13.ラムセスの反撃 6

 ブリッジが正常な状態になってから十数分後。
 突然、空気に衝撃がはしった。
 全員が気配がした方向に目をやった。
 ちょうど二メートルほどの高さだ。
 スパークが走って、トリトンが、悲鳴とともに、はじき出されたように現れた。
 トリトンは、そのまま床に落下した。
 仲間達は、トリトンの周囲に集まった。
 美しくなったはずの衣装がボロボロに破れ、腹部に貫通した新しい傷を負っている。
 また、床がトリトンの血で汚れた。
 トリトンは体を震わせながら、起き上がろうとする。
 倉川ジョウが、わめくように聞いた。
「ラムセスはどうした?」
 トリトンは苦しい息を整えながら、ぽつりと答えた。
「逃がした…。」
「逃がしただと?」
 ジョウは目をスッと細めた。
 トリトンはゆっくりと立ち上がった。
「結界を破られた…。あいつは、俺達の世界へ…。」
「あなたの結界が破られるとは…。」
 エネシスが目を見張った。
 ジョウが低い声で呟いた。
「俺なら、お前のようなドジはふまない。」
 トリトンは、固い表情でジョウを見つめる。
「なんか、いえよ。」
 倉川ジョウは身を乗り出した。
 その体を島村ジョーがぐっと掴んだ。
 思わぬ力の強さに、倉川ジョウの顔が歪む。
 ジョーは、倉川ジョウの体を押し戻した。
 強引に腕をはずした倉川ジョウは、キッと睨みつけた。
「あいつをかばう気か?」
 ジョーは、視線をはずしている。
 しかし、いつものジョーにはない威圧感がある。
 島村ジョーは、淡々と応じた。
「あいつをやるのは、この俺だ。お前じゃない。」
「何だと?」
 倉川ジョウは呆気にとられた。
 島村ジョーは、視線を向けた。
 ブロンドの髪の合間から見える瞳に強い意志がこもる。
 倉川ジョウは、予想外の重圧を感じて言葉をなくした。
 島村ジョーは低い声で言い返した。
「あいつに思い知らせる。やるべきことは必ずやれと。」
 そして、ジョーは、トリトンに鋭い視線を向けた。
「俺が外に送り届けてやる。それが、この俺の力でやれることだ。その後は、意地でも、お前にラムセスを追ってもらうぞ。」
 トリトンは身を固くした。
 ジョーの感情が自然に流れ込んできた。
 共に分かち合い、親友として互いの人生を支えて補い合ってきた鉄郎を、助けてやれなかったはがゆさと悔しさ。
 その静かな怒りが、トリトンの心を鋭く貫く。
 ジョーは、それ以上の言葉を告げずに、仲間達から離れた。
 その際、ケインに言葉をかけた。
「確か、ワームホールができるまで20分くらいだったな。船の操縦をやってみよう。」
「操縦法、覚えてるの?」
 ケインは不安げにいった。
 ジョーは小さくかぶりをふった。
「いや、強制的に植え付けられた記憶は何も残らない。しかし、わずかに残る勘にかける。」
「そこが問題だけど、今はそんなの、いってられないわね。」
 ケインは溜息をついた。
 4年前、ジリアスに旅立った彼らは、催眠学習で、ジリアス文明のあらゆる知識を学習している。
 もちろん、船の操縦法も、彼らはその時に習得した。
 その記憶は長く残らない。
 今は、再学習するほどの悠長な時間はない。
 この中で、純粋なオウルト人は、ケインと負傷したトリトンだけだ。
 だが、この船を動かすのには、地球人メンバーの協力が、どうしても必要だ。
「ジョー、操縦法をフォローするわ。みんなにも協力してもらうから。ムギとベルモンドを収容して。裕子の仕事よ。エアバイクで迎えにいって。オート機能を使えば、あなたでも扱えるわ。倉川ジョウとお姫さん、それからレイコの三人でデーターチェック。トリトンの指示に従って!」
 気持ちを引き締めた一同は、それぞれに動き始めた。
 ロバートが呆れたようにケインにいった。
「大丈夫なのか?」
「彼らを信じるしかないわ。あなたは何もしなくていいわよ。シートに体をしっかりと固定して。」
