15.決意への序章 2

 ジョーが受けた処遇。
 それは、特別少年院への送致だった。
 家庭裁判所では、少年刑務所の入所も検討された。
 しかし、ジョーのそれまでの家庭環境の不遇さが考慮されて、処遇が幾分緩和された。
 特別少年院では、16歳から23歳未満のものが収容される。
 だが、非行の進み具合を見て、矯正の長期化を要すると判断された場合、年代に関係なく移送されることがある。
 どこにいても、どんな処遇になろうと、自分の居場所なんかどこにもない。
 法律だかなんだかよくわからないが、結局、誤魔化されて、都合がいい場所に放り込まれてしまう。
 そんな居心地が悪い場所で、誰がいいなりになるものか…。
 ジョーはそう悟っていた。
 ジョーは、ここでも教官に反抗しまくった。
 教官が怒り出すと、物をぶつけて暴れだす。
 すると、反省室に監禁されて、数日は、さらに自由を奪われる。
 通常なら、それでたいていの院生は反省するものの、ジョーは逆に心を閉ざし、環境に溶け込むことを、よけいに拒んだ。
 教官達の暴力による“いいなづけ”は、ここでも変わらない。
 他の院生も、ジョーのせいにしてしまえば、都合がいいことを学習した。
 院生達のいわれのない虐めと暴力。
 そして反抗。
 すさんだジョーの生活は、以前の養護施設にいた頃のように繰り返された。
 とはいえ、今度は外に逃げだせない。
 すっかり萎縮したジョーの心は、自然に塀の外の空気を望みはじめた。
 施設に入れられて1ヶ月が過ぎた。
 ジョーはいつも、教官に引きずられるようにして、カリキュラムに参加させられる。
 その時は、暴れださないように、手に拘束具をはめられた状態で出席する。
 しかも、教官の監視つきだ。
 他の院生は、そんなジョーを嘲笑った。
「見ろよ、血筋の違う、“お犬様”がいらっしゃったぜ。」
 狭い空間の中での院生達のストレス発散法は、いかにしてジョーをからかうかだ。
 ジョーに非難が集中すれば、自然と教官の監視が、他の院生には行き届かなくなる。
 院生達にとっても、こんなラッキーなことはない。
 この時間のカリキュラムは“奉仕”だった。
 健全な精神を培うという理念のもと、定期的に院内清掃が実施される。
 グルになった何人かの院生達は、古釘を打ち付けた板をわざとジョーにぶつけて、怪我をさせる計画を思いついた。
 が、彼らが計画を実行しかけた時、横から年長の院生が止めさせた。
「お前ら、根が暗いことをやってるんじゃねぇよ。こんなやつ、からかって何の得がある。」
「なんだ、あんた…!」
 院生達は驚いた。
 とがめた相手は、入所して数年になる古巣の院生だ。
 ジョーは、初めてその青年の顔を見た。
 年齢は二十歳手前だろうか。
 栗色の髪の間から見える、ブラウンの瞳が精気で満ち溢れている。
 ジョーは、その瞳に強く引きつけられた。
 青年の瞳には、他の院生にはない、強い輝きが感じられた。
 青年は、教官を間に入れて、院生達をジョーから遠ざけた。
 意外な行動に、ジョーの方が戸惑いを隠せなかった。
 そんなジョーに、青年がそっと話しかけた。
「お前、相当、エネルギーをためていやがるな…。」
「助けてほしいなんて、いってない…。」
 ジョーはぼそりといった。
 物好きなやつと関わりは持ちたくないと思った。
 だが、青年は、ジョーの思惑など構わずに会話を続けた。
「お前を見てると、入所したての頃の俺を思い出す…。俺は今夜、ここを脱走する…。お前もついてきたかったら、一緒にこい…。」
「何…?」
 ジョーは呆気にとられた。
 隙をついて逃げたいと思っても、ジョーにはそれまで機会がなかった。
 それを、あっさりと口にした青年の神経を疑った。
「来るか来ないかは、お前しだいだ…。だが、俺は、ずっと、ここにいるつもりはない…。外でやり残した“仕事”がある…。そいつをやりとげるまでは、捕まるわけにいかない…。」
 青年の元に教官が近づいた。
 それ以上、時間がないと感じた青年は、こういい残してジョーから離れた。
「合図は“火”だ。そいつを見たら、外に向かって走れ。」
 ジョーは信じがたい気持ちになりながらも、青年の言葉を心の奥底に留めた。
 その日の深夜、青年がいったとおり、少年院でボヤが発生した。
 火事は予想を越えて大きく広がった。
