ブリッジが正常な状態になってから十数分後。
       突然、空気に衝撃がはしった。
       全員が気配がした方向に目をやった。
       ちょうど二メートルほどの高さだ。
       スパークが走って、トリトンが、悲鳴とともに、はじき出されたように現れた。
       トリトンは、そのまま床に落下した。
       仲間達は、トリトンの周囲に集まった。
       美しくなったはずの衣装がボロボロに破れ、腹部に貫通した新しい傷を負っている。
       また、床がトリトンの血で汚れた。
       トリトンは体を震わせながら、起き上がろうとする。
       倉川ジョウが、わめくように聞いた。
「ラムセスはどうした?」
       トリトンは苦しい息を整えながら、ぽつりと答えた。
「逃がした…。」
「逃がしただと?」
       ジョウは目をスッと細めた。
       トリトンはゆっくりと立ち上がった。
「結界を破られた…。あいつは、俺達の世界へ…。」
「あなたの結界が破られるとは…。」
       エネシスが目を見張った。
       ジョウが低い声で呟いた。
「俺なら、お前のようなドジはふまない。」
       トリトンは、固い表情でジョウを見つめる。
「なんか、いえよ。」
       倉川ジョウは身を乗り出した。
       その体を島村ジョーがぐっと掴んだ。
       思わぬ力の強さに、倉川ジョウの顔が歪む。
       ジョーは、倉川ジョウの体を押し戻した。
       強引に腕をはずした倉川ジョウは、キッと睨みつけた。
「あいつをかばう気か?」
       ジョーは、視線をはずしている。
       しかし、いつものジョーにはない威圧感がある。
       島村ジョーは、淡々と応じた。
「あいつをやるのは、この俺だ。お前じゃない。」
「何だと?」
       倉川ジョウは呆気にとられた。
       島村ジョーは、視線を向けた。
       ブロンドの髪の合間から見える瞳に強い意志がこもる。
       倉川ジョウは、予想外の重圧を感じて言葉をなくした。
       島村ジョーは低い声で言い返した。
「あいつに思い知らせる。やるべきことは必ずやれと。」
       そして、ジョーは、トリトンに鋭い視線を向けた。
      「俺が外に送り届けてやる。それが、この俺の力でやれることだ。その後は、意地でも、お前にラムセスを追ってもらうぞ。」
       トリトンは身を固くした。
       ジョーの感情が自然に流れ込んできた。
       共に分かち合い、親友として互いの人生を支えて補い合ってきた鉄郎を、助けてやれなかったはがゆさと悔しさ。
       その静かな怒りが、トリトンの心を鋭く貫く。
       ジョーは、それ以上の言葉を告げずに、仲間達から離れた。
       その際、ケインに言葉をかけた。
「確か、ワームホールができるまで20分くらいだったな。船の操縦をやってみよう。」
「操縦法、覚えてるの?」
       ケインは不安げにいった。
       ジョーは小さくかぶりをふった。
「いや、強制的に植え付けられた記憶は何も残らない。しかし、わずかに残る勘にかける。」
      「そこが問題だけど、今はそんなの、いってられないわね。」
       ケインは溜息をついた。
       4年前、ジリアスに旅立った彼らは、催眠学習で、ジリアス文明のあらゆる知識を学習している。
       もちろん、船の操縦法も、彼らはその時に習得した。
       その記憶は長く残らない。
       今は、再学習するほどの悠長な時間はない。
       この中で、純粋なオウルト人は、ケインと負傷したトリトンだけだ。
       だが、この船を動かすのには、地球人メンバーの協力が、どうしても必要だ。
      「ジョー、操縦法をフォローするわ。みんなにも協力してもらうから。ムギとベルモンドを収容して。裕子の仕事よ。エアバイクで迎えにいって。オート機能を使えば、あなたでも扱えるわ。倉川ジョウとお姫さん、それからレイコの三人でデーターチェック。トリトンの指示に従って!」
       気持ちを引き締めた一同は、それぞれに動き始めた。
       ロバートが呆れたようにケインにいった。
