13.ラムセスの反撃 1

 トリトンは、ユーリィの体を抱きしめた。
 そのまま天井を突き破るつもりだった。
 仲間達は、衝撃を防ぐために後退した。
 全員が、壁ずたいに身をかがめて身構える。
 そのとき、トリトンは違和感を感じた。
「どうしたの?」
 ユーリィにいわれて、トリトンはかすかに首をふった。
「いや、なんでもない…。」
 といったものの、違和感はぬぐえない。
 ユーリィを抱いたとたん、両腕にズシリとした重さがかかってきた。
 女性では、いや、人間ではありえない重さだ。
 しかし、今は原因を探ることはできない。
 トリトンは、我慢してユーリィを抱き上げた。
 その頃、ブリッジでは。
 ラッセルが膠着したまま事態を見守っていた。
 グラント達が拘束された状況は、モニターで確認していた。
 もちろん、増援を出すこともできた。
 だが、ブリッジ内に突然、トリトンの声が響いた。
 艦内マイクは作動していない。
 声は、彼らの体内に直接、響いてきた。
 それは「脅迫」だ。
ー艦長を助けたかったら、要求を受け入れろ。こちらがブリッジに行くまで、手出しはするな! これは警告だ。そむいた場合、こちらは容赦しない!ー
 トリックではない。
 子供だましの悪戯でもない。
 不気味な現象だ。
 ブリッジにいた兵士達は一様に動揺した。
 しかし、ラッセルは納得がいかないまでも、人命を優先した。
 まずは、トリトン側の要求をのむ。
 彼らの出方を待って、打てる手を考える。
 最悪のペア、ロスト・ペアーズも加わったメンバーだ。
 まともにやりあっても、勝てる見込みはない。
 やがて、ブリッジの床に異変が起きた。
 突然、盛り上がり、エネルギーが吹き上がる。
 兵士達は持ち場を離れた。
 瞬間、爆発する。
 近くにいた兵士は、衝撃で吹き飛ばされた。
 立っていたクルーも、次々と足をすくわれて転倒する。
 その混乱をぬって、トリトンとユーリィが床下から飛び出してきた。
「何だと?」
 ラッセルは度肝を抜かれた。
 ユーリィはブリッジの床に着地すると、風のように駆け抜けて、ラッセルにとりついた。
 銃をラッセルの頭につきつけると、甲高い声で叫んだ。
「全員、武器を捨てて、床に伏せなさい!」
「早くしろ!」
 ラッセルの強張った声で、兵士達はゆっくりとユリの命令に従った。
 一方、トリトンはコンピューターにとりついた。
 オペレーターを押しのけると、代わりにシートに居座り、パネルに向かった。
「やめたまえ!」
 オペレーターは三人いた。
 そのうちの一人が、トリトンを止めに入った。
 しかし、近づいてきたオペレーターをトリトンは鋭く睨みつけた。
「黙って見てろ!」
 オペレーター達は息を飲んで、素直に引き下がった。
「何をするつもりだ?」
 ラッセルは強張ったまま、ユーリィを見つめる。
 ユーリィはフッと笑うと、ラッセルにいった。
「そんなにとんがらないで。ただ、私達はあなたが、どうしてここに来たかを知りたいだけなんだから。」
「しかし・・・。三人分のオペ作業を一人で請け負うなんて!」
「彼が、トリトン・ウイリアムだって知ってるんでしょ? ここのへっぽこオペレーターよりも、よっぽど優秀かもよ・・・!」
「まさか・・・。噂は聞いているが・・・。」
 ラッセルは息を飲んだ。
 それは、オペレーター達も同様だ。
 噂はそうでも、実際はどうなのか、にわかに信じられない。
 だが、トリトンは、黙々と作業を続けた。
 トリトンが手早くキイを操作すると、あっという間にパスワードは解除されて、中のシステムにたやすく侵入した。
 そして、数秒でオペレーター達が計算したデーターを引き出すと、サッと目を通し、さらに、胸のロケットから取り出したチップを、外部機器の中に取り込んだ。
 このチップに、トリトンが<リンクスエンジェル>のコンピューターから入力したデーターが収められている。