 その火事に乗じて、ジョーは塀の壁を乗り越え、少年院を脱走した。
 普段なら監視の目がある。
 が、突然の騒ぎが効して、容易に外に出られた。
 火事は、あの青年が起こしたものに違いなかった。
 集まる野次馬の人だかりをかきわけて、ジョーはできるだけ遠くに逃げようとした。
 その逃亡の最中に、ジョーはあの青年と対面した。
「どうして、俺に逃げるようにいったんだ?」
 ジョーは疑問をぶつけた。
 すると、青年は、はぐらかすようにいった。
「あそこにいたかったのか?」
「何だと…?」
 ジョーは思わずいさまいた。
 しかし、青年は、口調を変えるとジョーにいった。
「お前は、どうして少年院に入った?」
「そんなこと、あんたに関係ないだろ。」
 ジョーは突き放すようにいった。
 すると、青年がいった。
「俺と同じだ。お前は自分が悪いことをしたと思っていない…。だったら、あそこにいる必要はない…。俺が入所したのは14の頃だ…。何度か脱走しようとしたが、ことごとく失敗した…。だから、今度は用意周到に時間を費やした…。俺ができることはここまでだ…。後はお前しだいだ…。」
「あんたが、やろうとしてることって…。」
 ジョーが聞こうとしたが、青年は何も話さなかった。
「たぷん、許されないことだ…。いいか。お前は俺のようになるな…。どんな小さなチャンスでも、利用していかしきってみろ…。けっして腐った輩になるな…。」
 青年は、ジョーに胸に下げていたペンダントを渡した。
「お前、13歳だってな…。俺の妹と同じ歳だ…。お前の方が可能性がある…。どこかで、俺の妹に出会ったら、そいつを渡してくれ…。そして、俺が悪かったと、伝えてほしい…。」
「そのために、俺を脱走させたのか?」
 ジョーは呆れた。
 青年は苦笑した。
「まさか…。ついでだ…。俺はもう、妹に会うこともないだろう…。いや、会っちゃいけないんだ…。」
「断るといったら?」
「それも、お前しだいだ。嫌なら、そいつを捨ててしまえ…。でも、俺はお前を信用している…。信用するやつだっている。自暴自棄になるな…。」
「あんた、名前は…? 妹って、どんな子だ?」
「妹は紅い髪をしている。日本人離れしてるから、会えばすぐにわかる…。俺は名乗るほどのものじゃない…。必ず生きのぴて、自由を獲得しろよ。」
 青年は、ジョーの前から姿を消した。
 その後、青年に会うことがなかった。
 後になって、その青年が一条アキの兄だったことを知った。
 ただし、この時のジョーは、青年に気をとられているわけにいかなかった。
 すでに、監視の目が、外にも向けられただろう。
 ジョーは、本能のままに逃亡を続けた。
 生き延びる術はそれしかない。
 せめて、朝まで逃げきれたらその先もあると、ジョーは確信した。
 だが、現実は厳しい。
 1時間後、ジョーは、地元の警官に保護されて職務質問を受けた。
 近くの派出所に連行されたが、ジョーはそこでも黙秘を貫いた。
 しかし、少年院で義務づけられた作業服姿だったことが災いした。
 身元がバレかけた。
 ジョーの焦りが極限に達した。
 暴れてでも、逃げ出してやる。
 ジョーが警官に対し、握り拳を突き出そうとした時。
 派出所に、一度も見たことがない初老の男がやってきた。
 男は警官にこうつげた。
「ご迷惑をおかけしました。うちの院生が逃げ出したものですから、後を追っていたのです。」
「そうでしたか…。」
 警官は男と顔見知りなのか、親しげに会話を交わす。
 ジョーは男を振り切ろうとした。
 椅子から立ち上がりかけた時、男は小声でいった。
「ここは大人しくしていた方が君のためだ。院に戻りたくないんだろ。だったら、私のいうとおりにしたまえ…。」
 ジョーは呆気にとられながらも、その場は、男のいいなりになることにした。
 少なくても、警察の目から逃げられたら、いくらでも、方法があると思った。
 男は書類の手続きをすませると、ジョーを引き取って派出所を離れた。
 さらに、男は自分の車に乗るように勧めた。
 だが、そんな状況で、ジョーが易々と車にのるわけがない。
 ジョーは、初めて男に問いかけた。
「何なんだ、あんた、いったい…。いきなりやってきて、急に保護者ずらなんかしやがって…。俺はあんたなんか知らないってのに…。車に乗せていって、また、どこかに押し込む気だろ。しょせん、あんたも院の関係者だろうが!」
