17.神々の戦い 1

 二人は、アキが磔にされた大岩の前に出現した。
 映像よりも凄惨な光景だ。
 トリトンは我を忘れた。
 夢中になって駆け出そうとすると、ジオネリアが引き止めた。
「お待ちなさい!」
「離してくれ! アキをあのままにしておけるか。」
「落ちつきなさい。私達は誘い出されたのです。」
「わかってる、けど…。」
 反論するトリトンを、ジオネリアが冷たい視線で射すくめた。
「ラムセスの気配をまったく感じません…。嫌な予感がします。」
「だからって何もしない気か?」
「いいえ。御覧なさい、あの光を…。」
 そういって、小惑星の向こうに広がる空間に視線を向けた。
 いわれて、トリトンも同じ方向を見た。
 空間の果てに、無数の閃光が走り消滅する。
「始まったんだ。連合艦隊と反乱軍との交戦が…。」
「あれはまだ、ほんの前兆のはず。行かせてくれた皆さんも、いずれあの中に加わるでしょう。」
 トリトンが視線を戻すと、ジオネリアは小さく頷いた。
「エネシスや神官達も、オリハルコンを支えている。私達は、こんなところで死ぬわけにいかない。この戦い、感情に流されたら終わりです。」
 ジオネリアはすっと瞳を細めた。
 表情を引き締めると、磔にされたアキを見上げた。
「先に気配を感じる必要があります。」
「わかった。」
 トリトンは気を落ち着けた。
「ゆっくりと近づきましょう。」
 二人は慎重に歩きはじめた。
 砂と岩だらけの荒涼とした大地。
 上空には、漆黒の空間がどこまでも広がっている。
 気温はおよそマイナス二百度。
 わずかに浮くような足取りで進んでいく。
 二人の体は地表から離れていかない。
 体を覆うシールドが物理的条件を覆すからだ。
 宇宙気流が二人の髪をなびかせ、トリトンのマントをふわりと浮かせた。
 アキの大岩までは約百四十メートルほど。
 何も起こらず、あっさりと大岩の下にたどりついた。
 さらに精神を集中した。
 大岩の下に転がっている身長ほどの岩石の上に、トリトンはジャンプした。
 そっと大岩の表面に触れた。
 触れた手の中に、小さなエネルギーが生まれた。
 その時。
 二人は同時にハッとした。
 殺気を感じ、息を飲む。
 いきなり大岩が爆発した。
 相当なエネルギーと圧力が周囲を木端微塵に粉砕する。
 表面が変形した。
 大型のクレーターが出現した。
 さらに、中心がひび割れる。
 小惑星の半分が崩壊した。
 熱とガス煙が立ち上り、澄んだ星空を黒々と濁らせた。
 爆発から一キロも離れていない場所。
 そこに忽然と闇の女が姿を現した。
 邪悪な存在。
 ラムセス・クイーン。
 沈黙したまま爆発の様を見つめる。
 時間が経つにつれて、衝撃が薄れた。
 熱も冷え、嵐も沈静した。
 ラムセス・クイーンは変化に気がついた。
 衝撃の中に存在する異質のエネルギー。
 その力は強まり輝きを増す。
 エネルギーの正体は、ブルーの澄みきったオーラ。
 中に複数の人間がいる。
 ラムセスはフッと頬を歪めた。
 オーラの中にいるのは、トリトン、ジオネリア、そして、救出されたアキだ。
 アキのウラヌスパワー≠ヘ消えた。
 通常のコスチュームー紅いセパレーツの衣装ーだ。
 血まみれで、貧血のために肌は青白く、服もボロボロだ。
 トリトンは憎悪のこもった視線でラムセスを見据えた。
 抱きかかえたアキに、優しく生体エネルギーを与えている。
 ラムセス・クイーンが冷ややかにいった。
「腕をあげたな、トリトン・アトラス…。」
 トリトンは押し黙ったまま、何も答えない。
 後方にいるジオネリアも鋭く見つめる。
「なめるなあっ!」
 ラムセス・クイーンは黒々としたオーラを全身からほとばしらせた。
 幾本ものオーラが枝分かれを繰り返し、矢のような力に変化した。
 それが、三使徒を包むオーラに激突する。
 衝撃が轟いた。
 火花が散り閃光を放った。
 ブルーのオーラは無傷だ。
 トリトンの力が、ラムセスの力をすべて弾き返した。
 ラムセスは愕然とした。
 使徒達は、何もしかけてこない。
 ラムセスは唸った。
 使徒の方から動きがなければ、手の出し様がない。
 沈黙が続いた。
 とても奇妙な間だ。
 その間が終わった。
 変化は、トリトンの腕の中で起きた。
 アキの意識が戻りかけている。
 体が小刻みに震えて、かすかな溜息が聞こえた。
 トリトンは悲しそうにアキを見返した。
 やがて、アキはうっすらと瞳を見開いた。
「トリトン…?」
 溜息のような声が漏れると、トリトンはふっと表情を和らげた。
「わかるね? ジオネリアもいてくれる…。」
「私…は…。」
 苦しそうに声をあげたのを、かぶりを振ってやめさせた。
