村の集落から離れた、高原の広場。
       仮設住宅の、建設予定地に選ばれた場所だ。
       広場には、周囲の森から切り出された、大量の木材が集められている。
       鉄郎達は、枝葉の伐採作業を手伝っていた。
       何人かの若者達と手分けして、黙々と作業に専念していると、午前を過ぎ、やがて午後を迎えた。
       思った以上の重労働に、だんだんと、疲れもひどくなってくる。
       短気な倉川ジョウは、愚痴をこぼしはじめた。
      「まったく…。トリのガキが戻ってきても、何も変わりゃしねぇ!」
「アニさん。愚痴ったところで、どうにもならないぜ。」
       島村ジョーが、諦めムードで言い返した。
       ジョウはフンと鼻をならした。
「ボランティア活動に参加させられるなんて、思いもしなかった。」
       ジョウは、その苛立ちを、伐採の作業に叩きつけた。
       肩をすくめるジョーの脇で、鉄郎は無言で仕事を続ける。
       そのうち、別のグループが、彼らに声をかけた。
       木の切り出し作業に、何人か、手を貸してほしいという依頼だった。
「行ってこいよ。ここは、俺だけでも何とかできる。」
       鉄郎は、真っ先に、ジョーコンビに進言した。
       倉川、島村両名のジョーは、互いに顔を見合わせた。
       だが、鉄郎の真剣さに根負けして、島村ジョーは素直に応じた。
      「わかったよ。俺とアニさんで手伝ってくる…。」
      「何かあったら、すぐに呼び戻せ。」
       倉川ジョウも声をかけた。
      「俺の他にも人手はある。こっちは気にするな。」
       鉄郎は、軽く、二人を送り出した。
       他に、三人の若者達も、ジョーコンビについていった。
       鉄郎と、残った若者達とで、伐採作業が続行された。
       アトラリアの日中は気温も上昇し、屋外での作業は、さらに厳しいものになる。
       手を休めた鉄郎は、首にまいたタオルで額の汗をぬぐい、腰に下げていた水筒の水を飲み干した。
       一緒にいた若者達もそうしながら、自然に会話をはじめた。
      「トリトン様が、午前中に意識を回復されたっていうけど…。」
「これで、世界が救われるといいんだが…。」
       鉄郎は目を見張ると、彼らの会話に口をはさんだ。
      「…本当か?」
      「さっき、交代した連中がそういってましたよ…。」
      「聞いてなかったのですか…?」
       若者達に言い返されると、鉄郎は言葉を濁した。
「いや…。聞こえていなかった…。」
       若者達は、不思議そうに首をかしげた。
       その一方で、会話に混じっていなかった若者が、驚いたような声をあげた。
      「あれは…。トリトン様じゃ…。」
       鉄郎と若者達は、えっと表情を変えると、思わず首をめぐらした。
       茂みの方向から、トリトンが全速力で駆け寄ってくる。
       トリトンは、鉄郎の前までやってくると、息を切らして立ち止まった。
       戸惑いを隠せないまま、鉄郎はトリトンに声をかけた。
      「トリ…。お前、もういいのか?」
       深呼吸して息を整えてから、トリトンは、ゆっくりと鉄郎を見あげた。
      「アキが…。大変なことになった…。」
「どうかしたのか?」
       鉄郎は目を丸くした。
       トリトンは、いらつきを抑えられないまま、鉄郎に言い返した。
      「いきなり力を暴走させて、自我崩壊を起こした…。原因がわからない…。このまま、元気になってくれるのかどうかも…。鉄郎なら、何か、心あたりがあるんじゃないのか…?」
「どうして俺が…?」
       鉄郎は、抑えた口調で応じる。
       トリトンはスッと目を細めた。
      「あなた以外に、誰が考えられるんだ…!」
       鉄郎は、おもむろに作業を再開しながら、平然と声をかけた。
      「アキが倒れた時、お前が、そばにいたんだろ?」
「えっ?」
       トリトンは呆気にとられた。
       鉄郎はさらりといった。
      「お前が、アキを助けてやればいいことだ…。」
「それ、どういうことだ?」
       トリトンはいぶかしむ。
       鉄郎は、さらりと言葉を重ねた。
      「俺とアキは、何も関係がなくなった…。」
       予想もしなかった言葉だ。
       トリトンは驚いて絶句した。
       思わず耳を疑った。
       しかし、鉄郎の淡々とした態度は変わらなかった。
      「だから、俺なんかに、いちいち気を遣うな…。」
       トリトンは、じっと、鉄郎を見つめた。
       しだいに、体が震えだす。
       瞬間、トリトンの拳が、鉄郎の頬に炸裂した。
      「ふざけるな!」
       鉄郎は仰向けになって、草むらに吹っ飛んだ。
       成り行きを見守っていた若者達は、驚いて、その現場から駆け出した。
       それと入れ違いに。
       やっと追いついてきたケインとユーリィが、トリトンを止めに入った。
「トリトン、やめなさい!」
       しかし、トリトンは、二人の手を振り払った。
「離せ!」
       鉄郎は、なんとか上体を起こした。
       頬をぬぐうと、視線をはずした。
       トリトンは、鉄郎の胸倉を掴むと、強引につるしあげた。
      「散々、えらそうなことをいって…。その結果が、“関係がなくなった”…? それで、すむわけがねぇだろ!