「大丈夫なのか?」
「彼らを信じるしかないわ。あなたは何もしなくていいわよ。シートに体をしっかりと固定して。」
       ケインは、ロバートに説明した。
       ロバートは肩をすくめた。
「ワープなんて、絵空事の話だ。」
「理論上、ありえないといわれてるんでしょ? だけど、私達の文明では、それがちゃんと実用化されたの。まあ、みてて。」
       ケインは得意げにいった。
       トリトンはよろけながら、コントロールデスクに向かう。
「トリトン。その体で動き回るのは無茶です。」
       エネシスがトリトンの体を支えようとしたが、トリトンはその手を払いのけた。
「構わない。」
「かばう必要はない。そいつはいくらでも、自力で体の傷を治すことができる。」
       倉川ジョウは冷ややかだ。
       その横で、トリトンは苦痛に耐えながら、コンピューターを操作している。
       トリトンは、独り言のように呟いた。
      「責められても仕方がないのは自覚している…。俺は、鉄郎の信頼をふみにじった…。その罪を償うまではくたばれない…!」
      「いい心がけだ。」
       ジョウは計器のスイッチを確認しながら口をはさんだ。
      「しかし、遅すぎた。お前はすべてのチャンスを不意にした。お前の体がガタガタになろうと、こっちの知ったことじゃない。この落とし前を、きっちりとつけてもらうだけだ。」
       トリトンは顔を伏せた。
      「あなたの怒りはよくわかる…。でも、俺達は完璧じゃない…。判断力だって鈍ることもある…。鉄郎と同じで、俺はレイラも助けたかった…。彼女もそれを望んでいた…。だけど、今度は必ず鉄郎を助ける…。そのためなら、この命を引き換えても構わない…。」
「偽善だ…。」
       ジョウはぽつりといって押し黙った。
       鉄郎の装置の状態を、チェックしていたアキの表情が変わった。
       頭をうな垂れると、アキは悲痛な声でいった。
「間違っていたのね。私達が…。」
       倉川ジョウが驚いて首をめぐらした。
       アキは立ち上がると、一同に訴えた。
      「こうなることを、私はずっと恐れていた…。いつか鉄郎を傷つかせてしまう…。トリトンが悪いんじゃない…。悪いのはこの私…。もっと早く、鉄郎と別れていたら、彼を、こんな目にあわせずにすんだかもしれない…!」
「いまさら、なにいってんの!」
       レイコが口をはさんだ。
       アキは激しくかぶりをふった。
      「そう思っていて、私にはできなかった…。鉄郎と、ずっと一緒にいたいと思った…。それは、人として、この世界に生きているから…。私もトリトンも、最初から人の中に生まれて育ったから、別の生物だと思えない…。もし、それが許されないのなら、私達は、人との関わりを絶たなくてはいけない…。」
「姫さん、俺はそんなつもりでいったんじゃ…。」
       ジョウは弁解しようとした。
       ジョウは怒りを抑えられなかった。
       それだけだ。
       アキは涙を流しながら、言葉を続けた。
      「私達は鉄郎を救い出します、命にかえても…。鉄郎はまだ生きている…。だけど、これだけはわかってほしい…。私達には人としての弱みがある…。それだけは捨てられないということを…!」
       ブリッジの前列のシートに座った島村ジョーは、操縦法の感覚を思い出そうと操舵マニュアルを復習している。
       一同からは背を向けているものの、ジョーは、かすかにブラウンの瞳を悲しげに揺らせた。
       ロバートは、彼らの様子を眺めていて、おもむろに口を開いた。
      「過ぎたことを、ぐちぐちといいあっても、はじまらない。これからのことを考えろ。冷静になれ。怒りをぶつけるのは、ラムセスだ。」
       一同は、表情を変えた。
       アキの側にジオネリアが静かに近寄った。
       その肩を抱くと、優しい瞳で見つめながら頷いた。
      「鉄郎は、あなたに出会えて幸せなはずです。涙は、再会できた時に、とっておきなさい。」
「はい…。」
       頷くアキに、ジオネリアはいった。
      「私も一緒に行きます。必ず、とりもどしましょう。この方を…。」
      「ありがとうございます。でも、大丈夫ですか?」
