「アルテイア、気が狂うほどに悲しめ。それが惨めなお前の姿だ。」
       ラムセス・クィーンはアキを嘲笑い、辱め、絶望のどん底に陥れる。
       その光景を静かに見つめながら。
       ジオネリアは徐々に憎悪を募らせた。
       おぞましい父親の精神は、アトラリアの娘レイラにとりつき、トリトンがかばったために、鉄郎の精神を吸収して、最悪の支配者として、ふたたび復活した。
       姿は若い女でも、中身は、欲望に溺れた醜い中年男の魂だ。
       アクエリアス一族の宿敵。
       いや、生あるものすべての天敵。
       それが、真のラムセスだ。
       ジオネリアは隙をついて、攻撃を仕掛けるつもりだった。
       力の差は、一人の使徒では遠く及ばない。
       だが、命を賭けた戦いでは、まだ勝機の可能性がある。
       ジオネリアは覚悟を決めた。
「デッド・サンドー」
       精神を集中させて、ジオネリアは力を内に蓄えていく。
       が、先に、ラムセス・クィーンが瞬時にエネルギーを放った。
       悲鳴をあげたジオネリアは、エネルギーに体を弾き飛ばされた。
「ジオネリア!」
       トリトンがすかさず防御のオーラを放とうとした。
       しかし、ラムセス・クィーンは、目ざとくトリトンの気配を察して、トリトンを咎めた。
「やめよ。さらなる犠牲が出るぞ。トリトン・アトラス。」
       トリトンは奥歯をぐっと噛み締めた。
       壁に叩きつけられたジオネリアは、床下に倒れた。
       しかし、呻きながら歯をくいしばり、体を起こそうとした。
       そこに、ラムセス・クィーンのオーラがまとわりついた。
       オーラはジオネリアの全身を締め上げる。
       悲鳴をあげるジオネリアの体を、オーラのエネルギーは、ゆっくりと上に持ち上げる。
       それはやがて、木の枝のような物質に変化した。
       その枝を支えにして、ジオネリアの体は宙にぶらさがった。
       まとわりついた部分は糸のようなしなやかな物質を形成し、まるで、蚕の繭のなかに閉じ込められたような姿になった。
「ラムセス…!」
       悔しげに呟くと、ジオネリアは燃えるような熱い視線を、ラムセス・クィーンを睨みつけた。
       ラムセス・クィーンは冷笑を浮かべた。
「お前の力も所詮はその程度…。お前達では私に勝てぬ。よく見ていろ。息子、いや娘であるお前が、望みを託した「三使徒」はこの私が打ち砕く…!」
       ラムセス・クィーンは、トリトンに視線を向けた。
「残りはお前だ。トリトン・アトラス…!」
「お前の目的はこの俺だろ! 仲間を苦しめるな!」
       トリトンが叫ぶと、ラムセス・クィーンは小さく笑った。
「すべてはお前しだいだ。私に従えば、友人達は見過ごそう。」
       ラムセス・クィーンは穏やかな声でトリトン告げた。
       トリトンはスッと目を細めた。
       トリトンが憎悪を募らせているのを知りながら、ラムセス・クィーンは平然と命じた。
      「オリハルコンをすべて捨てろ。仲間を、星野鉄郎のようにしたいか…?」
       トリトンは思わず、自分の腰に手をやると、剣を挿したベルトのバックルをぐっと掴んだ。
「おやめっ! その女のいうことを、もう聞くんじゃないよ!」
       ケインがトリトンに叫んだ。
「やってみろ。軽蔑するぜ!」
       倉川ジョウがわめいた。
「黙れ!」
       ラムセス・クィーンの怒りが一同に向いた。
       ラムセス・クィーンの邪念が飛ぶ。
       すると、一同を閉じ込めているシールドが共振して、激しい反応を示した。
       各シールドが狂いだし、光の乱舞を引き起こす。
       中にいる全員が呻き苦しんだ。
「やめろ!」
       トリトンが絶叫すると、シールドの反応が一気に収まった。
       中にいる仲間達は激しく呼吸しながら、体を楽にしようとしている。
       ラムセス・クィーンはトリトンに強く迫った。