 新しく取り込まれたデーターをもとに、トリトンは手を休めずにデーターを打ち込む作業を続行する。
「三人分の作業を、こんな短時間で・・・。」
 オペレーター達は蒼白した。
「くそっ、なめやがって!」
 兵士の一人が予備の銃を取り出すと、ユーリィに向けて発砲した。
 それはかわせたものの、ラッセルの羽交い絞めの力が緩んだ。
 すかさず、ラッセルは反撃する。
 銃ではなく腕力で。
 それを、ユーリィは左腕でブロックすると、ラッセルの腕をねじまげた。
 叫んだラッセルは足を使って、ユーリィの体を弾き飛ばす。
 悲鳴をあげたユーリィは、体制を立て直し、ラッセルから離れた。
 すると、背後の兵士がユーリィに襲いかかる。
 ユーリィは、やもえず、兵士達と格闘をはじめた。
「トリトン、まだなの?」
 乱闘しながら叫ぶユーリィに、トリトンは背を向けたままいった。
「こっちも手が離せない! 悪いけど、そっちでかたずけて!」
 すでに、シールドで自身とコンピューターを保護しながら、トリトンはそっけなく応じた。
「もう、自分だけ守りに入っちゃって!」
 兵士を次々に殴り倒しながら、ユーリィはぼやいた。
 ぼやきながらも動きが止まらない。
 殴りかかる二人の兵士をまとめて両腕のエルボーで叩きのめす。
 さらに、背後から突っ込んできた兵士を足げりでしりぞける。
 トリトンの作業は数分、続いた。
 最後のエンターキィを押すところで、ふっとんできた兵士が、トリトンのシールドにぶつかった。
 トリトンは思わず手を引っ込めた。
「たくっ、邪魔だ!」
 クッションがわりにシールドにへばりつき、ぐったりした兵士の背中を、トリトンは突き飛ばした。
 エンターキイを押し、サイドパネルのスイッチを入れたトリトンは、シートから立ち上がった。
 ちょうどその時、遅れた他のメンバーがブリッジに入ってきた。
 一人で格闘を続けるユーリィの姿を見つめると、ジオネリアが大声をあげた。
「ここの連中も抑えますか?」
「頼むわ!」
 うまく、兵士をやり過ごしたユーリィは、ジオネリアと交代する。
 その後の決着は早い。
 ここの兵士達も、グラント達と同じ末路をたどった。
 もう誰も敵兵に興味を示さない。
 注目しなくてはいけないのは、サイドパネルの映像だ。
 細やかな文字の列と、複雑に絡んで乱れる曲線の画像が映し出される。
 コンピューターの計算状況が、図と文字で表現されるのだ。
「どのくらいかかる?」
 倉川ジョウはトリトンに聞いた。
 しかし、トリトンは固く強張ったまま、じっとパネルを見つめている。
「何かいえ!」
 ジョウがつっかかろうとするのを、もう一人の島村ジョーが止めた。
「待てよ。あいつ、様子がおかしい・・・。」
 鉄郎はトリトンを見つめて顔を曇らせた。
 その横にいたアキも、不安げにトリトンの横顔を見つめた。
 トリトンは何やら思いつめた感じだ。
 ユーリィもジオネリアも顔をしかめる。
 かすかな不安を感じた。
 そこへ、ケインとロバートも合流してきた。
 二人はブリッジの重い雰囲気に呆然とした。
「いったいどうしたの?」
「よくわからないけど、トリトンの様子が変なの。」
「また?」
 ケインは目を見張った。
 やがて、結果が表示された。
 動きが止まり、文字列も落ちついた。
 画面の中で、曲線が集中する一点が、赤く点滅している。
 オペレーター達がおおっと唸った。
「トリトン、これって・・・!」
 ユーリィが声をあげると、トリトンは頷きながら答えた。
「わかるな。二時間後にあの位置に重力波の異常が生じる。あれが「俺達の世界」に通じる出口だ。あの位置に向かってワープしていけば、元の世界に戻ることができる。」
 トリトンはとたんに踵を返す。
 ブリッジを飛び出そうとするトリトンに、ケインがわめいた。
「どこへ行くの!」
 トリトンは答えない。
 ジオネリアが素早く宙を飛んで移動した。
 トリトンはギクリとした。
