11.大地の女神、現る! 2

 トリトンは川原に直行した。
 ケインとユーリィと、一時間後に、ここで落ち合う約束をした。
 しかし、彼女達のことだ。
 それ以上の時間が必要だ。
 トリトンは鉄郎から、この川原のことを聞かされた。
 みんなが、ニトルと最初に出会った場所。
 アトラリアという世界に飛び込んだ最初の場所。
 だが、きっと、これを創造したトリトン・アトラスの理想の場所でもあっただろう。
 そのせいだろうか。
 なぜか、トリトンもこの場所が気に入ってしまい、休養すると、必ず訪れるようになっていた。
 時間は深夜を回った。
 人の気配はない。
 昼間、仕事に精を出した村人と地球人達は、ぐっすりと熟睡している。
 周囲は静寂に包まれていた。
 穏やかな水のせせらぎと、涼やかな虫の声。
 そして、風に揺れる木々のこずえのささやきだけが、共鳴しあう。
 こういう雰囲気だと、緊張感がほぐれ心もリラックスして、ゆったりとしてみたくなる。
 トリトンは、清らかなせせらぎの音に誘われて、ふと、泳いでみたくなった。
 いつもなら、その服のまま飛び込んでしまうが、今はやめようと思った。
「へっ、いいか…。どうせ、誰もいないし…。」
 苦笑いしながら呟くと、トリトンは、おもむろに衣服を脱ぎ捨てた。
 生まれたままの姿になると、川に飛びこんだ。
 最初は川の流れに逆らったり潜ったりして、自由に水の中を泳ぎまわった。
 トリトンの泳ぎは実に自然だ。
 手足がすぐに水になじんでいく。
 宙を舞うようにのびのびとした泳ぎ方は、海に生きる哺乳生物クジラやイルカそのものの感性だ。
 泳ぐトリトンは、どんな水の流れでも、すぐに一体化してしまう。
 体をひねりながら、一気に川底まで潜ったトリトンは、満足して水面に上がってきた。
 後は、水の流れに身をまかせてゆったりと漂った。
 水の心地よい冷たさに触れて、流れに抱かれるだけで、トリトンの心はしだいに和んでいった。
 背負わされたすべての悩みが、この一瞬だけは、溶けるように何もかも忘れられた。
「ずっと、こうしていられたら…。」
 トリトンは思ったとおりのことを、口に出して呟いた。
 緑の髪を透明な水流になびかせて、トリトンは、もう一度泳ごうとした。
 その時、人の気配を感じた。
「誰だ?」
 鋭い声を発して、トリトンは身を起こす。
 すると岩陰から、レイラがひょっこりと顔をのぞかせた。
「私よ。びっくりさせてごめんなさい。」
 朗らかな声で、レイラは茶目っ気たっぷりに笑いかける。
 トリトンは拍子抜けして口をとがらせた。
「びっくりしたよ…。どうしたの?」
「私もよくここに来るんだ…。偶然だった…?」
「そうだね…。」
 トリトンは、言葉を濁しぎみに答えると、ゆっくりと、川岸の方に泳いできた。
 だが、途中の浅瀬で立ち止まると、恥ずかしげに頼んだ。
「あの…レイラ…。下着…、取ってくれるかな?」
「あら、女の子に取らせちゃっていいの?」
 レイラが意地悪く聞くと、トリトンはクスリと笑った。
「俺の着替え、全部やっちゃった人が今さら何だよ。」
「もう一度手伝ってあげましょうか?」
「悪いけど、そこまでサービス精神旺盛じゃないからね…。」
 とにかく、レイラから下帯と腰布をもらうと、身につけたトリトンは川からあがってきた。
 岩場の片隅に腰かけると、その横にレイラもやってきて、並んで腰を下ろした。
「こんな時間に、何をやっていたの?」
「眠れないから気分転換だよ…。」
 トリトンは嘘をいった。
 レイラは横目でトリトンを見つめた。
「私の勘、当たったのね。」
「勘って?」
 トリトンが首をひねると、レイラは、トリトンの顔をまっすぐに見つめなおした。
「本当はね、あなたにお願いがあって、ここに来たの。」
「どうしたんだよ、急に…。」
 レイラの真剣な態度に、トリトンは戸惑うばかりだ。
 トリトンの気持ちに臆することなく、レイラは訴えた。
「お願い。どこにも行かないで…。これからもずっと、この世界に…。私のそばにいてほしい…!」
「レイラ…!」
 トリトンは身を引いた。
「わかってる…。」
 レイラは畳掛けるようにトリトンに迫った。
「あなたはオリハルコンが復活すれば、もとの世界に戻るつもりでしょ? させないわ、そんなこと…!」
「レイラ…、ひどい誤解だ。」
 トリトンはたまりかねて言い返した。
「俺は、この世界にいられない人間だ…。それにー。」
「あなたが見ているのは、アルテイアだけよ!」
 トリトンの言葉を遮ると、レイラは鋭い声でいった。
「もとの世界にもどって、彼女と、結ばれたいのでしょ!」
「だから、それが誤解なんだって…!」
 トリトンは必死になって訴えた。
「君の本当の目的はなんなんだ?」
 トリトンは、レイラを見据えた。
「他の侍女が全部殺されて、君だけが助かるなんて…。考えてみたら、あまりに不自然すぎる…。わざと俺達に近づいて、君は、君自身の目的を、果たすつもりじゃないのか?」
「あなたのいってる意味がわからないわ。」
 レイラはトリトンを睨みつけた。
「まるで、私が城のスパイか、敵のような言い方をするのね…。」
「そこまでいってないだろ…。」
 トリトンは憮然とした声でいった。
 すると、レイラは、急にその場で立ち上がった。