「わからぬか。お前に拒否はできない。」
       トリトンは剣を手に握りしめた。
       すると、今度はジオネリアが訴えた。
      「いけない。その女に従えば、あなたは、その女の意のままに操られてしまう。」
「お願い。戦って。ラムセスと…。トリトン…!」
       鉄郎を抱きしめたアキが、トリトンに呼びかけた。
「よけいなことを…!」
       呟いたラムセス・クィーンは、軽く指を鳴らした。
       トリトンは重い空気を感じ取って身を引いた。
       と、同時に。
       ジオネリアの首にオーラの糸が巻きついた。
       グイグイと喉を締め上げられると、ジオネリアの美しい顔が、たちまち苦痛に歪み、低く呻いた。
       さらに、アキの方にも、ラムセス・クィーンの邪念の一部が飛び火した。
       アキはたちまち電撃に包まれて、激しく絶叫して苦しみだす。
       蒼白したトリトンは、思わず絶叫した。
「もういい! わかった!」
       トリトンの精神がくじけた。
       心の傷は思った以上に深い。
       強がっていても、大勢の人間の血と、鉄郎が犠牲になったショックは、トリトンに相当なダメージを与えた。
       その状態で、アキやジオネリアまで危害が及ぶと、トリトンの精神は崩壊する。
       トリトンは荒い息を吐いた。
       過呼吸だ。
       意識をどうにか保ちながら、かすれた声で訴えた。
「やめろ、もう…。」
       トリトンは剣と腕輪を無造作に床に放り投げた。
       それで、アキとジオネリアの仕打ちが解けた。
       意識を朦朧とさせて、うな垂れるジオネリア。
「トリトン…。」
       鉄郎の胸に顔をうずめながら、アキは、力を振り絞って視線を投げかけた。
       トリトンは視線を落としながら、ラムセス・クィーンに、はき捨てるように呟いた。
      「どうとでもしろ。みんなの代わりだ。」
「私は約束は守る。」
       ラムセス・クィーンは冷たい微笑を浮かべた。
「お前が私に従えばそれでいい。私にはお前が必要だ。」
       とたんに、ラムセス・クィーンの体から、黒いオーラが放出された。
       トリトンに向かって、闇の力が突き進む。
       トリトンは反射的にシールドを放った。
       が、そのエネルギーをあっさりと弾いて、闇の力は、トリトンの体を包み込んだ。
       トリトンの場合、痛みはなかった。
       ただ、無理やり手首を締め上げて、上に持ち上げられた。
       さらに、両足首を闇の力は締めつける。
       そして、そのまま体が浮き上がる。
       ブリッジと天井の床の間、ちょうど床から一メートルほど浮いた場所で、手首と足首を縛られた形で、宙ずりになった。
       トリトンは息を飲んだ。
       その状態を悟って、怒りで顔をひきつらせた。
「悪趣味な格好だ。」
「そういうな。お前にはお似合いだ。」
       ラムセス・クィーンは優しい表情で、トリトンを見つめた。
      「トリトン・アトラス。お前には、最後まで生き続けてもらう。私は、前世のお前を死なせて後悔した。今度は、絶対に死なせない。」
「この世界の異変の原因はお前か?」
       トリトンはラムセス・クィーンに質問をぶつけた。
       ラムセス・クィーンは軽く鼻をならした。
      「さあな。そんなことは、私にもわからない。私には、どのような異変も関係しない。私が、お前の力を制すれば、それですべて解決だ。そう、すべてはお前しだいだ…。トリトン・アトラスよ。」
       トリトンは言葉をなくした。
       ラムセス・クィーンはゆっくりと目を細めた。
      「気がついたようね。河原の続きだ。お前は私を感じて楽しめばいい…。さあ、はじめましょうか。」
       ラムセス・クィーンは、スッとトリトンの方に指を指し示した。
       すると、トリトンの手首と足首を締め付けていたオーラの帯が、ぼうっと鈍い光を放った。
