鉄郎とアキは互いの手をとりあおうと、精一杯、身を乗り出した。
       後、もう少し。
       なのに、互いの手が掴めない。
       強力な結界が、二人の触れ合いを拒んでいるのだ。
       それでも、けっして諦めない。
       二人は、幾多の障害を体験し、別れを繰り返した。
       しかし、二人は互いの胸の中にもどっていった。
       何者も、そしてどんな力も、二人の間を裂くことはできなかった。
       やがて、二人の指先が、かすかに触れ合った。
       とたんに、二人の想いは一気に過去へと飛ぶ。
       初めての出会いから現在まで。
       いくつもの思い出が走馬灯のように駆け抜けていく。
       鉄郎とアキの間は、その間も、じりじりと縮まっていく。
       レイラは震えた。
       それは悲しみの震えだ。
       もとのレイラは、鉄郎とアキの心の繋がりの深さを実感した。
       その一方で、その深さを理解しすぎているからこそ、けっして間に入ろうとしなかったトリトンの心情も、レイラは気がついた。
       前世の姿を見てからは、トリトンの感情が増長し、アキへの気持ちを抑えられない時もあった。
       しかし、トリトンは、鉄郎とアキに労わりと友愛の気持ちで接し、自分の感情をコントロールした。
       それは、鉄郎とアキも同じだ。
       三人は、お互いにフォローしあいながら信頼と愛情と友情を育んでいった。
       他の人間で出来るかどうかはわからない、微妙な感情の交流だった。
       そして、トリトンは知っている。
       その気持ちこそが、レイラがもっとも望むものだ。
       だからこそ、トリトンは、それらをレイラに伝えようとした。
       トリトンのことを、この世界で最初に出来た友達だと、レイラは認めてくれているからだ。
       レイラは混乱した。
       トリトンは、全身全霊を込めて、レイラに呼びかけている。
       しかし、その気持ちに答えられる自信がレイラにない。
       どうしても抑えられない黒い感情が、レイラの心を奪おうとする。
ーちゃちな人間の交流などに惑わされるな。トリトンのすべてを望むのなら、鉄郎の心を奪い取れ! そうすれば、煩わしい感情など一気に振り払うことができる…! お前はそうしたいと望んでいるはずだ。トリトン・アトラスを自分だけのものにしたいと。違うのか?−
「私は…。でも、だめ…!」
       レイラは嘆きながら身をよじった。
「レイラ、負けるな!」
       トリトンの呼びかけが、さらに強く響いた。
「君も強くならなきゃいけない。鉄郎とアキのように。みんなのように…!」
「ああっ…!」
       レイラは泣き叫んだ。
       アキと鉄郎は、完全に手を握り合った。
       アキの体の半分が結界の中に入りかけている。
       あともう少し。
       アキは、そう言い聞かせて、さらに精神を集中した。
       同時に、数時間前に交わした鉄郎との会話を思い出した。
       まだ、何も変化がなかったアトラリアの静寂な夜。
       心の動揺を感じて目覚めたアキは、あの噴水がある場所に行った。
       なぜか不安でたまらなかった。
       いやな予感が頭から離れず、無性に胸騒ぎがした。
       そんな時、ふいに近づいてきた鉄郎に、後ろからそっと抱きしめられた。
       アキは驚いたものの、すぐにその温もりに身を委ねた。
       鉄郎に支えられてもらうだけで、不安を忘れ、気持ちがスーッと楽になる。
       鉄郎は、アキに優しい声でいった。
「どうした? 寝られないのか?」
       アキは、素直に頷いた。
「鉄郎やみんながいてくれるのに…。気がかりなことが消えなくて…。鉄郎、あなたは本当にこれでいいの?」
       アキは、心の中にある迷いを打ち明けた。
       すると、鉄郎はさらに優しい声でアキに言い返した。
「君は、君に与えられたことを、精一杯やればいい。俺は、そんな君の支えになる…。」
「でも…。それでは…。あなたの優しさばかりに甘えてしまう…。」
       アキは、視線を落とした。
       揺らめく噴水の水面を見つめると、二人の姿が陽炎のように揺らめいている。
「私が普通の女だったら…。きっと、今のような辛い気持ちはなかったわ…。」
「俺はそんなこと、思わないよ。」
       鉄郎は、アキを抱く腕に力をこめた。
「俺が好きなアキは、今のアキだ。他のアキはアキじゃない。きっとそう思う。」
       アキは目を見張った。
       鉄郎の方を振り返ると、鉄郎の顔をまっすぐに見つめた。
「私はあなたが好きです。今までも、そして、これからも…。ずっと、あなたを愛しつづけたい…。」
「ありがとう…。」
       アトラリアにやってきて、鉄郎とアキは初めてキスを交わした。
       熱く、深く…。
       お互いの存在を、心の中に刻みつけるように。
       求め合う中で、本当の二人の姿を思い出しながら、鉄郎はアキを離した。
「アキ。君は自由だ。誰にも縛られない。だけど、最後に僕を選んでくれたら、僕はそれで十分だ。」