 ケインは、ロバートに説明した。
 ロバートは肩をすくめた。
「ワープなんて、絵空事の話だ。」
「理論上、ありえないといわれてるんでしょ? だけど、私達の文明では、それがちゃんと実用化されたの。まあ、みてて。」
 ケインは得意げにいった。
 トリトンはよろけながら、コントロールデスクに向かう。
「トリトン。その体で動き回るのは無茶です。」
 エネシスがトリトンの体を支えようとしたが、トリトンはその手を払いのけた。
「構わない。」
「かばう必要はない。そいつはいくらでも、自力で体の傷を治すことができる。」
 倉川ジョウは冷ややかだ。
 その横で、トリトンは苦痛に耐えながら、コンピューターを操作している。
 トリトンは、独り言のように呟いた。
「責められても仕方がないのは自覚している…。俺は、鉄郎の信頼をふみにじった…。その罪を償うまではくたばれない…!」
「いい心がけだ。」
 ジョウは計器のスイッチを確認しながら口をはさんだ。
「しかし、遅すぎた。お前はすべてのチャンスを不意にした。お前の体がガタガタになろうと、こっちの知ったことじゃない。この落とし前を、きっちりとつけてもらうだけだ。」
 トリトンは顔を伏せた。
「あなたの怒りはよくわかる…。でも、俺達は完璧じゃない…。判断力だって鈍ることもある…。鉄郎と同じで、俺はレイラも助けたかった…。彼女もそれを望んでいた…。だけど、今度は必ず鉄郎を助ける…。そのためなら、この命を引き換えても構わない…。」
「偽善だ…。」
 ジョウはぽつりといって押し黙った。
 鉄郎の装置の状態を、チェックしていたアキの表情が変わった。
 頭をうな垂れると、アキは悲痛な声でいった。
「間違っていたのね。私達が…。」
 倉川ジョウが驚いて首をめぐらした。
 アキは立ち上がると、一同に訴えた。
「こうなることを、私はずっと恐れていた…。いつか鉄郎を傷つかせてしまう…。トリトンが悪いんじゃない…。悪いのはこの私…。もっと早く、鉄郎と別れていたら、彼を、こんな目にあわせずにすんだかもしれない…!」
「いまさら、なにいってんの!」
 レイコが口をはさんだ。
 アキは激しくかぶりをふった。
「そう思っていて、私にはできなかった…。鉄郎と、ずっと一緒にいたいと思った…。それは、人として、この世界に生きているから…。私もトリトンも、最初から人の中に生まれて育ったから、別の生物だと思えない…。もし、それが許されないのなら、私達は、人との関わりを絶たなくてはいけない…。」
「姫さん、俺はそんなつもりでいったんじゃ…。」
 ジョウは弁解しようとした。
 ジョウは怒りを抑えられなかった。
 それだけだ。
 アキは涙を流しながら、言葉を続けた。
「私達は鉄郎を救い出します、命にかえても…。鉄郎はまだ生きている…。だけど、これだけはわかってほしい…。私達には人としての弱みがある…。それだけは捨てられないということを…!」
 ブリッジの前列のシートに座った島村ジョーは、操縦法の感覚を思い出そうと操舵マニュアルを復習している。
 一同からは背を向けているものの、ジョーは、かすかにブラウンの瞳を悲しげに揺らせた。
 ロバートは、彼らの様子を眺めていて、おもむろに口を開いた。
「過ぎたことを、ぐちぐちといいあっても、はじまらない。これからのことを考えろ。冷静になれ。怒りをぶつけるのは、ラムセスだ。」
 一同は、表情を変えた。
 アキの側にジオネリアが静かに近寄った。
 その肩を抱くと、優しい瞳で見つめながら頷いた。
「鉄郎は、あなたに出会えて幸せなはずです。涙は、再会できた時に、とっておきなさい。」
「はい…。」
 頷くアキに、ジオネリアはいった。
「私も一緒に行きます。必ず、とりもどしましょう。この方を…。」
「ありがとうございます。でも、大丈夫ですか?」
「ええ。」
「アキ、こっちを手伝って!」
