2. 集 結 5

 焦ったアキは悲鳴をあげた。
 反射的に、思わずトリトンの体を突き飛ばした。
 トリトンの体は、オーラからも弾き飛ばされた。
 すると、重力どおりに、トリトンの体は下に落下した。
 甲板と二人が浮いている高さは、優に三メートルはあった。
 トリトンなら、難なく着地できる高さだ。
 が、目測を誤ったトリトンは、着地に失敗した。
 仰向けになって尻から落ち、尾てい骨をしたたかに打ちつけた。
 トリトンは悶絶しそうになって、激しく呻いた。
「トリトン!」
 アキは慌てながら、カッと熱くなる。
「あなたって人は!」
 叫んだアキは、矢のようにロバートに向かって跳躍した。
 ロバートは硬直した。目前に降り立ったアキが、平手で殴る構えをとった。
「ちょっと、まった!」
 ロバートはアキを制した。
 だが、アキは止まらない。怒りで逆上したまま、本気で殴りかかろうと腕を振るう。
 アキは合気道三段の腕前だ。いくら腕っ節が強い男でも、アキの張り手をまともにくらえば、まず失神する。
 しかし、ロバートは体をかがめながら、飛んできた腕をあっさりとかわした。
 後転して、アキから距離を置くと、ロバートは肩をすくめた。
「おいおい、ご勘弁だよ。もっと、優しく接してもらえないかな? そっちの坊やのように。」
 アキは、ロバートを鋭く睨みつけた。
「さすがですね。気配を感じなかったわ。」
 アキは、トリトンの方に視線を向けた。表情を変えると、心配そうに様子を窺った。
「トリトン、大丈夫?」
「大丈夫なわけねぇだろ。まともに尻の骨を打っちまった…;; いてて…!」
 トリトンは、顔をしかめながらも立ち上がる。その様子を見ていて、アキは少し安心した。 
 トリトンもロバートを見返すと、冷たく言い返した。
「いつからそこにいたんだ? 目的はいったい何だ?」
「悪かったよ。びっくりさせるつもりじゃなかったんだ。わかってくれないか?  他の連中には黙っててやるから。」
 ロバートは弁解した。トリトンは目を細める。
「あんた、どうして俺達に協力しようとするんだ? 鉄郎と、いったいどういう関係だ?」
「坊や。そうカンカンになるな。」
 ロバートは軽く笑うと、言葉を続けた。
「その昔、俺は鉄郎の親父さんに、世話になったことがあってな。鉄郎がガキの頃、戦闘技術を教えてやったりもした。その鉄郎が、手を貸してほしいと俺に頼みこんできた。それで嫌だとはいえなくてな。」
「鉄郎が信じた人だもの。悪い人じゃなさそうね。腕に関しては信用できそう。」
 アキは皮肉をこめた。一方、トリトンはロバートを睨みつけたままだ。
「やれやれ、坊やには、嫌われちまったようだ。」
 さほど深刻な様子もなく、思わせぶりな口調でいったロバートは、アキの方を見返した。
「あんたは噂どおりおっかない美女だ。一条アキ。不思議な力を持つ。が、察すると、そっちの坊やもそのようだな。やはり不思議な力がある。」
「だからどうだというの? あなた、何もかも知ってるんでしょ? あたしのことを…。」
 アキはロバートを見据えた。すると、ロバートは小さく笑った。
「まあね。あんたは幼少の頃、鉄郎の親に引き取られたときがあった。織野は、そのときのあんたに目をつけた。あんたには、遺伝子の形態が通常とは違っているという、診断結果が出たためだ。製薬会社という事業にかこつけて、違法なバイオ業界に手を出そうとした織野にとって、あんたは大事な研究資料だったってわけだ。が、逆に、鉄郎の両親はあんたを守ろうとした。わざと養子縁組を成立させて、自分たちの子供にしちまった。そのせいで、あんたと鉄郎には、義理の兄妹の関係が成立した。が、あんたと鉄郎が、そのことを知ったのは最近だ。なぜなら、鉄郎の親は、知り合いでもあった一条家に、あんたをすぐに引き取らせたからだ。蛇足ながら、そうやってはむかい続けた鉄郎の両親は、織野の連中の怒りを買って、事故死にみせかけて殺された。後から親の敵を知った鉄郎が、その復讐を遂げたというわけだ。で、今に至ると。違ったかな?」