ー最後に選んでくれたら…。ー
       そういった鉄郎の笑顔と、今の鉄郎の笑顔がはっきりと重なった。
「もうじき、あなたの所へ行ける…!」
       アキは、鉄郎に手を引かれながら訴えた。
       鉄郎とアキの思いは、さらに深まる。
       シールドの一部がはじけた。
       アキが、中の侵入に成功した。
       すかさず、鉄郎の体を、アキはきつく抱きしめる。
       ようやく思いが実った。
       そう思った瞬間。
       鉄郎が、アキの腕の中ですさまじい悲鳴をあげた。
「鉄郎!」
       アキの絶叫が、鉄郎の声と重なる。
       二人の悲痛な叫びは、ブリッジ中に響き渡った。
       同時に、結界のシールドに、スパークが走る。
       それが天井まで広がると、雷のように、空間を一気に駆け抜けた。
       光の刃は、レイラの真上に落下した。
       まさに、雷に打たれたような現象だ。
       レイラは絶叫した。
       オーラが弾け、反動で、トリトンも吹き飛ばされた。
       残りの人間は、再び吹き荒れる衝撃に、顔を覆い尽くして耐えるしかなかった。
       トリトンはブリッジの床に叩きつけられた。
       痛みをこらえて上体を起こすと、レイラを振り仰いだ。
「レイラ!」
       トリトンの叫びに、レイラは応じない。
       レイラの周囲をスパークを放つオーラが取り巻いていて、レイラの姿がまったく見えない。
       顔をひきつらせたジオネリアが、うわずった声でトリトンにいった。
      「レイラが、鉄郎の精神を取り込んだのです。彼女は、別の力に目覚めようとしている。私達の力では、もう、抑えることができません…!」
「まさか、鉄郎が…!」
       トリトンは、鉄郎とアキを見返した。
       アキは、鉄郎の体を、しっかりと抱きしめている。
       アキは身を震わせた。
       鉄郎は意識をなくして動かない。
       息もなく、脈も停止している。
「鉄郎、お願い、しっかりして!」
       アキはオーラを放出した。
       鉄郎に、生体エネルギーを与えるつもりだった。
       だが、そのオーラは異常だった。
       必要以上に激しい反応を示し、またもや、制御できなくなってしまった。
「ああっ…!」
       アキは悲鳴をあげた。
       オーラが、アキの体を取り巻いていく。
       それとともに、アキのセパレーツの服が、ほどけていくように消滅していく。
       アキは蒼白した。
       力が消えた。
       変身もはずれて、この世界に引き込まれる直前まで着ていたリゾート着にもどってしまった。
       オーラはもう出ない。
       当然、鉄郎を蘇らせることもできない。
       アキは普通の女にもどってしまった。
       トリトンとジオネリアは言葉をなくした。
       他のメンバーも、まさかの展開に驚いた。
       突然、絶望する彼らの姿を、嘲笑う女の声がした。
       耳に残るいやな高笑。
       やがて、レイラの周囲を取り巻いているオーラが薄まり、ゆっくりと晴れていく。
       トリトンとジオネリアは身構えた。
       他のメンバーも息を飲む。
       アキは、鉄郎の体を強く抱きしめると、身を固くした。
       やがて、オーラの中から、笑い声の張本人が姿を現した。
「レイラ!」
       トリトンが叫んだ。
「私はレイラではない。女王ラムセス。ラムセス・クイーンと呼ぶがいい。」
       レイラ、いや、変貌したラムセス・クイーンは、一同に、強い口調で名乗りをあげた。
       トリトンは絶句した。
       顔は今までのレイラの顔だ。
       しかし、髪がさらに長く伸び、まるで、生き物のように黒々とうねっている。
       服もコーラルピンクの明るい色が闇のような黒いドレスに変化した。
       表情は、氷のように冷たく恐ろしい。
       漆黒の視線が、戸惑うアキを射抜いた。
      「まさか、お前の力まで、私のものになるとは…。」
「私の力…!」
       アキは、震える自分の手をじっと見つめた。
       どれだけ精神を集中させても、力はもう蘇ってこない。
       愕然とするアキに、ラムセス・クイーンは無情な言葉を投げつけた。
「諦めろ。お前には何もできぬ…! その男は死んだ…!」
       アキだけではなく、全員が衝撃を受けた。
       アキは、もう一度、鉄郎を見つめた。
       人形のように固くなり、動かなくなった鉄郎の体。
       急激に血の気がなくなり、しだいに青ざめていく。
       意識をなくした鉄郎の表情を見つめていると、鉄郎の言葉が頭の中に響いてきた。
ー最後に僕を選んでくれたら、僕はそれで十分だー
       アキは熱くなった。
       現実を疑った。
       とめどもなく吹き上がってくる深い悲しみが、アキを地獄へと突き落とす。
「ーいやあっ!」
       身を裂くような絶叫が、ブリッジ内を埋め尽くした。