 呆気にとられたトリトンは、ギクリと身を固くする。
 レイラはおもむろに服を脱ぎだして全裸になった。
 絶句しているトリトンを無視して、レイラは川に飛び込んだ。
 白い裸体に見惚れて、呆然としていたトリトンはハッとした。
 レイラが泳ぎだした方向は、さきほどまで、トリトンが泳いでいた深みがある危険な場所だ。
「レイラ!」
 トリトンは慌てて飛び込むと、レイラを追った。
 レイラはわざと聞こえない振りをして、急な流れに飲み込まれた。
 トリトンはスピードをあげると、一度深く潜って、水中でレイラの体を抱きかかえた。
 そのまま浮上すると、対岸まで泳ぎきって、レイラを岩場に掴まらせた。
「バカ、おぼれちまうだろ!」
 トリトンはレイラを叱りとばす。
 だが、レイラはいきなり振り返ると、トリトンの唇をむりやりふさいだ。
 反動で、トリトンとレイラの体は川の中に沈む。
 水の中で、二人は自然に抱き合う形になった。
 レイラは、その姿勢からトリトンの腰に手をのばすと、まきつけている腰布をぬがそうとした。
 それまで応じていたトリトンは、レイラの手を押さえてやめさせた。
 もう一度、水面に浮き上がると、トリトンはレイラの体を引き離した。
「やめろよ。君とは、そういう仲になりたくない!」
 トリトンはレイラを睨む。
 レイラは、ヒステリックにわめいた。
「あなたが愛しているのは、アルテイアだけなのよ!」
「違う。それは、君の誤解なんだ!」
「呆れたわ。男のくせに、こんなこともできないの?」
「レイラ。君とは、ずっと、友達でいたいんだ。」
 トリトンは、怒りを抑えながら訴えた。
「それ以上を望んだら、今の関係は保てなくなる…。それはできないよ…。」
「私が、あなたを愛しているといっても…?」
 レイラは、トリトンをじっと見据える。
 熱い視線を感じながら、トリトンはすっと顔をそらした。
「君の気持ちはよくわかった…。でも、俺は…。」
「そういうこと…!」
 レイラは軽蔑のまなざしを向けた。
「女性を受け入れる余裕がないのね…。わかったわ…。一線を超える勇気もない。ただの見掛け倒し。そういうこと…!」
「なんだって?」
 トリトンはムッとしてレイラを見据える。
 レイラは挑発するように、トリトンをせせら笑った。
「アルテイアの仲もそれで進展しないのね。意気地なしさん…。最低だわ。色男ぶってるだけなんて…。」
「レイラ…。言葉を慎めよな…!」
 トリトンは身を震わせた。
「わかったよ。そんなにやってほしけりゃ、いくらでも“お出かけ”してやる! 来い!」
 トリトンは、レイラの腕を強引に引っ張ると、岸に上がらせた。
 レイラは息を飲んだ。
 トリトンに抱き上げたられたと思った瞬間、すぐに柔らかな草地の上に倒された。
 ムキになって、トリトンは言い返した。
「オウルト人っていうのは、けっこうザックバランなんだ。俺にモーションをかけといて、途中でやめたいなんて、いいだすなよ!」
「あなたの方が、先にいいだすんじゃない?」
 声を震わせながらも、冷たい言葉をレイラは投げつける。
 トリトンはカッとなった。
「バカ言うな! それより時間がない。やるのなら、手っ取り早くやるからな!」
 いいながら、レイラの足を自分の足で払って開けさせた。
 レイラは目を閉じると思わず身を固くした。
 その上に、トリトンは、乱暴に覆い被さる。
 が、ぐっとこらえると、トリトンはすぐに体をどかせた。
 四つんばいの格好のまま、頭を抑えつけて苦しい息を吐いた。
 気がついたレイラは、ゆっくりと上体を起こした。
「どうしたの…。なぜ、何もしようとしないの…!」
「変だ。俺も君も…!」
 トリトンは肩を震わせながら、呻くようにつぶやいた。
「こんなことをするなんて…。なんか絶対に変だ…!」
 レイラは言葉をなくした。
「君と出かけてどうなる…。俺は君に何もしてあげられない…。また、同じ苦しみを与えるだけなのに…。」
 トリトンはかぶりをふった。
「やめよう、こんなこと…!」
 トリトンは、掌からオーラの光を放出した。
 対岸に向けて放出された光は、レイラの服を運んできた。
 その服をレイラに放り投げると、トリトンは力尽きたような声で命じた。
「早く着ろ。」
「トリトン…!」
「いいから、何もいわずに服を着ろよ!」
 言い捨てて、トリトンは立ち上がった。
 レイラに背を向けると、川の方向に歩き出した。
 レイラがトリトンに呼びかけた。
 しかし、トリトンは、
「先に村に戻ってろ!」
 そう叫ぶだけだった。
 瞬間、トリトンは別の気配を感じた。
 視線を方々に泳がせる。
 研ぎ澄まされた感覚が、嫌な気を察知した。
 敵。
 鋭い勘が脳裏を貫いた。
「ジオリス…!」
 トリトンはぽつりといった。
 因縁の相手の気と、それはまったく同じだ。
「何かあったの?」
 レイラは恐々と聞いた。
 トリトンは戦闘姿勢のまま、ずっと身構えている。
 緊張した声でトリトンはいった。
「ジオリスが近くにいる。君は、早く村に戻れ!」
「だけど、あなたは…。」
「俺についてきても、命の保証はできないぞ…。」
 鋭い声で忠告すると、トリトンは川に飛び込んだ。
 残されたレイラは顔を歪めると、トリトンが去った方をじっと見据えた。