
しかし、その不安が現実になった。