       そこから発された弱いオーラが、トリトンの足や腕を伝わって、体の中心へと流れ包み込みはじめた。
       トリトンは体をビクリと震わせた。
       苦痛はない。
       だが、肌に触れられているかいないかの、微妙でいやな感触だ。
       トリトンは、肌の感覚でそれを理解した。
       ラムセス・クィーンは、トリトンにとんでもないことを仕掛けている。
「嫌だ!」
       トリトンは叫んだ。
       身をよじってもがいた。
「何のつもり? あれ…!」
       レイコが呆れたように口を開いた。
       しかし、誰も答えることができない。
       トリトンは体をよじって、オーラをふりほどこうとしているが、その程度ではどうにもならない。
       そのうち、オーラはトリトンの服の中に入り込んだ。
       トリトンは、全身をオーラでいたぶられる。
       初めは耐えて、じっと我慢していた。
       顔を赤らめ、声を飲み込んでいたが、限界を超えたのか、急にあえぎはじめた。
「ああっ…。やだ…!」
       ラムセス・クィーンは、恍惚の表情で、トリトンを見つめると、楽しそうに声をかけた。
「いい声ね、トリトン・アトラス。もっとあえぎなさい。気持ちいいでしょう? もっと出していいのよ。あなたの艶っぽい声が聞きたいわ。さあ、遠慮しないで…。」
      「くっ…そっ…!」
       トリトンは歯をくいしばった。
      「あんの変態コンチキ! このあたしをさしおいて許さないわ!」
       ケインは怒りをぶちまけた。
      「どうすんの? あの女の好き放題にさせていいの?」
       裕子が早口で叫んだ。
「墓穴を掘ったのは本人だ。あいつ自身が何とかするしかねぇ!」
       倉川ジョウは唸った。
      「躊躇ったあいつの代償はでかすぎる…。」
       ロバートは悔しげにいった。
       アキは激しくかぶりを振った。
       反射的に鉄郎の銃を掴むと、ラムセス・クィーンに銃口を向けた。
「もう、させない!」
       ラムセス・クィーンはアキに視線を向けた。
       その間際、アキは鉄郎の銃を撃った。
       鉄郎の銃の反動は大きい。
       アキは、後ろに吹き飛ばされた。
       ラムセス・クィーンは銃のエネルギーをはじいた。
       アキを睨みつけると、激しい口調でいった。
「この私に勝つつもりか? 愚かな…。お前もここまでだ!」
       銃の反動をくらったアキの動きはとても鈍い。
       そこを狙われたら、けっして逃げられない。
       アキは悲鳴をあげた。
       が、直前、別の力が割ってはいる。
       アキの周囲に張られたブルーのシールドが、ラムセス・クィーンをはね返した。
       アキは驚いた。
       かばったのはトリトンだ。
       トリトンは息苦しさを我慢しながら、ラムセス・クィーンをキッと見据えた。
      「俺の…。アルテイアに手を出して…。ただですむと思うな!」
「こしゃくなまねを…!」
       ラムセス・クィーンの双眸に力がこもる。
       すると、トリトンの体のあちこちで、オーラが爆発した。
「うあっ!」
       トリトンは絶叫した。
       白い服に赤いマント、さらに肉片が弾け飛ぶ。
       かまいたちに襲われたかのように、トリトンの肉体が、無数に切り裂かれた。
       おびただしい血が帯をなしてほとばしる。
       トリトンの体を伝って、下に垂れた鮮血は、床を赤く染めあげた。
       多量の出血と激痛から来るショックに、トリトンはどうにか耐えた。
       が、それも限界に近い。
       ガクリと首をうな垂れ、荒い息を吐いている。
       全身が痙攣し、血の気をなくして蒼白した。
       一同は愕然とした。
「野郎!」
       倉川ジョウは憤りを募らせる。
「ラムセス、トリトンを殺すの? 答えて!」