 ジオネリアがトリトンの行く手を阻んだ。
 とたんにオーラを放出する。
 トリトンの体は、ジオネリアのオーラに包み込まれた。
「行かせてくれよ!」
「いけません。」
 ジオネリアは静かに首を振る。
「でも、他に方法が・・・。」
 トリトンは声をあげた。
 それより先に、ケインの厳しい声が、トリトンに飛んだ。
「勝手なことをしないで。一人で何をする気? ちゃんと説明して!」
 ジオネリアは目を伏せると、呟くように口を開いた。
「トリトン・アトラスはこう考えています。」
「だめだ。みんなにいっちゃ。」
 トリトンは訴えたが、ジオネリアは言葉を続けた。
「皆さんも知る権利があります。」
 トリトンは唇を噛み締める。
 ジオネリアは一同を見据えた。
「私には理解できないことがあります。でも、トリトン・アトラスの考えはこうです。この世界は移動している。しかも、あなた方の世界に向かって。今は、あなた方の言葉でいう「ワープ航路」と呼ばれる空間と重なっています。そのために、この船が、アトラリアに飛び込んだのです。今はその空間が一つでも、やがて、複数の空間の穴が生まれます。皆さんは、そこから脱出することができるのです。」
「やったわ、出られるのね!」
 レイコがはしゃぐと、倉川ジョウは目を細めた。
「いいことばかりじゃねぇだろ。この世界はどうなる? トリトン、お前の口から説明してみろ。」
 トリトンは唇を震わせた。
「ジョウ!」
 アキが声をかける。
 ジョウはかぶりを振った。
「姫さん、甘やかしは禁物だ。こいつは、まだ自分の運命から逃げる気でいやがる。」
 アキの肩を鉄郎が掴む。
 振り返ったアキは鉄郎の顔を見つめると、何もいえなくなった。
 少し間があった。
 ジオネリアのオーラから解かれたトリトンは、かすかな声で説明をはじめた。
「昨夜まではある一定の場所で安定していた…。それが、一晩の間に大きく移動している。暴走しているんだ。この空間そのものが・・・。」
「俺達は何も感じなかった。どうしてだ?」
 島村ジョーがいった。
 トリトンはためらいがちに口を開いた。
「この空間には重力がある。自転する惑星の上にいて、何も感じないのと原理は同じだ。でも・・・。」
「でも・・・?」
 ユーリィが反芻する。
 トリトンはかぶりをふった。
「もうじき、アトラリアにワームホールが生じる。空間の歪みで、アトラリアは虫食い穴のようにボロボロになっていく。アトラリアが外の世界と繋がるということは、この空間が崩壊してしまうんだ・・・。」
「オリハルコンのせいか?」
 ロバートがいうと、トリトンはさらに激しく首をふった。
「わからない・・・。でも、放っておけば、この世界は確実に滅ぶ。この世界の人が・・・さらに犠牲になる・・・。最初の影響が出るのは二時間後・・・。この原因を確認しないと・・・。」
「あなたが「オリハルコンの間」に行くことは自殺行為です。」
 ジオネリアがいうと、ケインの顔が厳しくなった。
「どういうこと? それ!」
 トリトンは顔をそむけた。
 かわりにジオネリアがいった。
「むやみにトリトンがオリハルコンに接触すれば、逆に精神を吸収されてしまうかもしれません。」
「それでも行かないと・・・。」
 トリトンは食い下がった。
 ジオネリアは激しい口調でいいつけた。
「いけません! あなたとアルテイアが力を結べば、まだ可能性はあるでしょう。でも、それ以外の方法では難しい賭けになります。」
「構わない、俺はそれでも・・・!」
「トリトン。」
 アキがいった。
「私も行きます。それではいけませんか?」
「だめだ。君はここに残れ!」
 トリトンは強い口調で制した。
 しかし、アキは引かなかった。
「どうして? 何でも一人でやろうとするの? 私もあなたと“同じ”なのよ・・・!」
「で、二人が結ばれるんなら、手っ取り早いんだけどね・・・!」
 ケインが皮肉げに返すと、トリトンはケインを睨みつけた。
