10.湧き上がる陰影 2

 村の集落から離れた、高原の広場。
 仮設住宅の、建設予定地に選ばれた場所だ。
 広場には、周囲の森から切り出された、大量の木材が集められている。
 鉄郎達は、枝葉の伐採作業を手伝っていた。
 何人かの若者達と手分けして、黙々と作業に専念していると、午前を過ぎ、やがて午後を迎えた。
 思った以上の重労働に、だんだんと、疲れもひどくなってくる。
 短気な倉川ジョウは、愚痴をこぼしはじめた。
「まったく…。トリのガキが戻ってきても、何も変わりゃしねぇ!」
「アニさん。愚痴ったところで、どうにもならないぜ。」
 島村ジョーが、諦めムードで言い返した。
 ジョウはフンと鼻をならした。
「ボランティア活動に参加させられるなんて、思いもしなかった。」
 ジョウは、その苛立ちを、伐採の作業に叩きつけた。
 肩をすくめるジョーの脇で、鉄郎は無言で仕事を続ける。
 そのうち、別のグループが、彼らに声をかけた。
 木の切り出し作業に、何人か、手を貸してほしいという依頼だった。
「行ってこいよ。ここは、俺だけでも何とかできる。」
 鉄郎は、真っ先に、ジョーコンビに進言した。
 倉川、島村両名のジョーは、互いに顔を見合わせた。
 だが、鉄郎の真剣さに根負けして、島村ジョーは素直に応じた。
「わかったよ。俺とアニさんで手伝ってくる…。」
「何かあったら、すぐに呼び戻せ。」
 倉川ジョウも声をかけた。
「俺の他にも人手はある。こっちは気にするな。」
 鉄郎は、軽く、二人を送り出した。
 他に、三人の若者達も、ジョーコンビについていった。
 鉄郎と、残った若者達とで、伐採作業が続行された。
 アトラリアの日中は気温も上昇し、屋外での作業は、さらに厳しいものになる。
 手を休めた鉄郎は、首にまいたタオルで額の汗をぬぐい、腰に下げていた水筒の水を飲み干した。
 一緒にいた若者達もそうしながら、自然に会話をはじめた。
「トリトン様が、午前中に意識を回復されたっていうけど…。」
「これで、世界が救われるといいんだが…。」
 鉄郎は目を見張ると、彼らの会話に口をはさんだ。
「…本当か?」
「さっき、交代した連中がそういってましたよ…。」
「聞いてなかったのですか…?」
 若者達に言い返されると、鉄郎は言葉を濁した。
「いや…。聞こえていなかった…。」
 若者達は、不思議そうに首をかしげた。
 その一方で、会話に混じっていなかった若者が、驚いたような声をあげた。
「あれは…。トリトン様じゃ…。」
 鉄郎と若者達は、えっと表情を変えると、思わず首をめぐらした。
 茂みの方向から、トリトンが全速力で駆け寄ってくる。
 トリトンは、鉄郎の前までやってくると、息を切らして立ち止まった。
 戸惑いを隠せないまま、鉄郎はトリトンに声をかけた。
「トリ…。お前、もういいのか?」
 深呼吸して息を整えてから、トリトンは、ゆっくりと鉄郎を見あげた。
「アキが…。大変なことになった…。」
「どうかしたのか?」
 鉄郎は目を丸くした。
 トリトンは、いらつきを抑えられないまま、鉄郎に言い返した。
「いきなり力を暴走させて、自我崩壊を起こした…。原因がわからない…。このまま、元気になってくれるのかどうかも…。鉄郎なら、何か、心あたりがあるんじゃないのか…?」
「どうして俺が…?」
 鉄郎は、抑えた口調で応じる。
 トリトンはスッと目を細めた。
「あなた以外に、誰が考えられるんだ…!」
 鉄郎は、おもむろに作業を再開しながら、平然と声をかけた。
「アキが倒れた時、お前が、そばにいたんだろ?」
「えっ?」
 トリトンは呆気にとられた。
 鉄郎はさらりといった。
「お前が、アキを助けてやればいいことだ…。」
「それ、どういうことだ?」
 トリトンはいぶかしむ。
 鉄郎は、さらりと言葉を重ねた。
「俺とアキは、何も関係がなくなった…。」
 予想もしなかった言葉だ。
 トリトンは驚いて絶句した。
 思わず耳を疑った。
 しかし、鉄郎の淡々とした態度は変わらなかった。
「だから、俺なんかに、いちいち気を遣うな…。」
 トリトンは、じっと、鉄郎を見つめた。
 しだいに、体が震えだす。
 瞬間、トリトンの拳が、鉄郎の頬に炸裂した。
「ふざけるな!」
 鉄郎は仰向けになって、草むらに吹っ飛んだ。
 成り行きを見守っていた若者達は、驚いて、その現場から駆け出した。
 それと入れ違いに。
 やっと追いついてきたケインとユーリィが、トリトンを止めに入った。
「トリトン、やめなさい!」
 しかし、トリトンは、二人の手を振り払った。
「離せ!」
 鉄郎は、なんとか上体を起こした。
 頬をぬぐうと、視線をはずした。
 トリトンは、鉄郎の胸倉を掴むと、強引につるしあげた。
「散々、えらそうなことをいって…。その結果が、“関係がなくなった”…? それで、すむわけがねぇだろ!  あんたはできるんだろ! 力がなくっても、あんたには、その力があるんだろ…!」
「トリトン、手を出すのをやめなさい!」
 ユーリィがいったが、トリトンは一喝した。
「黙ってろ…!」
「鉄郎とアキが、別れたって…。」