「君は十分にやった。もういい。後は俺達にまかせて…。」
 アキは身をよじった。
 トリトンは慌ててアキを抱きなおした。
「今は元気になることだけを考えて。ゆっくり休むんだ。いいね…?」
 アキは表情を固く強張らせた。
「ジオネリア、頼むよ。」
 トリトンはくるりと振り返ると、アキを差し出した。
 ジオネリアは頷くと、アキを貰い受けて抱き返した。
「トリトン…。」
 アキがトリトンの方へ腕をのばす。
 トリトンはその手をそっと握りしめた。
 あいている側の手で、服の腰布にさしていた銃を取り出した。
 それは鉄郎の銃だ。
 アキの手に銃を握らせた。
「君の大切なお守り≠セ…。早く元気になって。」
 アキは呻いた。
 銃を握り締めると涙を流した。
 その雫が丸い粒となって空間に漂いだす。
「さっさと、くだらぬ取り込みを終わらせろ。」
 ラムセスの怒り声が響いた。
 ジオネリアの表情が鋭く変化した。
 トリトンはすっと、ラムセスに向き直った。
「いったはずだ。俺のアルテイアに手を出せば、ただじゃすまないって…!」
 いきなりだ。
 トリトンを取り巻いていたオ―ラが一気に爆発した。
 素早い速度で膨れ上がり、あっという間に埋め尽くしていく。
 ラムセス・クイーンは驚愕した。
 使徒達から身を引く。
 それにもまして。
 エネルギー体がラムセスの速度を上回った。
 あっという間に吸収された。
 比較にならない強固な力。
 取り込まれると、二度と脱出できない。
 力も完全に遮断される。
 人質をとるような戦法もきかない。
 相手の力を弱め、自分の力を最大限に発揮できる強力な結界。
 円形の水の空間が宇宙に忽然と生まれた。
 マイナス二百度以上の世界でも、けっして凍りつかない。
 無重力空間でも、外に飛び散ることもない。
 「液体」という状態で存在し、成分すら人体に自然になじむ濃度を保つ。
 といえば、海水の成分だ。
 たった一人の「気」が、海水という物質を瞬時に生んだ。
 アクエリアス≠フ力は、理論や根拠を超えたところで、不可能を可能にする。
 それゆえ、人々は恐れを抱き、野望の温床を作りだす。
 シールドの直径は数キロ。
 これでも、戦いのパワーは完全に押さえきれない。
 ラムセス・クイーンは敗北を認めない。
 勝ち誇った声で言った。
「お前らしい戦いの場だ。しかし、私を倒すことはできない。私が死ねば、レイラの魂は滅びる。鉄郎ももどらない。さあ、どう戦う…?」
 トリトンの眉がわずかにはねた。
「そんな脅しがきくと思うか?」
 言い放ち、容赦なく剣を突きつけた。
 輝きの強さにラムセス・クイーンは呻きながら、わずかにひるむ。
「相手になってほしかったんだろ。望みどおりに相手になってやる!」
 トリトンは感情を剥き出しに突進した。
 ラムセスは舌打ちした。
 逆に不可読みしすぎた。
「倒すことのみを考えていたとは…!」
 ラムセスはサッと身を翻した。
「甘い!」
 トリトンは叫んだ。
 数百メートルを飛びこえるような瞬時の敏捷さ。
 一瞬でトリトンはラムセス・クイーンの懐に飛び込んだ。
 同時に剣を振りあげた。
 胴体を真横に叩き斬ろうとする。
 ラムセス・クイーンは直前で受け止めた。
 右手にオーラを集中させて思念の剣を作り出す。
 薙ごうとするトリトンの剣と交錯した。
 とたんに。
 エネルギーがぶつかった。
 閃光と火花が飛び散った。
 エネルギーがシールドを震わせた。
 宇宙空間に広がった莫大な力は、周囲の小惑星を粉砕した。
「トリトン…!」
 ジオネリアは表情を強張らせた。
 自身のシールドで身を包んでいる。
 彼女の腕に抱かれたままのアキは、生体エネルギーを貰い受けながら傷を癒した。
 首を傾けながら、アキも戦況を見守った。
 その瞳からまた涙があふれた。
「自分が情けない…。誰も助けてあげられない…。そのために、トリトンが戦うことに…。」
「あなたは自分を信じて戦ったのです。責めてはいけません…。」
「でも…。三使徒、私は失格です…。」
 アキは顔を伏せた。
 ジオネリアは静かにいった。
「あなたは鉄郎を想うからこそ、ラムセスを追ったのです。違いますか?」
 アキはゆっくりと見返す。
 頷きながら、ジオネリアは言葉を続けた。
「今はトリトンが時間を稼いでくれています。あなたは完治することだけを考えなさい。」
 アキは小さく頷いた。
 ジオネリアは再び戦いの場に視線を送った。
 表情が暗く翳った。
ートリトン。すっかり感情に流されている…。どうか、気がついて…ー
 ジオネリアは思念を送った。
 トリトンは自分を見失っている。
 このままでは自滅する。
 奇跡を祈るだけだ。
 しかし、その不安が現実になった。