「よけいなことはいうな!」
 そして、トリトンはアキを見つめた。
「君は俺と同じじゃない・・・。だからだめだ・・・!」
「地球人だからか?」
 鉄郎がアキの代わりに問いかける。
 トリトンはかすかに黙ったまま、何も答えない。
 鉄郎は顔を歪めた。
 トリトンは返事の変わりにブルーのオーラを放出した。
 ジオネリアはオーラに弾き飛ばされた。
「なんだ?」
 いきなり起きた現象に、ジョウやロバートは息を飲む。
 オーラに包まれたトリトンは、ゆっくりと床から離れて宙に浮く。
 その間に、光とエネルギーが少しずつ膨らんで、円形の空間を作りだす。
 ジオネリアは思わず叫んだ。
「トリトンは空間転移をする気です!」
「お馬鹿! おやめっ!」
 ケインとユーリィが合唱した。
「だめっ!」
 アキが叫びながらオーラを放出した。
 波打つブルーのオーラにアキの純白のオーラがぶつかる。
 トリトンは顔をしかめながら力を強めると、純白のオーラが激しく震える。
「トリトン、やめなさい!」
 ジオネリアが真後ろからも、グリーンのオーラを浴びせた。
 トリトンはきつく目を閉じて歯を食いしばった。
 三人の力は均衡を保った。
 一歩も進展しない。
 トリトンの力は抑えこまれ、ジオネリアとアキの力は、トリトンの力の外を流れて中和されていく。
「ちょっと、何をやってんの!」
 裕子が悲鳴をあげた。
 ブリッジの空間内に三人の力が弾け飛ぶ。
「お前ら、同士討ちする気か?」
 身を伏せながら、倉川ジョウが怒鳴りつけた。
「トリトン、お願い。力を解いて!」
 アキは、悲壮な表情を浮かべた。
 力を強めることも可能だ。
 だが、それでは、ブリッジにいる人間を傷つける。
 ぎりぎりの力で生まれた微妙なバランス。
 もはや我慢比べだ。
 誰かが諦めたらそれで決着がつく。
 舌打ちした鉄郎は、トリトンに訴えた。
「トリトン、こんなことしたって何も解決しないだろ!」
ーわかってる・・・。だけど・・・。ー
 トリトンはぐっと拳を作って握りしめた。
 トリトンが力を使わなければ、この場は収まる。
 しかし、それでは何も変わらない。
「ジオネリア、アキ! やめてくれ! このままじゃ、みんな自滅する!」
 トリトンは悲痛な声をあげた。
 ユーリィがヒステリックにわめいた。
「やめるのはあなたの方よ、トリトン!」
「トリトン。他に方法があります。ですから、今はこの場にとどまりなさい。」
 ジオネリアが再度、忠告した。
 トリトンは絶叫した。
「できない!」
「ワガママいわないの!」
 ケインが母親のような口調でわめいた。
ーこうなったら、深部をやるしか・・・。ー
 トリトンは“禁じ手”を思いたった。
 中和された力は全体に及ぶ。
 だが、目標を一点に絞ってエネルギーを放出すれば。
 ジオネリアとアキの死角を突くことができる。
 しかし、その一瞬の間に、トリトンの方にも隙が生まれる。
 それでも、トリトンはやると決意した。
 また、アキとジオネリアも。
 力を強める覚悟だった。
 三人の使徒が互いの心理を探りあいながら、力の放出の転換を図る。
 その時。
 異変が起きた。
 どこからともなく響いてくる女の笑い声。
 ブリッジ中に不気味に反響し、聞くものを不快にさせる。
 使徒達の力は一気に弱まった。
 声の主の存在を感じ取り、緊張をみなぎらせる。
 女の声には聞き覚えがある。
 ブリッジの隅に身を伏せていたメンバー達も次々と起き上がって、女の姿を探した。
 女の声は、みんなを嘲笑うかのように、言葉を投げかけた。
「お前達はいったい何をしている? 生まれ変わっても、お前達のやることは何も変わっていない。愚かなことだ…。」
 言葉の終わりとともに、後方のブリッジの自動ドアが開く。
 入ってきたのはレイラだ。
 一同の顔が険しくなった。
 不気味な声の主。
 その張本人は、堂々と姿を現した。