「ええ。」
「アキ、こっちを手伝って!」
       レイコに呼ばれると、アキは気持ちを切り替えて、急いで移動した。
       ジオネリアはトリトンの方に向かった。
       緊張する倉川ジョウに、ジオネリアは軽く会釈する。
       それから、トリトンに声をかけた。
「トリトン。傷の方は…。」
「大丈夫だ。」
       とはいうものの、額に脂汗がにじんでいる。
       ジオネリアは、それを見ぬ振りをして、トリトンにいった。
「私達の使命です。オリハルコンとアクエリアス一族は、どのような手段を使ってでも守り通します。それらを奪おうとするものは、どこまでも追いかけます。」
「すまない、ジオネリア。あなたまで借り出すことになって…。」
       トリトンが心配そうにいうと、ジオネリアは美しい笑顔を浮かべて答えた。
       トリトンは、わずかに赤くなりながら、思わず視線をそらした。
       二人の側にエネシスがやってくる。
       エネシスは、二人に話しかけた。
      「アトラリアのことは、我らにお任せを。我々、神官の力でもたせてみましょう。」
「できるのか?」
       トリトンが聞くと、エネシスがいった。
      「エネレクトを信じなさい。彼女が、オリハルコンとアトラリアを支えている。彼女は強い方だ。そして、トリトン・アトラスが創造した世界は、けっして滅びぬ。トリトン。今は、あなたの世界のことだけを考えなさい。」
「すまない。何も力になれなかった。でも、きっと、また戻ってくる。」
       エネシスは笑った。
「信じておきましょう。トリトン・ウイリアム。いや、現トリトン・アトラス。あなたはよくおやりになった…!」
       エネシスと出会って、初めて褒められたことで、トリトンは驚いた。
「あなたはラムセスに必ず勝てる。大きな力を信じるのです。よろしいか?」
「はい。」
       トリトンが頷くと、エネシスは満足げに頷いた。
      「よい返事だ。」
「エネシス、母、エネレクトを…。」
       ジオネリアがそういうと、エネシスは固く頷いた。
「エネシス、あなたに会えてよかった。ちょっと、オニに思っていたけどね…。」
       トリトンが口をはさむと、エネシスは笑って二人から離れた。
       アキがエネシスに振り返ると、声をかけた。
「いってしまうの、エネシス!」
      「はい。アルテイア様。トリトンを、どうかお守りください。」
       エネシスはオーラを発しながら、一同にいった。
「皆さん、どうかお気をつけて!」
「ちょっと、亀のじいさん!」
       ケインが叫んだ時には、エネシスの姿は、もうブリッジから消えていた。
「勝手ね〜!」
       呆れるケインの言葉を聞いて、トリトンは、ぽつりと独り言をいった。
「勝手だ、本当に…。」
       その時、エネシスの思考がトリトンに届いた。
ートリトン・アトラス。エネレクトに声を…。彼女があなたと会話したがっている…。ー
       トリトンは目を見張った。
       初めて聞くが、どこか懐かしい女性の声を、トリトンは続けて聞いた。
ートリトン・アトラス。ジオネリアとともに、オリハルコンを守ってください。アトラスの血を絶やさないで。あなたがすべてです。お願いします…。ー
「どうしました?」
       ジオネリアにいわれて、トリトンは我にもどった。
「エネレクトの思考が聞こえた。守ってほしいって…。」
「最後の機会です。母に、呼びかけてあげてください。」
       トリトンは、戸惑いながら思考で返事を返した。
ーエネレクトですか…? 俺のもう一人のお母さん…? お願いだ。みんなを、アトラリアのみんなを守ってください。俺の…。トリトン・アトラスの願いを聞いてください…。母王…!ー
       しかし、エネレクトの返事はもどってこなかった。
       一方で、レイコが一同に伝えた。
      「ハッチの色がついたわ。裕子が、ベルモンドとムギを連れてもどったみたい。」
「ちょうどいいタイミングだ。」
       島村ジョーが報告すると、ケインは首をめぐらしながら、鋭い声を発した。
「了解! 今からワープカウントを始めるわ。みんな、覚悟して!」
      
      
ー第三部終了ー