       あんたはできるんだろ! 力がなくっても、あんたには、その力があるんだろ…!」
      「トリトン、手を出すのをやめなさい!」
       ユーリィがいったが、トリトンは一喝した。
      「黙ってろ…!」
      「鉄郎とアキが、別れたって…。」
       最後にやってきたレイコが、状況を見つめて息を飲む。
       ケインは皮肉っぽくいった。
      「らしいわよぉ〜。だったら、あたしが鉄郎をもらっちゃおうかな〜。」
      「ケイン!」
       ユーリィがたしなめたが。
「それもいいかな…。」
       鉄郎は、苦しそうにしながらも、ふっとにやけた。
       トリトンが、さらに力を込めようとすると、鉄郎が搾り出すような声でいった。
      「殴りたかったら殴れ…。気がすむまで…。」
「何だと…!」
       トリトンの腕に力がこもる。
       鉄郎の胸元を、強く締め付けた。
       鉄郎は呻きながら、トリトンに、かすれた声で言い返した。
      「それが…。お前の本心だ…。惚れたやつが、とる行動だろ…。」
       トリトンは顔を歪めた。
      「からかいやがって…!」
       トリトンが、手を振り上げようとする。
       その手を、誰かが、強く握り締めた。
       ハッとして首をめぐらすと、相手は島村ジョーだ。
「離してやってくれ。」
       穏やかだが、力が強い。
       トリトンは、振り上げた手を下ろすことができないまま、もう片方の腕で、掴まえていた鉄郎を離した。
       ドサリと草むらに尻餅をついて、鉄郎は呼吸を整える。
       その様子を見ながら、倉川ジョウが冷ややかな声でいった。
      「同情もできねぇぜ。トリが殴ってなかったら、俺が代わりに、お前をぶん殴ってる。」
      「あそこにいた連中が、俺達を呼び戻した…。トリトン、悪く思うな…。」
       ジョーがいった。
       トリトンは、一緒に作業に取り組んでいた若者達を見据えた。
       すると、若者達は身をすくませて、慌てて立ち去った。
      「鉄郎、あれほど逃げるなといったのに…。見損なったぞ…。」
       ジョーが鉄郎を睨みつけた。
       鉄郎はぽつりといった。
      「なぜ…。アキは、俺でなきゃいけないんだ…。」
      「まだ、そんなことをいってるのか…!」
       トリトンが身を乗り出そうとするのを、島村ジョーが必死に引き止めた。
       鉄郎はトリトンを見上げた。
      「お前はどうなんだ?  お前だって、アキを受けとめてやれるだろ…! いや、むしろ、俺よりもふさわしいんじゃないのか?
       あいつのことで、そこまで熱くなれる、お前の方が…。」
      「そんなこと…。彼女が望んでいないのを、鉄郎が、よくわかってるじゃないか…! 俺だって、そんなのは嫌だ!」
      「じゃ、どうすんの?  このままじゃ、状況は最悪よ。」
       ケインが肩をすくめる。
       鉄郎が口を開いた。
      「自我崩壊を起こしたっていってるけど…。 他に、原因は考えられないのか…? 
      例えば、誰かの攻撃を受けてるとか…。」
「どういうこと?」
       ユーリィが顔をしかめた。
       立ち上がった鉄郎は、言葉を続けた。
      「アクエリアスの力って、そんなにもろいものなのか? 俺のことがあったとしても…。たった、それだけのことで、そんなダメになるような…。アキはそんな弱い女性じゃない…。」
       トリトンは嫌味っぽくいった。
      「別れても、まだ、のろけたいんだ…。」
「トリ!」
       ジョーが制した。
       わずかに考えながら、鉄郎の言葉を受けて、ジョーは喋りはじめた。
      「気になるとしたら、“ラムセス”だ…。やつはまだ生きてる…。いや、オリハルコンとともに、復活するやつだったな…。」
「お前の力じゃ、どうにもならないのか?」
       倉川ジョウが、トリトンに視線を向けた。
       トリトンはかぶりを振った。
      「何でも力≠ナ解決できるなんて思わないでよ。こんな事態は想定外だ。」
「でも、原因がちゃんとあるわ。アキはああ見えても、弱い時には弱いのよ…。」
       レイコが口をはさんだ。
       トリトンは呻くようにいった。
      「俺が、この力で助けてあげられるのなら、いくらでもそうする…。でも、それができるのは、鉄郎だけだ。俺じゃない…。俺じゃだめなんだ…!」
       鉄郎は目を見張った。
       トリトンは鉄郎にくらいついた。
       胸元を再び締め上げる。
       鉄郎は顔を歪めながら、まったく抵抗しなかった。
       トリトンは悔しさをにじませながら、鉄郎に気持ちをぶつけた。
       真摯でひたむきな怒りが、トリトンを駆り立てた。
「どうしてそんな残酷なことをしたんだ! なんかいえ!」
「トリトン。落ちつけ!」
       ジョーコンビとロスト・ペアーズが、束になって、鉄郎とトリトンを引き離そうとした。
       しかし、トリトンは、さらに、鉄郎にぶつかっていこうとする。
       争いがこじれかけた時。
       いきなり、一同の頭の上から、女の子の声が響いた。
      「だめ…。それじゃ、何も解決しない…!」
       次の瞬間、彼らの周囲を、瞬時に闇が取り巻いた。
       いや、闇の中に放りこまれたというべきか…。
       全然、地面は揺らがなかった。
       衝撃もない。
       光が途絶え、緑がなくなった。
       ふいに、周囲の明かりが消えた。
       そんな感じだった。
       わけがわからないまま、一同が首をめぐらしていると…。
       またもや、女の子の声が聞こえた。
「みんなには失望しました…。」
       悲しく、いたたまれない感情がこもった、寂しい言葉。
       その少女の声を、間違えるはずがない。
       声の方向に目線を向けると…。
       その先に、紅い髪の少女がいる。
       アキの分身ともいえる存在。
       前世の少女、アルテイアだ。