 最後にやってきたレイコが、状況を見つめて息を飲む。
 ケインは皮肉っぽくいった。
「らしいわよぉ〜。だったら、あたしが鉄郎をもらっちゃおうかな〜。」
「ケイン!」
 ユーリィがたしなめたが。
「それもいいかな…。」
 鉄郎は、苦しそうにしながらも、ふっとにやけた。
 トリトンが、さらに力を込めようとすると、鉄郎が搾り出すような声でいった。
「殴りたかったら殴れ…。気がすむまで…。」
「何だと…!」
 トリトンの腕に力がこもる。
 鉄郎の胸元を、強く締め付けた。
 鉄郎は呻きながら、トリトンに、かすれた声で言い返した。
「それが…。お前の本心だ…。惚れたやつが、とる行動だろ…。」
 トリトンは顔を歪めた。
「からかいやがって…!」
 トリトンが、手を振り上げようとする。
 その手を、誰かが、強く握り締めた。
 ハッとして首をめぐらすと、相手は島村ジョーだ。
「離してやってくれ。」
 穏やかだが、力が強い。
 トリトンは、振り上げた手を下ろすことができないまま、もう片方の腕で、掴まえていた鉄郎を離した。
 ドサリと草むらに尻餅をついて、鉄郎は呼吸を整える。
 その様子を見ながら、倉川ジョウが冷ややかな声でいった。
「同情もできねぇぜ。トリが殴ってなかったら、俺が代わりに、お前をぶん殴ってる。」
「あそこにいた連中が、俺達を呼び戻した…。トリトン、悪く思うな…。」
 ジョーがいった。
 トリトンは、一緒に作業に取り組んでいた若者達を見据えた。
 すると、若者達は身をすくませて、慌てて立ち去った。
「鉄郎、あれほど逃げるなといったのに…。見損なったぞ…。」
 ジョーが鉄郎を睨みつけた。
 鉄郎はぽつりといった。
「なぜ…。アキは、俺でなきゃいけないんだ…。」
「まだ、そんなことをいってるのか…!」
 トリトンが身を乗り出そうとするのを、島村ジョーが必死に引き止めた。
 鉄郎はトリトンを見上げた。
「お前はどうなんだ?  お前だって、アキを受けとめてやれるだろ…! いや、むしろ、俺よりもふさわしいんじゃないのか?  あいつのことで、そこまで熱くなれる、お前の方が…。」
「そんなこと…。彼女が望んでいないのを、鉄郎が、よくわかってるじゃないか…! 俺だって、そんなのは嫌だ!」
「じゃ、どうすんの?  このままじゃ、状況は最悪よ。」
 ケインが肩をすくめる。
 鉄郎が口を開いた。
「自我崩壊を起こしたっていってるけど…。 他に、原因は考えられないのか…?  例えば、誰かの攻撃を受けてるとか…。」
「どういうこと?」
 ユーリィが顔をしかめた。
 立ち上がった鉄郎は、言葉を続けた。
「アクエリアスの力って、そんなにもろいものなのか? 俺のことがあったとしても…。たった、それだけのことで、そんなダメになるような…。アキはそんな弱い女性じゃない…。」
 トリトンは嫌味っぽくいった。
「別れても、まだ、のろけたいんだ…。」
「トリ!」
 ジョーが制した。
 わずかに考えながら、鉄郎の言葉を受けて、ジョーは喋りはじめた。
「気になるとしたら、“ラムセス”だ…。やつはまだ生きてる…。いや、オリハルコンとともに、復活するやつだったな…。」
「お前の力じゃ、どうにもならないのか?」
 倉川ジョウが、トリトンに視線を向けた。
 トリトンはかぶりを振った。
「何でも力≠ナ解決できるなんて思わないでよ。こんな事態は想定外だ。」
「でも、原因がちゃんとあるわ。アキはああ見えても、弱い時には弱いのよ…。」
 レイコが口をはさんだ。
 トリトンは呻くようにいった。
「俺が、この力で助けてあげられるのなら、いくらでもそうする…。でも、それができるのは、鉄郎だけだ。俺じゃない…。俺じゃだめなんだ…!」
 鉄郎は目を見張った。
 トリトンは鉄郎にくらいついた。
 胸元を再び締め上げる。
 鉄郎は顔を歪めながら、まったく抵抗しなかった。
 トリトンは悔しさをにじませながら、鉄郎に気持ちをぶつけた。
 真摯でひたむきな怒りが、トリトンを駆り立てた。
「どうしてそんな残酷なことをしたんだ! なんかいえ!」
「トリトン。落ちつけ!」
 ジョーコンビとロスト・ペアーズが、束になって、鉄郎とトリトンを引き離そうとした。
 しかし、トリトンは、さらに、鉄郎にぶつかっていこうとする。
 争いがこじれかけた時。
 いきなり、一同の頭の上から、女の子の声が響いた。
「だめ…。それじゃ、何も解決しない…!」
 次の瞬間、彼らの周囲を、瞬時に闇が取り巻いた。
 いや、闇の中に放りこまれたというべきか…。
 全然、地面は揺らがなかった。
 衝撃もない。
 光が途絶え、緑がなくなった。
 ふいに、周囲の明かりが消えた。
 そんな感じだった。
 わけがわからないまま、一同が首をめぐらしていると…。
 またもや、女の子の声が聞こえた。
「みんなには失望しました…。」
 悲しく、いたたまれない感情がこもった、寂しい言葉。
 その少女の声を、間違えるはずがない。
 声の方向に目線を向けると…。
 その先に、紅い髪の少女がいる。
 アキの分身ともいえる存在。
 前世の少女、アルテイアだ。