       アキの叫びに、ラムセス・クィーンは冷たく言い返した。
「トリトンは誰にも渡さない。お前から奪いとる!」
「やめなさい!」
       アキの制止を、ラムセス・クィーンは無視した。
       おもむろに、ラムセス・クィーンは手をのばす。
       その手からオーラが放出される。
       ラムセス・クィーン特有の黒々としたオーラ。
       オーラは手のひらの形に姿を変えると、苦しむトリトンの方へ、じわじわと近寄っていく。
       やがて、トリトンの胸に輝くマントの飾りボタンを、オーラはくいこむように掴んだ。
       飾りボタンを引きちぎるような強い力で、トリトンの胸をしめあげた。
       緑の髪をたれて、頭をもたげていたトリトンは、再び抗うように体を激しくよじり、のけぞらせた。
       直接、トリトンの心臓を鷲づかみにして、ひねりつぶそうとする。
       そんなわけがわからない、痛烈な衝撃だ。
「うああっ!」
       トリトンは苦悶した。
       のたうち、暴れた。
       トリトンの体からは、オーラが大量に吹き上がる。
       そして、トリトンの変身がはずれた。
       アキの時と同じだ。
       衣装がぼうっと青く輝くと、ほつれた糸のように崩れて、力も一緒に消滅する。
       それは海の波のようだ。
       波のオーラは、トリトンの裸体を取りまいて四方へ流れ、速いスピードで周囲に広がる。
       ジオネリアは大きく目を見開いた。
      「いけない。トリトンの力まで、ラムセスに吸収されてしまう!」
「どうすりゃいいんだ、だからって!」
       島村ジョーがわめいた。
       しかし、どうすることもできない。
       トリトンは呻き続ける。
       ラムセス・クィーンは、勝ち誇ったような笑いをとばした。
「お前のすべてを私がもらう。誰にも渡さない。…あなたを愛している。あなたに側にいてほしい…。」
「……レイラ…!」
       トリトンは苦しみながら呟いた。
       ラムセスに同化されながらも、わずかに残る、レイラの気配をトリトンは感じた。
       アキは、なすすべもなく、成り行きを見つめている。
       頭をめぐらすものの、決定的な方法が見つからない。
       苦悩するアキの表情がはっと変化した。
「鉄郎…!」
       その時、アキは鉄郎の呼びかけを、聞いたような気がした。
       腕の中に抱きしめている鉄郎に変化はない。
       しかし、同じ空間に、鉄郎の存在を確かに感じる。
       アキは気配の根源を探した。
       空間の隅々に目をやると、ある一点で、その視点が止まった。
       ラムセス・クィーンの腹部のあたり。
       黒い彼女の姿の中に、小さいが白い光が輝いている。
「鉄郎、あなたなの?」
       アキは声をかけた。
       鉄郎の声は聞こえてこない。
       しかし、光の中に、確かに、鉄郎の息づかいが感じられた。
「鉄郎、助けて…!」
       アキは思い直すと、もう一度、鉄郎の銃を構えた。
       表情を引き締めると、白い光に向けて銃を撃つ。
「あうっ!」
       ラムセス・クィーンの表情が歪んだ。
       とたんに、トリトンにとりついていたオーラの闇が、サッと引き下がった。
「あっ…。」
       解放されたトリトンは意識をなくした。
       がっくりと頭をうな垂れると、脱力したまま動かない。
「アルテイア、二度も邪魔を…!」
       怒りにかられたラムセス・クィーンは、オーラを叩きつけようとする。
       アキは顔を伏せた。
       しかし、また別のオーラに救われた。
       顔をあげたアキは言葉をなくす。
       かばったのは初老の男だ。
       アキの前にたちはだかり、ラムセス・クィーンをじっと見据える。
       アキは信じられない表情をした。
       その男は、アトランティスの歴史に登場した、人の姿だった頃のエネシスだ。