「関係者というのは、当たっていなくはないが…。とっくに引退した人間だ…。とりあえず、私の家に来なさい…。深夜にうろついても、また警察に捕まるだけだ。君は脱走したんだ。お尋ね者と同じだ。すぐに検問にひっかかる。所持金もないんだろ。逃げるにも限度があるし、無茶な話だ…。」
「どういうつもりだ?」
 ジョーは身構えた。
 しかし、男は驚きもせず、ジョーに違和感なく接した。
「事情を話さなくては、信じてもらえないようだね…。」
 そういった男は、ジョーに身分を明かした。
「私は保護司だ。少年院の関係者から、君のことで相談を受けていた。どうしても、馴染めないやつがいるんで、力を貸してもらえないだろうかとね…。たまたま、その人物に会いに来た帰りに、逃げ出した君に出くわした…。とても奇遇だよ…。」
「俺を、あんたの自宅に招いて、何をさせるつもりだ?」
 ジョーは男を睨みつけた。
 この場からいくらでも、逃げることはできる。
 しかし、なぜか、男の無防備な態度に、張り詰めた気持ちが萎えいでしまうのを、ジョーは感じていた。
 男は、こともなげに会話を続けた。
「別に、どうもしないよ。君が望むなら、普通に面倒を見るだけだ…。確かに、法には従わなくてはならない。本来なら、君は施設に戻るべきだ。しかし、戻ったところで、君は更正できる見込みはないと思われる…。だから、私のような人間に相談が持ち込まれる…。」
「………」
「私の元に来るか来ないかは君しだいだ…。しかし、私の所を飛び出したところで、君のような人間に、生き場はなかなか与えてもらえない…。ただし、君にその気があるのなら、今までの手続きは、すべて白紙にもどすこともできる…。どうする? 私の元に来るかね…?」
「脅迫か…?」
「君の人生だ。君自身で決めたまえ…。それを手助けできるかは、君の選択しだいだ…。」
 ジョーは、不思議そうに男の顔を見つめた。
 脳裏に、あの青年の言葉がふっとよぎった。
「チャンスはいかせってか…?」
 ジョーはぽつりといった。
 男は顔をしかめた。
「何かいったかね?」
「別に…。俺の他に逃げた人がいる…。その人はどうなるんだ…?」
「私が相談を受けたのは君だけだ…。相談を受けたものだけが、私の対象者になる…。一緒に逃げた人間は、他の保護司が、何とかするだろう…。」
「案外、無責任だな…。」
 ジョーは小声で吐き捨てた。
 しょせん、お役所の流れの中で機能するシステムだ。
 ジョーを引き取ると名乗り出た保護司の言葉も、どこまでが本当か疑わしい。
 が、保護司を名乗る男は、ジョーの疑惑を打ち消そうと、言葉を強めた。
「にわかに信じたくないのもわかる…。しかし、君のことを気にかける人間がいるということも、覚えておきたまえ…。とにかく、ここで立ち話をしていても、どうしようもない…。他に落ち着くところが見つかるまで、私のところに来なさい。」
 ジョーは仕方なく、男の車に乗り込んだ。
 男は、今までジョーが出会った大人と、明らかにタイプが違った。
 その男の気質が、ジョーに気を許す隙を与えた。
 男は車の中でジョーに名乗った。
「私は田辺だ。保護司の傍ら、普段は大学などで教鞭をふるいながら、講師を努めている。」
「センコーかい、あんた…。」
 物言いから、男の素性を想像していたが、その話でなんとなく納得した。
 だが、この時は、ずっと世話になリ続けるなど、考えもしなかった。
 行き場のない世界から少しでも離れられることに、ジョーは少し安堵を感じた。
 それだけだった。
 車は深夜の高速を走り抜けて、一時間ほどで目的地に着いた。
 田辺の自宅は、神奈川を離れた都内にあった。
 大学教授らしい、落ち着いたたたずまいの一軒家だった。
 田辺は、妻に先立たれた後は、ずっと、ここで一人で暮らしている。
 そして、保護士という仕事柄、何度か、ジョーのような不良少年や少女を、世話したことがあったという。
 成りゆきにまかせて、ジョーは、田辺の家に転がり込んだ。
 すぐに出て行けばいいと思っていたが、ジョーにはできなかった。
 ここを出たところで、その先に生き場所があるわけでもなく、ジョーは、また捕まることに対して、弱気になっていたことに、気づくことができなかった。