「ずいぶん、事情通でいらっしゃること…。」
 アキはそういうと唇をかみ締めた。
 アキはそれを屈辱と感じた。
 トリトンに聞かれたこともあって、アキの身が激しく震えた。
 トリトンの方は、初めてきかされた事実に、すっかり言葉をなくしている。
 ロバートは、そんな二人の様子を窺いながら肩をすくめた。
「俺は悪気があっていったわけじゃない。だからといって、俺はおたくらを特別視するつもりはない。とくに、そっちの坊や。あんたは、鉄郎からかなりの信頼を受けてるみたいだな。」
「どういうことだ?」
 トリトンが慎重に尋ねると、ロバートは笑顔を漏らした。
「あいつは、ガキの頃から人を見る目が確かなやつでな。その才能のおかげで、ここまでのしあがってきたやつだ。俺は坊やのことはよく知らん。だが、鉄郎の信用度から察しても、あんたは相当なやり手だと思っている。その期待だけは、裏切らんでくれよ。でなきゃ、そっちのお姫さんを、もっと心配させることになるぜ。」
「………」
 意外な言葉を聞いて、トリトンは呆気にとられた。
「あんたもだよ、お姫さん。肝心なのは、あんたの気持ちの方だ。力のことに関係なく、あんたとはつきあっていける。あんたの仲間もそう思っているんだろ? だったら、気にするだけソンだ。あんたがそんなんじゃ、みんなの気持ちが、かえってすさんじまう。自分というものに、もっと自信を持てよ。」
「励ましてくださってるの?」
「いや。俺がそう思うだけだ。おたくらを見ていたらな。」
 アキが小首をかしげると、ロバートはあっさりと返した。
「ロバートさんといえばいいのかな。俺達は、あんたの期待を裏切ったりしないよ。約束する。」
 トリトンは、ようやく笑みを作った。
 ロバートという男は、どこか憎めない。
 おそらく、ロバートは、最初からトリトンとアキの会話を、盗み聞きしていたのだろう。
 実際は、優しい心を持った男のようだ。
 アキもかすかな笑みを浮かべた。
 打ち解けた空気を感じたロバートは、安堵しつつ、さらに会話を続けた。
「ところで、おたくらの力というのが、まだ解っていなくてな。オーラっていうのは、いったい何なんだ?」
「時と場合によるわ。いちいち、理屈でどうなるなんてものじゃないの。」
 アキは区切るような口調でいった。
「つきあっていけば、どういうものなのか解ってくるはずよ。」
「あれは接触テレパスだ。」 トリトンがいった。「体に触れて相手の心を伝えたり、あるいは読み取ったりするやつだよ。」
「なるほど。教えていただけて光栄だ。ただ、もう一点問題がある。」
「何だ?」
「おたくらは、美男美女で確かにお似合いだ。だが、国境を越えた愛ってのは聞いたことはあっても、星を越えた愛ってのは聞いたことがない。そのまま、おたくらができちまえば、悲劇のもとだ。」
「あなたに干渉される覚えはないわ。」
 アキの表情が強張る。ロバートは笑った。
「確かに。これはよけいなことだったか。どんな者にも自由に恋を歌う権利はあるとはいうが…。ま、せいぜい苦労しな、とくに坊や。」
「何だよ、まだ何かいいたいのか?」
 トリトンは口を尖らせる。
 ロバートは、おかしそうにいった。
「重要なことだ。今度は場所を考えてラブシーンに没頭しな。そうすりゃ、少なくても高いところから落ちずにすむ。」
「口が減られぇな!」
 トリトンは身を震わせた。
 ロバートは笑い声を残して、二人の前から立ち去ろうとした。
 が、そこへ、ケインとユーリィの声が響いてくる。
 それに気づいたトリトンが、ハッと首をめぐらすと、ロバートは肩をすくめた。
「おっと。坊やの親衛隊がお見えのようだ。あんたの姿が見えないって、探しまくっていたな。そういや…。」