 レイコに呼ばれると、アキは気持ちを切り替えて、急いで移動した。
 ジオネリアはトリトンの方に向かった。
 緊張する倉川ジョウに、ジオネリアは軽く会釈する。
 それから、トリトンに声をかけた。
「トリトン。傷の方は…。」
「大丈夫だ。」
 とはいうものの、額に脂汗がにじんでいる。
 ジオネリアは、それを見ぬ振りをして、トリトンにいった。
「私達の使命です。オリハルコンとアクエリアス一族は、どのような手段を使ってでも守り通します。それらを奪おうとするものは、どこまでも追いかけます。」
「すまない、ジオネリア。あなたまで借り出すことになって…。」
 トリトンが心配そうにいうと、ジオネリアは美しい笑顔を浮かべて答えた。
 トリトンは、わずかに赤くなりながら、思わず視線をそらした。
 二人の側にエネシスがやってくる。
 エネシスは、二人に話しかけた。
「アトラリアのことは、我らにお任せを。我々、神官の力でもたせてみましょう。」
「できるのか?」
 トリトンが聞くと、エネシスがいった。
「エネレクトを信じなさい。彼女が、オリハルコンとアトラリアを支えている。彼女は強い方だ。そして、トリトン・アトラスが創造した世界は、けっして滅びぬ。トリトン。今は、あなたの世界のことだけを考えなさい。」
「すまない。何も力になれなかった。でも、きっと、また戻ってくる。」
 エネシスは笑った。
「信じておきましょう。トリトン・ウイリアム。いや、現トリトン・アトラス。あなたはよくおやりになった…!」
 エネシスと出会って、初めて褒められたことで、トリトンは驚いた。
「あなたはラムセスに必ず勝てる。大きな力を信じるのです。よろしいか?」
「はい。」
 トリトンが頷くと、エネシスは満足げに頷いた。
「よい返事だ。」
「エネシス、母、エネレクトを…。」
 ジオネリアがそういうと、エネシスは固く頷いた。
「エネシス、あなたに会えてよかった。ちょっと、オニに思っていたけどね…。」
 トリトンが口をはさむと、エネシスは笑って二人から離れた。
 アキがエネシスに振り返ると、声をかけた。
「いってしまうの、エネシス!」
「はい。アルテイア様。トリトンを、どうかお守りください。」
 エネシスはオーラを発しながら、一同にいった。
「皆さん、どうかお気をつけて!」
「ちょっと、亀のじいさん!」
 ケインが叫んだ時には、エネシスの姿は、もうブリッジから消えていた。
「勝手ね〜!」
 呆れるケインの言葉を聞いて、トリトンは、ぽつりと独り言をいった。
「勝手だ、本当に…。」
 その時、エネシスの思考がトリトンに届いた。
ートリトン・アトラス。エネレクトに声を…。彼女があなたと会話したがっている…。ー
 トリトンは目を見張った。
 初めて聞くが、どこか懐かしい女性の声を、トリトンは続けて聞いた。
ートリトン・アトラス。ジオネリアとともに、オリハルコンを守ってください。アトラスの血を絶やさないで。あなたがすべてです。お願いします…。ー
「どうしました?」
 ジオネリアにいわれて、トリトンは我にもどった。
「エネレクトの思考が聞こえた。守ってほしいって…。」
「最後の機会です。母に、呼びかけてあげてください。」
 トリトンは、戸惑いながら思考で返事を返した。
ーエネレクトですか…? 俺のもう一人のお母さん…? お願いだ。みんなを、アトラリアのみんなを守ってください。俺の…。トリトン・アトラスの願いを聞いてください…。母王…!ー
 しかし、エネレクトの返事はもどってこなかった。
 一方で、レイコが一同に伝えた。
「ハッチの色がついたわ。裕子が、ベルモンドとムギを連れてもどったみたい。」
「ちょうどいいタイミングだ。」
 島村ジョーが報告すると、ケインは首をめぐらしながら、鋭い声を発した。
「了解! 今からワープカウントを始めるわ。みんな、覚悟して!」


ー第三部終了ー