 その時、ケインとユーリィの姿が見えた。
「何やってるの?」
「何って…。」
 トリトンが口を開こうとすると、ロバートが軽く手を振った。
「おたくらも堪能するかい? ホエールウォッチングだ。」
「えっ?」
 ユリが呆気にとられた。
 その間に、アキの仲間も次々と甲板に出てきた。
「どうしてみんなここに集まってるんだ?」
 鉄郎が首をめぐらすと、ロバートが逆に聞いた。
「お前らの方こそ、そろって、ここに来ちまってどうしたんだ?」
「ここを通らなきゃ、客室に戻れねぇだろ。」
 ジョウがそういうと、ロバートが頷いた。
「そりゃそうだ。」
「でも、これってトリちゃんとアキの仕業ね。クジラと鳥達を呼んだのは!」
 レイコがそういった。アキはかぶりを振った。
「まさか…。」
「力を使ったんじゃないの?」
 今度は裕子が口をはさむ。
 アキは呆れたように言い返した。
「こんなの力じゃないわ。」
「どちらでもいいじゃないか。そういうところが、君らしいんだ。」
 ジョーが声をかけようとすると、レイコがジョーの足を踏みつけた。
「いい根性してるわね。口説くなんて…!」
「口説いてねぇって…!」
 ジョーが呻くと、一同は笑った。
「よかった…。二人はいつもの二人ね…。」
「心配いらないさ。ジョーもレイコも元気だよ。」
 安堵するアキに近づいた鉄郎がそういった。さらに、鉄郎はアキにいった。
「ただ、君の方が心配だった。俺に気を遣ってるんじゃないかって…。」
「どういうこと?」
 アキが目を見張ると、鉄郎は、頭を抱えると、後ろで腕を組んだ。
「俺を巻き込むとかで、どうせ、トリトンと噂してたんだろ? でも、俺にそんな気遣いは無用だ。」
「あたしは何もそこまで…。」
「アキが考えてることくらいわかるよ。いったい、何年の付き合いだ?」
「鉄郎…。」
 アキは言葉をなくした。トリトンが苦笑する。
「かなわないな。鉄郎には。」
「トリトン、遠慮せずにやれることは何をやったって構わない。ただし、やりすぎるのは慎めよ。」
「何が?」
 トリトンが小首をかしげた。鉄郎は厳しい声でいった。
「お前、首都高で車を暴走させただろ…! 相当な被害になってるそうだ…!」
「えっ?」
「とぼけても無駄だ。織野が、お前達の身元引受人になったせいで、苦情が殺到してるって。さっき、そう連絡があった。」
「あ…あれは…!」
 トリトンは顔をひきつらせる。ケインとユーリィが、いやし目を向けた。
「あんた、あたしらに忠告できる立場じゃないわね。」
「破壊行為をしてるのは、どっちよ!」
「そんなにひどいことはしていないよ!」
 トリトンは弁解した。しかし、ケインとユーリィの態度は冷たい。
「レイコとアキにも責任がある。トリトンに車なんか運転させていいと思っていたのか? 二人とも、その車に同乗していたんだろ?」
 鉄郎が睨みつけると、レイコが明るく言い返した。
「だって…。トリトンは未成年だしぃ。あたし、免許証を忘れたしぃ…。」
「咄嗟にそうするしかなくて…。」
 アキが肩をすくめると、
「いいわけは通らない!」
 鉄郎は一喝した。
「そうだ。俺、休んできます〜!」
 不穏な空気を、いち早く察知したトリトンは、サッとその場から逃走した。
「待て、こらぁっ!」
 鉄郎が、追いかけると、トリトンは、スピードをあげて船の中に姿を消した。
「おーい、お前ら、体力有り余ってるだろ! 消耗するまで、いつまでもやってろ! 」
 ジョーが野次を飛ばすと、それが、一段とみんなの笑いを誘った。
「ね、どっちが勝つか賭けてみない?」
 そんなことを提案しているのは、ギャンブル好きのケインだ。
 アキは、笑いながらも気がついた。
 いつの間にか、ロバートの姿が一同の前から消えている。
 しかし、優しい空気がかすかに漂っていた。
 アキの周囲に、みんなの明るい笑顔がある。
 この仲間たちに囲まれていることを、アキは改めて感謝した。